EP.1 マイ・マスター

 重い瞼を開けると、見知らぬ顔がこちらを覗き込んでいた。視界がぼやけているのか、全く同じ顔が二つあるように見える。これは夢なのだろうかとぼんやりしていると、こちらの様子を窺っていたその顔があっと声を発した。

「マスターが起きた!」

 その声は左右、二方向から同時にセシリアの耳に入った。瓜二つの顔。どうやら視界がぼやけていたのではなく、元々二人いたようだ。どちらも真紅の髪で前髪を斜めに切り揃え、片目を隠し、後ろ髪は無造作に遊ばせている。頭に紫色の鉢巻を巻いているのも、ボディスーツのような服の上に、ベルトを巻き付けている個性的な服装も同じだ。違うところがあるとすれば髪の分け目ぐらいのものだろう。体躯は青年に見えるが、二人の瞳が持つ屈託のない輝きは、まるで生まれたばかりの赤児のようだった。

「おお、セシリアくん!大丈夫かい?」

 今度は聞き覚えのあるレイモンドの声がして、セシリアの意識は徐々に明瞭になっていく。上体を起こそうとすると傍にいた青年二人が背中を支え、補助してくれた。彼らが何者なのか、どうして自分がベットの上にいるのか、わからないことだらけだったが取り敢えず二人には小さく礼をした。





「空ろの間で意識を失っていた……?私がですか?」

 レイモンドから現状を聞かされ、セシリアは茫然としていた。レイモンドと共に空ろの間まで足を運んだことは覚えている。そこで妙な壁の窪みに手が嵌って……それ以降の記憶が彼女にはなかった。

「僕も空ろの間を調べるのに夢中になってしまっていてね……。気がついたらセシリアくんの姿が消えていたんだ。」
「そんな……一体どうして?」
「むしろ僕が聞きたいぐらいさ。エスパーの力で探知しても君の気配は見つからなかったんだ。俗に言う神隠しにあってしまったのかと思ったよ。どこに行っていたんだい?」

 レイモンドに問われても困惑するばかりで、何も思い出せない。記憶を辿ろうとしても、ズキッと頭に刺すような痛みが走り、思考が中断されてしまう。何も答えることができず、セシリアは視線を逸らし俯きながら、謝ることしかできなかった。

「そんなに暗い顔しないでよ、マスター!」
「そうだぜ、マスターには俺達がついてる!」
「……あの、先程から気になっていたのですが。あなた達はどちら様でしょうか……。それにマスターとは……。」

 深刻そうに頭を抱えるセシリアとは正反対にやたらと陽気な二人組に彼女は訝しげな眼差しを向ける。瓜二つの顔をした二人は顔を見合わせて、「えーっ!」っと同時に落胆した様な声を上げた。

「俺達と契約したこと、忘れちゃったの?」
「そりゃないぜ、マスター。」
「え?」
「彼らは空ろの間で君が姿を消して暫くした後、唐突に現れたんだ。気を失った君を抱えた状態でね。」
「二人が私を助けてくれたと言うことですか…?」
「そうそう、俺達がマスターを助けたんだぜ!」

 二人はにこにこと目を細めながら、同時にセシリアの手を握る。契約を交わした覚えは全くないが、レイモンドの話から二人が介抱してくれたのは間違いないのだろう。

「……ありがとうございます。」
「やった〜!マスターに褒められた!」
「へへっ、お安い御用だぜ!」

 戸惑いながらも、心底嬉しそうな二人の様子にセシリアは懐かしさを感じて、少しだけ心が和らぐのを感じた。こんな風に自分の一言で大喜びしてくれたのは、自分の両親以外にいなかったからだ。

「それだけじゃあないんだ。二人の存在は更に興味深いものでね。」
「この人達が何か?」
「論より証拠ってね。二人共、元の姿になってもらっていいかな?」
「俺達はマスターの言うことにしか従わないよ〜っだ!」
「……ということだから、セシリアくん。二人にそう命令してみてくれないか?君の言うことなら聞くと思うんだ。」
「おう、マスターの命令なら従うぜ!」
「何でも言って〜〜!」
「は、はあ……。」

 レイモンドの意図が読めず置いてけぼりのセシリアだったが、少年のような輝かしい眼差しを向けてくる彼と、自分の命令を待ち侘びている二つの眼差しを向けられ、空気に流されるような形で、彼女は徐に口を開く。

「二人共、元の姿に戻ってください。」
「りょーかい!」
「りょーかい!」

 セシリアが命じると二人の体が光り輝く。眩しさに目を細める。やがて光が収まると、二人のいた場所に人の姿はなく、代わりに真紅の刀身をした双剣がそこにあった。

「これは……ニダンギル?」

 色こそは違うものの、双剣という点、柄頭から伸びる長い布、三日月の形をした鍔。それらがポケモン図鑑で見たことがあるニダンギルというポケモンの特徴にそっくりだった。

「そうなんだよ!彼らが、眠っているセシリアくんの傍でオリジナルの姿になっているのを見た時は僕も驚いた!でも古代の文明にはゴーストタイプやエスパータイプのポケモンが関わっていることが多いからね!」

 レイモンドは興奮で鼻息が荒くなっている。彼の研究者スイッチが入ってしまったことが目に見えてわかった。

「そして、彼らの名前はーーー」

 新たな仮説を立てるレイモンドが、嬉々としながら口を開こうとすると、双剣が宙を舞い彼の前に立ちはだかる。鍔の中心に埋め込まれている球体が、瞳のように表情を変え、不機嫌そうに彼を睨みつけている。

『ぶーッ!ダメダメ!マスターへの自己紹介は俺達がする!』
『つっても、マスターは直感で分かっちまうかもな。』

 テレパシーを使っているのか、二人の声が直接脳内に響く。それは石板が語りかけてきた時の感覚に似ていた。
 剣の先端を眼前に突きつけられ、さすがのレイモンドも口を閉じた。両手を上げて降伏をするポーズをする。

「わ、わかったよ。すまなかったね。」
『わかればいーんだよッ!』

 レイモンドの謝罪に気をよくした双剣はセシリアに向き直り、鍔の瞳を細める。笑っているのだろうか。

『俺はシューヴァ!よろしくね!』

 右の剣が無邪気に語りかけてくる。彼は無邪気な子供のようだ。

『俺はサンギだぜ!』

 左の剣が陽気に語りかけてくる。彼はパワフルでやんちゃそうだった。

 双剣は楽しげにセシリアの周りで踊り出す。ポケモンとはいえ、鋭利な刀身を持った彼らが動き回るのはなかなかにスリリングで、セシリアはひっ、と息を飲んだ。彼らにはセシリアを傷つけようとする意図はない様だったが。

「シューヴァ……サンギ……とは、まさか……。」

 はしゃぐシューヴァとサンギを静めながら、セシリアは聞き覚えのあるその名に不吉な予兆を感じていた。シューヴァサンギといえば、あの石板に書かれていた魔剣の名と同じだったからだ。
 そんな都合のいい偶然があるだろうかと慎重になるセシリアとは対照的に、レイモンドの方はその名に瞳の輝きを強くしていた。彼が勿体ぶっていたのはこれのことのようだ。

「そう、彼らはかの魔剣、シューヴァサンギと同じ名を持っているんだ!」
「魔剣の正体はポケモンだった……ということですか?」
「断定はできないけれど、その可能性も出てきたということだね!石板に記されていた魔剣の話にはニダンギルの進化前後のポケモンーーーつまりヒトツキとギルガルドと合致する部分がある。ヒトツキは“死者の魂が古代の剣に宿って生まれた"という説もあり、ギルガルドは“強力な霊力で人やポケモンを操った"という逸話も残っているからね。とても無関係だとは思えないよ!」
「な……なるほど……。」

 普段以上に興奮して、饒舌なレイモンドに圧倒されセシリアは言葉を失う。次々と繰り出される言葉の数が膨大すぎて、彼女の処理能力が追いついていなかった。

「彼らを魔剣だと仮定して……どうして頭身が赤く、一般的なニダンギルと色が違うのか……否、もしかするとニダンギルの色は元来は赤で僕達の知っているニダンギルの方が時代と共に変化した結果なのかもしれない、となるとこれは古代の文明だけでなくポケモン進化論にも大きな影響を及ぼす発見かもしれないぞ…?」
「あのー……レイモンド先生…。」
「そして何故、彼らは今現れ、セシリアくんを持ち主に選んだのか。君自身が何か特殊な気を放っているとか、大きな地殻変動が起ころうとしていて、電磁波が乱れているとか、こうなってくると地学的な面でもーー。」
「先生!い、一旦落ち着きましょう!」

 レイモンドは完全に自分の世界に没頭していて、話が通じなくなっていた。遺跡の探索の件も然り、こうなると彼の気が済むまで考察させ続けるしか解決策はないのだ。現状、双剣の持ち主にされてしまったらしいセシリアが彼の研究に付き合わされるのは目に見えていて、彼女はがくっと項垂れた。また眠れない日々が続きそうだ。


「あの……シューヴァさん、とサンギさん……。」
『さん、なんていらないよ!呼び捨てで呼んで!』
『そうだぜ、俺達はもう家族なんだからな!』
「は、はい!すみません……では……。」

 意識が考察の世界にダイブしてしまったレイモンドは一度置いておいて、セシリアはシューヴァとサンギに向き直る。勝手に持ち主にされた挙句、家族にまでされてしまっていたのが気になるが。


「私があなた達のマスターだなんて、何かの間違いだと思うんです……人違い……とか。」

 そもそも彼らが本当に石板に記された通りの魔剣なのかはまだ疑わしい部分もある。だが実際、彼らの姿を目にしてセシリアのその疑問はより強くなる。

『俺達はマスターが望んだからここにいるんだよ。』
『そうそう、怖がることなんて何にもないんだぜ。』
「だから、私は何も望んでなんてーーー。」

 絶妙に噛み合っていない彼らの返事に、セシリアは憤り、少し声を荒げる。が、シューヴァとサンギが再び光を放ち、眩しさに圧倒され、遮られる。彼らは一瞬のうちに人の姿に戻って、左右からセシリアに飛びかかるようにして抱きついてきた。その勢いに押し負け、セシリアは悲鳴を上げながらベッドに雪崩れ込むように押し倒された。

「マスターだ〜いすき!」
「俺達が守ってやっからな〜ッ!」
「う……うう!」

 セシリアは身動きが取れず、二人の頬擦りを甘んじて受け入れるしかなかった。本当に彼らに人の望みを叶える気があるのだろうかとセシリアは思った。

(私が今一番望んでいるのは、二人から解放されることです……!)

 心の中で悲痛に叫ぶが、彼女の声は届かず、彼らはセシリアから離れようとしなかった。制御不能の双剣に魅入られてしまった彼女は、先は思いやられ、気が遠くなっていくのを感じていた。
3/4ページ