shot.8 なくしたもの

 ソフィアがアンヌの気配を探り、グルートがその手に火を灯しながら彼女を守るように一歩前を歩く。代わり映えのない景色が続き、同じ場所を周回しているような感覚になる。けれど、ソフィアが言うには確実にアンヌとの距離は近くなっているらしい。今は逸る気持ちを抑え、着実に進むしかなかった。
 眉間に力が入る。丁度、辺りを照らす為、手元に小さな火があったのをいいことに、グルートは煙草を口に銜えた。

「…大丈夫、アンヌちゃんは必ず見つかるよ。」

 グルートの心を察したのか、黙々と歩いていたソフィアが、彼を励ますような言葉をかける。グルートのやや性急な足音や、心拍数の変化を聴き取り、彼女は彼の気持ちを感じ取っていたのだ。
 図星を突かれ、グルートは苦笑した。こちらの表情が見えない彼女にも見透かされてしまっているのだから、今の自分は余程険しい顔をしているに違いない。

 ああ、と返事をしながら、彼は自分を戒めた。冷静さを欠いては見つかるものも見つからなくなってしまうだろう。


「私も頑張るから…もう、少し……。」

 仕切り直しだと再び歩み出そうとした時、グルートの背後から、ドンと落ちるような物音が聞こえた。ソフィアの声も弱々しく途切れ、違和感を覚えたグルートは振り返る。

「…!!おい、どうした!」

 彼は銜えていた煙草を落とし、目を見張ることになった。ソフィアがその場に崩れ落ちるように倒れていたのだ。グルートは駆け寄り、彼女を抱き起こす。絶え絶えの息を漏らしながら、髪が濡れるほどの汗を流し、真っ青な顔をしていた。

 そういえばここに来る前、ヒウン建設でアンヌの居場所を探知してもらった時も、同じ様に彼女は酷く辛そうな顔をしていたことをグルートは思い出す。レックスが制止するぐらいなのだから、精神的にも肉体的にも負担がかかる作業なのだろう。

「…少し休んだ方がいいな。」
「……うん。ごめんね、グルートさん。」
「いや、ずっと力を使ってたんだ。無理ねぇよ。」

 一刻も早くアンヌを見つけ出したいという気持ちが彼女に無理をさせてしまったのかもしれない。彼女の身に万が一のことがあれば、アンヌも悲しむに違いない。ここは彼女の体調に配慮し、大事を取って足を止めることにした。


 ソフィアの体を壁に凭れかからせると、グルートは持っていたおいしい水のペットボトルを取り出し、彼女の前に差し出した。彼女は礼を言い、彼から受け取ると、控えめに口を付けた。


「グルートさんって…優しいんだね。アンヌちゃんが言ってた通りのひとだ。」
「あ?…別に普通だろ。」
「ふふっ。」

 ふぅ、と一息ついた彼女の表情は柔らかくなった。水を飲んで少し落ち着き、彼女の張り詰めていた気持ちも和らいだようだ。

 グルートからしてみれば、当たり前の行動をしているまでだった。褒められ慣れていない彼は気恥ずかしさからか、ぶっきらぼうに返す。その反応もアンヌに聞いていた通りだったので、ソフィアは微笑した。その笑みの理由がわからず、グルートは眉間に皺を寄せ、不可解そうな顔をする。


「…最初はね、私、グルートさんって怖そうなひとだなって思ってたんだ。ほら、お兄ちゃんも恐縮しているみたいだったし、グラさんと会うといつも攻撃的な口調で喧嘩してるでしょ。」
「…まあな。」

 そう言われれば返す言葉もない。特にグラとは事情を詳しく知らなければ、騒ぎになってもおかしくないようなやり取りをしていることもこれまでに多々あった。
 目の見えない彼女にとって音は他人を認識するのに重要な手がかりの一つだ。ふたりのやり取りは彼女にとって、一層物騒に感じたに違いない。


「でも、そうじゃなかった。クレーン車が倒れた時も、君が必死にアンヌちゃんを守ってくれた。今だって私のことを気にかけてくれてる。」
「別に大したことじゃねぇよ。」
「ううん、そんなことない。素敵なことだよ。…君はとっても優しい心を持ったひと。一緒にいると温かい気持ちになるって、アンヌちゃんも言ってたの。それがわかった気がするよ。」
「考えすぎだぜ。俺はただ、てめぇのしたいようにしてるだけだ。」
「じゃあ、そういうことにしておいてあげるね。うふふ。」

 彼女の含みのある悪戯っぽい笑みに、グルートはもどかしそうに目を逸らした。…調子狂うぜ、と控えめに呟く。彼にしては珍しく参ってしまった様子だ。
 華奢な体躯に反して、口はグルートより一枚上手らしい。何を言っても、風のように掴み所のない彼女には、丸め込まれてしまいそうな気がした。

◇◆◇◆◇


 暫しの休息を取り、ソフィアの顔色も随分良くなった。意識も明瞭になり、呼吸も安定している。
 徐に彼女は立ち上がり、グルートの方を向いた。壁に寄りかかりながら煙草を吹かしていた彼は、彼女の方を見た。

「グルートさん、行こう。」
「もういいのか?」
「うん、お陰様で。大丈夫。」
「そうか。…無理すんなよ。」

 彼の気遣いにソフィアはありがとう、とはにかみながら嬉しそうに返した。穏やかな彼女の表情にグルートは安堵しつつも、やはりそれを口に出すことはなく、クールに身を翻す。ソフィアはふふっと笑い声を漏らし、彼の後ろについて行こうと、軽くステップをしながら近づいた。



 ーーだが、その時。彼女の脳裏に不気味な衝撃が走った。


「っ……待って!」
「あ?」
「何かが…何か、歪なものがこっちに近づいて来る!」

 ただ事ではない様子のソフィアの声に、グルートも足を止める。

 意識を集中させずとも、彼女はその“異質”な空気に気づいた。子細を把握しようと、彼女は改めて意識を集中させる。だがその間にも、その気配はあり得ないスピードで数を増やしていく。

「な、何これ……こんなこと、初めてだよ…。」
「一体どうしたってんだ?何も見えーー。」

 と、グルートが話し終わる前に、彼もまた辺りを取り囲む異様な気配に気づいた。重苦しく、背筋が凍り、急に気温が下がったように感じる。
 未知の存在に震えるソフィアを背に隠し、グルートは周囲を見渡す。

 ヒュー、ヒュー、と風の抜けるような掠れた音がした。ーー風?いいや、これは。


「!」

 視界に映った景色に、思考が止まった。まさに絶句とはこのような場面で使うのだろう。

 確かにソフィアの言った通り、目の前に現れたのは一体だけではなかった。暗闇の中に無数の、人の形をしたものがいる。
 土色の、生気の無い顔。風化した包帯から覗く、干からびた皮膚と肉のない体。あの風のような音は彼らの乾いた口から漏れる、歪な声だった。


「俺は悪夢でも見てんのか…?」

 辺りを囲まれても、尚、現実味が沸かない。
 どうやら、ブレイヴの言っていたことは嘘ではなかったようだ。

 驚きや恐れを通り越して、可笑しさが増し、笑いが溢れる。
 さすがにミイラに取り囲まれる経験はグルートにもなかった。



『ウ…ァ…アー…』


 しかしいつまでも超次元的な光景に圧倒されている場合ではない。彼らはまるで仲間に引き入れようと言わんばかりに、こちらに近づいている。目的も、状況も理解できないが、関わるべきではないということだけは彼も本能的に感じた。

「くそっ、どうなってんだ!?」

 訳のわからないまま、とにかく距離を取る為に、彼は悪の波動を放った。
 …だが、悪の波動は彼らのやせ細った体をすり抜け、瞬く間に消滅した。

(攻撃が効かねぇだと…!?)

 ゴーストタイプでもノーマルと格闘以外なら、ダメージを与えられるというのに。
 グルートは舌打ちをした。
 話も通じず、攻撃も当たらないのなら、かくなる上はーーーひとつしかない。


「……逃げるぞ。」
「え?」

 今ばかりはソフィアの目が見えないことが幸いだった。もしこの光景を目の当たりにしていたら、驚きのあまり失神していたかもしれない。
 一体何が、と狼狽える彼女を片腕で肩に抱える。

「わあっ!?」
「世の中には、知らないままでいた方が良いこともあるんだぜっ!」

 そして、地を蹴り、そのままミイラたちとは正反対の方向に走り出した。
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