shot.10 嵐の前の
ヒウンシティのポケモンセンターへ足を運び、受付を済ませると、タイガが入院している病室へと向かった。
ノックをして、ドアの取っ手にアンヌが手をかけをようとしたとき、それよりも先にドアが横にスライドして開いた。
「あっ、」
病室から現れ、鉢合わせたその顔を見て、彼女はほっとしたような表情を浮かべる。
一方、彼の方はいかにも不快といわんばかりに顔を顰めた。
「…何で、そう、君はタイミング良く僕の前に現れるのかな。ストーカー?」
「あなたのお見舞いに来たのよ。タイガ。…調子はどう?」
「Yo!相変わらず辛気臭ェツラしてンな!もっと明るくなンねーと、元気になれねェぞ!」
アンヌの後ろからブレイヴが現れるとタイガは嫌悪感を露わにし、益々険しい顔になった。ちっ、と苛立たしそうな舌打ちが響く。
「お陰様で、吐きそうだよ。どうやら、君達には僕を不快にさせる才能があるみたいだね。尊敬するよ。本当。」
「おう!オレ様は素晴らしーからな!幾らでも尊敬してくれていいぜッ!」
「……汚物に埋まって窒息死すれば良いのに。」
何でも自分に都合よく解釈してしまうブレイヴにはタイガの嫌味も通用しないようで、彼の心の蟠りは増すばかり。これ以上関わっても、精神が擦り減るだけだと、タイガは彼らの横を通り抜けようとした。
「どこへ行くの?」
「君に教える必要、ある?」
「でも…まだ安静にしていなければいけないのではないの?」
アンヌがジョーイさんから連絡を貰った時は彼がまだ退院はできないと聞いていた。疑問に思い、彼に尋ねる。
タイガは彼女を睨んだ後、すっ、と仮面をつけたような笑顔を浮かべた。
「僕は君の仲間でもなんでもない。赤の他人さ。馴れ合うつもりもない。…だから余計な詮索しないでくれるかな。」
彼がぴしゃりと言い放つと、空気が凍りついた。喜びの感情が少しも感じられない笑顔はかえって不気味で、冷たく見える。
これ以上干渉されたくないという意思表示だろうか。彼との間に見えない壁を感じて、アンヌは口を閉ざす。
タイガの物言いが辛辣なのは今に始まったことではないが、今の彼には余裕がなく、殺伐とした空気が感じられた。
「アンヌは…オマエのこと…心配してるのに……!」
アンヌの側にいたジェトが身を乗り出して、タイガに食ってかかる。彼は彼女の気持ちを無下にしたタイガが許せなかったのだろう。ジェトの湧き上がる怒りと共に、彼の影から黒い手が現れる。
「!、待って、ジェト!攻撃してはいけないわ。」
「でも…コイツ…!」
「心配だって?そんなの僕は頼んじゃいない。全部彼女のエゴじゃァないか、あはは。」
「…ぐっ…アンヌの気持ちを…踏み躙る…なんて…許さないッ!」
「ジェト!」
このままでは喧嘩が始まってしまいそうだった。アンヌはタイガとジェトの間に立ち、激昂する彼を落ち着かせるように頭を撫でる。
「いいの、私は気にしていないわ。大丈夫だから、抑えて頂戴。」
「……アンヌ…。」
ジェトは驚いたように目を丸くさせたが、必死に懇願するアンヌを見て、渋々、影から伸びた手を退いた。
タイガはつまらなそうにふたりを一瞥し、再び歩き出す。その華奢な身には大きく見えるギターケースを背負った後ろ姿を、ブレイヴは訝しげに見つめる。
「…なンだァ、アイツ?いつも以上に態度悪りーな。モーモーミルク足りてねーンじゃねェか?」
モーモーミルク、カートンで持ってきてやればよかったな!とブレイヴは能天気に笑っていたが。
アンヌはタイガのことが心配でならなかった。…遠ざかっていく彼の背がとても寂しげで、今にも消えてしまいそうな程、危うく見えたのだ。
アンヌ達を振り払い、ポケモンセンターを抜け出したタイガは、人目につかない薄暗い路地裏に駆け込んだ。
足元がふらつき、視界が歪む。じわりと、背を這う悪寒を感じながら、彼はその場に崩れ落ちた。猛烈な吐き気を感じながら、何度か咳き込む。…朱が点々と地面に色をつけた。
近場にあったペールの蓋を投げ飛ばし、その中に頭を突っ込む。生ゴミの悪臭も感じられないほどの気持ち悪さが彼に襲いかかる。胃を逆流し、口から溢れる鮮血が掃き溜めを朱く染めた。
「……僕には…もう…時間がないんだ……。」
壁に手を付き、タイガは重い体を引きずり起こす。足を動かす度、転けそうになりながら、彼は一歩ずつ進んでいった。
◇◆◇◆◇
アンヌ達の見送りにヒウン建設の前ではグラを始め、多くの従業員がいた。仕事中にも関わらず、わざわざ作業を止めて集まってくれたのだ。
グルートも旧友達に囲まれて、悪態をつきながらも別れを惜しんでいる。
「あっという間だったなあ。寂しくなるね。」
ソフィアは感慨深そうに呟いた。アンヌ達と出会い、過ごした時間は長いようで短い時間だった。それはアンヌも感じていたようで、彼女の言葉に頷く。
「ソフィアちゅあん…オレ様がいなくても、泣かないでくれよぉ…!オレ様はいつだってキミの心の中にいるからよぉ~っ!」
「ふふ…うん、ありがとう。ブレイヴくん。」
誰よりもソフィアとの別れを惜しんでいたブレイヴは、彼女の手を固く両手で握りしめて、涙目で声を震わせた。
「近づきすぎや、アホ!」
「いでっ!」
ブレイヴの行動が目に余ったのか、彼の脳天にレックスの拳骨が降りかかる。すると、ブレイヴの零れかけた涙は一瞬のうちに引っ込んでしまった。次の瞬間には、感傷に浸る気持ちも忘れ、いつも通りに取っ組み合いが始まっていた。彼らはやはり似たもの同士だと、アンヌとソフィアは困ったように笑った。
「…あの……。」
「ン?何やボウズ。」
「ボクは…子供じゃない……けど…。」
子供と呼ばれ、少しむっとしたジェトだったが、旅立つ前に彼はグラに言うことがあり、抗議の言葉は飲み込んだ。
ジェトは懐から年季の入った小さな袋を取り出し、彼に突き出した。それが受け取れという合図なのだと気付いたグラは疑問に思いながらも、手に取った。
「あ?…何やこれ。」
何気なく袋の中身を見ると、グラはその中の輝きに目を見張った。…赤、青、翡翠など鮮やかな宝石や金色の装飾品が袋一杯に入っていたのだ。
「……ごめんなさい。……僕…色々、壊しちゃったから……。今の時代で…価値があるのかは…わからないけど…。」
ジェトは頭を垂れながら、言葉を紡ぐ。王族して、民が心血を注いで古代の城を築城している様子を見てきた彼にとっては、幾ら暴走していたとは言え、皆で作った建物を壊してしまったことに深い罪悪感を覚えていた。
少しでもそのお詫びができたらと、持っていた豪華な品々をグラに譲渡することを思いついたのだ。言うなれば数千年前のお宝だ。勿論、その価値は計り知れない。歴史学者などは喉から手が出るほど欲しがるだろう。
だが、グラはその小袋を惜しむ顔一つせず突き返した。彼の意図がわからず、ジェトは眉を下げ、困惑の表情を浮かべた。
「とっとき。それはジブンが生きとった時代の大事なモンなんやろ?」
「え…。」
「壊れたモンはまた作ったらええ。そんぐらいの根性がないとこの仕事はやっていかれへん。舐めたらアカンで。」
大きなその手で、グラはジェトの頭をわしゃわしゃと撫でた。また子供扱い…と思いながらも、不思議と悪い気はせず、ジェトはほっとした様子で微笑んだ。
「ま、最悪あの兄ちゃんが一人でパーッと作り直してまうわ。なァ?」
「……あ?」
会話は聞こえていたが、唐突に話を振られ、グルートは呆気に取られ、気の抜けたような顔をした。だが、徐々に意味を理解した彼は眉を寄せながら、グラを睨んだ。
「ざけんな、なんで俺が!」
「かーッ、ホンマケツの穴ちっさい男やな!情けな。ここは任せときぐらいビシッと言わなアカンやろ。」
「なら言い出しっぺのあんたがやりゃあいいだろうが。毎回面倒事を俺に押し付けてんじゃねぇ!」
ふたりの間にバチバチと火花が散る。怒る彼らの恐ろしさを知っているからこそ、周囲の従業員達もおっかなそうに距離を取り、狼狽えていた。誰も止めに行こうとしないのがなによりの証拠だ。
ジェトは首を傾げながら、アンヌにひっそりと耳打ちした。
「…いつも…こうなの?」
「そう、いつもこうなの。」
腕を交差させ、互いの頬に拳を突きつけるふたりを見ながら、アンヌは呆れたようにため息を吐いた。
ノックをして、ドアの取っ手にアンヌが手をかけをようとしたとき、それよりも先にドアが横にスライドして開いた。
「あっ、」
病室から現れ、鉢合わせたその顔を見て、彼女はほっとしたような表情を浮かべる。
一方、彼の方はいかにも不快といわんばかりに顔を顰めた。
「…何で、そう、君はタイミング良く僕の前に現れるのかな。ストーカー?」
「あなたのお見舞いに来たのよ。タイガ。…調子はどう?」
「Yo!相変わらず辛気臭ェツラしてンな!もっと明るくなンねーと、元気になれねェぞ!」
アンヌの後ろからブレイヴが現れるとタイガは嫌悪感を露わにし、益々険しい顔になった。ちっ、と苛立たしそうな舌打ちが響く。
「お陰様で、吐きそうだよ。どうやら、君達には僕を不快にさせる才能があるみたいだね。尊敬するよ。本当。」
「おう!オレ様は素晴らしーからな!幾らでも尊敬してくれていいぜッ!」
「……汚物に埋まって窒息死すれば良いのに。」
何でも自分に都合よく解釈してしまうブレイヴにはタイガの嫌味も通用しないようで、彼の心の蟠りは増すばかり。これ以上関わっても、精神が擦り減るだけだと、タイガは彼らの横を通り抜けようとした。
「どこへ行くの?」
「君に教える必要、ある?」
「でも…まだ安静にしていなければいけないのではないの?」
アンヌがジョーイさんから連絡を貰った時は彼がまだ退院はできないと聞いていた。疑問に思い、彼に尋ねる。
タイガは彼女を睨んだ後、すっ、と仮面をつけたような笑顔を浮かべた。
「僕は君の仲間でもなんでもない。赤の他人さ。馴れ合うつもりもない。…だから余計な詮索しないでくれるかな。」
彼がぴしゃりと言い放つと、空気が凍りついた。喜びの感情が少しも感じられない笑顔はかえって不気味で、冷たく見える。
これ以上干渉されたくないという意思表示だろうか。彼との間に見えない壁を感じて、アンヌは口を閉ざす。
タイガの物言いが辛辣なのは今に始まったことではないが、今の彼には余裕がなく、殺伐とした空気が感じられた。
「アンヌは…オマエのこと…心配してるのに……!」
アンヌの側にいたジェトが身を乗り出して、タイガに食ってかかる。彼は彼女の気持ちを無下にしたタイガが許せなかったのだろう。ジェトの湧き上がる怒りと共に、彼の影から黒い手が現れる。
「!、待って、ジェト!攻撃してはいけないわ。」
「でも…コイツ…!」
「心配だって?そんなの僕は頼んじゃいない。全部彼女のエゴじゃァないか、あはは。」
「…ぐっ…アンヌの気持ちを…踏み躙る…なんて…許さないッ!」
「ジェト!」
このままでは喧嘩が始まってしまいそうだった。アンヌはタイガとジェトの間に立ち、激昂する彼を落ち着かせるように頭を撫でる。
「いいの、私は気にしていないわ。大丈夫だから、抑えて頂戴。」
「……アンヌ…。」
ジェトは驚いたように目を丸くさせたが、必死に懇願するアンヌを見て、渋々、影から伸びた手を退いた。
タイガはつまらなそうにふたりを一瞥し、再び歩き出す。その華奢な身には大きく見えるギターケースを背負った後ろ姿を、ブレイヴは訝しげに見つめる。
「…なンだァ、アイツ?いつも以上に態度悪りーな。モーモーミルク足りてねーンじゃねェか?」
モーモーミルク、カートンで持ってきてやればよかったな!とブレイヴは能天気に笑っていたが。
アンヌはタイガのことが心配でならなかった。…遠ざかっていく彼の背がとても寂しげで、今にも消えてしまいそうな程、危うく見えたのだ。
アンヌ達を振り払い、ポケモンセンターを抜け出したタイガは、人目につかない薄暗い路地裏に駆け込んだ。
足元がふらつき、視界が歪む。じわりと、背を這う悪寒を感じながら、彼はその場に崩れ落ちた。猛烈な吐き気を感じながら、何度か咳き込む。…朱が点々と地面に色をつけた。
近場にあったペールの蓋を投げ飛ばし、その中に頭を突っ込む。生ゴミの悪臭も感じられないほどの気持ち悪さが彼に襲いかかる。胃を逆流し、口から溢れる鮮血が掃き溜めを朱く染めた。
「……僕には…もう…時間がないんだ……。」
壁に手を付き、タイガは重い体を引きずり起こす。足を動かす度、転けそうになりながら、彼は一歩ずつ進んでいった。
アンヌ達の見送りにヒウン建設の前ではグラを始め、多くの従業員がいた。仕事中にも関わらず、わざわざ作業を止めて集まってくれたのだ。
グルートも旧友達に囲まれて、悪態をつきながらも別れを惜しんでいる。
「あっという間だったなあ。寂しくなるね。」
ソフィアは感慨深そうに呟いた。アンヌ達と出会い、過ごした時間は長いようで短い時間だった。それはアンヌも感じていたようで、彼女の言葉に頷く。
「ソフィアちゅあん…オレ様がいなくても、泣かないでくれよぉ…!オレ様はいつだってキミの心の中にいるからよぉ~っ!」
「ふふ…うん、ありがとう。ブレイヴくん。」
誰よりもソフィアとの別れを惜しんでいたブレイヴは、彼女の手を固く両手で握りしめて、涙目で声を震わせた。
「近づきすぎや、アホ!」
「いでっ!」
ブレイヴの行動が目に余ったのか、彼の脳天にレックスの拳骨が降りかかる。すると、ブレイヴの零れかけた涙は一瞬のうちに引っ込んでしまった。次の瞬間には、感傷に浸る気持ちも忘れ、いつも通りに取っ組み合いが始まっていた。彼らはやはり似たもの同士だと、アンヌとソフィアは困ったように笑った。
「…あの……。」
「ン?何やボウズ。」
「ボクは…子供じゃない……けど…。」
子供と呼ばれ、少しむっとしたジェトだったが、旅立つ前に彼はグラに言うことがあり、抗議の言葉は飲み込んだ。
ジェトは懐から年季の入った小さな袋を取り出し、彼に突き出した。それが受け取れという合図なのだと気付いたグラは疑問に思いながらも、手に取った。
「あ?…何やこれ。」
何気なく袋の中身を見ると、グラはその中の輝きに目を見張った。…赤、青、翡翠など鮮やかな宝石や金色の装飾品が袋一杯に入っていたのだ。
「……ごめんなさい。……僕…色々、壊しちゃったから……。今の時代で…価値があるのかは…わからないけど…。」
ジェトは頭を垂れながら、言葉を紡ぐ。王族して、民が心血を注いで古代の城を築城している様子を見てきた彼にとっては、幾ら暴走していたとは言え、皆で作った建物を壊してしまったことに深い罪悪感を覚えていた。
少しでもそのお詫びができたらと、持っていた豪華な品々をグラに譲渡することを思いついたのだ。言うなれば数千年前のお宝だ。勿論、その価値は計り知れない。歴史学者などは喉から手が出るほど欲しがるだろう。
だが、グラはその小袋を惜しむ顔一つせず突き返した。彼の意図がわからず、ジェトは眉を下げ、困惑の表情を浮かべた。
「とっとき。それはジブンが生きとった時代の大事なモンなんやろ?」
「え…。」
「壊れたモンはまた作ったらええ。そんぐらいの根性がないとこの仕事はやっていかれへん。舐めたらアカンで。」
大きなその手で、グラはジェトの頭をわしゃわしゃと撫でた。また子供扱い…と思いながらも、不思議と悪い気はせず、ジェトはほっとした様子で微笑んだ。
「ま、最悪あの兄ちゃんが一人でパーッと作り直してまうわ。なァ?」
「……あ?」
会話は聞こえていたが、唐突に話を振られ、グルートは呆気に取られ、気の抜けたような顔をした。だが、徐々に意味を理解した彼は眉を寄せながら、グラを睨んだ。
「ざけんな、なんで俺が!」
「かーッ、ホンマケツの穴ちっさい男やな!情けな。ここは任せときぐらいビシッと言わなアカンやろ。」
「なら言い出しっぺのあんたがやりゃあいいだろうが。毎回面倒事を俺に押し付けてんじゃねぇ!」
ふたりの間にバチバチと火花が散る。怒る彼らの恐ろしさを知っているからこそ、周囲の従業員達もおっかなそうに距離を取り、狼狽えていた。誰も止めに行こうとしないのがなによりの証拠だ。
ジェトは首を傾げながら、アンヌにひっそりと耳打ちした。
「…いつも…こうなの?」
「そう、いつもこうなの。」
腕を交差させ、互いの頬に拳を突きつけるふたりを見ながら、アンヌは呆れたようにため息を吐いた。