shot.7 手招く影
「WHY!?アンヌがいなくなったァ!?ジョーダンだろッ!?」
ブレイヴの声が事務所に木霊する。朝になってアンヌが突然姿を消してしまったことを知らされた彼は、その事実を受け止められず混乱した。だが、皆は俯きながら黙ったままで。それが受け入れ難い現実を如実に示していた。
念の為、事務所や宿舎をくまなく探したが、案の定、アンヌの姿はなかった。彼女はブレイヴと別れて、グルートが部屋を訪れるまでの僅かな時間で忽然と姿を消してしまったのだ。追手が訪れた形跡が無いとなれば、彼女がどこへ行ったのか見当もつかなかった。
「騒いでもしゃあない。今はとにかくアンヌちゃんの居場所を突き止めることが先決や。――ソフィアちゃん。」
「…うん。もう少しで掴めそうだよ。」
「掴めるって…ソフィアちゃん、何かわかンのか?」
グラとソフィアが意味深に言葉を交わし、ブレイヴがそれに割って入る。突然仲間がいなくなったのだ。少しでも手掛かりがあるのなら、些細な事でも知りたかった。
「…ああ、そっか。ブレイヴくんたちにはまだ言ってなかったよね。」
「ソフィア。」
「いいの、お兄ちゃん。私はもう受け入れているから。……実は私、目が見えないの。」
「え…。」
だが、彼女から発せられた思いもよらぬ言葉にブレイヴは目を丸くさせた。けれどその反応はソフィアにとっては想定内のようで。彼の動揺を鎮めるように柔らかく微笑む。
「生まれつきなんだ。だけど、そのおかげで、私は皆が見えないものを感じることができる。」
「見えないもの…?」
「第六感っていうのかな。人やポケモン、周囲にある建物や植物が纏っているオーラや気配を察知することができるんだ。だから、私がアンヌちゃんの気配を見つけることが出来れば……。」
「アンヌがどこにいるかわかるってことかッ!?」
ブレイヴの言葉にソフィアは頷いた。ひとつの希望が見え、彼は興奮気味に彼女の手を握り締める。彼女の告白に多少は驚きを見せたがむしろ、彼は彼女の持っていたその能力に期待を膨らませた。すんなりと受け入れてくれた彼にソフィアは眉を上げ、ある意味拍子抜けしたように口を開いていた。彼女の力に感動し、爛々と目を輝かせる彼の表情を感じ取ったのか、ほっとしたようにその手を握り返した。
傍にいるレックスの顔がなにやら強張っているようにも見えたが。
「すげぇよ!さすがソフィアちゃんだぜッ!――で、アンヌのヤツがどこにいるかわかったのかッ!?」
「…黒いオーラがアンヌちゃんを覆い隠していて、細かいところはわからないんだけど、ここからそう遠くない場所だよ。……激しい砂嵐の音。その中に建つ、石の外壁。…古い建物…かな。その辺りから、アンヌちゃんの気配を微弱に感じる。」
眉を寄せ、難しそうな顔で、イメージを紡ぎ出す。その一連の透視は彼女のエネルギーを酷使するのだろう。額には滴るような汗が浮き上がっていた。レックスはブレイヴを突き飛ばし、代わりにソフィアの手を握った。横目で睨むブレイヴは完全に蚊帳の外だ。
「もうええで!無理しなや。」
「お兄ちゃん…うん。ありがとう…。」
「お疲れさん、おおきになソフィアちゃん。」
「いえ、私は大丈夫…。」
探知を続けてもこれ以上のことはソフィアにもわからなかった。はあ、と小さな息を何度も繰り返す彼女をレックスは心配そうに見つめていた。ソフィアの能力を信頼しているグラも彼女を労わるように声をかける。
「ここから近うて、砂嵐が激しい中にある建物言うたら、リゾートデザートの古代の城か?」
「古代の城…それやったらこの間、棺桶が見つかったトコやないですか。ホラ例の…シッポウ博物館がなくしたとかいう……。」
グラが彼女の言葉を整理し、それに何気なく反応したレックスだったが。彼の溢した言葉によって、ブレイヴの顔があからさまに凍り付いた。愛する妹の手を握った彼へのやっかみが、無意識のうちにそうさせたのだろうか。
「お…おいおい……。これもまたミイラの仕業だってのか…。」
「はァ?ジブンまだそないなこと本気で……。」
「ミイラかどうかはわからないけれど、少し前からアンヌちゃんの周りに妙な陰りを感じていたんだ。気のせいかもしれないし、不安にさせたくなくて言わないでおいていたんだけど……。」
「ひッ……!」
さらりと溢されたおっかないソフィアの言葉にブレイヴは腰を抜かした。どこへ行っても切り離しきれないその怪奇の存在に彼は絶句する。アンヌとの会話の中で多少、不安は和らいだが、彼にとってやはりそれは禁句のようだった。
◇◆◇◆◇
部屋の片隅で、グルートは皆の会話を耳にしていた。けれどそれは町の喧騒のように、遠く他人事のように感じられた。
アンヌがいなくなった。顔には出さなくともその現実はブレイヴだけでなく、グルートの心も乱していた。
手の中にあるペンダントを呆然と眺める。父親からのプレゼントだと嬉しそうに語っていた、彼女の笑顔を思い出す。元々、これが目的でアンヌが住む、シャルロワ家の邸宅に忍び込んだのだ。――これはグルートにとっても大切なもの。持っていたのがアンヌでなければ強奪していたに違いない。今のように旅に出ることもなかっただろう。
このまま彼女が姿を消してしまえば、このストーンも自らの手に残ったまま。仲間を捨てて、ひとりで他の地方にでも逃亡すれば追手からも逃げ果せる。気まぐれなお嬢様にも振り回されず、偶然拾ってしまった面倒ごとを投げ出せるのだ。
今なら引き返せる。“過ち”を繰り返さない為にはその方が幸せなのかもしれない。
ポケットにペンダントを突っ込むと、グルートは足早に身を翻し、事務所の扉のドアノブに手をかけた。
「……どこいくつもりや。」
さり気無く、悟られぬように出ていこうとしたのだが、ドスの効いたグラの一声によって注目がブレイヴからグルートへと移る。昔からの付き合いだ。やはり彼の目を誤魔化すことはできないらしい。
彼は立ち止まり、ふぅと小さく息を吐き出した。
「決まってんだろ。アンヌのところだ。」
グルートはサングラスで隠れているグラの目を真っ直ぐに睨み返す。
例え荊の道でも、彼の心は既に決まっていた。アンヌを連れ戻し、自ら“悪党”として生きる道を。不思議とそれを重荷だとは思わなかった。
馬鹿な野良犬と蔑まれてもいい。それよりもここで彼女を見捨てて、保身の為だけに生きていくことの方がよっぽど苦行だった。そんな小さな男に成るのは、こちらから願い下げだ。
迷いのない彼の赤い目をグラはじっと見据える。いつもなら茶化されそうなところだが、グルートの強い覚悟を感じ取ったのか、珍しく黙していた。
「待って、グルートさん。」
「あん?」
「私も、連れて行って!」
「ソフィア!?おま…何言うてんねん!危なすぎるわ!」
「近づけばもう少しアンヌちゃんがいる場所の詳細がわかると思うから。お願い、お兄ちゃん!」
「え…ええ~~。」
ソフィアの申し出にレックスは困り果てたように頭を抱え、情けない鳴き声を上げる。だが自身の胸にしがみ付き、熱心に見上げてくる彼女の表情に不謹慎ながら、レックスは悶絶した。彼は可愛い妹の頼みを切り捨てられるような分別のある男ではなかった。
「よっしゃ、わかった。――俺も一緒に行く!お兄ちゃんがソフィアを守ったるわ!」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
「でへへ……。」
ソフィアに抱きつかれ、レックスはこの上ない幸福の中にいた。だらしなく破顔し、頬を赤らめている。
「ったく、遊びに行くんじゃねぇぞ。阿呆共。」
「あ、すんません……。」
寸劇のような兄妹の惚気を見せつけられ、呆れ顔をするグルートだったが。確かに今頼れるのはソフィアの情報だけだ。彼女とサポートするレックスがいれば心強い。ふたりと軽く握手を交わし、力を合わせてアンヌの捜索にあたることにした。
グルートはその傍で腰を抜かしたままぼんやりとしているブレイヴに視線を移す。彼に近寄り、見下ろした。視線に気が付いたブレイヴは目を泳がせながら、顔を伏せる。
「お前はどうする。行くのか、行かねぇのか。」
「……え。」
「何が起こるかわかんねぇ。お前の言う通り、ミイラだっているかもしんねー。逃げるなら絶好のタイミングだ。」
まるで自分にも言い聞かせるようにグルートは言葉を紡いだ。重々しくのしかかる彼の言葉にブレイヴは息を呑む。
ミイラは怖い。それ以上にもっと恐ろしいものに出くわすかもしれない。そう思うと体が竦み、知らないふりをしたくなる。“逃げるなら”その言葉の誘惑に乗りかかりたくなってしまう。
けれど昨晩、ブレイヴが最後にアンヌに会った時のことが、彼の脳裏に過る。怯えて情けない姿を曝したというのに、彼女は逃げずに受け止めてくれた。身を凍り付かせていた恐怖を温もりで溶かしてくれたのだ。
――あなたにとって恐ろしい相手が現れたとしても、私があなたを守ってみせるわ。
たとえ傍にいなくとも、アンヌはブレイヴの心に安らぎを与えてくれた。守られているような安心感。心の中の彼女の存在が、彼を奮い立たせる。
彼はグルートを見上げた。鋭い眼差しが交錯する。そして思い出すのだ。誰よりも負けず嫌いで、正義の心を持った自分のことを。恐怖は完全になくすことはできない。けれど彼女のように立ち向かおうとすることならできる。
「…アイツは大切なダチだ。いなくなったってンなら、オレ様が見つけ出してやる!」
「上等だ。」
グルートが素っ気なく差し出した手をブレイヴは掴み取り、立ち上がった。ニヤリと歯を見せながら笑うふたりは結託した悪ガキのようだ。
アンヌを取り戻すというひとつの決意の下に、乱れていた皆の気持ちがひとつになる。
「えーっと…ちゅうわけで…親父。アンヌ探しにチョットばかしお休み貰いたいんですけどぉ……。」
「アカン。」
「えッ!?んな殺生な~~!」
「探すだけやない。…一緒に帰って来なアカンで。」
「!」
グラはフッと、口許を吊り上げて笑う。役者なグラにまんまと騙されたレックスはほっと胸を撫で下ろし、彼の漢気に瞳を潤ませる。恐縮そうに何度も頭を下げていた。
「こっちのことは心配せんでええ。ワシが何とかしたるわ。」
「…ああ、悪いな。」
「お、なんや珍しいな。普段からそんぐらい素直やったらええのに。」
「うるせぇ。」
レックスとは対照的にグルートは悪態を吐きながら、開きかけていた扉を強く押す。今度は振り返ることなく、前へと進んだ。その後ろをブレイヴ、ソフィア、レックスが追いかける。
(ええ面構えになったやないか。)
尤も自分にはまだまだ遠く及ばないが――と付け加えながらグラは思う。全く、世渡りが下手で不器用な男だ。…だが、若かりし日の彼に教えた魂は、確かに届いていたのだと感じていた。
ブレイヴの声が事務所に木霊する。朝になってアンヌが突然姿を消してしまったことを知らされた彼は、その事実を受け止められず混乱した。だが、皆は俯きながら黙ったままで。それが受け入れ難い現実を如実に示していた。
念の為、事務所や宿舎をくまなく探したが、案の定、アンヌの姿はなかった。彼女はブレイヴと別れて、グルートが部屋を訪れるまでの僅かな時間で忽然と姿を消してしまったのだ。追手が訪れた形跡が無いとなれば、彼女がどこへ行ったのか見当もつかなかった。
「騒いでもしゃあない。今はとにかくアンヌちゃんの居場所を突き止めることが先決や。――ソフィアちゃん。」
「…うん。もう少しで掴めそうだよ。」
「掴めるって…ソフィアちゃん、何かわかンのか?」
グラとソフィアが意味深に言葉を交わし、ブレイヴがそれに割って入る。突然仲間がいなくなったのだ。少しでも手掛かりがあるのなら、些細な事でも知りたかった。
「…ああ、そっか。ブレイヴくんたちにはまだ言ってなかったよね。」
「ソフィア。」
「いいの、お兄ちゃん。私はもう受け入れているから。……実は私、目が見えないの。」
「え…。」
だが、彼女から発せられた思いもよらぬ言葉にブレイヴは目を丸くさせた。けれどその反応はソフィアにとっては想定内のようで。彼の動揺を鎮めるように柔らかく微笑む。
「生まれつきなんだ。だけど、そのおかげで、私は皆が見えないものを感じることができる。」
「見えないもの…?」
「第六感っていうのかな。人やポケモン、周囲にある建物や植物が纏っているオーラや気配を察知することができるんだ。だから、私がアンヌちゃんの気配を見つけることが出来れば……。」
「アンヌがどこにいるかわかるってことかッ!?」
ブレイヴの言葉にソフィアは頷いた。ひとつの希望が見え、彼は興奮気味に彼女の手を握り締める。彼女の告白に多少は驚きを見せたがむしろ、彼は彼女の持っていたその能力に期待を膨らませた。すんなりと受け入れてくれた彼にソフィアは眉を上げ、ある意味拍子抜けしたように口を開いていた。彼女の力に感動し、爛々と目を輝かせる彼の表情を感じ取ったのか、ほっとしたようにその手を握り返した。
傍にいるレックスの顔がなにやら強張っているようにも見えたが。
「すげぇよ!さすがソフィアちゃんだぜッ!――で、アンヌのヤツがどこにいるかわかったのかッ!?」
「…黒いオーラがアンヌちゃんを覆い隠していて、細かいところはわからないんだけど、ここからそう遠くない場所だよ。……激しい砂嵐の音。その中に建つ、石の外壁。…古い建物…かな。その辺りから、アンヌちゃんの気配を微弱に感じる。」
眉を寄せ、難しそうな顔で、イメージを紡ぎ出す。その一連の透視は彼女のエネルギーを酷使するのだろう。額には滴るような汗が浮き上がっていた。レックスはブレイヴを突き飛ばし、代わりにソフィアの手を握った。横目で睨むブレイヴは完全に蚊帳の外だ。
「もうええで!無理しなや。」
「お兄ちゃん…うん。ありがとう…。」
「お疲れさん、おおきになソフィアちゃん。」
「いえ、私は大丈夫…。」
探知を続けてもこれ以上のことはソフィアにもわからなかった。はあ、と小さな息を何度も繰り返す彼女をレックスは心配そうに見つめていた。ソフィアの能力を信頼しているグラも彼女を労わるように声をかける。
「ここから近うて、砂嵐が激しい中にある建物言うたら、リゾートデザートの古代の城か?」
「古代の城…それやったらこの間、棺桶が見つかったトコやないですか。ホラ例の…シッポウ博物館がなくしたとかいう……。」
グラが彼女の言葉を整理し、それに何気なく反応したレックスだったが。彼の溢した言葉によって、ブレイヴの顔があからさまに凍り付いた。愛する妹の手を握った彼へのやっかみが、無意識のうちにそうさせたのだろうか。
「お…おいおい……。これもまたミイラの仕業だってのか…。」
「はァ?ジブンまだそないなこと本気で……。」
「ミイラかどうかはわからないけれど、少し前からアンヌちゃんの周りに妙な陰りを感じていたんだ。気のせいかもしれないし、不安にさせたくなくて言わないでおいていたんだけど……。」
「ひッ……!」
さらりと溢されたおっかないソフィアの言葉にブレイヴは腰を抜かした。どこへ行っても切り離しきれないその怪奇の存在に彼は絶句する。アンヌとの会話の中で多少、不安は和らいだが、彼にとってやはりそれは禁句のようだった。
部屋の片隅で、グルートは皆の会話を耳にしていた。けれどそれは町の喧騒のように、遠く他人事のように感じられた。
アンヌがいなくなった。顔には出さなくともその現実はブレイヴだけでなく、グルートの心も乱していた。
手の中にあるペンダントを呆然と眺める。父親からのプレゼントだと嬉しそうに語っていた、彼女の笑顔を思い出す。元々、これが目的でアンヌが住む、シャルロワ家の邸宅に忍び込んだのだ。――これはグルートにとっても大切なもの。持っていたのがアンヌでなければ強奪していたに違いない。今のように旅に出ることもなかっただろう。
このまま彼女が姿を消してしまえば、このストーンも自らの手に残ったまま。仲間を捨てて、ひとりで他の地方にでも逃亡すれば追手からも逃げ果せる。気まぐれなお嬢様にも振り回されず、偶然拾ってしまった面倒ごとを投げ出せるのだ。
今なら引き返せる。“過ち”を繰り返さない為にはその方が幸せなのかもしれない。
ポケットにペンダントを突っ込むと、グルートは足早に身を翻し、事務所の扉のドアノブに手をかけた。
「……どこいくつもりや。」
さり気無く、悟られぬように出ていこうとしたのだが、ドスの効いたグラの一声によって注目がブレイヴからグルートへと移る。昔からの付き合いだ。やはり彼の目を誤魔化すことはできないらしい。
彼は立ち止まり、ふぅと小さく息を吐き出した。
「決まってんだろ。アンヌのところだ。」
グルートはサングラスで隠れているグラの目を真っ直ぐに睨み返す。
例え荊の道でも、彼の心は既に決まっていた。アンヌを連れ戻し、自ら“悪党”として生きる道を。不思議とそれを重荷だとは思わなかった。
馬鹿な野良犬と蔑まれてもいい。それよりもここで彼女を見捨てて、保身の為だけに生きていくことの方がよっぽど苦行だった。そんな小さな男に成るのは、こちらから願い下げだ。
迷いのない彼の赤い目をグラはじっと見据える。いつもなら茶化されそうなところだが、グルートの強い覚悟を感じ取ったのか、珍しく黙していた。
「待って、グルートさん。」
「あん?」
「私も、連れて行って!」
「ソフィア!?おま…何言うてんねん!危なすぎるわ!」
「近づけばもう少しアンヌちゃんがいる場所の詳細がわかると思うから。お願い、お兄ちゃん!」
「え…ええ~~。」
ソフィアの申し出にレックスは困り果てたように頭を抱え、情けない鳴き声を上げる。だが自身の胸にしがみ付き、熱心に見上げてくる彼女の表情に不謹慎ながら、レックスは悶絶した。彼は可愛い妹の頼みを切り捨てられるような分別のある男ではなかった。
「よっしゃ、わかった。――俺も一緒に行く!お兄ちゃんがソフィアを守ったるわ!」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
「でへへ……。」
ソフィアに抱きつかれ、レックスはこの上ない幸福の中にいた。だらしなく破顔し、頬を赤らめている。
「ったく、遊びに行くんじゃねぇぞ。阿呆共。」
「あ、すんません……。」
寸劇のような兄妹の惚気を見せつけられ、呆れ顔をするグルートだったが。確かに今頼れるのはソフィアの情報だけだ。彼女とサポートするレックスがいれば心強い。ふたりと軽く握手を交わし、力を合わせてアンヌの捜索にあたることにした。
グルートはその傍で腰を抜かしたままぼんやりとしているブレイヴに視線を移す。彼に近寄り、見下ろした。視線に気が付いたブレイヴは目を泳がせながら、顔を伏せる。
「お前はどうする。行くのか、行かねぇのか。」
「……え。」
「何が起こるかわかんねぇ。お前の言う通り、ミイラだっているかもしんねー。逃げるなら絶好のタイミングだ。」
まるで自分にも言い聞かせるようにグルートは言葉を紡いだ。重々しくのしかかる彼の言葉にブレイヴは息を呑む。
ミイラは怖い。それ以上にもっと恐ろしいものに出くわすかもしれない。そう思うと体が竦み、知らないふりをしたくなる。“逃げるなら”その言葉の誘惑に乗りかかりたくなってしまう。
けれど昨晩、ブレイヴが最後にアンヌに会った時のことが、彼の脳裏に過る。怯えて情けない姿を曝したというのに、彼女は逃げずに受け止めてくれた。身を凍り付かせていた恐怖を温もりで溶かしてくれたのだ。
――あなたにとって恐ろしい相手が現れたとしても、私があなたを守ってみせるわ。
たとえ傍にいなくとも、アンヌはブレイヴの心に安らぎを与えてくれた。守られているような安心感。心の中の彼女の存在が、彼を奮い立たせる。
彼はグルートを見上げた。鋭い眼差しが交錯する。そして思い出すのだ。誰よりも負けず嫌いで、正義の心を持った自分のことを。恐怖は完全になくすことはできない。けれど彼女のように立ち向かおうとすることならできる。
「…アイツは大切なダチだ。いなくなったってンなら、オレ様が見つけ出してやる!」
「上等だ。」
グルートが素っ気なく差し出した手をブレイヴは掴み取り、立ち上がった。ニヤリと歯を見せながら笑うふたりは結託した悪ガキのようだ。
アンヌを取り戻すというひとつの決意の下に、乱れていた皆の気持ちがひとつになる。
「えーっと…ちゅうわけで…親父。アンヌ探しにチョットばかしお休み貰いたいんですけどぉ……。」
「アカン。」
「えッ!?んな殺生な~~!」
「探すだけやない。…一緒に帰って来なアカンで。」
「!」
グラはフッと、口許を吊り上げて笑う。役者なグラにまんまと騙されたレックスはほっと胸を撫で下ろし、彼の漢気に瞳を潤ませる。恐縮そうに何度も頭を下げていた。
「こっちのことは心配せんでええ。ワシが何とかしたるわ。」
「…ああ、悪いな。」
「お、なんや珍しいな。普段からそんぐらい素直やったらええのに。」
「うるせぇ。」
レックスとは対照的にグルートは悪態を吐きながら、開きかけていた扉を強く押す。今度は振り返ることなく、前へと進んだ。その後ろをブレイヴ、ソフィア、レックスが追いかける。
(ええ面構えになったやないか。)
尤も自分にはまだまだ遠く及ばないが――と付け加えながらグラは思う。全く、世渡りが下手で不器用な男だ。…だが、若かりし日の彼に教えた魂は、確かに届いていたのだと感じていた。