shot.9 魂の叫び

 会話を重ねているうちに、強張っていたジェトの表情も段々と柔らかくなっていく。不安や悲しみが消え去ったわけではないが、それでもアンヌが傍にいるだけで、彼の気持ちは徐々に上向きになっていた。


「…そろそろ、みんなの所に戻りましょうか。きっと心配しているわ。」

 アンヌはジェトを促すように肩をとんとん、と軽く叩く。彼は名残惜しそうにアンヌから体を離し、頷いた。



 ーー立ち上がろうとした時、ふと何かの気配を感じてアンヌは振り返る。
 彼女を覆うほどの大きな影。ベンチの周りにある生垣を掻き分けて現れたのは目深に帽子を被った、“黒スーツ”の大男だった。
 威圧感の漂う男を注視しながら、アンヌはさり気なくジェトを背に隠し、反射的に距離を取った。


「あの…。」
「アンヌ・シャルロワご令嬢。お迎えに上がりました。ボスがあなたのお帰りをお待ちです。」
「!」

 薄々予感していたが、その一言でアンヌは確信を持った。
 一体どこに隠れていたのか。男と同じ黒スーツを着た男女がわらわらとその姿を見せる。数は十数人といったところか。あっという間に囲まれてしまう。

 ーーシャルロワの名を知るもの。そして黒スーツの怪しげな集団。彼らはスカイアローブリッジで襲いかかってきた集団と酷似していた。

 竦みそうになる体を奮い立たせ、せめて気圧されないよう、アンヌは努めて平静を装う。


「…ボス…?誰のことですの?」
「何だかんだと聞かれても、答えることはできません。守秘義務がありますので。……ご同行願います。」

 にじり寄ってきた男が、アンヌの腕を掴む。振り解こうと抵抗するが、彼女の力では微動だにしなかった。

「離してっ!」
「アンヌ…!」

 状況を詳しく知らないジェトでも、アンヌが男に連れ拐われようとしていることはわかった。
 彼は彼女を渡さまいと手を伸ばす。ーーしかし、他の黒スーツの仲間に羽交い締めにされ、ジェトの手は届くことなく、遮られてしまった。


「ジェト!」
「やめろ…っ…アンヌ…嫌がってる…!」

 声を振り絞りながらジェトは周囲の黒スーツ達を睨みつける。…だが、多勢に無勢。圧倒的に有利な彼らには何の効果もなく、ジェトの声が虚しく響くだけだった。

 周囲にいた三人ほどが、身動きの取れないジェトに詰め寄った。腰にぶら下げたホルダーに手を掛ける。不気味に黒光りするそれは、紛れも無く、彼を始末するための凶器だった。


 アンヌはさっと血の気が引いていくのを感じて、反射的に大男に向かって叫ぶ。


「彼には手を出さないでっ!目的は私なのでしょう!」
「面倒な部外者には消えてもらう。ボスの命令だ。」
「なんですって…っ!?」

 彼らには人の心が無いように感じられた。ひとつも表情を変えず、彼らは淡々とジェトに銃口を向けているのだ。…まるで他者を傷つけることに慣れているような非情さだ。



(そんなこと…させないわ…!)

 だが、相手がどんなに卑劣で残忍であろうとも、彼女の心はまだ諦めてはいなかった。

 男がアンヌの体を抱えようと手を伸ばしてくる。その機会を逃さず、アンヌは全力で、男の手に噛み付いた。

「な、なに…っ!」

 まさか世間知らずのお嬢様が、文字通り牙を剥くとは思わなかったのだろう。油断していた男は虚を衝かれ、アンヌを掴んでいた力を緩めてしまった。
 無表情だった彼らの顔が驚きに変わる。辺りの意識は一斉にアンヌに向き、ジェトは捨て置くように解放される。彼らの最優先事項はやはりアンヌの身の確保らしい。


「ジェト、今のうちに逃げてっ!」
「…え…。」
「私なら大丈夫だから、心配しないで!」

 アンヌはそう言い残すと、ジェトのいる方とは反対側のヒウンシティ方面へと走り出す。人通りの多いヒウンシティまで逃げれば、人混みに紛れて撒けると踏んだのだろう。
 
「令嬢を捕らえろ!逃すんじゃあない!」


 しかし、彼らの身体能力はアンヌの想像を超えていた。人間とは思えない俊敏さで彼らは彼女の後を追う。
 人間ではないジェトにはわかった。彼らが人ならざる者ーー自分と同じポケモンだということが。

(このままじゃ…アンヌが…!)

 恐らく、彼女は逃げきれない。じきにその身を捕らえられ、彼らに自由を奪われてしまうだろう。
 ヒウン建設まで戻って助けを呼ぶかーー否、戻ってきた頃にはもう、アンヌの姿はここには無い。 


 ジェトは両手を見つめる。古代の城で暴走していた時ーー自ら生み出したあの力のことを思い出していた。
 あの力があれば…しかし、我を取り戻してからは一度も力を使っていなかった。


(…ボクに…出来るの…?)
 
 仮に力を使えたとしても、果たしてレシラムやゼクロムのように力を使いこなすことができるのだろうか。また暴走して我を失ってしまうのではないか。ーージェトの心には恐怖が湧き上がる。
 アンヌの言う通りにして、このまま逃げ出してしまいたい。…その選択をとったとしても彼女は許してくれるだろう。

 ジェトの足が、一歩一歩後退する。振り返って、そのままアンヌとは反対側に走り出そうとした。



『大丈夫。もうあなたはひとりじゃないわ。』



 はっとアンヌの声が彼の脳裏に過って、ジェトを引き留めた。


 ーー闇の中で孤独に苦しんでいた自分を、アンヌは危険を顧みず、救い出してくれた。
 見捨ててしまうことだって出来たはずだ。…だが、彼女は逃げずに立ち向かった。戦う力も身を守る術もないというのに。ただ助けたいと願うその一心だけで。


 手は震えながら、ぎゅっと拳を作った。逃げ出してしまいそうになる度、ジェトはアンヌの笑顔を思い浮かべた。



(ボクは…ボクは……ッ!)


 握り締めた拳から全身に広がり、漲る力を感じる。目を閉じて意識を集中させる。そして彼は祈った。

 ーーボクに戦う力を、勇気をくれ、と。


 ジェトの体から放たれるエネルギーが徐々に大きくなっていく。アンヌを捕らえようとしていた黒スーツ達の意識も僅かに彼の方に向いた。


「ジェト…?」


 堪えるように歯を食い縛りながら、彼は自身の影から四本の黒い手を生み出す。禍々しく抓りながら、その手は黒スーツ達の方へ伸びて、アンヌを取り囲む彼らを、薙ぎ払うように蹴散らした。

「うおおっ!?」
「ぐあっ!」

 建物の壁や地面に勢いよく体を叩きつけられ、その場に伸びてしまった者もいた。

「…小癪な!」


 ジェトが攻撃している隙を狙って、他の黒スーツの男が彼に向かって波動の塊のような球体を飛ばす。
 球体が飛来してくる方向にジェトが手を伸ばすと、彼の手から黒紫色の球体が放出される。ーー[シャドーボール]だ。その威力は男が放った波動を取り込み、膨れ上がりながら、男の元へと戻っていく。
 彼の叫び声は力の爆発と共に消えた。


「今度は…ボクが…アンヌを助ける番だ!」


 額に汗を滲ませながら、ジェトは彼らに言い放った。彼の赤い瞳は震えながらも、強く輝いている。
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