shot.11 君に決めた!?
(そうよ。これは、演技なのだから。)
目の前にいるグルートを見つめながら、アンヌは何度もそう心に言い聞かせて、忙しなく脈打つ胸の鼓動を鎮めようとする。
(なのにどうして?今までの練習の時とは違う…。顔が熱くて、どきどきして、…息が詰まりそうだわ。)
彼は言われた通り、海兵役としてただそこに立っているだけだ。娘役の視点で彼を海兵として捉えて、演じなければならないのに、違うと抵抗すればする程、かえってグルートのことばかり意識してしまう。
彼の赤い目。ぎらつくその鋭い眼光の奥には、見守っているような深い優しさを感じる。視線が交錯しただけで、アンヌは胸が高鳴り、締め付けられる思いがした。
いつも見ている彼と何ら変わりはない。きっと改めて向き合うことに気恥ずかしさを感じてるだけだ。落ち着いて、とアンヌは心の中で唱えて、小さく息を吐き出す。そして一生懸命に暗記した台詞をゆっくりと読み上げ始めた。
「あなたのことを堪らなく、愛しているの。」
アンヌが彼に言っているのではない。なのにそれはまるで心から溢れ出す本当の言葉のように、彼女の口から紡ぎ出される。
ーー愛し合うふたりは、身分の違いから残酷にも引き裂かれてしまう。海の妖精に歌を認められれば願いを叶えてくれるという伝説を信じて、娘は彼に会いたいという一心で、海に向かって歌い続ける。晴れの日も嵐の日も、彼女は毎日彼のことを想い、恋焦がれる。
文字の塊を読み上げているだけだったそのシーンが、グルートに向かって投げかけているだけで、無性に切なくなり、娘の苦しさと悲しみの感情が、まるで自分のことのように重なっていく感覚を抱いた。
(この子の気持ちがわかる…体と心に馴染んでいくような…。これが恋をするという気持ちなの?)
彼の傍に居たいと彼女は強く思った。屋敷でグルートの服を掴んで、引き留めた時のように。離れたくないと願う気持ちが、台本にはない行動を彼女にとらせた。
アンヌはいつのまにか、自覚のないまま、ふっと自然にグルートの体に縋り、逞しい胸元に顔を埋めていた。
もし、彼が物語の海兵のように自分の前から消えて、もう二度と会えなくなってしまったらーーと思うと、アンヌは怖くて、息苦しくて堪らなくなったのだ。彼の体温を慈しむような切なさが胸に広がり、離れることができなかった。
「おい、アンヌ。…大丈夫か?」
グルートに声をかけられ、アンヌははっと我に返る。彼は眉間に皺を寄せて、彼女の顔を覗き込んでいた。険しい表情に反して、彼の声色はアンヌを安堵させようとするような、優しいもので。
娘役に感情移入しすぎてしまったのか、アンヌの頬を伝うように一筋の涙が溢れていた。
彼女は知らず知らずのうちにグルートの体に身を寄せていたことに気が付き、慌てて距離を取る。そして、彼に小さく頭を下げた。
「ご、ごめんなさい!…私ったら台本にないことを……。」
はしたない真似をしてしまったと、彼女は目元を拭いながら、上気する肌の熱を感じていた。彼の顔も直視できなかった。
「んも~ッ最高だわ!アンヌちゃん!今までで一番の演技よ!」
「え…?」
サイルーンにも注意されてしまうだろうと思っていたが。アンヌは予想外の好反応に戸惑い、口を開けて拍子抜けしたような顔をした。
「まさに、“恋する乙女”って感じだったわ!…ああっ、情熱的に彼を想い、切実に歌い続ける様…なんて、切なくて愛おしいの!」
「は、はい…ありがとうございます…?」
鼻息を荒くさせ、興奮するサイルーンに圧倒され、アンヌはどうして良いか分からず曖昧に苦笑する。
…演技が評価されたことは良いことなのだろうが。彼女の心の奥には形にならない靄のような蟠りが広がっていて、心音が小刻みに脈打ち、ギュッと締め付けられるようなむかつきが襲いかかっていた。
もう少し細かいところを詰めていけば更に良くなるわ、と嬉々と語るサイルーンの言葉に耳を傾けていたが、ふっとグルートの姿が視界に映り、途端にアンヌの頭の中は真っ白になってしまった。
彼のことばかり気にかかって、病の様に胸を焦がすこの心は、感覚はーーまるで、物語の娘のようだった。
(…もしかして、私は……。この気持ちは……。)
「グルートばっか……ずるい…。」
「ジェトちゃんったらぁ、拗ねないで!アップルパイ焼いてきたから、食べて機嫌なおして頂戴ッ!」
邪気を纏いながら、恨みがましそうにグルートを見つめるジェトをサイルーンは優しく宥める。不機嫌な彼とは対照的に彼女はいやに上機嫌だった。
そんなふたりのやりとりもアンヌの耳を他人事の様に通り過ぎてしまう。彼女は秘められた感情がふつふつと湧き上がっていく感覚に困惑し、ただ今はグルートと視線を合わせぬよう、必死に努めていた。
目の前にいるグルートを見つめながら、アンヌは何度もそう心に言い聞かせて、忙しなく脈打つ胸の鼓動を鎮めようとする。
(なのにどうして?今までの練習の時とは違う…。顔が熱くて、どきどきして、…息が詰まりそうだわ。)
彼は言われた通り、海兵役としてただそこに立っているだけだ。娘役の視点で彼を海兵として捉えて、演じなければならないのに、違うと抵抗すればする程、かえってグルートのことばかり意識してしまう。
彼の赤い目。ぎらつくその鋭い眼光の奥には、見守っているような深い優しさを感じる。視線が交錯しただけで、アンヌは胸が高鳴り、締め付けられる思いがした。
いつも見ている彼と何ら変わりはない。きっと改めて向き合うことに気恥ずかしさを感じてるだけだ。落ち着いて、とアンヌは心の中で唱えて、小さく息を吐き出す。そして一生懸命に暗記した台詞をゆっくりと読み上げ始めた。
「あなたのことを堪らなく、愛しているの。」
アンヌが彼に言っているのではない。なのにそれはまるで心から溢れ出す本当の言葉のように、彼女の口から紡ぎ出される。
ーー愛し合うふたりは、身分の違いから残酷にも引き裂かれてしまう。海の妖精に歌を認められれば願いを叶えてくれるという伝説を信じて、娘は彼に会いたいという一心で、海に向かって歌い続ける。晴れの日も嵐の日も、彼女は毎日彼のことを想い、恋焦がれる。
文字の塊を読み上げているだけだったそのシーンが、グルートに向かって投げかけているだけで、無性に切なくなり、娘の苦しさと悲しみの感情が、まるで自分のことのように重なっていく感覚を抱いた。
(この子の気持ちがわかる…体と心に馴染んでいくような…。これが恋をするという気持ちなの?)
彼の傍に居たいと彼女は強く思った。屋敷でグルートの服を掴んで、引き留めた時のように。離れたくないと願う気持ちが、台本にはない行動を彼女にとらせた。
アンヌはいつのまにか、自覚のないまま、ふっと自然にグルートの体に縋り、逞しい胸元に顔を埋めていた。
もし、彼が物語の海兵のように自分の前から消えて、もう二度と会えなくなってしまったらーーと思うと、アンヌは怖くて、息苦しくて堪らなくなったのだ。彼の体温を慈しむような切なさが胸に広がり、離れることができなかった。
「おい、アンヌ。…大丈夫か?」
グルートに声をかけられ、アンヌははっと我に返る。彼は眉間に皺を寄せて、彼女の顔を覗き込んでいた。険しい表情に反して、彼の声色はアンヌを安堵させようとするような、優しいもので。
娘役に感情移入しすぎてしまったのか、アンヌの頬を伝うように一筋の涙が溢れていた。
彼女は知らず知らずのうちにグルートの体に身を寄せていたことに気が付き、慌てて距離を取る。そして、彼に小さく頭を下げた。
「ご、ごめんなさい!…私ったら台本にないことを……。」
はしたない真似をしてしまったと、彼女は目元を拭いながら、上気する肌の熱を感じていた。彼の顔も直視できなかった。
「んも~ッ最高だわ!アンヌちゃん!今までで一番の演技よ!」
「え…?」
サイルーンにも注意されてしまうだろうと思っていたが。アンヌは予想外の好反応に戸惑い、口を開けて拍子抜けしたような顔をした。
「まさに、“恋する乙女”って感じだったわ!…ああっ、情熱的に彼を想い、切実に歌い続ける様…なんて、切なくて愛おしいの!」
「は、はい…ありがとうございます…?」
鼻息を荒くさせ、興奮するサイルーンに圧倒され、アンヌはどうして良いか分からず曖昧に苦笑する。
…演技が評価されたことは良いことなのだろうが。彼女の心の奥には形にならない靄のような蟠りが広がっていて、心音が小刻みに脈打ち、ギュッと締め付けられるようなむかつきが襲いかかっていた。
もう少し細かいところを詰めていけば更に良くなるわ、と嬉々と語るサイルーンの言葉に耳を傾けていたが、ふっとグルートの姿が視界に映り、途端にアンヌの頭の中は真っ白になってしまった。
彼のことばかり気にかかって、病の様に胸を焦がすこの心は、感覚はーーまるで、物語の娘のようだった。
(…もしかして、私は……。この気持ちは……。)
「グルートばっか……ずるい…。」
「ジェトちゃんったらぁ、拗ねないで!アップルパイ焼いてきたから、食べて機嫌なおして頂戴ッ!」
邪気を纏いながら、恨みがましそうにグルートを見つめるジェトをサイルーンは優しく宥める。不機嫌な彼とは対照的に彼女はいやに上機嫌だった。
そんなふたりのやりとりもアンヌの耳を他人事の様に通り過ぎてしまう。彼女は秘められた感情がふつふつと湧き上がっていく感覚に困惑し、ただ今はグルートと視線を合わせぬよう、必死に努めていた。