shot.8 なくしたもの

 ジャン、と軽快な音色が響いた後、冷たい空気が漂う。それは瞬く間に強い冷気に変わり、レックスとブレイヴの足元が凍りついた。
 ソフィアの溢した涙も結晶のように固まり、きらきらと反射しながら地面に落ちる。

「うううぁ!」
「ぐああっ!」

 発動しようとしていた[逆鱗]は中断され、ふたりは悶えながら膝をつく。
 ドラゴンタイプのふたりに効果がある技で凍りついた足場、というところから、それが氷タイプの技だと気づくのにそう時間は掛からなかった。

 びゅうびゅうと吹き荒ぶ、冷気を纏いながら、彼は技に似合った涼しい顔をしていた。

「本当に、君達は面倒事ばかり起こしてくれるね。」
「お前は…!」

 気怠そうにギターを肩から下げ、指で弦を操る彼の姿はグルートにも見覚えがあった。スカイアローブリッジでは“随分世話になった”華奢な青年、という印象だ。彼の名前を考えたアンヌが自慢げにしていたことは記憶に新しい。


「タイガ…だったか。」
「その名前、認めたわけじゃないんだけど。…まあいいや。」
「何でお前がここにいるんだ。…確か、ヒウンのポケセンに入院してたはずだろ。」
「その質問は聞き飽きたよ。…それより、君達にとっては彼らを元に戻すことのほうが先決なんじゃァないの?」

 タイガはレックスとブレイヴの方にちらりと視線を向ける。彼の放った[凍える風]によって一時的に足止めされていたが、冷気が止み、ふたりは攻撃を遮ったタイガに標的を変える。

「ぐ…ぐああァ!」
「君達は“ミイラ”になっても五月蝿いなァ。鬱陶しいから、ちょっと黙っててよ。」

 するとタイガはギターのストラップを肩から下げ、ギターを上下逆さにすると、ネックの辺りを握り締める。ボディ部分に冷気が集まり、ピキピキと音を立てながら、周辺が凍りついていく。
 飛び掛かってきたレックスとブレイヴの頭に、彼は凍ったギターのボディを容赦無く叩き付けた。
 その[冷凍パンチ]をまともに受け、ふたりの体は全身が氷で覆われ、凍りついてしまった。

「死にはしないよ、たぶんね。あはは。」

 日頃の募った鬱憤を感じさせるような、躊躇のないタイガの攻撃にグルートは呆気に取られた。
 乾いた笑いを浮かべながら、彼はギターを肩に掛け直す。


「……おい、ミイラになったってのは、どういう意味だ?」

 何気なくタイガの口から漏れた言葉にグルートは引っ掛かりを感じ、彼に問いかけた。何か事情を知っているような口振りだ。
 彼はゆっくりとグルートに向き直り、へぇ、と驚くでも感嘆するでもなく、平坦な調子で声を漏らした。

「驚かないところから察するに、君達も彼らに遭遇したみたいだね。」
「ああ。」
「…端的に言うと、僕は彼らと共にミイラに捕まったんだ。それで僕達は儀式のようなものを受けた。」
「儀式?」
「多分、催眠術の類いを使って、僕らを同類にしようとする儀式だと思う。一種の洗脳さ。」
「…何の為にそんなことをしてやがるんだ。」
「さあね、目的までは僕にもわからないよ。」

 俄かには信じ難いことではあったが、人間でもポケモンでもないものに出会ってしまったことは事実で、タイガの話を妄言だと切り捨てるまでの根拠もなかった。むしろ、レックスとブレイヴの狂気を纏った様を目の当たりにすると、彼の話も信憑性を帯びてくる。
 ーーと、そこで、グルートにはある疑問が浮かんだ。


「…待て、なら何でお前は正気なんだ。」

 グルートは構え、やや警戒した様子でタイガを睨んだ。

 タイガはおかしくなったふたりと同じ儀式を受けたと話していた。しかし彼は至って平常で、我を忘れることなく、こうして会話も成り立っている。
 グルートの疑問にタイガは顎に手を当てながら、少し考えた後、徐に口を開く。

「幸か不幸か。僕は体調を崩して、気を失っていたからかもしれない。目を覚ましたのも、儀式の途中からだったし。……これは僕の憶測だけれど、ミイラ達は僕たちの命を欲する様に追いかけてきた。彼らは生者のエネルギーを吸収して、力を生み出しているんじゃないかと思う。」
「何?」
「だとしたら…操られる側にも少なからずエネルギーが必要な筈。ほら[身代わり]だって一定の体力がないと使えないのと同じさ。」
「…お前には吸収できるほどの体力がなかったから、操られずに済んだ、ってことか。」
「そういうこと。対して操られた彼らには馬鹿みたいに体力があるからね、っていうか馬鹿だけど。」
「…まあ、異論はねぇな。」

 彼らの無尽蔵な体力には思い当たる節しか無い。タイガの仮説が合っているとすれば、確かに操るにはうってつけの相手だ。
 


「ふたりを元に戻す方法はないの?」

 会話を聞いていたソフィアが、性急そうにタイガに詰め寄る。初対面にも拘らず、物怖じせず、顔を近づけてくる彼女にタイガは控えめに目を見張った。

「技を使った相手を倒して技が解けるなら、助けられる可能性はあるかもしれないけど。如何せん、ミイラには攻撃が通じないみたいだしねぇ。」
「そんな……。」
「とにかく、ここを抜け出さねぇと話にならねぇ。…だが、どうやってーー、」

 言葉を続けながら、宙に視線を泳がしていると、ふと異様なものがグルートの目についた。


 変わらない景色に、同じ場所を周回しているような気持ちになっていたが、今、彼の目には見たこともないような大きな石の扉が映っていた。
 扉の前には台座が四つあり、同じ数の壺が並んでいる。


「…どういうことだ?…さっきはあんなの無かったぜ。」
「古代の城は盗掘を防ぐために様々な仕掛けが施されている…。同類の仲間だけが、王の間に入ることを許されるようにできていたって、おかしくはないさ。」
「同類だと?」
「君の様子を見ていて確信が持てた。…さっき特性が効かなかっただろう。僕らは既に“ミイラになっている”のさ。」

 タイガの言葉で、グルートは僅かに引っ掛かりを覚えていた事が思い起こされ、目を見開いた。

「そういえば…あいつらに[しっぺ返し]を叩き込んだ後、[貰い火]が効かなくなった…。」
「ミイラになった者に触れると、触れた者は特性を失い、ミイラになる……ミイラ取りがミイラになる、みたいにね。」

 口振りからして、彼と同じようにタイガもまた自らの特性を失った状態なのだろう。
 力の一部を失ってしまったが、それでもグルートにとって、それは大した問題ではなかった。

「…上等じゃねぇか。これで先に進めるなら特性の一つや二つ、くれてやるぜ。」


 グルートは拳を固く握り締め、覚悟を露わにする。
 特性を代償にして開かれる道、その先に今までとは比べものにならないプレッシャーを感じた。


「ソフィア、お前はここで待ってろ。後は俺がなんとかする。」

 戦いに慣れていない彼女をこれ以上、危険に晒すのは厳しいと判断したグルートは、彼女の肩を掴み、強い口調で言い放つ。彼なりに彼女の為を思ってのことだった。
 ソフィアは俯き、頷くような素振りを見せ、グルートは安堵する。


「…グルートさん、ごめん!」
「あ?」

 ーーが、突然、ソフィアは身を乗り出し、グルートに対し[突進]する。不意を突かれた彼は少し、蹌踉めく。グルートは彼女の体を受け止めながら、眉間に皺を寄せた。

「どういうつもりだ?俺に攻撃すればお前も…。」
「これで、私も行けるよね。…役に立てないのはわかってる。だけど、待ってるだけなんて嫌だよ。」
「……。」
「アンヌちゃんも、お兄ちゃんもブレイヴくんも私は助けたい。…だから、お願い。私も連れて行って!」

 ソフィアの決心はグルートが入り込む余地の無い程、固かった。彼でさえも一瞬気圧されてしまったくらいだ。
 説得の言葉を繰り返そうとしかけて、彼は口を閉ざす。視覚を失っているはずの彼女に、じっと見つめられているような強い覇気を感じたからだ。


「…やれやれ、困ったガキだぜ。」

 ふっ、と小さくグルートは笑んだ。言っても聞かないのは目に見えていた。
 彼の返事を聞いて、ソフィアも満足そうに微笑む。
 お守りにも随分、慣れてきたようだ。
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