shot.9 魂の叫び

 炎を身に纏い、軽やかに技を繰り出す彼には一点の隙もない。次々に襲いかかってくる相手にも動じることなく、ひとつひとつ着実に処理していく。
 彼らは一心不乱に発砲し、その銃口から[毒針]を放つ。数を打てば当たるという考えなのだろう。
 だが、乱れた心で繰り出される技を見切ることなど容易く、グルートは攻撃を避け、息を吸い込むと、お返しと言わんばかりに[火炎放射]を口から吐き出した。



「…あれが……ポケモンの戦い方……。」


 ジェトは重い体を起こし、グルートの戦いに圧倒されていた。全ての攻撃を攻撃で返そうとせず、見切れるものは身を躱したり、建物や木を壁にして相手の攻撃を防いでいる。そして相手の隙を見つけ、一気に攻撃を叩き込む。
 感情に身を任せ、無闇に攻撃を繰り返すのではない。状況を瞬時に判断して対策する力、それは長年の経験で培われた戦闘スキルだった。

 すごい、とグルートを称賛すると同時にジェトの心には悔しさも湧き上がる。技の威力では負けていない筈なのに、僅かな戦い方の差で彼はうまく立ち回れている。それに比べて自分はーー。

 ジェトはぎゆっと唇を噛み、恨めしそうに彼を睨んだ。



「てめぇらの攻撃は見切った。もう俺には通用しねぇよ。」

 飛来する[毒針]を払い落とし、近距離で襲いかかってくる相手には足の甲を首元に叩きつけて蹴り飛ばした。
 蹲り、呻き声を上げる彼らの側でグルートはポケットから煙草を取り出し、一服する。既に勝敗は決したと言わんばかりだ。


「クソ…ッ、舐めやがって…ッ!」

 ひとりの黒スーツの男が立ち上がる。アンヌの側にいた仲間の男を突き飛ばし、彼からアンヌを奪い取る。実力の差を見せ付けられ、自棄になったのか。彼は彼女のこめかみに銃を突きつけた。その突拍子もない行動には仲間の内からも騒めきが起こる。

「やめろ!ボスの命令を忘れたのか!」
「し、知ったこっちゃねぇッ…!俺ぁ、コイツに一泡吹かせてやらねぇと気が済まねぇんだ!」
「そいつの言う通りだ。…馬鹿な真似は止しな。その方がてめぇの為だぜ。」
「う、うるせぇッ!」
「……俺は忠告したからな。」


 しかし、アンヌが危機にあってもグルートはその平静さを崩さず、ふーっと煙草を吹かしているだけ。アンヌはどこか確信めいた余裕を持った彼と目が合う。すると彼は僅かに口角を吊り上げ、笑んだ。ーーその含みのある表情に彼には何か切札があるのだ、とアンヌも感じ取った。

 驚く顔すら見せないグルートに、寧ろアンヌに銃を突きつけている男の方が焦り始める。底知れぬグルートの余裕が彼には恐ろしくみえた。


「お、おまえ…このガキがどうなってもいいのか…!?本当に、やっちまうーー。」


 男が言い終わる前に、彼の姿はアンヌの側から、一瞬の内に消えた。足元に視線を向けると男の顔が亀裂の入った地面に埋まるように突っ伏しているのが見えた。彼の首根っこを捕らえ、押さえ込んでいたのはグルートに引けをとらない筋骨隆々とした逞しい腕の持ち主で。


「ほんなら、オドレはやられる覚悟がある、ちゅうことでエエんやな?」


 ドスの効いた聞き覚えのある低い声。動かなくなった男から手を離すと、彼は首を左右に傾け、肩を解すように腕を回した。

「…グラさん!」
「よう耐えたな、アンヌちゃん。あとはワシらに任せとき。」

 グラがアンヌを安堵させるように、彼女の頭に軽く手を乗せる。その所作がまるでグルートのようで、ふっと彼女の頬が緩んだ。



「さて…、オドレら、ワシのシマで好き勝手してくれたなァ?」
「…っ!」
「落とし前、きっちりつけてもらおか。」


 グラはアンヌを背に抱えると、勢いよく拳を地面に叩きつける。…するとゴゴゴ、という地響きの後、地面が上下に大きく揺れる。強い衝撃に黒スーツ達の体が跳ね上がり、横転した。ーー手強い彼らがたった一撃で、雑魚のように次々と崩れ落ちていく。

 一方グラは広範囲の大技にも関わらず、疲労の色も見せず、堂々とその場に立っている。さすがグルートの面倒を見ていただけの事はある。パワーもスタミナも彼に少しの引けも取らない。


「…あーあ、派手にやりやがった。舗装、面倒くせぇぞこれ。」


 グラの[地震]を予感し、ジェトを脇に抱えて建物の上に避難していたグルートが、亀裂の入った地面を見て、呆れたように呟く。若い頃、彼に散々この技を食らわされ、その度にひびの入った土地を補修させられた記憶が脳裏に蘇った。

「後でここ直しとけや、グルート!」
「…あ、何で俺がやらなきゃいけねぇんだよ!ふざけんな!」
「ケチくさい事いいなや、慣れとるやろー!」

 銜えていた煙草も思わず地面に落ちる。嫌な予感程、的中してしまうものだ。このクソ親父、始めからそのつもりだったな…とグルートは彼を睨みながら思った。しかし、彼の怒りに触れて、ここでもう一発[地震]を打たれても、仕事が増えるだけなので、彼は言い返したい気持ちを必死に抑えた。

 グルートは建物から飛び降り、再びグラと共に彼らの前に立った。
 黒スーツの集団は体に傷を負い、なんとかその意識を保っている状態だった。それでも、グラの攻撃を食らってもとどめを刺すには至らないということから、やはり彼らは鍛え抜かれた戦闘集団なのだということが窺える。



「…なんてパワーなんだ…っぐ。」
「おう、ワシ程やないけど、他にもうちの従業員には見所のあるやつが仰山おるで?…そろそろ、来るんとちゃうかな~?」

 わざとらしく辺りを見渡すグラだったが、例えそれがハッタリでも追い詰められた彼らの戦意を下げるには充分だった。
 リーダー格らしい男は歯を食いしばり、ぼろぼろになった体を起こし、後退した。


「…く…退却だっ!」

◇◆◇◆◇


 グラの一撃が決定的なものとなったのだろう。分が悪いと判断し、男が退却の命令を下す。グルートが、逃さまいと足を踏み出したが、彼らは煙玉を取り出し、地面に叩きつける。煙が晴れた頃には、集団の姿は跡形も無く消え去っていた。


「逃げ足の速いやっちゃな。」
「全くだ。」


 戦いだけで無く、退却まで手慣れている。…執拗にアンヌの身を狙う彼らの目的は…その背後にいるのは、一体何者なのだろうか。

(ボス…と言ってやがったな。)

 グルートは黒スーツの彼らの会話を思い出す。ジョークではなく、本当にマフィアがアンヌを狙っているのだろうか。
 結婚を強制され、逃げ出してもその身を狙われる。シャルロワ家という名に群がる大人が挙って、この幼気な少女を追い詰めているのだ。
 あどけなさが残るアンヌの横顔を覗き見ながら、グルートは静かに拳を握り締めた。


「…グルート?怖い顔して…どうしたの?」
「…いや、何でもねぇ。」
「まさか…どこか怪我をしているの?」

 眉間に皺を寄せ、険しい顔をするグルートを見て、アンヌは不安げな表情を見せる。危険な目に遭っていたのは、むしろ彼女の方だというのに。それよりも先に他人の身を案じてしまうのがお人好しな彼女らしい。
 グルートはふっと頬を緩める。そんな彼女だからこそ、守り甲斐があるのだろう。


「…大丈夫だ。俺より、こいつの心配をしてやってくれ。」

 グルートは脇に抱えていたジェトの体を下ろし、アンヌに引き渡す。よろめきながらもアンヌの体に凭れ掛かり、その場に立つことができた。
 まだ少し息が荒いジェトの背を、彼女は壊れ物に触れるように優しく撫でる。その温もりに彼は安堵しながらも、彼女をひとりで守り切ることが出来なかった弱い自分を憂いた。


「ジェト…、危ないところを助けてくれてありがとう。」
「……ボク…役に…立てなかった……。何も…出来なかった…。」
「ううん。そんなことないわ。あなたが勇気を出して戦ってくれたから、今私はここにいられる。…あなたのお陰よ、ジェト。」
「アンヌ……。」


 ジェトがいなければ、グルートとグラが来る前にアンヌは何の抵抗もできず、今頃黒スーツ達に拐われてしまっていたことだろう。戦い慣れた彼らに一泡吹かせることが出来たのは間違いなくジェトの力があったからだ。
 決してフェアとは言い難い初めてのポケモンバトルで彼は勇気を出して戦ってくれた。それだけで、アンヌは彼に感謝してもしきれなかった。
 その気持ちが少しは彼に伝わったのか、卑屈になり、今にも泣き出しそうになっていたジェトの表情も和らぐ。


「ああ。初めてにしては上出来だ。ーー後は技を使うタイミングをだな、」
「………。」
(…あ?)


 ジェトの今後のバトルの参考になればという親切心から、グルートがアドバイスをしようとしたところ。彼はアンヌの背にさっと隠れ、彼女の肩に顎を乗せて、じっとグルートを凝視する。その視線は狂気を纏いながら彼を睨みつけていた。
 敵視という言葉がぴったりなその眼差しに、思わずグルートも口を閉ざす。…彼の目にはジェトの背後に禍々しい気が充満しているように見えた。

 一部始終を傍観していたグラの顔がニヤついているのが、グルートの視界の隅に映った。


「強敵出現、っちゅうとこか?え?グルートちゃ~ん。」

 肘で小突きながら茶化すようにグルートに耳打ちするグラ。妙に嬉しそうな調子が不快だった。

「…別に俺は何とも思っちゃいねーよ。」
「焦っとるなこれは!」
「…そのよく喋る口、二度ときけねぇようにしてやろうかクソ親父!」

 煽るグラに我慢ならなくなったのか、グルートは彼の首を脇に挟み、華麗にヘッドロックをかました。ボキッ、と関節が軋む音が響く。
 アンヌが止めに入るまで、暫く小競り合いは続いた。
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