shot.9 魂の叫び

 イッシュ・ブラックシティーーー。
 日が昇らない真夜中の街。太陽の光の恩恵を受けられない代わりに、この街では年中ネオンが輝いている。そのことから、“眠らない街”とも呼ばれていた。

 男は煌々と輝く街の明かりを、ブラックシティで最も高いビルーーー黒の摩天楼の最上階から見下ろす。広々としたはめ殺しの窓からはブラックシティが一望できた。
 赤ワインが入ったワイングラスを片手に、彼はその景色を堪能していた。


「……作戦は失敗に終わった、とのことで御座います。」

 男の側に立つ、秘書らしき初老の男が首を垂れる。報告により、主の機嫌を損ねることになるのが気がかりだったがーー男はさして驚きもせず、「そうか」と一言溢しただけだった。

「如何いたしましょう。」
「構わん。暫く泳がせておけ。」
「……宜しいのですか?」
「ああ。……それより。」

 ワイングラスをテーブルに置いた男の目つきが変わる。額に輝く赤い宝石と同じ色をした怜悧な眼差しに、秘書の男は背筋が凍りつくのを感じた。彼は膝を付き、男に更なる敬意を示す。

「俺の命令に逆らい、彼女を殺めようとした奴はどうした?」
「……今頃、深海への旅路を楽しんでおられるのではないかと。」

 秘書の男は低い声で淡々と言葉を溢した。深海への旅、それはーーこの男の命に背いた者が行き着く場所。その姿を見ることは恐らく、もう二度と無い。

 秘書の報告を聞くと、男の顔から険しさは消え、穏やかな顔つきに戻った。ワインをひと口嗜むと、彼は笑みを浮かべる。


「さすがだな。やはりお前はこの俺の右腕に相応しい男だ。」
「勿体なきお言葉に御座います。」
「…彼女を殺めればシャルロワ財閥との関係は壊滅的、俺の計画も水の泡だ。……奴らにはもう少し厳しい躾が必要なようだな。」

 ワイングラスが空になる前に、秘書の男は慣れた手つきでグラスにワインを注いだ。命じずとも望み通りに動いてくれる有能な秘書に、男は満足そうに目を伏せた。


「…しかし、彼女のお転婆にも困ったものだ。侵入者と家出をした挙句、共に旅をするなど。」
「若さ故の過ちで御座いましょうか。少年少女は時に大人には理解し難い、後先を考えない行動をするものです。」
「ふっ、確かに。…だが、愚かだな。」

 男はテーブルの上に置いてあるタブレットを眺める。そこには[アンヌ・シャルロワ]という名前と共に、三つ編みの少女の写真があった。スワイプすると、シャルロワ家の邸宅に不法侵入した男と仲睦まじそうに笑い合う写真も並んでいる。…何も知らない無垢なその笑顔を見る度に男は、昂り、黒い情念が湧き上がるのを感じた。


「…どんなに足掻こうが、この俺からは逃れられない。それを知った時、彼女はどんな顔を見せてくれるのだろうな。」

 綺麗なものほど汚したくなる。…いずれ自分に縋ることしかできなくなる彼女の未来を思い浮かべると堪らなくなり、男は舌を出して、ワインが付着した唇を舐めた。

 全ては俺の掌の上、彼女は踊らされているに過ぎないのだとーー。小さな世界で自由を手に入れたと錯覚している彼女の浅はかさを思うと、そのお転婆も愛らしく感じた。
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