shot.11 君に決めた!?

 アンヌ達は遊園地で遊んでいたブレイヴとジェトと合流した。
 ブレイヴはまだ物足りないという顔をしていたが、彼に連れ回されたジェトは疲れ果てた様子で気力を失っていた。聞けばライモンシティで名物の絶叫マシン、ジェットコースターに何度も乗せられたらしい。
 顔色の悪いジェトの背中を、アンヌは優しく手で摩る。すると彼は漸く、穏やかな顔を見せてくれた。


 一行はサイルーンに連れられ、会館のような建物に来ていた。奇しくも、そこはグルートと観覧車の中で話していた、あのミュージカルホールで。
 サイルーンは正面の入り口からではなく、建物の裏手に回り、[関係者以外立入禁止]と書かれた看板を通り過ぎ、中へ入った。

 控え室のような小部屋が並ぶ廊下を歩く。すれ違うひと全員がサイルーンの姿を見ると会釈や挨拶をする。どうやら、彼女はミュージカルホールの中で地位のあるひとのようだ。
 ミュージカルに出演する役者なのか、派手な衣装を纏ったひとやポケモンもいる。機材や舞台で使う道具を運び出している様子も窺えた。


「さあ、入って。」

 突き当たりにある部屋の前で立ち止まり、サイルーンが扉を開けると、ゆとりのある空間が目の前に広がった。
 パステル調の薔薇が描かれた壁紙が華やかさを演出する。蝶や花の精緻な装飾のついたアンティークな椅子や机は、この部屋を花畑のように見せ、煌びやかさを強調した。
 サイルーンはアンヌ達にソファに腰をかけるように促し、自身は窓際に近づいた。その近くに置いてある花瓶に生けられたユリに鼻を寄せ、匂いを味わうと、満足したように微笑んだ。
 

「改めて、自己紹介するわね。…アタシはサイルーン。種族はミロカロス。このミュージカルホールで女優をやっているの。」
「…女優?てめェ、男じゃねェのか?」

 サイルーンの自己紹介に、思わずブレイヴは口を挟んだ。それにアンヌはえっ、というような顔をして、辺りをきょろきょろと見渡した。彼女以外で驚いている仲間はいなかった。…ということは気づいていないのはアンヌだけで、他の皆はとっくに把握していたのだろう。

「ええっ!男性だったの!?」
「うふっ、いいリアクションね。」
「あ…声を荒げてしまって…ごめんなさい。」

 確かに服の間から曝け出された胸元も平らで、目に見える限り、がっちりとした肉体をしてはいるのだが。サイルーンが元来持つ気品や雰囲気が、女性だと認識することに何の違和感も与えなかったのだ。
 勝手に勘違いをしておきながら、失礼な態度をとってしまったとアンヌはサイルーンに頭を下げた。彼女は優しく微笑み、鮮やかなピンクの瑞々しい唇を緩めた。

「でも、男がドレスを着て、女優って名乗ったっていいでしょう?美しさは性すらも超越してしまうのよ。ああ、アタシって罪なオンナ…。」

 彼女は頬に手を当てながら、うっとりした様子で目を伏せた。その所作すらも艶やかで、彼女の言う通り、美しかった。性別というカテゴリーなど彼女の前では他人事のように感じられた。その言葉に深く感動した様子でアンヌは何度も頷いた。

「素敵だわ。自分のなりたい姿になれるだなんて、まるで魔法使いみたい。」
「そうよ。アタシ、魔法使いなの。見抜いちゃうなんて、さすが私が見込んだ子ね。」

 ふふ、と微笑を交わす。互いの笑顔がそれぞれの緊張を和らげ、解きほぐしてくれた。


「…ええと、それで相談というのは?」

 お陰で本題もすんなりと切り出すことができた。サイルーンは窓際からアンヌの元へ歩み寄り、向いのソファーに腰をかける。


「アンヌちゃん、音楽の経験はある?」
「え?…は、はあ、バイオリンと声楽なら…嗜む程度ですけれど。」

 質問を質問で返され、アンヌは疑問符を浮かべながらも、聞かれたことを正直に答える。何故、急に彼女がそんなことを聞くのかはわからなかったが。
 アンヌの答えにサイルーンは少し安堵した様子で頷く。彼女の中ではよく理解されているようだが、アンヌには何も伝わって来ず、気の抜けた顔で眉をへの字にすることしかできなかった。
 サイルーンはアンヌに向き直り、凛とした瞳で彼女の眼を真っ直ぐに見つめる。真剣な眼差しを向けられ、アンヌは息を呑んだ。


「アナタに、私のミュージカルに出て欲しいの。」


 その神妙な面持ちは冗談を際立たせるための演技なのだろうか、と疑った。まさか本気で言っているわけではないだろうとここにいる誰もが思った。
 しかし、サイルーンはネタばらしをするどころか、アンヌの手を両手で握り締め、懇願するような仕草をする。

「お願い、アンヌちゃん!この物語の主人公はアナタしかいないの!」

 力強い彼女の声が部屋に木霊した。…必死な彼女の姿にどうやら、冗談で言っているわけではないとアンヌも薄々感じ始める。
 グルートが案の定といわんばかりに、視線を宙に向け、頭を抱えているのがアンヌの視界の隅に映った。

◇◆◇◆◇


「実はメインキャストの女の子が降板することになっちゃって…代わりを探していたんだけれど、いい子が見つからなくて…。」
「はあ…。」
「でもそんなときアナタを見つけたの!…気高さを持つ、心優しいアナタの姿……ビビッときたわ!この子しかいないってね!」
 
 出された紅茶も手をつけられず、アンヌは夢現のような不安定な心地でサイルーンの顔を見ていた。まだ「ミュージカルに出演してほしい。」と言われたことすら受け入れられていないのだが、彼女は既にアンヌが出演するような気持ちでいるのが見てとれた。

「でもそんな…私、ミュージカルなんて、経験もないし…鑑賞したことしか…。」
「心配はご無用よ!アタシがみっちり、仕込んであげるからっ!」
「え、ええ…。」

 やんわりと自信がないことを告げたが、むしろサイルーンはキラキラと目を輝かせ、益々やる気を滾らせてしまう。


「このミュージカルはなんとしても成功させないといけないの。…力を、貸してくれないかしら。」

 アンヌの手を握りしめるサイルーンの両手に力が籠る。切実な彼女の想いが伝わってくるようで、アンヌは戸惑いながら目を伏せた。


「止めろ……アンヌが困ってる…。」

 困惑するアンヌを見て、いてもたってもいられなくなったジェトは、ふたりの間に割って入る。サイルーンに睨みを利かせながら、全身から黒いオーラを放った。サイルーンの出方次第では攻撃も厭わないと言わんばかりの雰囲気に、アンヌは彼の肩を掴み、慌てて制止した。

「そんな怖い顔しないで頂戴。せっかくの美形が台無しよ?……安心して、アナタが心配しているような、無理強いはしないわ。」

 サイルーンはジェトを恐れる素振りも見せず、むしろ彼の気持ちを落ち着かせるような穏やかな声をかけた。てっきり、反論されると思っていたジェトは拍子抜けしたように目を丸くさせた。アンヌの制止もあり、彼は渋々口を噤んだ。

「…ただ、アンヌちゃん、アナタには間違いなく人を魅了する才能がある。それだけは覚えておいて。」

 握った両手を震わせながらもう一度力を込めて、サイルーンはアンヌから手を離した。彼女の赤い瞳が切なげに伏せられる。アンヌは胸が重く、じりじりと締め付けられた。手に残る彼女の温もりが必死に助けを求めているようだったからだ。


「少し…考えさせていただけますか。」
「ええ、勿論よ。」

 真っ向から拒否するような答えでないことに、サイルーンは一先ず安堵した様子で微笑んだ。少しだけ和らいだ表情を見せてくれた彼女に、アンヌもほっと胸を撫で下ろした。
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