shot.8 なくしたもの
ソフィアは、グルートの肩に埋めていた顔をはっと上げ、探し物をするように辺りに意識を向けた。
(今、お兄ちゃんたちの声が聞こえたような…。)
案の定、ソフィアが思い当たる彼らの気配は近くにはなかったが。単なる空耳だったのだろうか。
胸騒ぎを感じながら、しかしそれよりも背後に迫る禍々しい存在が、これ以上、気を逸らすことを許さなかった。
ソフィアに無用な不安を与えないためにグルートは明言を避けたが、その纏っている邪悪な気配から、何かに追いかけられているのだということはソフィアも気づき始めていた。
「グルートさん。誰かいるの?」
「さすがに気づいちまったか。」
「わかるよ。気配が私達の後ろをついて離れないし……何よりこの邪気、普通じゃないもん。」
「ああ、普通じゃねぇな。……さすがの俺もミイラに追いかけられる日が来るとは思ってもみなかったぜ。」
「…ミイラ?」
そこまで彼女が気づいているのなら誤魔化してもかえって不安にさせるだけ。少し躊躇しながらもグルートはその邪気の正体をありのまま、彼女に告げた。
けれど予想に反してソフィアはあまり驚かず、むしろどこか納得した様子で頷いた。
「そっか、だから実体が感じられないんだね。肉体があるようでなくて、魂だけがそこにあるっていうか…。」
「…案外冷静だな。てっきりひっくり返る程喚くか、否定すると思ってたんだが。」
「きっと恐ろしい姿をしてるんだろうけど、私にはミイラがどんな姿形してるのかわからないから。そういうときはお得でしょう?」
「成る程な。」
見かけの華奢な雰囲気からはあまり想像できないが、彼女は時折物に動じない強い部分を感じさせる。
ふっ、とグルートの口元が緩んだ。思い切りの良さ、それは少しアンヌに似ていて、彼に彼女のことを思い起こさせた。
「確かにこれが全部ポリ公だと思ったら、大したことねぇな。」
「それ、お兄ちゃんが言ってるみたい。」
「……あいつと一緒にされんのは御免だぜ。」
露骨にトーンダウンしたグルートの声にソフィアはふふっ、と小さく笑んだ。レックスならヒウン建設で伝説になっているグルートと並べて、喜んでいるところだろうが。
グルートがアンヌを案じているように彼女もまた自身の兄のことを思い浮かべていたようだ。レックスのことは信じているが、不安な気持ちがないわけではないのだろう。無意識に、グルートの肩を掴んでいた手に力が籠もっていた。
グルートは横目で彼女を一瞥し、担いでいる彼女の背をぽん、と軽く叩く。ソフィアは驚いた様子で口を開いたが、すぐにそれが彼なりの気遣いなのだと気づいて、ふっと頬を緩めた。
「ソフィア、アンヌの気配がどっちにあるかわかるか?」
「…ええと……、他の気に遮られて、はっきりとはわからないけど…下の方…たぶん広い地下があるのかな。」
「なら、話は早ぇ。いい加減、鬼ごっこにも飽きてきた頃だしな。」
「…?」
そう言うと、グルートは突如足を止め、その場に立ち止まった。ソフィアは彼の意図が汲めず、不可解そうに首を傾げる。
「このまま逃げ回っても馬鹿みてぇに体力を消耗するだけだ。いずれ、あいつらにも追いつかれる。ーーなら。」
振り向くと眼前にはミイラの軍勢が迫っていた。彼はそれを見、不敵に笑みを浮かべる。ピンチの中にあればあるほど、彼の眼光は鋭く輝きを増す。
拳を作ったグルートの右手に力が込められる。大きな力はそれを軸に集約していく。ミイラの手がこちらに伸びて、というところで、彼は床に向かってその拳を叩きつけた。
その[怪力]の技によって、石造りの床に亀裂が走り、それは瞬く間に木の枝のように広がる。パキパキと地面が割れる音がした。
「しっかり捕まっとけよ。」
間も無く足場が崩れ、辺りに粉塵が舞い上がる。安定していた足元が無くなり、ふたりは底が見えない奈落へと飛び込んでいく。遮るものがない空中ではそのまま重力に引き寄せられ、急降下する。
地面までの距離はさほど無く、グルートは地面に叩きつけられることを覚悟していた。彼らしい荒技である。
「ここは私に任せて。」
だが、それを思いも寄らずソフィアが止めた。着地する為には多少の怪我は致し方ないことだとはいえ、それを彼女に任せるのはあまりにも酷だ。
「あ?こんな時に冗談ーー」
「大丈夫、私だってポケモンなんだよ。それっ!」
すると、ソフィアの声に合わせて足元から風が吹き付け、ふたりの体が宙に浮かんだまま滞留した。
力技での着地ばかり考えていたグルートは、彼女の力に最初驚いたが、よくよく考えれば彼女はチルット、飛行タイプのポケモンなのだ。故に風を操り、空を飛ぶことなど彼女にとっては造作もないことだった。
ゆらりゆらりと穏やかな風に揺られながら、ゆっくりと地面に足を着ける。
幸い、上からミイラ達が追ってきている様子もなく、無事に逃げ切れたようだった。
「お前のこと甘くみすぎてたな。助かったぜ。」
「ふふっ、どういたしまして。」
「けど、それならミイラから逃げる時に使って欲しかったモンだが。」
「だってグルートさん、ミイラに追われてるって教えてくれなかったじゃない。そんなことになってるなんて、わからなかったもん。」
グルートは罰が悪そうに視線を逸らし、頭を掻いた。彼女への気遣いが逆に事態を面倒にしてしまったらしい。一方でソフィアは妙に勝ち誇ったような嬉しそうな顔をしている。彼女は強い女だと、グルートは確信した。
◇◆◇◆◇
辺りには砂に埋もれた、無数の石柱が並んでいた。地下に広がる神殿といったところか。今までとは明らかに違う、厳かな雰囲気が漂っている。
一呼吸置いて、ソフィアは神妙な面持ちで呟く。
「近くからアンヌちゃんの気配を微弱に感じる…けど、重くて冷たい気配も強くなってる……気をつけて。」
足を進め、部屋を通り抜けると、次の部屋も同じように石柱が何本か立ち並んでいた。その先の部屋も、またその先の部屋も同じように。まるで同じ場所を周っているだけのような気がして、一歩も前に進んでいないような感覚に囚われる。
「こっちであってんのか?」
「うん、間違いないはず…だけど。」
ソフィアの感じるアンヌとの距離は確実に近くなっているようだが、幾ら次の部屋に進んでも同じような石柱があるばかりだった。
妙だ、とグルートは直感的に思った。……既に自分たちは“誰か”の術中に嵌まっているのではないかという疑念が沸く。
ソフィアが唐突に足を止めた。彼女の後ろを歩いていたグルートも一足遅れて、その場に留まる。彼女ははっと顔を上げ、驚きを抑えられない様子で振り返った。
「お兄ちゃん!?」
「あ?」
が、嬉々として口を開いたソフィアが意識を向けていたのはグルートではなかった。たった今通り過ぎた部屋の方に向かって、声を投げかけた。彼女がお兄ちゃんと呼ぶ相手などひとりしかいない。
その言葉通り、砂を踏み締める足音が聞こえて、暗がりの向こうから見慣れた彼の姿が現れた。
(今、お兄ちゃんたちの声が聞こえたような…。)
案の定、ソフィアが思い当たる彼らの気配は近くにはなかったが。単なる空耳だったのだろうか。
胸騒ぎを感じながら、しかしそれよりも背後に迫る禍々しい存在が、これ以上、気を逸らすことを許さなかった。
ソフィアに無用な不安を与えないためにグルートは明言を避けたが、その纏っている邪悪な気配から、何かに追いかけられているのだということはソフィアも気づき始めていた。
「グルートさん。誰かいるの?」
「さすがに気づいちまったか。」
「わかるよ。気配が私達の後ろをついて離れないし……何よりこの邪気、普通じゃないもん。」
「ああ、普通じゃねぇな。……さすがの俺もミイラに追いかけられる日が来るとは思ってもみなかったぜ。」
「…ミイラ?」
そこまで彼女が気づいているのなら誤魔化してもかえって不安にさせるだけ。少し躊躇しながらもグルートはその邪気の正体をありのまま、彼女に告げた。
けれど予想に反してソフィアはあまり驚かず、むしろどこか納得した様子で頷いた。
「そっか、だから実体が感じられないんだね。肉体があるようでなくて、魂だけがそこにあるっていうか…。」
「…案外冷静だな。てっきりひっくり返る程喚くか、否定すると思ってたんだが。」
「きっと恐ろしい姿をしてるんだろうけど、私にはミイラがどんな姿形してるのかわからないから。そういうときはお得でしょう?」
「成る程な。」
見かけの華奢な雰囲気からはあまり想像できないが、彼女は時折物に動じない強い部分を感じさせる。
ふっ、とグルートの口元が緩んだ。思い切りの良さ、それは少しアンヌに似ていて、彼に彼女のことを思い起こさせた。
「確かにこれが全部ポリ公だと思ったら、大したことねぇな。」
「それ、お兄ちゃんが言ってるみたい。」
「……あいつと一緒にされんのは御免だぜ。」
露骨にトーンダウンしたグルートの声にソフィアはふふっ、と小さく笑んだ。レックスならヒウン建設で伝説になっているグルートと並べて、喜んでいるところだろうが。
グルートがアンヌを案じているように彼女もまた自身の兄のことを思い浮かべていたようだ。レックスのことは信じているが、不安な気持ちがないわけではないのだろう。無意識に、グルートの肩を掴んでいた手に力が籠もっていた。
グルートは横目で彼女を一瞥し、担いでいる彼女の背をぽん、と軽く叩く。ソフィアは驚いた様子で口を開いたが、すぐにそれが彼なりの気遣いなのだと気づいて、ふっと頬を緩めた。
「ソフィア、アンヌの気配がどっちにあるかわかるか?」
「…ええと……、他の気に遮られて、はっきりとはわからないけど…下の方…たぶん広い地下があるのかな。」
「なら、話は早ぇ。いい加減、鬼ごっこにも飽きてきた頃だしな。」
「…?」
そう言うと、グルートは突如足を止め、その場に立ち止まった。ソフィアは彼の意図が汲めず、不可解そうに首を傾げる。
「このまま逃げ回っても馬鹿みてぇに体力を消耗するだけだ。いずれ、あいつらにも追いつかれる。ーーなら。」
振り向くと眼前にはミイラの軍勢が迫っていた。彼はそれを見、不敵に笑みを浮かべる。ピンチの中にあればあるほど、彼の眼光は鋭く輝きを増す。
拳を作ったグルートの右手に力が込められる。大きな力はそれを軸に集約していく。ミイラの手がこちらに伸びて、というところで、彼は床に向かってその拳を叩きつけた。
その[怪力]の技によって、石造りの床に亀裂が走り、それは瞬く間に木の枝のように広がる。パキパキと地面が割れる音がした。
「しっかり捕まっとけよ。」
間も無く足場が崩れ、辺りに粉塵が舞い上がる。安定していた足元が無くなり、ふたりは底が見えない奈落へと飛び込んでいく。遮るものがない空中ではそのまま重力に引き寄せられ、急降下する。
地面までの距離はさほど無く、グルートは地面に叩きつけられることを覚悟していた。彼らしい荒技である。
「ここは私に任せて。」
だが、それを思いも寄らずソフィアが止めた。着地する為には多少の怪我は致し方ないことだとはいえ、それを彼女に任せるのはあまりにも酷だ。
「あ?こんな時に冗談ーー」
「大丈夫、私だってポケモンなんだよ。それっ!」
すると、ソフィアの声に合わせて足元から風が吹き付け、ふたりの体が宙に浮かんだまま滞留した。
力技での着地ばかり考えていたグルートは、彼女の力に最初驚いたが、よくよく考えれば彼女はチルット、飛行タイプのポケモンなのだ。故に風を操り、空を飛ぶことなど彼女にとっては造作もないことだった。
ゆらりゆらりと穏やかな風に揺られながら、ゆっくりと地面に足を着ける。
幸い、上からミイラ達が追ってきている様子もなく、無事に逃げ切れたようだった。
「お前のこと甘くみすぎてたな。助かったぜ。」
「ふふっ、どういたしまして。」
「けど、それならミイラから逃げる時に使って欲しかったモンだが。」
「だってグルートさん、ミイラに追われてるって教えてくれなかったじゃない。そんなことになってるなんて、わからなかったもん。」
グルートは罰が悪そうに視線を逸らし、頭を掻いた。彼女への気遣いが逆に事態を面倒にしてしまったらしい。一方でソフィアは妙に勝ち誇ったような嬉しそうな顔をしている。彼女は強い女だと、グルートは確信した。
辺りには砂に埋もれた、無数の石柱が並んでいた。地下に広がる神殿といったところか。今までとは明らかに違う、厳かな雰囲気が漂っている。
一呼吸置いて、ソフィアは神妙な面持ちで呟く。
「近くからアンヌちゃんの気配を微弱に感じる…けど、重くて冷たい気配も強くなってる……気をつけて。」
足を進め、部屋を通り抜けると、次の部屋も同じように石柱が何本か立ち並んでいた。その先の部屋も、またその先の部屋も同じように。まるで同じ場所を周っているだけのような気がして、一歩も前に進んでいないような感覚に囚われる。
「こっちであってんのか?」
「うん、間違いないはず…だけど。」
ソフィアの感じるアンヌとの距離は確実に近くなっているようだが、幾ら次の部屋に進んでも同じような石柱があるばかりだった。
妙だ、とグルートは直感的に思った。……既に自分たちは“誰か”の術中に嵌まっているのではないかという疑念が沸く。
ソフィアが唐突に足を止めた。彼女の後ろを歩いていたグルートも一足遅れて、その場に留まる。彼女ははっと顔を上げ、驚きを抑えられない様子で振り返った。
「お兄ちゃん!?」
「あ?」
が、嬉々として口を開いたソフィアが意識を向けていたのはグルートではなかった。たった今通り過ぎた部屋の方に向かって、声を投げかけた。彼女がお兄ちゃんと呼ぶ相手などひとりしかいない。
その言葉通り、砂を踏み締める足音が聞こえて、暗がりの向こうから見慣れた彼の姿が現れた。