shot.8 なくしたもの
「本当に救いようのない馬鹿だね、君は。本気であれを救う気なのかい。…どこまで脳内お花畑なんだか。」
「タイガ…!あなたも来ていたのね。」
揃った足並みを意図的に乱すように、タイガが忌々しそうに言葉を吐き捨てる。
けれど、彼の悪辣な言葉にすっかり慣れてしまったアンヌは、彼が発した内容よりも、タイガがこの場にいることに関心が向いていた。思い留まるどころか、久々に会えて嬉しいと言わんばかりの彼女の脳天気な表情に、またひとつ、タイガの不快指数が上がった。
「…あんな生き物かどうかすらわからないものをどうしようっていうんだい。…どういう訳かは知らないけれど、君は運良く助かったんだ。さっさと逃げてしまえばいいじゃァないか。」
次に発したタイガの声は、少々荒っぽく、苛立っている感情が見えた。この後に及んでも甘い考えを抱いている彼女が、彼には理解できなかったのだ。
だが、アンヌはタイガの言葉に首を横に振り、真っ直ぐに彼を見つめた。冗談でも嘘でもない。その強い瞳の輝きに、彼は一瞬怖気付いた。
「いいえ、そういうわけにはいかないわ。」
「何故?」
「だって、彼、あんなに苦しんでいるんだもの。放ってはおけない。彼が何者であるかなんて関係ないわ。」
「……。」
「でも、心配してくれてありがとう、タイガ。」
「……あのさ、どうしてそう……はぁ。…本当に君っていうやつは、なんでも都合よく解釈するんだね。」
「あら、知らなかった?私って、我が儘なの。」
緊張感の欠片もなく、悪戯っ子のように微笑む彼女の表情を見ていると、タイガは無性に腹を立て、むきになっている自分の方が馬鹿なように思われて。挙句にはもういいや、とタイガの方が諦めてしまった。彼女に言い負かされても、不思議と悔しい気持ちすら湧いて来ない。呆れ返り、反論する口を閉じた。
彼女はタイガに見ていてと目配せをすると、棺桶の怪物に視線を戻す。彼を納得させるにはやはり行動で示すしかないだろう。
棺桶の怪物の黒い手が苦痛に耐えるように、石の床を掴む。彼が触れた部分は削り取られ、陥没していた。
「ウウウッ……タスケテ…タスケテ…アアア!」
初めて明確に助けを求めるような言葉が彼の口から溢れた。アンヌはそれを聞き逃さず、大きく頷く。
「…待っていて、今、あなたのところに行くわ。」
アンヌは大きく息を吸うと、助走をつけ、一気に駆け出す。その背にはソフィアの[追い風]の後押しがあった。彼女の生む風が、棺桶の怪物が撒き散らす石片を弾いてくれる。
「ウ、ァアア!!」
「きゃっ、」
「ーーさせるかよっ!」
棺桶の怪物が、紫色の球体をアンヌに向かって投げつける。すかさずグルートが[悪の波動]を放つ。すると、攻撃は宙で爆発し、相殺された。今まで躱すことしかできなかった棺桶の怪物の攻撃に、ポケモンの技が通用したのだ。ーーアンヌが解放されたことで棺桶の怪物の力も弱まっているのかもしれない。
「行け、アンヌ!」
力強いグルートの声にアンヌは奮い立つ。彼の呼びかけに押され、彼女は更に棺桶の怪物との距離を縮める。
「怖くないわ、誰もあなたを傷つけようだなんて思っていないの。」
「ア…アアア…。」
「そう、そう。偉い子ね。」
手を広げながら敵意がないことを表し、ゆっくりと一歩一歩、アンヌは彼へと近づく。
もう一度彼に手を差し伸べながら、彼女はとびきりの笑顔を見せた。
「ウワァアアア!!」
だが、差し伸べられた手など、暴走する彼には見えていない様子で。棺桶の怪物は黒い手を彼女の体に向かって伸ばす。明らかに彼女に攻撃を仕掛けようとしていた。
「アンヌ!」
「アンヌちゃん!」
「…!」
緊張が走る。このままでは彼女にダメージが加わるのは目に見えていた。しかしアンヌは仲間が動くよりも先に静かに手で制し、彼らをその場に留めた。
(まさか…あいつ。)
勘のいいグルートは察した。ーー彼女は棺桶の怪物の攻撃を敢えて、その身に受けようとしていることを。
あの禍々しい力をただの人間であるアンヌが受ければどうなるのか。…想像に難くない。
なのに彼女は立ち向かおうとしているのだ。一体、何の為に。
アンヌは大きな黒い両手に身体を拘束され、強い力で締め付けられている。彼女の表情が苦悶に歪む。
グルートは即座に[悪の波動]を発動しようと、手に力を込めた。もし今、あの怪物が弱体化しているのだとしたら、攻撃を当てることができるかもしれない。
「手を、…出さないで。」
どう見ても彼女は追い詰められている。…だが、アンヌはその彼への攻撃を望んではいなかった。
彼女の覇気に圧倒され、掌に溜めていた[悪の波動]のエネルギーがグルートから消えていく。
アンヌの意図はわからない。しかし、それが彼女の望みでは無いのなら、彼は歯を軋ませながら、引き下がるしかなかった。彼女を信じるんだ、と心に言い聞かせて。
ぎりぎりと締め付けられ、アンヌの体に重い痛みが走る。それと共に鮮やかな景色が彼女の脳裏に広がった。
あの暗い世界で見た少年の姿だ。今度ははっきりとその姿を捉えることができた。
彼は右目を髪で隠し、褐色の肌が際立つ金色の煌びやかな服を纏っている。
『誰か…この暗闇から…助けて。』
あどけなさが残る、少年の声。彼は小柄な身体を震わせ、泣きながらこちらに助けを求めている。
アンヌは確信を持った。彼は怪物などでは無い。意図的に誰かを傷つけようとしているのではなく、ただ、ひとりの孤独な少年が助けを求めて、踠いているだけなのだと。
「…あなたの痛み、受け止めたわ。ずっとひとりで、寂しかったのよね、怖かったのよね。」
「……!」
「でも、大丈夫。もうあなたはひとりじゃないわ。」
諭すような柔らかな声色でアンヌは言葉を紡ぐ。
ーーすると、彼女の体を締め付けていた黒い手の力が緩み、自由が効かなかった体が解放される。
彼女は彼の胴体らしき棺桶を、慰めるように撫でた後、両手で優しく包み込んだ。
「ア、アアア…!」
彼の咆哮が響く。それはまるで迷子が母に会えた時に上げる安堵の泣き声のようで。
彼が身に纏っていた邪悪な気が畝りながら、空間に氾濫する。堆積していた砂も舞い上がり、砂嵐のように視界を悪くする。それでもこの手だけは放さまいと、アンヌはさらに強く彼を抱きしめた。
グルート、ソフィア、タイガも石柱の影に隠れて、その吹き荒ぶ風と邪気から身を隠す。アンヌの姿も砂埃と闇に遮られ、捉えることが出来ない。
「私の声を聞いて…お願いっ!」
邪気の荒波に飲まれながら、アンヌは彼に届くように、瞼を閉じて精一杯の声で叫んだ。胸が張り裂けそうな激情だけが彼女の心を突き動かす。
ーー間もなく、彼女の声に反応するように、辺りに広がった闇が徐々に薄くなり、徐々に視界がクリアになっていく。
「…何だ?」
全てを食い尽くさんと暴れ回っていた邪気が突然鎮まり、グルートは目を細めながら、アンヌの方を注視する。
砂埃の向こう側に彼女の姿が見えた。その腕の中には棺桶の怪物ではなく、人の形をしている、小柄な褐色肌の少年がいた。
少年は縋るようにアンヌにしがみ付き、その腕の中で震えていた。
彼女は彼の背をぽんぽんと叩き、少しでも彼が和らげるよう励ました。
「私はアンヌ…。あなたのお名前は?」
「……ジェト…。」
「やっと答えてくれた、素敵なお名前ね。ジェト。」
ジェトと名乗った少年は目に涙を溜めながら、アンヌの体に顔を埋めた。その頭を髪を梳かすように穏やかな手つきで撫でながら、彼女は微笑む。
痛みを分かち合ったからこそ、彼女の体温はジェトの心に安らぎを与えた。
「タイガ…!あなたも来ていたのね。」
揃った足並みを意図的に乱すように、タイガが忌々しそうに言葉を吐き捨てる。
けれど、彼の悪辣な言葉にすっかり慣れてしまったアンヌは、彼が発した内容よりも、タイガがこの場にいることに関心が向いていた。思い留まるどころか、久々に会えて嬉しいと言わんばかりの彼女の脳天気な表情に、またひとつ、タイガの不快指数が上がった。
「…あんな生き物かどうかすらわからないものをどうしようっていうんだい。…どういう訳かは知らないけれど、君は運良く助かったんだ。さっさと逃げてしまえばいいじゃァないか。」
次に発したタイガの声は、少々荒っぽく、苛立っている感情が見えた。この後に及んでも甘い考えを抱いている彼女が、彼には理解できなかったのだ。
だが、アンヌはタイガの言葉に首を横に振り、真っ直ぐに彼を見つめた。冗談でも嘘でもない。その強い瞳の輝きに、彼は一瞬怖気付いた。
「いいえ、そういうわけにはいかないわ。」
「何故?」
「だって、彼、あんなに苦しんでいるんだもの。放ってはおけない。彼が何者であるかなんて関係ないわ。」
「……。」
「でも、心配してくれてありがとう、タイガ。」
「……あのさ、どうしてそう……はぁ。…本当に君っていうやつは、なんでも都合よく解釈するんだね。」
「あら、知らなかった?私って、我が儘なの。」
緊張感の欠片もなく、悪戯っ子のように微笑む彼女の表情を見ていると、タイガは無性に腹を立て、むきになっている自分の方が馬鹿なように思われて。挙句にはもういいや、とタイガの方が諦めてしまった。彼女に言い負かされても、不思議と悔しい気持ちすら湧いて来ない。呆れ返り、反論する口を閉じた。
彼女はタイガに見ていてと目配せをすると、棺桶の怪物に視線を戻す。彼を納得させるにはやはり行動で示すしかないだろう。
棺桶の怪物の黒い手が苦痛に耐えるように、石の床を掴む。彼が触れた部分は削り取られ、陥没していた。
「ウウウッ……タスケテ…タスケテ…アアア!」
初めて明確に助けを求めるような言葉が彼の口から溢れた。アンヌはそれを聞き逃さず、大きく頷く。
「…待っていて、今、あなたのところに行くわ。」
アンヌは大きく息を吸うと、助走をつけ、一気に駆け出す。その背にはソフィアの[追い風]の後押しがあった。彼女の生む風が、棺桶の怪物が撒き散らす石片を弾いてくれる。
「ウ、ァアア!!」
「きゃっ、」
「ーーさせるかよっ!」
棺桶の怪物が、紫色の球体をアンヌに向かって投げつける。すかさずグルートが[悪の波動]を放つ。すると、攻撃は宙で爆発し、相殺された。今まで躱すことしかできなかった棺桶の怪物の攻撃に、ポケモンの技が通用したのだ。ーーアンヌが解放されたことで棺桶の怪物の力も弱まっているのかもしれない。
「行け、アンヌ!」
力強いグルートの声にアンヌは奮い立つ。彼の呼びかけに押され、彼女は更に棺桶の怪物との距離を縮める。
「怖くないわ、誰もあなたを傷つけようだなんて思っていないの。」
「ア…アアア…。」
「そう、そう。偉い子ね。」
手を広げながら敵意がないことを表し、ゆっくりと一歩一歩、アンヌは彼へと近づく。
もう一度彼に手を差し伸べながら、彼女はとびきりの笑顔を見せた。
「ウワァアアア!!」
だが、差し伸べられた手など、暴走する彼には見えていない様子で。棺桶の怪物は黒い手を彼女の体に向かって伸ばす。明らかに彼女に攻撃を仕掛けようとしていた。
「アンヌ!」
「アンヌちゃん!」
「…!」
緊張が走る。このままでは彼女にダメージが加わるのは目に見えていた。しかしアンヌは仲間が動くよりも先に静かに手で制し、彼らをその場に留めた。
(まさか…あいつ。)
勘のいいグルートは察した。ーー彼女は棺桶の怪物の攻撃を敢えて、その身に受けようとしていることを。
あの禍々しい力をただの人間であるアンヌが受ければどうなるのか。…想像に難くない。
なのに彼女は立ち向かおうとしているのだ。一体、何の為に。
アンヌは大きな黒い両手に身体を拘束され、強い力で締め付けられている。彼女の表情が苦悶に歪む。
グルートは即座に[悪の波動]を発動しようと、手に力を込めた。もし今、あの怪物が弱体化しているのだとしたら、攻撃を当てることができるかもしれない。
「手を、…出さないで。」
どう見ても彼女は追い詰められている。…だが、アンヌはその彼への攻撃を望んではいなかった。
彼女の覇気に圧倒され、掌に溜めていた[悪の波動]のエネルギーがグルートから消えていく。
アンヌの意図はわからない。しかし、それが彼女の望みでは無いのなら、彼は歯を軋ませながら、引き下がるしかなかった。彼女を信じるんだ、と心に言い聞かせて。
ぎりぎりと締め付けられ、アンヌの体に重い痛みが走る。それと共に鮮やかな景色が彼女の脳裏に広がった。
あの暗い世界で見た少年の姿だ。今度ははっきりとその姿を捉えることができた。
彼は右目を髪で隠し、褐色の肌が際立つ金色の煌びやかな服を纏っている。
『誰か…この暗闇から…助けて。』
あどけなさが残る、少年の声。彼は小柄な身体を震わせ、泣きながらこちらに助けを求めている。
アンヌは確信を持った。彼は怪物などでは無い。意図的に誰かを傷つけようとしているのではなく、ただ、ひとりの孤独な少年が助けを求めて、踠いているだけなのだと。
「…あなたの痛み、受け止めたわ。ずっとひとりで、寂しかったのよね、怖かったのよね。」
「……!」
「でも、大丈夫。もうあなたはひとりじゃないわ。」
諭すような柔らかな声色でアンヌは言葉を紡ぐ。
ーーすると、彼女の体を締め付けていた黒い手の力が緩み、自由が効かなかった体が解放される。
彼女は彼の胴体らしき棺桶を、慰めるように撫でた後、両手で優しく包み込んだ。
「ア、アアア…!」
彼の咆哮が響く。それはまるで迷子が母に会えた時に上げる安堵の泣き声のようで。
彼が身に纏っていた邪悪な気が畝りながら、空間に氾濫する。堆積していた砂も舞い上がり、砂嵐のように視界を悪くする。それでもこの手だけは放さまいと、アンヌはさらに強く彼を抱きしめた。
グルート、ソフィア、タイガも石柱の影に隠れて、その吹き荒ぶ風と邪気から身を隠す。アンヌの姿も砂埃と闇に遮られ、捉えることが出来ない。
「私の声を聞いて…お願いっ!」
邪気の荒波に飲まれながら、アンヌは彼に届くように、瞼を閉じて精一杯の声で叫んだ。胸が張り裂けそうな激情だけが彼女の心を突き動かす。
ーー間もなく、彼女の声に反応するように、辺りに広がった闇が徐々に薄くなり、徐々に視界がクリアになっていく。
「…何だ?」
全てを食い尽くさんと暴れ回っていた邪気が突然鎮まり、グルートは目を細めながら、アンヌの方を注視する。
砂埃の向こう側に彼女の姿が見えた。その腕の中には棺桶の怪物ではなく、人の形をしている、小柄な褐色肌の少年がいた。
少年は縋るようにアンヌにしがみ付き、その腕の中で震えていた。
彼女は彼の背をぽんぽんと叩き、少しでも彼が和らげるよう励ました。
「私はアンヌ…。あなたのお名前は?」
「……ジェト…。」
「やっと答えてくれた、素敵なお名前ね。ジェト。」
ジェトと名乗った少年は目に涙を溜めながら、アンヌの体に顔を埋めた。その頭を髪を梳かすように穏やかな手つきで撫でながら、彼女は微笑む。
痛みを分かち合ったからこそ、彼女の体温はジェトの心に安らぎを与えた。