Part3(オクタン)


がらんとした大食堂でのディナーもそこそこに、俺は三階にある自分の部屋に引き揚げた。
物心ついた頃から家を出るまで、たしかにここは俺の部屋だった。
ナビと一緒にいろんな冒険の計画を立てては、親父の目を盗んで実行に移したっけ。ジャンプパッドのアイデアは、俺の数ある傑作のうちのひとつだ。
だが、今はもう、その思い出のかけらも残っていない。
幼少期からためこんでいた宝物は——親父に言わせれば役に立たないガラクタだそうだが ——すっかり処分され、真新しい壁紙とカーペットで上書きされている。
クローゼットに用意された服はどれもこれも俺の好みじゃないし、豪華な家具や調度品でしつらえた室内は、まるで映画のセットみたいだった。
机の上を見ると、いつの間にか、分厚い背表紙の書籍と資料みたいなものが山積みになっている。
表紙をめくり、中にびっしりと詰まっている文字だのグラフだのを目にして、俺はすぐさまその紙の束を放り出した。
そういえば、明日の会議に、親父の代理として出席しなきゃならねえんだっけ。
どうにも気乗りしない話だ。
堅苦しいスーツを着て、誰も本音なんか言わない会議に出席することに、意味なんかあるのか?
窓から外を眺めると、遠くにはプサマテの街が見える。
アウトランズを代表する大都市の喧騒も、広大な私有地に囲まれたこの城までは届いてこない。
切り取られたポストカードのような夜景をぼんやりと眺めながら、俺は、プサマテに戻ってからの事を思い返していた。
ドゥアルド・シルバが俺の父親ではなく、祖父だったからといって、俺たちの関係に特別な変化はなかった。
奴を変わらず親父と呼ぶのも、俺にとっては自然な感情だ。
なんせ、本物の父親は、その死を悼むための思い出すら残さずに逝っちまったんだ。出会ったと思ったら、ハイさようなら、感傷に浸るヒマもありゃしねえ。
俺という人間を、この世に生み出してくれた事には感謝しているが、思うことがあるとすれば、せいぜいそれくらいだ。
せめて写真の一枚でもあればと、屋敷の中を漁ってみたが、彼の痕跡を見つけ出すことはできなかった。
はっきり言って、親父が自分の素性を明かした真意は謎だ。
隠そうと思えば隠し通せたはずなのに、奴の口ぶりからは、いずれ俺が真実にたどり着くことを予測していたようにも思える。
俺はずっと、シルバの人間としてふさわしいかどうかを試されていたのか?
親父の描いたシナリオに乗せられているのかと思うと少々気分が悪いが、俺を認めてくれたというのは嘘じゃなさそうだ。
これからは真実だけを語ると、確かにそう言った。
その言葉を信じるなら、俺は灰になった友情と引き換えに、ドゥアルド・シルバの正体という、大きな武器を手に入れたことになる。
ただし、このアルティメットの取り扱いには注意が必要だ。使い方次第で、俺は親父を守ることも、殺すこともできるんだからな。
そうそう、これからは、うっかり公の場で「おじいちゃん」なんて呼ばねえように気をつけねえと……。
こうして、ある種の緊張感を持って里帰りした俺だったが、実際に俺たちが屋敷の中で顔を合わせることは、ほとんどなかった。
親父は会議だの出張だので忙しく、家にいることがない。子供の頃と一緒だ。
メールを送ってみてもろくに返事は来ねえし、呼び出されるのは決まって、宣伝のための写真撮影とか、支持者達のご機嫌をとるための会食だとかそんな用事ばっかで、その時だけ俺たちは“いい家族”みたいなふりをする。
なんだか肩透かしを食らった気分だぜ。
過剰な期待はしていないつもりだったけど、それでも、今までとは違う新しい関係を築けるかもしれない、なんて気持ちもどこかにあった。
それがどうだ?
時間が経つにつれ、増えていくのは疑問ばかりだ。
相変わらず、親父は俺に何も教えてはくれない。
シンジケート部隊の事だってそうさ。
もっともらしい事を並べ立ててはいるが、要するにあれは軍隊だ。フロンティア兵団は、武装した軍隊になっちまった。
彼らを助けるふりをして、敵対的買収に等しいやり方で配下にしたのも気に入らなかった。
その上、部隊の指揮を執るのがアジャイの母親だなんて、この事をアネキが知ったら、怒り狂って俺を殺すかもしれねえな……。
いや、すでにそんな価値もねえか。
あの一件以来、アジャイは完全に俺を見限ったらしい。
近頃は、マギーとつるんでる所をよく見かける。
二人して親父のシッポを掴もうと過激な事を企んでいるようだが、俺は完全に蚊帳の外だ。
相手が親父じゃなかったら、サルボだろうがタルタロスだろうが、俺が真っ先に乗り込んでやるのに。
マギーと友達みたいに笑って話しているアネキを見ながら、何もできない距離にいる自分がもどかしかった。
もう、俺は必要じゃないんだな。
気付けば、窓ガラスには、冴えない顔をした緑色の髪の男が映っている。まるで、昔の自分を見ているようだ。
俺はそいつに中指を立てて、外の闇へと追い払った。
楽しい週末の夜だというのに、俺はこんな所で何をしてるんだろう。
ポケットの中の端末は黙ったまま、暇つぶしにテレビを点けてみるが、やかましいだけで何も頭に入ってこない。
俺の事を兄弟だとか言ってた連中は、一体どこへ行ったんだ?
毎週のようにプレゼントを送ってくるあの娘たちは?
おまけに、いつも隣りにいるはずのあいつもいない。
俺は急に、自分が世界から取り残されたような、焦りと苛立ちを感じ始めた。
俺のチャンネルにいる何万人ものフォロワーも、APEXゲームで俺を賞賛するファン達も、仮面を脱いだ俺には興味がない。
考えてみりゃ当然だ。
みんな、『オクタン』が騒ぎを起こすのを待ってるんだ。派手なパフォーマンスをキメて、ぶっ飛んでるところが見たいのさ。
俺だってそれを望んでる。
だけど、親父がシンジケートを掌握してからというもの、何もかも忘れて没頭できるはずのAPEXゲームでさえ、ふとした拍子に親父の影を感じて、楽しさも半分になっちまう。
リングの中だけは、誰にも邪魔されない自由な場所だったのに。
俺のアドレナリンは行き場を失ったまま、不完全燃焼を繰り返している。
いっそのこと、俺もエリオットと駆け落ちでもしてみるか?
きっと大騒ぎになるぜ。
「なーんてな……」
エリオットとの愉快な逃避行を思い描いてみても、俺の心は晴れなかった。
こんな夜は、さっさと寝ちまうに限る。
寝室に用意されていたパジャマに着替えて時計を見ると、部屋に戻ってからまだ十五分くらいしか経っていなかった。
ここにいると、時間が経つのがやけに遅く感じる。
一人で使うには広すぎるベッドに寝っ転がって、意味もなく脚をバタバタさせてみても、その後の静けさが虚しいだけだった。
「今日に限ってコールはなしかよ? お前のつまんねえジョークを聞かせろよ、エリオット」
サイドテーブルの上で沈黙している端末を横目に、俺はエリオットに八つ当たりした。
「……俺はもう寝ちまうぞ」
シーツの上に脱力した手足を投げ出すと、自然にため息が漏れる。
同じ沈黙でも、あいつが居るのと居ないのじゃ大違いだ。あいつは黙っていても騒がしい奴だからな。
できるだけ思い出さないようにしてたのに、一度考え始めたら最後、エリオットとのあれこれが堰を切ったように溢れてきやがる。
ずっと会ってないわけじゃない。
ゲームの後、別れ際にキスをして、じゃあなって笑って手を振ったのは、つい数時間前の話だぜ……。
俺はベッドからむくりと起き上がり、雑念を追い払うべく頭を振った。
意地を張るのはやめだ。
俺は今すぐ、エリオットの声が聞きたいんだ。
テーブルの上に手を伸ばしかけたとたん、置いてあった携帯端末がブルブルと震え出し、特別な着信音を鳴らした。
あまりのタイミングの良さに、思わず苦笑いが浮かぶ。
俺のことを全部分かってる、っていうのは本当らしいな。
「あーオク? 俺だ、エリオットだ」
Hola? と言う暇もなく、スピーカー越し聞こえてくるのは、少し鼻にかかった調子っぱずれの声だ。
その声を聞いた途端、ようやく地面に足が着いたみたいな安心感に包まれる。
「……本当に毎日電話してくれるんだな」
「気にするな、俺がそうしたいだけさ。ったく、お前がいないと夜が長くて困るぜ。さすがに、一時間ごとにメールするわけにもいかねえしな」
エリオットがそれを本当に実行しようとしたのかは眉唾ものだが、とりあえず、一日の終わりにエリオットの声を聞くのが俺の日課になっている。
あいつにとっては、話の内容よりも、俺と話したという事実が大事なんだそうだ。
良くわかんねえけど、感謝はしてる。
そもそも、俺がプサマテに来なければ、その必要もなかったんだからな。
「ところで、タビオ君の今夜の予定は?」
「俺は……さっき飯食って、もう寝ようかと思ってたところだ」
「はあ? こんな時間にか? いくらなんでも早すぎだろ。どこか具合でも悪いのか?」
「いいや、俺はいたって健康さ。ただ、何もすることがねえ。配信って気分でもねえし、ゲームも特にやる気にならねえし。それに、明日は“大事な”会議があるしな。お坊っちゃまは規則正しい生活をしなくちゃだろ? そういうお前は?」
「俺か? 俺はまだ、パラダイスラウンジだ。さっきまで、ローバとバンガロールが飲みに来てたぜ。あの二人が揃って俺の店に来るなんて、いつ振りだったかな。珍しいこともあるもんだ」
「へえ、ひと足早いお別れ会かね?」
「それにしては、お世辞にもいい雰囲気には見えなかったがな。どうやら、ローバはアニータがゲームを離れるのに納得がいかないらしい。おかげで、自分の店だってのに、居心地が悪いのなんの」
険悪ムードの二人の間でオロオロしているエリオットを想像して、自然と笑みが浮かんだ。
「そういや、例のホロ装置の修理は?」
「ああ、バッチリだ。新品と言ってもいいくらい完璧に仕上がってるぜ。けど、ラムヤの奴、部品を見つけてきたまでは良かったんだが、案の定値段をふっかけてきやがった。アニータに請求するわけにもいかねぇし、ったく、ちゃっかりしてやがる」
「ハハ、そりゃ潔く諦めるこったな。我らが姫君への餞別だと思えば安いもんだろ」
「俺は別にケチってるわけじゃないぜ? その金が、ラムヤの酒代になるのが納得できねえだけだ。しかも、俺の店以外でな」
俺たちは二人して笑い、それから少しの間、バンガロールの思い出話で盛り上がった。
気付けばもうすぐシーズンも終わる。
いつも俺やエリオットにガミガミ言ってた鬼軍曹がいなくなっちまうのは寂しい気もするが、それが彼女の選択なら仕方ねえよな。
時が過ぎれば、色んな事が変わっていく。
俺とアジャイだって、ずっと友達だと思ってたのに……。
不自然に途切れた会話の隙間を埋めるように、エリオットは小さな咳払いをひとつして、さっきまでのふざけた感じの声から急に真面目な声色になった。
「……オクタビオ、その、大丈夫か?」
「何がだよ?」
「パパシルバとはその後どうなんだ? ちゃんと親子してんのか? ああ、余計なお世話だ、ってのは言いっこなしだぜ? お前は俺から聞かないと何も言わねぇんだから」
「どうもこうも、あの人は何かと忙しいから……言うほどのことは何もねえよ」
俺は素直にそう答えた。
あながち嘘でもないはずだ。
だけど、俺は一番大事な事実を、エリオットに話していなかった。
親父の正体を打ち明けるべきか否か、俺はまだ迷っている。あいつが隠し事を嫌うのはよく分かってるし、信用してないわけでもない。
でも、この秘密は、誰かと共有するには危険すぎる気がした。
もし親父がそれを知って、エリオットに手出しするような事になったら?
俺の返事に納得したのかは分からないが、エリオットはそれ以上追求はしてこなかった。
「……そっか。まあ、あんまり焦らずゆっくりやるこった。なんせ二十数年分のすれ違いだからな。取り戻すのにだって、時間がかかるだろ」
「やけに優しいんだな。お前は親父の事が嫌いじゃなかったか?」
「確かにそうだが、それとこれとは別だ。お前が後悔しなければそれでいいさ」
「またクリプトに甘やかしてるって言われるぞ」
「なんだ、まだそんな事気にしてたのか? クリプちゃんだってワッツにはデレデレなくせに、よく言うぜ。俺は知ってるんだからなぁ」
「JAJAJA……」
「なあ、オク。何があっても、お前はお前だって事を忘れるなよ。お前がシルバの息子だってことは事実だが、それがすべてじゃない」
その言葉は、昔どこかで聞いたことがある気がした。
そうだ、俺がアジャイに言った言葉だ。
今になって、自分が同じような事を言われる立場になるとは、なんだか出来過ぎた皮肉に思えるぜ。
「ま、お前はこのミラージュ様が見込んだ男だから、簡単に折れたりはしないだろうけどな。……それでも、万が一、道に迷うような時が来たら、俺のことを思い出してくれ。お前がどんな人間かは、俺が一番良く知ってる。……そうだろ? そのくらい自惚れたっていいよな?」
眠気を誘うようなエリオットの低い声が、心地良く耳に流れてくる。
目を閉じて、あいつの腕に包まれる感触を思い出せば、自然と気持ちが軽くなった。
「さあ、そいつはどうかな?」
「おいおい、そこは素直に感動する流れだろ。じゃないと俺がスベった感じになる」
「じゃあ、俺の身体にいくつホクロがあるか言えるか?」
「えと……待てよ? 今思い出すから……」
「なぁ、エリオット」
「ん?」
「好きだぜ」
端末の向こうで、エリオットが息を呑んだ気配がする。
話しているうちに、なんだか気持ちが溢れてきて、言わずにいられなくなっちまったんだ。
いつだったか、ホライゾンから聞いた事がある。
観測されて初めて、現実は意味を持つんだって。
それがこの世界の真理なら、お前がいる限り、俺という人間が消滅することはない。
俺がもし自分を見失ったとしても、お前の存在が俺を明るく照らし出してくれる。
誰かの注意を引くために、爆竹を鳴らして騒ぐ必要はないんだ。
「分かってるさ、オクタビオ。何も心配ない。俺はいつだって、隣にお前の存在を感じてるぜ。だから、安心して寝ちまいな」
エリオットはそう言って、電波越しに盛大なおやすみのキスを投げてよこした。
へへ、一体どんな顔してやってんだか。
受け取るこっちの方が恥ずかしくなってくるぜ。
その姿を想像するだけで自然と笑いが込み上げてきて、今夜は、いや、今夜も良く眠れそうだ。


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