shot.8 なくしたもの

「…ねぇ、みんな。何か…聞こえない?」

 一件落着、というような和やかな空気が流れ始めていた頃、ソフィアが耳に手を添えながら、遠慮がちに声を溢した。アンヌとグルート、ジェトは顔を見合わせ、耳を澄ませたが、彼女が言うような異音は聞こえない。

「ねぇ、タイガ。あなたには何か聞こえる?」

 この中でソフィアの次に聴覚が鋭そうなのはタイガだった。普段から音楽に触れ合っている彼なら、音を聴く力にも優れているはずだ。

 …しかし、タイガはアンヌの問いには答えず、壁に手をついたまま、身を隠すようにしゃがみこんでいて。

「タイガ?」

 もう一度アンヌが問いかけながら、彼に近づいていく。
 口元を押さえ、堪えるような仕草をしていたがーー彼の口元からぽたぽたと水滴のようなものが溢れ落ちているのを、彼女は見てしまった。アンヌは血相を変え、彼に駆け寄った。

「タイガ!しっかりして!」
「…げほっ…っぐ…。あはは…所詮、一過性のものか…。」

 彼は口から真っ赤な血を溢し、青ざめた顔をしていた。…先程まで元気そうで、てっきり体の調子も良くなったものだと思っていたのだが。
 彼をポケモンセンターに連れていかなければと思い立った矢先、彼女の頭の上にさらさらと砂が落ちてきた。驚いて、反射的に見上げると天井に亀裂が入っているのを見つける。どうやらその割れ目から、彼女の頭の上に流れ落ちてきたらしい。
 砂に混じっている小石の粒が徐々に大きさを増しているようなーーと、思っていると、突如足元がぐらりと揺れた。


「な、なに…っ!?」

 大きな音を立てながら、天井の一部が剥がれ落ち、天井に使われていた石の破片と大量の砂が落下する。


「…たぶん…っ、そこの彼が正気に戻ったことで僕達にかけられたミイラの力が弱まっているんだ…。」
「えっ…?」
「この部屋が同類しか入ることを許されていないのなら……。同類じゃなくなった僕達を始末するような仕掛けがあったっておかしくはない…うっ…ぐっ…!」
「タイガッ!」

 両手でも覆い尽くせない程の血の塊を彼は吐き出し、ぼとぼとと地面に生々しい血痕を残す。意識も朦朧としている様子で、彼の目は焦点が定まっていなかった。
 タイガの背を撫で、彼の意識を留めようとアンヌは必死に呼びかける。


「…呑気に居座ってる暇はなさそうだぜ。」

 石や砂が次第に量と大きさを増し、天井から落下している。グルートの言う通り、このままここにいれば、それらの下敷きになるのも時間の問題だろう。


「私がみんなを風で運ぶよ。建物の外には飛べないけど、普通に走るよりは速いと思うから。」

 ソフィアが一歩前に出て、皆に呼び掛けた。確かに、飛行タイプの彼女が繰り出す風の力を借りれば素早く脱出できそうだ。
 アンヌは彼女を頼もしく思いながら、頷いた。

「…ありがとう、ソフィア。グルートはタイガをお願い。」
「わかった。」

 グルートがタイガを肩に担いだのを確認して、皆はソフィアの周りに集う。すると風が巻き起こり、それに包まれた体が浮遊する。足を動かさずとも、背中を押す風が自動で体を前に進めてくれた。

「すごい…飛んでいるわ!」

 この速さなら、出口にもすぐに辿り着けるはず…。アンヌは辺りを見渡し、グルート、タイガ、ソフィア、ジェトの存在を確認すると一先ず、胸を撫で下ろした。



「ーーッ、…アンヌ!」
「え?」

 だが、ただならぬ声が響いて、彼女の意識は再び周囲に向く。一瞬誰の声だかわからなかったが、遅れてそれがジェトの声なのだと理解した。ほっと息をついた直後なのもあって、少しぼんやりしていたが、こちらに傾いている石柱の存在に気付いて、一気に目が覚めた。

「ソフィア!風を止めろッ!」
「っ、わかってる!…今ーー。」
「!ーーッ、危ねぇ!」

 ソフィアが風をコントロールしようとしたが、彼女にもまた、折れた石柱が襲い掛かろうとしていた。グルートは彼女達に迫る脅威に気づき、咄嗟に[悪の波動]をふたつの石柱に打ち込んだが、表面の一部が砕けただけで吹き飛ばすには至らなかった。
 風の力を借りているとはいえ、タイガも背負っている今、グルートの動きも鈍くなっている。ふたりを救うのには俊敏さが足りず、間に合わない。
 ーーまさに絶対絶命。彼女たちは迫りくる石の塊に押しつぶされるしかないのか。

 声もあげられず、アンヌとソフィアは頭を覆う仕草をすることしかできなかった。



「ウオラァアァアアアア!!」
「でりゃああぁぁぁァァ!!」

 ダッダッダッ、と豪快に地を踏みしめ、駆け抜けるふたつの足音。
 その後に大きな音がしたかと思えば、風圧とともに砂埃が辺りに蔓延して、視界が靄がかる。

「うっ……あれ…わたし…。」

 てっきり押しつぶされてしまうと思いきや、アンヌの意識は明瞭で、身動きも取れた。ただ恐怖のあまり、腰は抜かしていたが。

 疑問に思いながらも、重い体を起こし、視線を見上げた。彼女の視界に燃えるような赤い髪が映った。

「あなたは…!」

 アンヌは一気に視界が拓けたような清々しさを感じた。恐怖に飲み込まれてしまいそうだった心に、勇気が湧き上がる。


「SUPER HERO、ブレイヴ様の参上だァ!」
「ブレイヴッ!」
「よォ、元気そうじゃねェか、アンヌ。」

 両手を掲げ、倒れそうな石柱を支えていたのは、アンヌもよく知る彼だった。振り返り、アンヌの顔を見ると、彼は自信たっぷりの笑顔を見せた。
 ブレイヴがいるならーーソフィアの方には当然、レックスがいた。ブレイヴと同じように持ち前の剛力を使って、傾く石柱を両手で支えていた。
 
「なんとか…間に合うたみたいやな。」
「お兄ちゃん!正気に戻ったんだね…!」
「ちと、解凍に時間かかってしもたけど…。怖い目に合わせてごめんな、ソフィア。」
「ううん。よかった、お兄ちゃんが無事で…。」
「ソフィア…お前っちゅう子はホンマにっ…優しくて可愛くて、ええ子やなァ…!」

 この城の主であるジェトが正気に戻ったことによって、彼らの意識も元に戻ったのだろう。
 レックスは涙ぐみながら、ソフィアとの再会を喜んだ。彼女を大切に思うあまり、彼は言いたいことがまだまだ溢れ出しそうな雰囲気だったが。

「無駄口叩いてないで、さっさと走れ阿呆共!崩れるぞ!」
「え、あ…はいッ!兄貴ッ!」

 グルートに叱責され、レックスの意識はっと現実に戻る。

 既に先ほどまでいた場所は天井の下敷きになっており、もう地面すら見えない。他の石柱もドミノ倒しのように次々と倒れ始めている。
 ブレイヴとレックスは石柱を持ち上げ、軽々と投げ捨てる。レックスはソフィアを抱え、ブレイヴはアンヌとジェトを先に行かせて、それぞれ出口に向かった。


 ジェトはアンヌに手を引かれながら、振り返る。埋もれていく王の間を静かに見つめ、唇を噛む。ーー彼女の手を握りしめる手に力が籠った。
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