shot.1 令嬢誘拐

 マッセルとタオフェが侵入者と交戦を始めてから数十分が過ぎた頃、リヒトはシュトラールに加えて応援を要請し、駆け付けた数人規模の小隊と共に二人が戦っている東庭園へと向かっていた。
 目的地へと近づくほどに波動の乱れが顕著になる。それはリヒトを含めたこの場にいるルカリオたち全員が察しており、重苦しい雰囲気が漂い始める。

「リヒト隊長。……敵は本当に一人なのですか?」

 不安の混じった声をあげる者が現れるのも無理はなかった。この屋敷の警備は厳重であり、堂々と屋敷の中まで入ってきた侵入者などシャルロワ家の歴史を見ても前代未聞のことだったからだ。その上それが一人での犯行というのだから、皆、情報を疑わずにはいられなかった。

「報告ではそうなっていますが、……他に共謀者がいてもおかしくはありません。皆さん、気を引き締めてかかるように。」

 実際のところ、リヒト自身も未だ半信半疑だった。だが、皆を先導する隊長として動揺や迷いを周囲に見せるわけにはいかず、努めて平静を装っていた。

◇◆◇◆◇


 シャルロワ家の庭園は客人から絵画のようだと称されるほど美しい庭だった。いつもなら草花の間から虫ポケモンの優美な囁きが聞こえてくるというのに、今はひとつの音も聞こえない。まるでその場所だけ抉られ、時が止まってしまったかのようだ。

「……こ、これは……。」

 鮮やかに咲き誇っていた花は土に埋もれるように横たわり、入念に手入れをされていた生垣も一帯が焼け落ちていた。それはリヒトも立場を忘れ、絶句してしまうような無惨な光景で。当然、隊長であるリヒトすら冷静さを失ってしまうのだから、部下たちの動揺は更に大きいものだった。

「い、一体何があったんだっ!?」
「侵入者の仕業なのかっ!?」

 囁き声は徐々にボリュームを上げ、周囲にはざわざわと不安の色が広がっていく。その部下たちの声が耳に入り、漸くリヒトも我に返って、自身の立場を思い出す。

「皆さん、落ち着いてください。…僕が先行して様子を見てきます。」
「隊長、微力ながら、私も援護致します。」
「……ありがとうございます。」

 協力を申し出たのはシュトラールだった。他の部下とは違い、目に見えるような動揺は見せておらず、代わりに眉間にくっきりとした溝を作っていた。動揺というよりは、怒りという感じが強い。顔を顰めながら彼女は怜悧な眼差しを他の者に向けた。

「貴様ら、恥ずかしくないのかっ!我々はシャルロワ家をお守りする警備隊!侵入者ごとき、恐れていてどうするのだっ!」
「そ…それは。」

 シュトラールの覇気にリヒトも気圧されそうになる。だが、シャルロワ家への思いは彼女と同じで、気持ちはリヒトにも痛い程わかった。
 激を飛ばされた小隊は互いに顔を見合わせ、言い返す言葉もなく肩を竦めた。その情けない姿にシュトラールは更に怒号を飛ばしそうになったが、リヒトに制され、仕方なく口を噤んだ。
 悔しげに唇を噛むシュトラールを励ますように頷き、一人、歩みを進める。その後ろをシュトラールがついて歩き、それから少し離れ、へっぴり腰の小隊がゆっくりとついてくる。


 庭園が破壊されたという以外でリヒトが異変を感じたのは、それからすぐのことだった。
 微弱だが、こちらに向けて放たれる波動のエネルギー。差すような敵意はなく、それはリヒトに呼びかけるような感じで――。

「たい、ちょう……!」
「!」

 抉れた地面を掴み、絞り出すように声を出す彼は、変わり果てた様でリヒトの眼前に姿を見せる。それはリヒトも信頼を置く部下の一人、マッセルだった。全身を傷だらけにし、火傷を負った彼は今にも絶えそうな弱々しい呼吸をし、救いを求めるように隊長のリヒトを見ていた。
 リヒトは直ぐ様マッセルに近づき、「癒しの波動」を彼に向けて発した。それで、少し楽になったのか、マッセルは呻きながらも、小さく口を開く。

「申し訳ありません……隊長。俺は、侵入者を食い止めることが、出来なかった……。」
「謝る必要はありません。後は僕達に任せて、ゆっくり休んでください。」
「……隊長。」

 シャルロワ家の為に身を賭して戦った勇猛な戦士をリヒトは責める気にはなれなかった。……だからこそ、敗北したマッセルの悔しさは増した。部下思いの心優しい隊長に良い結果を報告することが出来なかった、己の弱さに。

「……侵入者はやはり、報告通り、一体でした。しかし、俺とタオフェ、二人がかりでも倒すことができなかった。……正直、油断していました。」
「ホント冗談抜き、マジで強いっすよ~……。」

 シュトラールに肩を借りながら、近くにいたタオフェが口を開く。マッセル程の怪我は負っていなかったが、普段はハイテンションなタオフェらしくなく、その顔には暗い疲労の色が見えた。

「お屋敷に乗り込んでくるぐらいだし、よっぽど、そのメガストーン?とかいうのが欲しいんでしょーね。物欲ぱな~いっ!」
「メガストーン?」
「……はい。侵入者はそれが目当てでシャルロワ家の邸宅に侵入したようです。盗まれたから取り返しに来たとも言っていましたが。……隊長、心当たりが?」
「……いえ。ただ、カロス地方に遠征に行った際、聞いたことがあります。この世にはある一部のポケモンの能力を高めることのできる石、メガストーンがあると。最も、言い伝えを聞いただけで、現物は見たことがないのですが……。」

 リヒトはマッセルの話を聞きながら口許に手を当て、考えるような仕草をする。長くシャルロワ家に仕えているが、屋敷内でメガストーンの話を聞いたことは一度もなかった。しかし、シャルロワ家はイッシュ屈指の財閥。特に宝石や珍しい物が好きな主、レンブラントが所持していてもおかしくはない。…盗まれたというのは、少し気になるところだが、屋敷に不法侵入してくるような輩の言葉ということもあり、信憑性に欠けるため、気には止めなかった。

「とにかく、敵の狙いは旦那様のコレクションである可能性が高いということですね。」
「……しかし、隊長。妙なことがひとつ。」
「妙?」
「ええ、旦那様のコレクションルームがあるのは東棟の方。ですが、奴の波動は南下して西棟の方へ向かっているのです。」
「何っ……!」

 他のルカリオ達も気づかないほど微々たる波動だが、マッセルには確かに侵入者の力を感じていた。その能力にはリヒトも信を置いていたので、驚かざるを得なかった。

「えっ、なになに?西棟になんかありましたっけ?」
「馬鹿者!西棟にはお嬢様のお部屋があるだろうが!」
「えっ、え~!?な、なんでぇ、侵入者の狙いは旦那様のコレクションなんでしょ?反対でありますよっ!」

 困惑するタオフェを叱責するシュトラールだったが、彼女らも状況が読み込めていないようで、皆、一同にリヒトを見る。
 だが、アンヌと親しいリヒトはひとつ思い当たる節があり、はっと口を開いた。

「……まさか。」

 ある時、『お父様がくださったのよ!』嬉々とした声で、この上無いぐらい幸せに笑んでいたアンヌを見たことがあった。その胸元には、赤いストーンが嵌め込まれた美しいペンダントがあった。それから肌身離さず、いつもアンヌはそのペンダントを身につけ、大切にしていた。

(もし、あの装飾品がメガストーンだとしたら……!)

 考える間もなく、導き出された答えにリヒトの血の気が引いていく。アンヌの部屋の前には警備員がいるはずだが、マッセルとタオフェが二人がかりでもかなわなかった相手だ。並大抵の警備員で守りきれるとは到底思えなかった。


「お嬢様が…危ないっ!」


 ただならぬリヒトの様子に部下達が響めく。しかし、それを宥める冷静さは今のリヒトにはなかった。
 脳裏に残る、赤く腫れたアンヌの瞼。心細そうにすがるアンヌを振り払い、シャルロワ家を守るため、断腸の思いで出撃したというのに、皮肉なことにそれはアンヌを更なる危機に曝すこととなってしまったのだ。
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