shot.12 金の楔
「素晴らしいミュージカルでした!一言お願いします!」
当初は無名の新人と不安視もされていたが、たった一度の公演で、アンヌはその心配を全て吹き飛ばし、今や人々にその実力を賞賛されていた。中でも彼を想う、切ない独白のシーンは演技とは思えぬリアルさで多くの観客を感動させた。
人々を魅了する彼女は一体何者なのか、どこの誰なのか。謎に包まれた部分が多く、取材陣は少しでも彼女の情報を探ろうと必死だった。
軽くコメントを出して引き上げるつもりが、予定されていたロビーには人が殺到し、アンヌはフラッシュの嵐に包まれていた。スタッフが誘導してくれてはいるが、パニックになっていて、身動きが取れない。あちらこちらから、「カレンさん!」と興奮気味に呼ぶ声がする。ーーカレンというのは、舞台に出るにあたってサイルーンがアンヌにつけた芸名だ。
「ちょっと、うちの可愛い看板娘を困らせないで頂戴!シャイなんだから!」
混乱の最中、サイルーンはアンヌの壁になるように彼女をガードした。スタッフの声は雑踏に掻き消されてしまっており、現状を鎮めるにはこの公演をプロデュースしたサイルーンが前に出て、代わりに話をするしかなかった。
「今のうちに楽屋に行って!…最高だったわよ。後でまたお話し、しましょう。」
ふたりだけに聞こえる音量で、彼女はアンヌの耳元で囁いた。それに頷き、心の中でサイルーンに感謝しながら、その場を後にする。
少し離れた場所で、その人集りを見ていたグルートは目を丸くさせていた。公演が終わったら皆でディナーにでも行こうかと計画を立てていたが、この人気ぶりを見るとそれも難しそうだ。
「こりゃすげーな、まるでスターだ。」
「くーッ!オレ様を差し置いて、HERO INTERVIEWなんて水臭いぜアンヌ!」
「やめとけ。お前が行くとややこしくなる。」
ブレイヴは自分も目立ちたい一心で、アンヌの元に駆け寄ろうとする。グルートはすかさずその首根っこを掴み、暴走を制した。彼は不服そうに口を尖らせる。
厄介なやんちゃ坊主を宥めながら、グルートは側にいたジェトに視線を移した。アンヌを応援してきた彼にとっては、彼女が称賛されているこの状況は喜ばしいことだろう。
…だが、その予想に反してジェトの顔をはどこか虚ろで。憂いを帯びた眼差しで人混みの先にいるアンヌを見つめていた。
「どうしたよ、そんな暗い顔して。」
「……いいこと…だよね。…みんな、アンヌのこと…ほめてる…。」
「そうだな。とりあえずは上手くいったみてぇだ。」
「なのに…ボク……。」
言葉を詰まらせる。ジェトは手のひらを固く閉じて、拳を震わせていた。
「……喜べない。…アンヌが…遠くに行っちゃった…みたいだ。」
喧騒に掻き消されそうな、か細い声で彼は、ーーごめん、と呟いた。…素直に彼女を祝福することができない自分を嫌悪し、憤っているのだろう。
グルートには彼の気持ちが、わからないでもなかった。彼女を応援していた気持ちに嘘偽りはないが、いざその人気を目の当たりにすると、まるで彼女が違う世界の人間になってしまったような感覚を抱く。寂しいと感じるのはごく自然な気持ちだろう。
「AH?何言ってンだよ、ジェト。アンヌならそこに…数m先にいるじゃねェか!」
…繊細な感情とは縁遠く、全く理解できていない者もいるが。
額面通りに言葉を受け取り、ブレイヴはアンヌを何度も指差した。彼の目には、何度見ても彼女がすぐそこにいるとしか捉えられなかった。
「そうか、おめェチビだから見えねェのか!オレ様が肩車してやろうか!」
「……。」
「なンだよ、その顔?オレ様がSUPER HEROだからって、エンリョしなくていーンだぜッ!」
「……バカ。」
「それは俺も同意するぜ。」
ジェトは冷ややかな眼差しをブレイヴに向け、何気なく『チビ』と言われたこと対しても不快感を露わにしていた。
ブレイヴの短絡さにはグルートにも思い当たる節があり過ぎて、電光石火の勢いでジェトに同調した。
「おいコラ!てめェら喧嘩売ってンのかァ~~ッ!」
一斉に馬鹿にされ、ブレイヴは納得がいかない様子で食ってかかる。だが、どちらも彼を相手にする気がなく、呆れたように重い溜息を吐いた。
「失礼致します。グルート様、で御座いますね?」
「あ?…ああ、そうだが?」
拗ねたブレイヴが勢い余って技を発動させない程度に見張っていると、背後からスーツ姿の男性が声をかけてきた。
(まるで気配を感じなかったぜ…。)
この人混みのせいだろう。人が多い場所では音も匂いもわかりにくくなる。グルートは一瞬警戒したが、声をかけてきたの男性の胸ポケットにはスタッフ用の名札があった。安堵し、反射的にとった構えを解く。
「お取り込み中、申し訳ありません。私はミュージカルホールのスタッフです。…カレン様から言付けを預かっております。」
サイルーン以外にはアンヌの本名を知られておらず、スタッフにはカレンという名で通っている。万が一、公演中にシャルロワ家の令嬢がいると知られて、騒ぎにならないようにするためだ。
「何だ?」
「こちらで合流する予定だったかと思いますが、ご覧の通り…この混雑ではカレン様にお会いするのは難しい。そこで、カレン様は別の場所で待ち合わせたいとのことで…。」
「…わかった。」
「有難う御座います。この様な状況ですので、なるべく目立たないように、関係者専用の入り口からご案内させていただきます。」
一礼しながら、スタッフの男性はグルート達を誘導するように手を広げる。グルートはその後に続こうとしたが、躊躇するようなジェトを見て、立ち止まる。
俯く彼の肩をとん、と軽く叩く。…俯いていた彼は僅かに顔を上げた。
「直接あいつに会えば、お前の不安が勘違いだったってわかるはずだぜ。」
「え……?」
「確かに人気者にはなっちまったが…あいつはあいつのままだ。何も変わっちゃいねぇよ。」
目を丸くさせるジェトに笑いかけて、彼の頭を乱雑に撫でると、グルートは手を振りながらスタッフの後に続いた。
(アンヌは…アンヌのまま……。)
彼女が遠くに行ってしまった。ジェトは寂しさからそんな気持ちになっていたが、彼の一言にはっとさせられた。
アンヌが優しいひとだということは、彼女に救われたジェト自身がよく知っていた。仲間を見捨てるようなことだってしない。…そう、わかっていたのに。
「ボクも…行く!」
ジェトは駆け出して、グルートの後についていく。
暗くなるのはもう止める。これ以上、自分が卑屈になって、アンヌを疑うようなことはしたくないと思った。グルートの言う通り、彼女に会えばこの心の靄も晴れるような予感がする。まずは、お疲れ様と声をかけてあげようーーそう、強く思った。
「おい!オレ様だけ置いてくンじゃねーェよッ!チクショーッ!」
無視をするふたりにブレイヴは文句を垂れながらも、アンヌの元に向かう彼らの後を追いかけた。
当初は無名の新人と不安視もされていたが、たった一度の公演で、アンヌはその心配を全て吹き飛ばし、今や人々にその実力を賞賛されていた。中でも彼を想う、切ない独白のシーンは演技とは思えぬリアルさで多くの観客を感動させた。
人々を魅了する彼女は一体何者なのか、どこの誰なのか。謎に包まれた部分が多く、取材陣は少しでも彼女の情報を探ろうと必死だった。
軽くコメントを出して引き上げるつもりが、予定されていたロビーには人が殺到し、アンヌはフラッシュの嵐に包まれていた。スタッフが誘導してくれてはいるが、パニックになっていて、身動きが取れない。あちらこちらから、「カレンさん!」と興奮気味に呼ぶ声がする。ーーカレンというのは、舞台に出るにあたってサイルーンがアンヌにつけた芸名だ。
「ちょっと、うちの可愛い看板娘を困らせないで頂戴!シャイなんだから!」
混乱の最中、サイルーンはアンヌの壁になるように彼女をガードした。スタッフの声は雑踏に掻き消されてしまっており、現状を鎮めるにはこの公演をプロデュースしたサイルーンが前に出て、代わりに話をするしかなかった。
「今のうちに楽屋に行って!…最高だったわよ。後でまたお話し、しましょう。」
ふたりだけに聞こえる音量で、彼女はアンヌの耳元で囁いた。それに頷き、心の中でサイルーンに感謝しながら、その場を後にする。
少し離れた場所で、その人集りを見ていたグルートは目を丸くさせていた。公演が終わったら皆でディナーにでも行こうかと計画を立てていたが、この人気ぶりを見るとそれも難しそうだ。
「こりゃすげーな、まるでスターだ。」
「くーッ!オレ様を差し置いて、HERO INTERVIEWなんて水臭いぜアンヌ!」
「やめとけ。お前が行くとややこしくなる。」
ブレイヴは自分も目立ちたい一心で、アンヌの元に駆け寄ろうとする。グルートはすかさずその首根っこを掴み、暴走を制した。彼は不服そうに口を尖らせる。
厄介なやんちゃ坊主を宥めながら、グルートは側にいたジェトに視線を移した。アンヌを応援してきた彼にとっては、彼女が称賛されているこの状況は喜ばしいことだろう。
…だが、その予想に反してジェトの顔をはどこか虚ろで。憂いを帯びた眼差しで人混みの先にいるアンヌを見つめていた。
「どうしたよ、そんな暗い顔して。」
「……いいこと…だよね。…みんな、アンヌのこと…ほめてる…。」
「そうだな。とりあえずは上手くいったみてぇだ。」
「なのに…ボク……。」
言葉を詰まらせる。ジェトは手のひらを固く閉じて、拳を震わせていた。
「……喜べない。…アンヌが…遠くに行っちゃった…みたいだ。」
喧騒に掻き消されそうな、か細い声で彼は、ーーごめん、と呟いた。…素直に彼女を祝福することができない自分を嫌悪し、憤っているのだろう。
グルートには彼の気持ちが、わからないでもなかった。彼女を応援していた気持ちに嘘偽りはないが、いざその人気を目の当たりにすると、まるで彼女が違う世界の人間になってしまったような感覚を抱く。寂しいと感じるのはごく自然な気持ちだろう。
「AH?何言ってンだよ、ジェト。アンヌならそこに…数m先にいるじゃねェか!」
…繊細な感情とは縁遠く、全く理解できていない者もいるが。
額面通りに言葉を受け取り、ブレイヴはアンヌを何度も指差した。彼の目には、何度見ても彼女がすぐそこにいるとしか捉えられなかった。
「そうか、おめェチビだから見えねェのか!オレ様が肩車してやろうか!」
「……。」
「なンだよ、その顔?オレ様がSUPER HEROだからって、エンリョしなくていーンだぜッ!」
「……バカ。」
「それは俺も同意するぜ。」
ジェトは冷ややかな眼差しをブレイヴに向け、何気なく『チビ』と言われたこと対しても不快感を露わにしていた。
ブレイヴの短絡さにはグルートにも思い当たる節があり過ぎて、電光石火の勢いでジェトに同調した。
「おいコラ!てめェら喧嘩売ってンのかァ~~ッ!」
一斉に馬鹿にされ、ブレイヴは納得がいかない様子で食ってかかる。だが、どちらも彼を相手にする気がなく、呆れたように重い溜息を吐いた。
「失礼致します。グルート様、で御座いますね?」
「あ?…ああ、そうだが?」
拗ねたブレイヴが勢い余って技を発動させない程度に見張っていると、背後からスーツ姿の男性が声をかけてきた。
(まるで気配を感じなかったぜ…。)
この人混みのせいだろう。人が多い場所では音も匂いもわかりにくくなる。グルートは一瞬警戒したが、声をかけてきたの男性の胸ポケットにはスタッフ用の名札があった。安堵し、反射的にとった構えを解く。
「お取り込み中、申し訳ありません。私はミュージカルホールのスタッフです。…カレン様から言付けを預かっております。」
サイルーン以外にはアンヌの本名を知られておらず、スタッフにはカレンという名で通っている。万が一、公演中にシャルロワ家の令嬢がいると知られて、騒ぎにならないようにするためだ。
「何だ?」
「こちらで合流する予定だったかと思いますが、ご覧の通り…この混雑ではカレン様にお会いするのは難しい。そこで、カレン様は別の場所で待ち合わせたいとのことで…。」
「…わかった。」
「有難う御座います。この様な状況ですので、なるべく目立たないように、関係者専用の入り口からご案内させていただきます。」
一礼しながら、スタッフの男性はグルート達を誘導するように手を広げる。グルートはその後に続こうとしたが、躊躇するようなジェトを見て、立ち止まる。
俯く彼の肩をとん、と軽く叩く。…俯いていた彼は僅かに顔を上げた。
「直接あいつに会えば、お前の不安が勘違いだったってわかるはずだぜ。」
「え……?」
「確かに人気者にはなっちまったが…あいつはあいつのままだ。何も変わっちゃいねぇよ。」
目を丸くさせるジェトに笑いかけて、彼の頭を乱雑に撫でると、グルートは手を振りながらスタッフの後に続いた。
(アンヌは…アンヌのまま……。)
彼女が遠くに行ってしまった。ジェトは寂しさからそんな気持ちになっていたが、彼の一言にはっとさせられた。
アンヌが優しいひとだということは、彼女に救われたジェト自身がよく知っていた。仲間を見捨てるようなことだってしない。…そう、わかっていたのに。
「ボクも…行く!」
ジェトは駆け出して、グルートの後についていく。
暗くなるのはもう止める。これ以上、自分が卑屈になって、アンヌを疑うようなことはしたくないと思った。グルートの言う通り、彼女に会えばこの心の靄も晴れるような予感がする。まずは、お疲れ様と声をかけてあげようーーそう、強く思った。
「おい!オレ様だけ置いてくンじゃねーェよッ!チクショーッ!」
無視をするふたりにブレイヴは文句を垂れながらも、アンヌの元に向かう彼らの後を追いかけた。