shot.8 なくしたもの
目元はまだ湿っぽく、腕で拭えば水滴が服に染みを作る。
傍にいてくれるアンヌの存在が彼には心強かった。
「ボクは……いいや、ボクたちは…この城の主…だった。」
ジェトは、砂に塗れた物悲しい周囲の景色を見渡しながら徐に口を開いた。
見た目はまだ年端もいかない少年だというのに、彼は長い年月を懐古するような哀愁を漂わせている。
「いつも、一緒だった…双子の兄様がいて…だけど、…ボクたちは…戦わなきゃ…いけなくなった…。」
「それって…。」
「真実と…理想…。どちらが正しいか…決めるために…。」
ーー真実と理想に分かれて戦った双子の王。…まさかと思いながらも、その共通項からアンヌが真っ先に思い浮かべたのはこの地に古くから伝わる、イッシュ神話の内容だった。
“双子の英雄と一匹のドラゴンポケモンが力を合わせて国を創った。だが、ある日、双子の英雄は仲違いをし、真実を求める兄と理想を求める弟に分かれ、己の正しさを証明すべく、争いを始めた。”
イッシュに住むものなら誰もが知っている神話の一文だ。彼のいう王は人々から畏れ敬われる、国を創生した英雄ともとれる。
…しかし、仮にイッシュ神話が史実にあった出来事だとしても、それは何千年も昔の事のはず。ジェトは体験してきたような口振りだが、神話に出てくるような伝説のポケモンでもない限り、何千年も前の人間やポケモンが現代に生きているはずがない。勿論、近年でイッシュ神話のように双子の国王が争った記録もなかった。
「まるでイッシュ神話じゃァないか。…もしかして、君、かのゼクロムと一緒に戦ったとか言い出すんじゃァないだろうね。」
ジェトの発言に、アンヌと同じようにイッシュ神話を思い浮かべたらしいタイガが訝しげに彼を見つめる。
“双子の国王と共に国を創った一匹のドラゴンポケモンは、二人が争い始めると、二匹のポケモンに体を分かち、それぞれに力を与えた。真実を求める兄にはレシラム、理想を求める弟にはゼクロムが味方した。”
冗談半分、嘲笑するつもりで、タイガは神話の中で弟に付き従っていた伝説のポケモンの名を出したが、それにジェトは大層驚き、困惑した顔をして。髪と包帯に隠れていない左目を見開いた。
「…なんで…知ってるの…?…神話…?」
これだけイッシュ神話に近しい話だというのに、ジェトはその話を初めて聞いたような反応をする。
彼はタイガに近づき、震える細い手で彼の肩を掴んだ。今度はタイガの方が困惑する番だった。
「もしかして…キミも…ボクと…同じ時代を知る…蘇ったひと…なの?」
「……何だって?」
「ボクと…同じように…蘇生の儀式を…。」
「待って、ジェト。…彼はこの時代のポケモンよ。その言い方だと、あなたはこの時代のひとじゃないみたいだわ。」
タイガに詰め寄るジェトに、アンヌが声をかけると、彼は落胆した様子で俯く。薄々、気づいてはいたのか「そう、だよね…。」と彼は力無く、タイガの肩から手を離した。
塞ぎ込みそうになる彼の手をアンヌが握り締めると、彼の表情が少し和らいだ。
「……キミの言う通り……この時代は…ボクが王だった頃の時代と…たぶん…違う…。」
「えっ…?」
遽には信じられないことだったが、話を聞く限り、彼が古代に生きていたという方が辻褄は合う。しかしそれならばどうして現在も、この場に存在できているのかという疑問がさらに強くなる。
彼は“蘇った”という印象的な言葉を溢していたが。
「兄様との戦いでボクは…相討ちになって…右目を…毒矢で打たれ……死んだ筈だった。」
“兄弟はわかり合い、争いは終わった。”というのが一般的に知られている神話の流れだが。彼の話はアンヌ達の知っているイッシュ神話の内容とは少し違った。
…現代に伝わっている神話は完全に過去の出来事を表しているわけではないということかもしれない。長い時の中で、寓話的に脚色を加えられ、神話に史実とは違う部分が作られたとしてもおかしくはない。
「……けれど、ボクは…また目を…覚ました。…辺りには…沢山のミイラがいて……そこで…気づいた…。ボクの仲間が…ボクを蘇らせるために、死者蘇生の…儀式を施したんだって…。」
「あなたは一度死んで、蘇った…ということ?」
アンヌの言葉にジェトは弱々しく頷いた。
死んだものが蘇るなどあり得ない、と切り捨ててしまうのは簡単だ。けれどアンヌ自身も臨死体験した手前、彼の言葉を真っ向から否定することはできなかった。
ジェトは唇を噛みながら、わなわなと体を震わせた。その表情からは、やりきれない思いが感じ取れる。
「身を捧げて…ボクに命を与えてくれたみんなのために…戦わなきゃって…。だけど、……周りは砂で埋もれて…なにもなくて…この国は…ボクの知っている場所じゃ…なくなってた…。」
「…長い時が経っていたのね。」
「……うん……城の中を幾ら探しても…誰もいないんだ…みんなも…母様も…兄様も…どこにもいない……。」
彼の瞳が潤んで、止まったはずの涙が再び溢れ出す。頬を伝い零れ落ちる涙の粒は、ぽたぽたと乾いた地面を濡らした。アンヌは彼に寄り添い、背中を撫でた。ジェトは彼女に凭れ掛かり、その体に縋った。
「蘇ったって…ひとりじゃ…ボクはなにもできない……っ…誰もいない国で…滅んだ世界で何をすればいいの……?」
「ジェト…。」
「こんなことなら……ボクは…ずっと眠ったままでいたかった…。みんなと一緒に…永遠に…棺の中で…。」
昨日まで当たり前のように見ていた景色が、一変して廃墟と化した。それは国の為に、民のために戦い、大望を抱いていた彼にはあまりにも惨い仕打ちだった。…どんなに恐ろしく、心細かったことだろう。
「……泣いて…泣き疲れて……気付いたら…ボクは…ボクでなくなって……自分でも制御できない…怪物になっていた…。」
永遠に続く、終わりの見えない孤独と悲しみが、彼の感情を暴走させ、彼をあの棺桶の怪物へと変貌させたのかもしれない。
「…あなたはずっと、ひとりで戦っていたのね。」
柔らかなアンヌの声が彼の胸の蟠りを晴らしてくれた。ジェトはアンヌの胸元に頭を埋めて、嗚咽を漏らす。それは怪物でも王でもなく、どこにでもいるひとりのか弱い少年だった。
アンヌの温かな抱擁は、ジェトに母との記憶を思い起こさせた。幼き頃、兄と喧嘩をして泣いてた時にも、母は背を撫でながら、優しく抱き締めてくれた。
「…あたたかい…。」
懐かしい思い出が色鮮やかに頭の中で浮かび上がる。安らかな気持ちが、傷ついた彼の心を癒す。彼女の温もりを感じると、涙は益々溢れ出した。
ーー凍りついた孤独な心が、ゆっくりと溶けていくのを彼は感じていた。
◇◆◇◆◇
一頻り泣いたジェトは腫れぼったくなった瞼を擦り、小さく息を吐いた。思いを吐露し、気持ちの整理が少しついたのか、随分と落ち着いたように見える。その手は未だ彼女の手をしっかりと握りしめていたが。…見知らぬひとびとに囲まれ、まだ少し怖いのだろう。アンヌは大丈夫よ、と囁きながら柔らかな笑みを浮かべた。
「…しかし、お前も無茶しやがる。自分から攻撃受けにいくなんてよ。」
ふたりの様子を静観していたグルートが煙草を片手に、ため息混じりの白煙を吐き出す。
彼が呆れるのも無理はない。暴走するジェトに向かっていくのは、自分の身を守る手段を持っていないアンヌにしてみればかなり危険な賭けだった。
「…意識を失っている時、夢のような世界にいて。そこで攻撃を受けた時、彼の本当の姿が見えたの。…だから、直接彼に触れればその心にも触れられるんじゃないかって。」
結果的には上手くいったが、それも確証があった訳ではない。殆ど彼女の直感からの行動だった。
その行動力は逞しくもあるが、周囲からすれば平静な気持ちでは見ていられない。
「そんな根拠のねぇ勘でやっちまうのがお前のすごいところだな。…そういう無茶はこれっきりにしてほしいもんだが。」
「心配かけてごめんなさい。…次は絶対やらないわ!約束する。」
いかにもキリッとした眼差しで宣言するアンヌだったが、その瞬間、グルートは次もあるな、と察した。マリーの時といい、彼女の場合考えるより先に、体が動いてしまっているのだからどうしようも無いのだろうが。彼女のお供になってしまった段階で、平穏は諦めるしかないなとグルートは今更のように悟った。
傍にいてくれるアンヌの存在が彼には心強かった。
「ボクは……いいや、ボクたちは…この城の主…だった。」
ジェトは、砂に塗れた物悲しい周囲の景色を見渡しながら徐に口を開いた。
見た目はまだ年端もいかない少年だというのに、彼は長い年月を懐古するような哀愁を漂わせている。
「いつも、一緒だった…双子の兄様がいて…だけど、…ボクたちは…戦わなきゃ…いけなくなった…。」
「それって…。」
「真実と…理想…。どちらが正しいか…決めるために…。」
ーー真実と理想に分かれて戦った双子の王。…まさかと思いながらも、その共通項からアンヌが真っ先に思い浮かべたのはこの地に古くから伝わる、イッシュ神話の内容だった。
“双子の英雄と一匹のドラゴンポケモンが力を合わせて国を創った。だが、ある日、双子の英雄は仲違いをし、真実を求める兄と理想を求める弟に分かれ、己の正しさを証明すべく、争いを始めた。”
イッシュに住むものなら誰もが知っている神話の一文だ。彼のいう王は人々から畏れ敬われる、国を創生した英雄ともとれる。
…しかし、仮にイッシュ神話が史実にあった出来事だとしても、それは何千年も昔の事のはず。ジェトは体験してきたような口振りだが、神話に出てくるような伝説のポケモンでもない限り、何千年も前の人間やポケモンが現代に生きているはずがない。勿論、近年でイッシュ神話のように双子の国王が争った記録もなかった。
「まるでイッシュ神話じゃァないか。…もしかして、君、かのゼクロムと一緒に戦ったとか言い出すんじゃァないだろうね。」
ジェトの発言に、アンヌと同じようにイッシュ神話を思い浮かべたらしいタイガが訝しげに彼を見つめる。
“双子の国王と共に国を創った一匹のドラゴンポケモンは、二人が争い始めると、二匹のポケモンに体を分かち、それぞれに力を与えた。真実を求める兄にはレシラム、理想を求める弟にはゼクロムが味方した。”
冗談半分、嘲笑するつもりで、タイガは神話の中で弟に付き従っていた伝説のポケモンの名を出したが、それにジェトは大層驚き、困惑した顔をして。髪と包帯に隠れていない左目を見開いた。
「…なんで…知ってるの…?…神話…?」
これだけイッシュ神話に近しい話だというのに、ジェトはその話を初めて聞いたような反応をする。
彼はタイガに近づき、震える細い手で彼の肩を掴んだ。今度はタイガの方が困惑する番だった。
「もしかして…キミも…ボクと…同じ時代を知る…蘇ったひと…なの?」
「……何だって?」
「ボクと…同じように…蘇生の儀式を…。」
「待って、ジェト。…彼はこの時代のポケモンよ。その言い方だと、あなたはこの時代のひとじゃないみたいだわ。」
タイガに詰め寄るジェトに、アンヌが声をかけると、彼は落胆した様子で俯く。薄々、気づいてはいたのか「そう、だよね…。」と彼は力無く、タイガの肩から手を離した。
塞ぎ込みそうになる彼の手をアンヌが握り締めると、彼の表情が少し和らいだ。
「……キミの言う通り……この時代は…ボクが王だった頃の時代と…たぶん…違う…。」
「えっ…?」
遽には信じられないことだったが、話を聞く限り、彼が古代に生きていたという方が辻褄は合う。しかしそれならばどうして現在も、この場に存在できているのかという疑問がさらに強くなる。
彼は“蘇った”という印象的な言葉を溢していたが。
「兄様との戦いでボクは…相討ちになって…右目を…毒矢で打たれ……死んだ筈だった。」
“兄弟はわかり合い、争いは終わった。”というのが一般的に知られている神話の流れだが。彼の話はアンヌ達の知っているイッシュ神話の内容とは少し違った。
…現代に伝わっている神話は完全に過去の出来事を表しているわけではないということかもしれない。長い時の中で、寓話的に脚色を加えられ、神話に史実とは違う部分が作られたとしてもおかしくはない。
「……けれど、ボクは…また目を…覚ました。…辺りには…沢山のミイラがいて……そこで…気づいた…。ボクの仲間が…ボクを蘇らせるために、死者蘇生の…儀式を施したんだって…。」
「あなたは一度死んで、蘇った…ということ?」
アンヌの言葉にジェトは弱々しく頷いた。
死んだものが蘇るなどあり得ない、と切り捨ててしまうのは簡単だ。けれどアンヌ自身も臨死体験した手前、彼の言葉を真っ向から否定することはできなかった。
ジェトは唇を噛みながら、わなわなと体を震わせた。その表情からは、やりきれない思いが感じ取れる。
「身を捧げて…ボクに命を与えてくれたみんなのために…戦わなきゃって…。だけど、……周りは砂で埋もれて…なにもなくて…この国は…ボクの知っている場所じゃ…なくなってた…。」
「…長い時が経っていたのね。」
「……うん……城の中を幾ら探しても…誰もいないんだ…みんなも…母様も…兄様も…どこにもいない……。」
彼の瞳が潤んで、止まったはずの涙が再び溢れ出す。頬を伝い零れ落ちる涙の粒は、ぽたぽたと乾いた地面を濡らした。アンヌは彼に寄り添い、背中を撫でた。ジェトは彼女に凭れ掛かり、その体に縋った。
「蘇ったって…ひとりじゃ…ボクはなにもできない……っ…誰もいない国で…滅んだ世界で何をすればいいの……?」
「ジェト…。」
「こんなことなら……ボクは…ずっと眠ったままでいたかった…。みんなと一緒に…永遠に…棺の中で…。」
昨日まで当たり前のように見ていた景色が、一変して廃墟と化した。それは国の為に、民のために戦い、大望を抱いていた彼にはあまりにも惨い仕打ちだった。…どんなに恐ろしく、心細かったことだろう。
「……泣いて…泣き疲れて……気付いたら…ボクは…ボクでなくなって……自分でも制御できない…怪物になっていた…。」
永遠に続く、終わりの見えない孤独と悲しみが、彼の感情を暴走させ、彼をあの棺桶の怪物へと変貌させたのかもしれない。
「…あなたはずっと、ひとりで戦っていたのね。」
柔らかなアンヌの声が彼の胸の蟠りを晴らしてくれた。ジェトはアンヌの胸元に頭を埋めて、嗚咽を漏らす。それは怪物でも王でもなく、どこにでもいるひとりのか弱い少年だった。
アンヌの温かな抱擁は、ジェトに母との記憶を思い起こさせた。幼き頃、兄と喧嘩をして泣いてた時にも、母は背を撫でながら、優しく抱き締めてくれた。
「…あたたかい…。」
懐かしい思い出が色鮮やかに頭の中で浮かび上がる。安らかな気持ちが、傷ついた彼の心を癒す。彼女の温もりを感じると、涙は益々溢れ出した。
ーー凍りついた孤独な心が、ゆっくりと溶けていくのを彼は感じていた。
一頻り泣いたジェトは腫れぼったくなった瞼を擦り、小さく息を吐いた。思いを吐露し、気持ちの整理が少しついたのか、随分と落ち着いたように見える。その手は未だ彼女の手をしっかりと握りしめていたが。…見知らぬひとびとに囲まれ、まだ少し怖いのだろう。アンヌは大丈夫よ、と囁きながら柔らかな笑みを浮かべた。
「…しかし、お前も無茶しやがる。自分から攻撃受けにいくなんてよ。」
ふたりの様子を静観していたグルートが煙草を片手に、ため息混じりの白煙を吐き出す。
彼が呆れるのも無理はない。暴走するジェトに向かっていくのは、自分の身を守る手段を持っていないアンヌにしてみればかなり危険な賭けだった。
「…意識を失っている時、夢のような世界にいて。そこで攻撃を受けた時、彼の本当の姿が見えたの。…だから、直接彼に触れればその心にも触れられるんじゃないかって。」
結果的には上手くいったが、それも確証があった訳ではない。殆ど彼女の直感からの行動だった。
その行動力は逞しくもあるが、周囲からすれば平静な気持ちでは見ていられない。
「そんな根拠のねぇ勘でやっちまうのがお前のすごいところだな。…そういう無茶はこれっきりにしてほしいもんだが。」
「心配かけてごめんなさい。…次は絶対やらないわ!約束する。」
いかにもキリッとした眼差しで宣言するアンヌだったが、その瞬間、グルートは次もあるな、と察した。マリーの時といい、彼女の場合考えるより先に、体が動いてしまっているのだからどうしようも無いのだろうが。彼女のお供になってしまった段階で、平穏は諦めるしかないなとグルートは今更のように悟った。