shot.11 君に決めた!?

 地下にある練習用のスタジオに案内され、アンヌは舞台に出る役者達の歌やダンスを少し離れた所から眺めていた。皆、練習ということもあってTシャツにジャージといったような動きやすさを重視した軽装であったが、華やかな舞いと小鳥が囀るような美しい歌声の力で、アンヌの目には役者達がドレスやタキシードを身に纏い、舞踏会でダンスをしているように見えた。

(すごい…。)

 存在しないものを存在するように見せる演技力と、公演を成功させようという熱意。本気で演技に打ち込んでいる彼らの姿は目が眩むほどきらきらと輝いていた。


「この子が、サイルーンさんが推薦している子なんですか?」
「ええ、そうよ。」
「そっかあ!よく来てくれたね。」

 彼らは手を止め、アンヌの周りにぞろぞろと集まる。誰もが歓迎している雰囲気で、彼女はひとりひとりと握手を交わした。

 真剣に練習に励んでいる彼らを置いて、素人が抜擢されるなど、嫌味の一つや二つ言われても仕方ないだろうとアンヌは覚悟していたが…。誰ひとりとして、アンヌを非難する者はいなかった。
 声を掛け合い、他愛無い話で談笑する役者達の様子から、彼女が信頼されている様子が伝わってくる。サイルーンの目に間違いはない、そう確信しているのだろう。

◇◆◇◆◇


 窓から見える目の前のミュージカルホールを見下ろしながら、アンヌは悩ましい顔をして、深い溜息を吐いた。心臓が小刻みに脈打ち、憂いが重くのしかかる。

 サイルーンがアンヌ達の為にホテルを手配してくれたのだ。「遠慮しないで、これも何かの縁だもの。」彼女はアンヌの答えを急かすことなく、そう気遣ってくれたが、本心では舞台に出て欲しいと切望しているのが見れとれた。

 ネオンが眩しいライモンシティが一望できる景色はなかなかに壮観であったがーーいつもなら興味津々にはしゃぎ回るであろうアンヌは力なくベッドに座り込み、ただぼんやりとしていた。


「おい、アンヌ。俺だ。」

 アンヌはその声で漸く部屋のドアをノックする音に気がついた。彼女はドアの前まで足早に駆け、慌ただしくドアを開ける。

 すっと、缶に入ったココアが差し出された。おずおずと受け取りながら、視線を走らせると小さく笑んだグルートがいた。


「丁度、お人好しのお嬢様が悩んでる頃じゃねぇかと思ってよ。」


 ベッドに腰を掛け、手渡された缶の温もりを感じながら、アンヌは俯く。彼のジョークにも今は返す言葉が浮かばなかった。
 アンヌが上の空なのはホテルに着く前から感じていたことだったので、黙りに驚きはしなかったが、やはりいつもの元気がないことでグルートの調子も狂う。
 小さく息を吐いて、彼は彼女の隣に座る。グルートの方からそれ以上、口を開くことはなかった。ただ黙って、彼女の傍にいた。

 アンヌは缶の蓋に控えめに口をつけ、口に含む。彼女は思い返すように青い瞳を震わせていた。


「…技術も、人柄も素晴らしい人達ばかりだったわ。きっと素敵な舞台になると思う。…でもそこに素人の私が出演する資格があるのかしら?」

 役者のみんなが本気で打ち込んでいる姿を目の当たりにしたからこそ、アンヌの躊躇う気持ちは増した。

「仮に私が出演したとしても、かえって台無しにしてしまうんじゃないかって……。」


 俯く彼女の横顔を一瞥し、グルートはもうひとつ、自分の為に持ってきた缶ビールの蓋を開けた。アルコールが喉元を過ぎる感覚を味わったあと、彼は徐に口を開く。


「…俺は芸術のことはよくわかんねぇが。あのサイルーンって奴が、上手い下手なんざ二の次で、お前自身を必要としてんのは確かだと思うぜ。」
「……。」
「…ま、それはそれとして。どうするかはお前の自由だ。沢山、悩んで決めればいい。」

 彼は彼女の頭をくしゃくしゃに撫でた。不意打ち的に伸ばされた彼の手つきに戸惑いながらも、アンヌは少しだけ頬を緩ませる。
 やっと彼女の笑顔が見ることができ、グルートはほっと胸を撫で下ろす。


「…自由って、何にもしがらみがなくて、もっも楽なものだと思っていたわ。…けれど、とっても大変。自由だからこそ、何でも自分で考えていかなければいけないのね。迷いも増えて、かえって窮屈な感じがするわ。」
「そうだな。生きるってのは選択の連続だ。…自分が選んだ答えが正しいかどうかなんて、誰にもわからないしな。」

 アンヌはグルートの横顔を見つめた。いつか見たような顔で、彼は寂しげに目を伏せていた。赤い瞳がまるで炎が燃え上がるように揺れている。

「けど、…何かは選ばなくちゃな。前に進む為には。」

 まるで自分にも言い聞かせるような風で、グルートは言葉を溢す。アンヌも小さく頷き、胸元を押さえながら、溜息を吐いた。


「お屋敷なら何も考えなくても生きていけたのに。」

 本音と冗談が入り混じったような言い方でアンヌは宙に向かって呟く。ふ、とグルートが顔を緩ませながら笑った。

「なんだ、ホームシックってやつか。帰りたいなら、今すぐ送ってやるぜ?」
「ううん。…自分で決めたことだもの。逃げずにちゃんと考えるわ。」
「そうか。」

 今度は曇りのない笑顔を見せたアンヌにグルートの気持ちも和やかになった。やはり、彼女は笑っている顔の方が似合っている。彼は心の底からそう思った。


 ーー部屋のドアを叩くノックの音が再び響く。グルートが鳴らしていた音よりも激しく、忙しない勢いだ。
 アンヌとグルートは顔を見合わせたが、おおよそ来客の見当は付いて、にっと口角を吊り上げた。

 ドアを開けて真っ先に差し出されたのは、円状の上に、肉やチーズが乗った、香ばしいスパイスの匂いが漂うピザだった。
 その向こうから遅れて顔を覗かせ、彼は歯を見せながらにかっと笑った。
 
「PIZZA!一緒に食おうぜッ!」
「…お菓子も…沢山…持ってきたよ……?」

 ブレイヴの後ろから更にジェトがひょこっと姿を見せる。言葉通り、沢山のキャンディやチョコレートが彼の腕の中にあった。

 アンヌは一瞬目を丸くさせたが、心の奥に湧き上がる温もりを感じて、開いた目を細め、大きく頷いた。
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