shot.8 なくしたもの
騒いでいた彼らの声がぴたりと止んだ。漸く、無駄な小競り合いをしている場合ではないことに気が付いたのだ。しかしふたりが唖然と壁の前で立ち尽くしている間も岩は彼らを押し潰さんと迫っている。
「死ぬんやったらせめてソフィアの膝の上がええ~~ッ!何でコイツと死ななあかんねんッ!ソフィア~~ッ!」
「おいコラ!諦めてンじゃねェぞ!」
レックスはソフィアがいないことも含め、絶望的な気持ちが増し、現実から逃避するように妹の名を呼びながら喚き散らす。必死にレックスを励ますブレイヴだったが、その口とは裏腹にこの状況を打開する方法は何一つとして浮かんでいなかった。
(クソッ…ッ!何か…何か無ェのかよ……ッ!?)
背にへばり付く石の壁を震える拳で叩きつける。その震えを抑えつけながら、ぐっと目を瞑る。諦めたくない――だが打開策が浮かばない以上、このまま現実を受け入れるしかないのか。激しく拍動する自身の心臓の音がいやに大きく耳に響く。
ドクドクという一定の速いテンポの中で、ジャン…という、弦楽器のような軽快な音が、彼の脳裏に割って入った。ブレイヴは違う音色に敏感に反応し、瞑っていた目を見張った。この場には似合わない音に半信半疑でいると、間を置かない内に、再び同じ音が響いた。
(壁の…向こうからか?)
どうやら空耳や幻聴ではないらしい。音の所在を探る様に壁に耳を当てると弦楽器の音が先ほどよりもはっきりと耳に入った。その際、壁に隙間を見つけ、そこから空気が流れていることにも気が付いた。
――この壁の向こうに誰かがいる?
それはこの壁を壊せばどこかに出られる可能性があるということだ。
「おいレックス!いつまでもメソメソしてンじゃねーぞッ!」
「せやかて…どないすんねん…。」
「VERY EASYな答えさ!邪魔な壁はブッ壊しちまえばいいンだよッ!オレ様たちの力でなッ!」
ブレイヴはレックスに手を差し出す。レックスは彼が先ほどの失敗を学習せず、同じ轍を踏もうとしているのかと耳を疑った。
だが冗談でも自棄でもない、熱い希望を宿した彼の瞳を見て、それが覚悟を決め、本気で言っていることなのだと感じとる。小言を飛ばそうと開きかけていた口が閉口し、レックスも彼の話に耳を傾けるように熱心な眼差しで向き直った。
「……なんやようわからんけど…。イチかバチか、っちゅうとこか?」
「いや、そんな半端なモンじゃねェ。オレ様にかかればゼッテー助かるンだぜ!」
「えらい自信やな。…それだけ大口叩いたんや。何が何でも助けてもらわな。」
「上等!」
ブレイヴとレックスは拳を突き合わせた。恐怖がなくなったわけではない。全身からは厳しい状況を警告するように冷や汗が吹き出している。けれど彼らは、恐怖と同時にどこか楽しむような、小生意気さを含んだ少年の笑みを浮かべた。
突き合わせた拳を軸にふたり分のエネルギーを注ぎ込む。彼らを取り囲むように蒼い炎が波のように広がっていく。同じ性質を持つドラゴンのエネルギーが重なり、互いの体を巡って増大する。双方の力の存在を感じながら深く呼吸をし、息を整えた。必ず乗り越える。激しく脈打つ鼓動が、ポジティブな予感を後押しする。――後退し、強く地を蹴り上げると、ふたりは壁に向かって飛び掛かった。
「オラァ!」
「どりゃあ!」
それぞれの十八番である[ドラゴンクロー]を渾身の力で放つ。小さな壁の隙間からひびが入り、それは木の根のように広がって崩落する。飛び掛かった勢いのまま、ふたりは壁の割れ目に吸い込まれた。
地に体を打ち付け、痛みで顔を顰める。その直後、轟音が響き、彼らが入ってきた割れ目を塞ぐように岩が止まっていた。
◇◆◇◆◇
汗ばんだ肌にへばり付く砂のことも忘れ、ふたりは寝転がり、荒い呼吸を繰り返す。全てを出し切った清々しさ。危機の中にあったのにもかかわらず、ある種の心地良さが満ちていた。暗闇の中でも互いが歯を見せて笑っているのがわかる。
「まさか、隠し部屋があるとはなァ……。やるやないか、ブレイヴ。見直したで。」
「へへっ…だから言ったろ?オレ様にかかれば“ゼッテー”だってよ。おめェのドラゴンクローもいい一撃だったぜ、レックス。」
ふたりは固く握手を交わした。他愛のない会話のお陰で落ち着きを取り戻し、彼らは顔についた砂を拭い立ち上がる。
レックスが再び炎で明かりを灯そうとした時。スウッ…と冷たい風がふたりの背を通り抜ける。氷タイプのポケモンでもいるのかと錯覚したが、砂地で温暖な気候であるこの周辺に、寒い土地を好む彼らが生息しているとは考えにくい。
「ダレ……ダ……。」
暗がりの奥から風音のような囁きが響いて、ふたりは振り返った。
「?…なンか言ったか、レックス。」
「え、あんさんと違うんか?」
顔を見合わせるふたりの間がしんとなる。暗がりの中をざっと見渡すが見つけられたのはお互いの存在だけだった。それなら気のせいか、と納得しようとしたのだが。
「ワレノ…ネムリ…サマタゲル…モノハ……。」
間髪を入れず、しかも先程よりもはっきりと声が木霊する。この場にいるのはふたりだけ、たった今確認したことだ。そのふたりのどちらでもないとすると……。
岩に追われていた時とはまた違った凍り付くような緊張感が走った。
「そ…そういや……。この部屋から…演奏してるみてェな音が聴こえたンだっけ……。」
「は?…嘘やろ?誰も居らんのに…。」
岩が迫りくる目の前の状況を打破しようとするのに必死でブレイヴも気が付かなかったが、冷静になった頭で考えると普通、誰もいない所から弦楽器の音などするはずがないのだ。
ゾッと、背筋に張り付く冷たさが、一層強くなった。
振り返ってはいけない。今すぐ逃げろ。直感が頭の中で警鐘を鳴らす。しかし背後に迫るプレッシャーに吸い寄せられるようにふたりは警告とは真逆の動きをしていた。頭に浮かんでいる予想が外れて欲しいという願望もあったのだろう。硬直した筋肉に発破をかけて、壊れかけのロボットのようにぎこちない動きで振り返る。
ふたりの視線の先だけ、ぱっと小さな明かりが灯る。その不自然な明かりの下から浮かび上がっていたのは……青白く血の気のない白い顔。
「呪い殺してやるぅうううう~~~!」
「ギャァアアアアアアア!!!」
ブレイヴとレックスは絶叫し、互いの体にしがみ付く。特にブレイヴに至ってはショックで半分白目をむいていた。ひとり取り残されまいとレックスは彼が完全に意識を失わないよう、頬を叩く。
「アカン!寝たらアカンでブレイヴゥ!寝たら死ぬで!ちゅうか俺を置いてかんといてぇ~~!」
「…うッ…!」
動転するレックスのビンタが[ダブルチョップ]に変化していく。効果が抜群なドラゴンタイプの攻撃に、ブレイヴは苦しげに呻いた。
「僕が呪い殺すまでもなく死にそうだね。あはは。」
幽霊と思わしき彼は抑揚のない声で、白々しく笑った。どこかで聞いた感情の籠っていない笑い方。ブレイヴの耳がぴくりと動く。彼は顔の下から当てていた懐中電灯を下ろし、ふたりの方に向けた。
ギターケースを持ち、髪を刈り上げ平行に切り揃えた独特のヘアスタイル。目元の朱色のメイクと“殺”の文字。幽霊と見間違えそうな程の血色の悪い肌。失いかけた意識の中でもそれだけの特徴を見れば、彼の正体を見抜くのは容易かった。
「おめェ…タイガじゃねェ――ブフォッ!!」
「シャキッとせぇ!ブレイヴ!」
しかしレックスが飛ばしてきた強烈な一撃に、我に返りかけていた彼の意識は完全に失われてしまった。ぐったりと伸びる彼の姿にレックスは益々焦り、その場で何度もブレイヴを揺さぶった。
「…うわぁ、馬鹿が増えてる。」
軽蔑を含んだ生気のない眼差しで、タイガは慌ただしいふたりを傍観していた。
「死ぬんやったらせめてソフィアの膝の上がええ~~ッ!何でコイツと死ななあかんねんッ!ソフィア~~ッ!」
「おいコラ!諦めてンじゃねェぞ!」
レックスはソフィアがいないことも含め、絶望的な気持ちが増し、現実から逃避するように妹の名を呼びながら喚き散らす。必死にレックスを励ますブレイヴだったが、その口とは裏腹にこの状況を打開する方法は何一つとして浮かんでいなかった。
(クソッ…ッ!何か…何か無ェのかよ……ッ!?)
背にへばり付く石の壁を震える拳で叩きつける。その震えを抑えつけながら、ぐっと目を瞑る。諦めたくない――だが打開策が浮かばない以上、このまま現実を受け入れるしかないのか。激しく拍動する自身の心臓の音がいやに大きく耳に響く。
ドクドクという一定の速いテンポの中で、ジャン…という、弦楽器のような軽快な音が、彼の脳裏に割って入った。ブレイヴは違う音色に敏感に反応し、瞑っていた目を見張った。この場には似合わない音に半信半疑でいると、間を置かない内に、再び同じ音が響いた。
(壁の…向こうからか?)
どうやら空耳や幻聴ではないらしい。音の所在を探る様に壁に耳を当てると弦楽器の音が先ほどよりもはっきりと耳に入った。その際、壁に隙間を見つけ、そこから空気が流れていることにも気が付いた。
――この壁の向こうに誰かがいる?
それはこの壁を壊せばどこかに出られる可能性があるということだ。
「おいレックス!いつまでもメソメソしてンじゃねーぞッ!」
「せやかて…どないすんねん…。」
「VERY EASYな答えさ!邪魔な壁はブッ壊しちまえばいいンだよッ!オレ様たちの力でなッ!」
ブレイヴはレックスに手を差し出す。レックスは彼が先ほどの失敗を学習せず、同じ轍を踏もうとしているのかと耳を疑った。
だが冗談でも自棄でもない、熱い希望を宿した彼の瞳を見て、それが覚悟を決め、本気で言っていることなのだと感じとる。小言を飛ばそうと開きかけていた口が閉口し、レックスも彼の話に耳を傾けるように熱心な眼差しで向き直った。
「……なんやようわからんけど…。イチかバチか、っちゅうとこか?」
「いや、そんな半端なモンじゃねェ。オレ様にかかればゼッテー助かるンだぜ!」
「えらい自信やな。…それだけ大口叩いたんや。何が何でも助けてもらわな。」
「上等!」
ブレイヴとレックスは拳を突き合わせた。恐怖がなくなったわけではない。全身からは厳しい状況を警告するように冷や汗が吹き出している。けれど彼らは、恐怖と同時にどこか楽しむような、小生意気さを含んだ少年の笑みを浮かべた。
突き合わせた拳を軸にふたり分のエネルギーを注ぎ込む。彼らを取り囲むように蒼い炎が波のように広がっていく。同じ性質を持つドラゴンのエネルギーが重なり、互いの体を巡って増大する。双方の力の存在を感じながら深く呼吸をし、息を整えた。必ず乗り越える。激しく脈打つ鼓動が、ポジティブな予感を後押しする。――後退し、強く地を蹴り上げると、ふたりは壁に向かって飛び掛かった。
「オラァ!」
「どりゃあ!」
それぞれの十八番である[ドラゴンクロー]を渾身の力で放つ。小さな壁の隙間からひびが入り、それは木の根のように広がって崩落する。飛び掛かった勢いのまま、ふたりは壁の割れ目に吸い込まれた。
地に体を打ち付け、痛みで顔を顰める。その直後、轟音が響き、彼らが入ってきた割れ目を塞ぐように岩が止まっていた。
汗ばんだ肌にへばり付く砂のことも忘れ、ふたりは寝転がり、荒い呼吸を繰り返す。全てを出し切った清々しさ。危機の中にあったのにもかかわらず、ある種の心地良さが満ちていた。暗闇の中でも互いが歯を見せて笑っているのがわかる。
「まさか、隠し部屋があるとはなァ……。やるやないか、ブレイヴ。見直したで。」
「へへっ…だから言ったろ?オレ様にかかれば“ゼッテー”だってよ。おめェのドラゴンクローもいい一撃だったぜ、レックス。」
ふたりは固く握手を交わした。他愛のない会話のお陰で落ち着きを取り戻し、彼らは顔についた砂を拭い立ち上がる。
レックスが再び炎で明かりを灯そうとした時。スウッ…と冷たい風がふたりの背を通り抜ける。氷タイプのポケモンでもいるのかと錯覚したが、砂地で温暖な気候であるこの周辺に、寒い土地を好む彼らが生息しているとは考えにくい。
「ダレ……ダ……。」
暗がりの奥から風音のような囁きが響いて、ふたりは振り返った。
「?…なンか言ったか、レックス。」
「え、あんさんと違うんか?」
顔を見合わせるふたりの間がしんとなる。暗がりの中をざっと見渡すが見つけられたのはお互いの存在だけだった。それなら気のせいか、と納得しようとしたのだが。
「ワレノ…ネムリ…サマタゲル…モノハ……。」
間髪を入れず、しかも先程よりもはっきりと声が木霊する。この場にいるのはふたりだけ、たった今確認したことだ。そのふたりのどちらでもないとすると……。
岩に追われていた時とはまた違った凍り付くような緊張感が走った。
「そ…そういや……。この部屋から…演奏してるみてェな音が聴こえたンだっけ……。」
「は?…嘘やろ?誰も居らんのに…。」
岩が迫りくる目の前の状況を打破しようとするのに必死でブレイヴも気が付かなかったが、冷静になった頭で考えると普通、誰もいない所から弦楽器の音などするはずがないのだ。
ゾッと、背筋に張り付く冷たさが、一層強くなった。
振り返ってはいけない。今すぐ逃げろ。直感が頭の中で警鐘を鳴らす。しかし背後に迫るプレッシャーに吸い寄せられるようにふたりは警告とは真逆の動きをしていた。頭に浮かんでいる予想が外れて欲しいという願望もあったのだろう。硬直した筋肉に発破をかけて、壊れかけのロボットのようにぎこちない動きで振り返る。
ふたりの視線の先だけ、ぱっと小さな明かりが灯る。その不自然な明かりの下から浮かび上がっていたのは……青白く血の気のない白い顔。
「呪い殺してやるぅうううう~~~!」
「ギャァアアアアアアア!!!」
ブレイヴとレックスは絶叫し、互いの体にしがみ付く。特にブレイヴに至ってはショックで半分白目をむいていた。ひとり取り残されまいとレックスは彼が完全に意識を失わないよう、頬を叩く。
「アカン!寝たらアカンでブレイヴゥ!寝たら死ぬで!ちゅうか俺を置いてかんといてぇ~~!」
「…うッ…!」
動転するレックスのビンタが[ダブルチョップ]に変化していく。効果が抜群なドラゴンタイプの攻撃に、ブレイヴは苦しげに呻いた。
「僕が呪い殺すまでもなく死にそうだね。あはは。」
幽霊と思わしき彼は抑揚のない声で、白々しく笑った。どこかで聞いた感情の籠っていない笑い方。ブレイヴの耳がぴくりと動く。彼は顔の下から当てていた懐中電灯を下ろし、ふたりの方に向けた。
ギターケースを持ち、髪を刈り上げ平行に切り揃えた独特のヘアスタイル。目元の朱色のメイクと“殺”の文字。幽霊と見間違えそうな程の血色の悪い肌。失いかけた意識の中でもそれだけの特徴を見れば、彼の正体を見抜くのは容易かった。
「おめェ…タイガじゃねェ――ブフォッ!!」
「シャキッとせぇ!ブレイヴ!」
しかしレックスが飛ばしてきた強烈な一撃に、我に返りかけていた彼の意識は完全に失われてしまった。ぐったりと伸びる彼の姿にレックスは益々焦り、その場で何度もブレイヴを揺さぶった。
「…うわぁ、馬鹿が増えてる。」
軽蔑を含んだ生気のない眼差しで、タイガは慌ただしいふたりを傍観していた。