Part1(オクタン)


シルバ邸には簡単に入ることができた。
警備兵や使用人たちは俺を見て驚いた顔をしていたが、誰も止める者はいなかった。
考えてみりゃ当然だよな、自分の家なんだから。
「よう、オクタビオが帰ったぜ。今日のおやつは何だ?」
腫れ物に触るべきかどうしようかと、遠巻きにしている奴らをからかいながらホールを横切り、目指すは親父の書斎に掛かってる絵画の裏の隠し金庫だ。
昼間でも明かりがついてるってのに、なぜか薄暗く感じる廊下の壁には、この家の主と歴代の妻たちが勢揃いした肖像画が並んでいる。
それを横目にしながら、俺は歩を速めた。
……こんなところはさっさと通り過ぎるに限るぜ。
ジブが五人はすれ違えそうな階段を登って二階に上がり、親父の書斎に潜り込んで目的の絵画の前に立った。
部屋の中には膨大な蔵書と、金に任せてオークションで競り落とした美術品の類いが、シルバ家の財力を誇示するみたいに飾ってある。
塵ひとつなく磨き上げられた机、整頓された書類、最新型のコンピューター、そこにチョコレートの包み紙のひとつでも転がっていたなら、少しは可愛げがあるのにな。
その空間には何ひとつ、俺が親しみや懐かしさを感じるものがなかった。
気を取り直し、大きな額縁を動かそうと手を掛ける。
それにしても薄気味悪い絵だな。巨人が人間を食ってやがる。大昔の有名な作品らしいが、俺にはさっぱり興味がない。用があるのはその裏だ。
だが、あいにくそれは、俺ひとりの力ではびくともしなかった。
ここに来て俺はようやく、金庫を開けるためには暗証番号が必要なことに気付いたんだ。あてずっぽうに数字を入力してみるが、当然開きはしない。
少し考えたら分かるはずなのに、なんで俺はいつもこうなんだ? これじゃまたアジャイ達にバカだって言われちまう……。
「シェがお前をバカだって?」
背後から親父の声がした。
思わず飛び上がって後ろを振り返ると、新調した眼鏡の向こうの鋭い視線と、ピストルの銃口がこっちに向けられていた。俺はまた、思ってることをそのまま口にしてたらしい。
「それは至極当然だろうな。彼女はお前と違って賢い子だ」
チッ、相変わらず厭味ったらしいジジイだぜ。久しぶりに会ったかと思えばそれかよ。
どうせ仕事でめったに家になんか帰らねえはずなのに、今日に限ってタイミングが良すぎじゃねぇか?
「金庫から離れるんだ、オクタビオ。そこには私にとって重要なものが入っている。その汚れた手で私の遺産を汚すつもりか? お前はなぜここにいる?……私の忠告を聞かなかったのか?」
「実の息子に、ためらいもなく銃を向けるやつの忠告なんか聞けるかってんだ。どうした親父、もっと低く狙えるだろ?」
実際、銃を構えた奴から殺気は感じられなかった。
シルバ製薬CEOであり、シンジケートの次期審議会議長の有力候補でもあるドゥアルド・シルバが、こともあろうに自分の息子をぶっ殺した、なんてことになったら大スキャンダルだもんな。
しかも俺はレジェンドのオクタンだ。
俺だって、たかが老いぼれひとりを失脚させるために、自分の命を引き換えにするのは割に合わねぇ。
もっとも、同時に動き出せば、俺の方が速いに決まってるがな。
相手がどう出るかを伺っていると、親父はあっけなく銃を下ろした。
「ふん、まあいい。お前に提案がある」
「……はいはい、邪魔者は失せろって言うんだろ?」
「いや、その逆だ。お前の助けが必要なんだ」
今なんて言った?
俺の助けが必要だって?
親父は俺に、シルバ製薬とドゥアルド・シルバの支持者としてゲームに出場して欲しいと言った。シンジケートの議長候補として勢力を広げるために、俺の人気を利用したいってことらしい。
親父が俺に頼み事をするなんて、なんかの間違いじゃねえかと思ったが、あいつも一応は人間だからな。年を取ってやわになったのか、それとも俺様の能力にいまさら気付いたのか……。
最初は協力するつもりなんかなかった。
だが、あいつは簡単には引き下がらずに、取り引きを提案してきたんだ。
俺が考えついた無理難題もなんのその、とうてい不可能だと思ってたタルタロスへの上陸まで叶えてくれるという。どうやら親父は本気らしい。
俺はふと、これはチャンスなんじゃねぇかと思い始めた。警戒するどころか、向こうから手土産を持って近付いて来てくれるなんて、これを逃す手はないぜ。
こういうのをカモネギ、って言うんだよな?
結論を言っちまえば、俺は親父と手を組むことにしたのさ。
もちろんそれは表向きのことで、俺は親父に協力するふりをしながら、あいつがボロを出すのを待つ。
まさに、オクタン“スーパースパイ”の誕生だ。
とっさにこの名案を考えついた俺って、もしかしたら天才じゃねぇのか? アジャイやマギーがこれを知ったら何て言うか、今から楽しみだぜ。
俺は親父の提案を受け入れ、オクタンの名前を貸すだけじゃなく、一緒に活動させてくれと言った。協力するとは言っても、ただ民衆の興味を引くための見世物じゃ意味がない。
「いいだろう」
と、親父は答えた。
それから……、何と俺の肩に手を乗せて「ありがとう」って言ったんだ。 嘘みたいだろ? あのクソ親父が、だぜ?
あいつが俺に親しげな態度を取るなんて、今までの記憶をぜんぶ逆さまにしたって思い出せやしねぇのに。
なんて言うべきか迷って、俺はぎこちなく「どういたしまして」って答えた。
何かこそばゆい感じだ。
親父は満足そうに頷いて、笑みまで浮かべている。
こうして俺は、二重スパイとしてあいつの懐に潜り込むことに成功した。あとは望み通り、完璧な息子を演じてやればいいのさ。最初で最後の親子ごっこだと思えば、それも悪くねぇだろ?
それに、もしかして……もしかしたらだけど、親父が取り返しのつかねぇ事をしでかす前に、俺が説得できるかもしれない。奴は今までと違って、何も聞く耳を持たないって感じじゃなかった。
あいつが満足するような働きをして信頼を得られれば、無駄な血を流さなくてもいいんだ。マギーは残念がるかもしれないけど……。
とにかく、今まで進展のなかった事態が一歩前に進んだ事に、俺は満足していた。しかも、思いもしなかったような、超スリリングな展開だ。
計画がうまくいけば、みんなだって俺を見直すに違いない。俺はこれまでの失敗をチャラにできて、その上誰からも一目置かれる存在になる。
出来損ないのあんたの息子が、アウトランズを救う英雄になるんだぜ? 嬉しいだろ? それとも悔しいか?
足取りも軽く門を出て振り返ると、お化け屋敷みたいな建物の窓から、俺を見送る親父の影が見えた。
ソラスシティに着いたのは明け方だった。
さすがにエリオットは爆睡中で、俺がベッドに潜り込むと、半分眠ったまま手探りで身体を引き寄せた。
がっしりした腕が、まだどこかふわふわしていた俺を現実に引き戻す。
ハハ、変なの。
さっきまで俺は、親父と一緒に自分が生まれた家にいたってのに、ここに戻ってはじめて帰って来た気がするなんてさ。
俺の帰りが遅くなるとき、エリオットが起きて待ってたのはもうずっと昔の話だ。今はお互いに眠くなったら寝ちまうし、いちいち何時に帰るなんて連絡もしなくなった。
それでも安心していられるのは、必ずここに帰ってくるって分かってるからだよな。
俺のために空けられたベッドの片側、お前の腕の隙間、ここが俺の帰る場所なんだ。あの屋敷じゃない。
半開きのエリオットの唇に、自分のそれを触れ合わせる。エリオットは薄く目を開いて微笑み、俺を逃すまいときつく腕の中に閉じ込めた。
すぐにでもスパイのことや親父の話をしたかったが、それはもっと後でのお楽しみだ。今は俺だけの秘密にしとかなきゃならねえ。
間近にあるまぶたの傷におやすみのキスをして、俺は高揚した気分のまま、思いつく限りエリオットに話しかけた。
「なぁエリ、面倒ごとが片付いたら二人でどっか行こうぜ? 行きそびれたバカンスでもいいし、デュオニソスの高級レストランから夜景を眺めるのもいいな。それとも、スオタモのクラブで一晩じゅう踊るか? もしかしたら、タルタロスにだって行けるかもしれない。一体どんな場所なのかは想像もつかねえけど、お前と一緒だったらきっと、どこだって楽しいに決まってる。
――だから、もうちょっと待っててくれよな?」

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