shot.7 手招く影
幸い、怪我人は出なかったものの、クレーン車が直撃した建物は一から作り直さなければならないようで。倒れた時、近くにいたアンヌとグルートは事のあらましを事務所にいるグラに報告しに来ていた。ソフィアとレックスもふたりを案ずるように見守っている。
「ジブン、ホンマに疫病神でも憑りついてるんとちゃうか。」
足を投げ出し、投げ槍気味に事務椅子に腰掛けるグラは眉を歪ませながら、大袈裟に溜息を吐く。グルートは壁に凭れ掛かり、腕を組みながら、グラを睨む。彼の事務机の上には外れ馬券が散乱していた。いつも以上に自分へのあたりが厳しい理由を察したグルートは呆れたように目を伏せた。
「てめぇの日頃の行いが悪いんじゃねぇのか、おっさん。」
「やかましいわ!」
負けと重なったせいもあって(寧ろ苛立ちの割合はそれが殆どを占めているのだろう)、グラは机を叩きながら声を荒げた。外れ馬券が舞い上がり、床にばら撒かれた。哀れな親父の姿にグルートは小馬鹿にしたような感じで薄ら笑う。ざまあみろと言わんばかりだ。彼のその悪態はグラの不快感を益々、増長させた。グラが凄むようなドスの効いた声をグルートに向けると、彼も応戦するように鋭い目つきを険しく光らせた。
「ごめんなさい。私が作業場に足を踏み入れたばかりに……。」
ふたりの険悪な空気を遮ったのは、か細い声で謝罪をするアンヌの声だった。互いに胸倉を掴み合ったまま、虚を突かれたような感じで目を丸くさせ、彼女の方に視線を向ける。深々と頭を下げられ、グラは開口したまま、固まっていた。
すると傍にいたソフィアも身を乗り出してくる。彼女はアンヌを庇うようにその肩を抱き締めた。
「ううん。私が危ないところなのに軽い気持ちでアンヌちゃんを誘ってしまったから…。アンヌちゃんにも怖い思いをさせてしまったし…悪いのは私だよ。」
「そんなことないわ!ソフィアは私のためを思ってくれたんだもの。」
「えーっと……。」
責める気もなかった少女ふたりに平謝りされ、グラも戸惑いを隠せない様子で視線を泳がせる。胸倉を掴んでいるグルートに視線を送るが、彼は我関せずといった感じで冷たく視線を逸らした。
「親父!ソフィアを責めるんやったら、俺が―――。」
悲しげなふたり(特にソフィア)の様子に居ても立っても居られなくなったレックスはグラの前に飛び出す。グラのサングラスが一瞬、きらんと効果音を付けて光った。思わぬ助け舟。このチャンスを逃すわけにはいかなかった。
「レックス、よう言うた!歯ァ食い縛れ!」
「え」
高速球の切り返しに、レックスは返事をする間もなく、次の瞬間、グラの豪快な拳を大胆に顔面に食らった。衝撃で事務所のロッカーに体を打ち付け、その拍子に扉が開き、掃除用具がレックスの頭に雪崩れ落ちる。泣きっ面にスピアーといったところだろうか。レックスはロッカーを背にぐったりし、鼻血を出しながら白目を剥いていた。
あまりに問答無用な勢いに、誰ひとりとして口を挟むことも出来ず、茫然とする他になかった。
「ワシもすっきりしたし、これでチャラっちゅうことでな!はい、お終い!」
グラはにっと歯を見せて笑い、その場を絞め括る様に両手を叩いた。巻き添えを食らったレックスはいたたまれないが、彼の中では区切りがついたらしい。ただの憂さ晴らしに使われたように見えなくもなかったが。
「ったく、相変わらず無茶苦茶なおっさんだぜ。」
「い、いいのかしら…これで……。」
「まあ、いいんじゃねえのか。あいつはあいつで幸せそうだしな。」
「え?」
グルートは顎をしゃくり方向を指し示す。そこにはソフィアに膝枕され、恍惚の表情を浮かべるレックスの姿があった。気を失っても尚、ソフィアの存在を認識しているのだろうか。…確かに、グルートの言う通り、あれはあのままでいいのかもしれないとアンヌは妙に納得してしまった。
「おやっさんーー!おやっさんはおられますかーーッ!」
そこへ作業服を着た若い男が事務所に飛び込んできた。慌ただしい声に、一同は振り返る。
「何や、騒々しいなァ。」
グラは煙草をポケットから取り出し、口に銜えた。彼の姿を見て少し安堵したらしい男は顔を弛ませた。
「実はトイレに倒れているひとがいて……。」
彼は自分の背を見るよう視線で促す。グラよりも先に反応し、目を瞠ったのはアンヌの方だった。男に背負われ力なく、ぐったりとしていたのはブレイヴだったからだ。いつもの溌溂さはなく、生気を抜かれたように動かない。
「ブレイヴ!どうしたのっ!?」
男はブレイヴの体をゆっくりと床に下ろす。血相を変えながら駆け寄ったアンヌは、彼の顔を覗き込んだ。彼女の声にブレイヴの瞼が薄く開いた。
「う…ううっ……。」
「何があったの…っ?」
「あ…アンヌ…?」
アンヌに支えられながら、彼は上体を起こした。心此処に在らずといった感じで暫くぼんやりしていたが――意識を失うまでのことを断片的に思い返して、はっと目覚めるように目を大きく見開いた。
意識が明瞭になった彼は、沸き上がる恐怖を感じて。切羽詰まった様子で、勢いよくアンヌの肩を両手で掴んだ。
「み、ミイラ…ッ…ミイラがいたンだよォ!!!」
「えっ?み……ミイラ?」
「カラッカラの顔してて…!な、なにがなンだかオレ様にもわかんねーけどッ!」
ブレイヴはひどく動転した様子で声を張る。しかしミイラに遭遇したなどと言われても、現実味がなく、聞かされた方は困惑するしかない。現に話を聞いていたグラは、「ハハハッ。」と声を大にして笑った。
「アホウ、怪談話するんやったらもうちょいマシな嘘つかなアカンで。」
「嘘じゃねェ!マジなンだって!」
青ざめた顔で震える声を振り絞るブレイヴだったが、辺りはしんとして、そこはかとなく彼の言い分は受け入れられていないような空気が流れる。グラの言うようにブレイヴが皆を驚かせようとしていると考えた方が自然だった。
問答が続く中、間に割って入るように、事務所の電話が鳴った。少しの変化も今のブレイヴには恐怖の対象なのか、彼はアンヌの背にそっと隠れた。グラは受話器を取り、耳に当てる。相手がわかると、景気のいい、快活な挨拶を繰り出した。
「ああ、シッポウ博物館さんでっか。こらどうも、いつもお世話になってます。ええ…ええ。」
電話の相手はアンヌ達も見学に行ったシッポウ博物館のようだった。愛想の良さはさすが商売人といったところか。――だが、電話口からの言葉を聞いた瞬間、にこやかな顔で相槌を打っていたグラの顔がすっと白けた。
「はァ、そらホンマでっか。はい、はい。わかりました。何かわかったらこっちから電話しますさかい、よろしゅう頼んます。はい、失礼しますー。」
がちゃりと受話器を置いた彼は面倒くさそうに溜息を吐き、煙草の吸い殻を灰皿に押し付けた。
「どうかしたんですか、グラさん。」
「シッポウ博物館から連絡があってな。レックスが持ってった出土品が“無うなった”とか抜かしよって。」
「出土品って…あの、棺桶のことですか?」
「せや、全く、どないしたらあんなでかいモン無くすんやろなァ。」
レックスが届けた棺桶といえば、アンヌ達も見たあの蓋の開かない金色の棺しかなかった。大きさもそれなりで、人目をかいくぐって持ち運べるようなものではなかったはずだ。何とも不可解な出来事ではあるが、それ以上に突き詰めることはなかった。――ただひとりブレイヴを除いては。彼はわなわなと震えはじめ、アンヌの肩をぎゅっと握りしめた。
「呪われちまったンだ……。」
「え?」
「無理矢理、棺桶の蓋を開けようとしたから、怒って、ミイラがオレ様達に仕返ししようとしてンだよッ!」
ブレイヴが霊的なものに苦手意識を抱いていることは、彼がシッポウ博物館で棺桶に近づきたがらなかったことから薄々アンヌも気づいていた。思い込みから少し過剰になりすぎているのではないか、と思ったが。
「きっと見間違いよ。色々なことがあったもの…旅の疲れが出ているんだわ。」
じりっとアンヌの胸にも引っ掛かるものがあった。軽微な違和感。不可解な出来事といえば、アンヌに向かって倒れて来たクレーン車の件もあった。強風もなく、グルートとアンヌ、その場にふたり以外誰もいなかったのにも関わらず、ひとりでに横転したクレーン車。――いや、まさか。彼の勢いに流されかけた思考を払拭する。こういう時こそトレーナーである自分がしっかりしなければいけない。まるで自分に言い聞かせるように、アンヌはブレイヴを宥めた。
「ジブン、ホンマに疫病神でも憑りついてるんとちゃうか。」
足を投げ出し、投げ槍気味に事務椅子に腰掛けるグラは眉を歪ませながら、大袈裟に溜息を吐く。グルートは壁に凭れ掛かり、腕を組みながら、グラを睨む。彼の事務机の上には外れ馬券が散乱していた。いつも以上に自分へのあたりが厳しい理由を察したグルートは呆れたように目を伏せた。
「てめぇの日頃の行いが悪いんじゃねぇのか、おっさん。」
「やかましいわ!」
負けと重なったせいもあって(寧ろ苛立ちの割合はそれが殆どを占めているのだろう)、グラは机を叩きながら声を荒げた。外れ馬券が舞い上がり、床にばら撒かれた。哀れな親父の姿にグルートは小馬鹿にしたような感じで薄ら笑う。ざまあみろと言わんばかりだ。彼のその悪態はグラの不快感を益々、増長させた。グラが凄むようなドスの効いた声をグルートに向けると、彼も応戦するように鋭い目つきを険しく光らせた。
「ごめんなさい。私が作業場に足を踏み入れたばかりに……。」
ふたりの険悪な空気を遮ったのは、か細い声で謝罪をするアンヌの声だった。互いに胸倉を掴み合ったまま、虚を突かれたような感じで目を丸くさせ、彼女の方に視線を向ける。深々と頭を下げられ、グラは開口したまま、固まっていた。
すると傍にいたソフィアも身を乗り出してくる。彼女はアンヌを庇うようにその肩を抱き締めた。
「ううん。私が危ないところなのに軽い気持ちでアンヌちゃんを誘ってしまったから…。アンヌちゃんにも怖い思いをさせてしまったし…悪いのは私だよ。」
「そんなことないわ!ソフィアは私のためを思ってくれたんだもの。」
「えーっと……。」
責める気もなかった少女ふたりに平謝りされ、グラも戸惑いを隠せない様子で視線を泳がせる。胸倉を掴んでいるグルートに視線を送るが、彼は我関せずといった感じで冷たく視線を逸らした。
「親父!ソフィアを責めるんやったら、俺が―――。」
悲しげなふたり(特にソフィア)の様子に居ても立っても居られなくなったレックスはグラの前に飛び出す。グラのサングラスが一瞬、きらんと効果音を付けて光った。思わぬ助け舟。このチャンスを逃すわけにはいかなかった。
「レックス、よう言うた!歯ァ食い縛れ!」
「え」
高速球の切り返しに、レックスは返事をする間もなく、次の瞬間、グラの豪快な拳を大胆に顔面に食らった。衝撃で事務所のロッカーに体を打ち付け、その拍子に扉が開き、掃除用具がレックスの頭に雪崩れ落ちる。泣きっ面にスピアーといったところだろうか。レックスはロッカーを背にぐったりし、鼻血を出しながら白目を剥いていた。
あまりに問答無用な勢いに、誰ひとりとして口を挟むことも出来ず、茫然とする他になかった。
「ワシもすっきりしたし、これでチャラっちゅうことでな!はい、お終い!」
グラはにっと歯を見せて笑い、その場を絞め括る様に両手を叩いた。巻き添えを食らったレックスはいたたまれないが、彼の中では区切りがついたらしい。ただの憂さ晴らしに使われたように見えなくもなかったが。
「ったく、相変わらず無茶苦茶なおっさんだぜ。」
「い、いいのかしら…これで……。」
「まあ、いいんじゃねえのか。あいつはあいつで幸せそうだしな。」
「え?」
グルートは顎をしゃくり方向を指し示す。そこにはソフィアに膝枕され、恍惚の表情を浮かべるレックスの姿があった。気を失っても尚、ソフィアの存在を認識しているのだろうか。…確かに、グルートの言う通り、あれはあのままでいいのかもしれないとアンヌは妙に納得してしまった。
「おやっさんーー!おやっさんはおられますかーーッ!」
そこへ作業服を着た若い男が事務所に飛び込んできた。慌ただしい声に、一同は振り返る。
「何や、騒々しいなァ。」
グラは煙草をポケットから取り出し、口に銜えた。彼の姿を見て少し安堵したらしい男は顔を弛ませた。
「実はトイレに倒れているひとがいて……。」
彼は自分の背を見るよう視線で促す。グラよりも先に反応し、目を瞠ったのはアンヌの方だった。男に背負われ力なく、ぐったりとしていたのはブレイヴだったからだ。いつもの溌溂さはなく、生気を抜かれたように動かない。
「ブレイヴ!どうしたのっ!?」
男はブレイヴの体をゆっくりと床に下ろす。血相を変えながら駆け寄ったアンヌは、彼の顔を覗き込んだ。彼女の声にブレイヴの瞼が薄く開いた。
「う…ううっ……。」
「何があったの…っ?」
「あ…アンヌ…?」
アンヌに支えられながら、彼は上体を起こした。心此処に在らずといった感じで暫くぼんやりしていたが――意識を失うまでのことを断片的に思い返して、はっと目覚めるように目を大きく見開いた。
意識が明瞭になった彼は、沸き上がる恐怖を感じて。切羽詰まった様子で、勢いよくアンヌの肩を両手で掴んだ。
「み、ミイラ…ッ…ミイラがいたンだよォ!!!」
「えっ?み……ミイラ?」
「カラッカラの顔してて…!な、なにがなンだかオレ様にもわかんねーけどッ!」
ブレイヴはひどく動転した様子で声を張る。しかしミイラに遭遇したなどと言われても、現実味がなく、聞かされた方は困惑するしかない。現に話を聞いていたグラは、「ハハハッ。」と声を大にして笑った。
「アホウ、怪談話するんやったらもうちょいマシな嘘つかなアカンで。」
「嘘じゃねェ!マジなンだって!」
青ざめた顔で震える声を振り絞るブレイヴだったが、辺りはしんとして、そこはかとなく彼の言い分は受け入れられていないような空気が流れる。グラの言うようにブレイヴが皆を驚かせようとしていると考えた方が自然だった。
問答が続く中、間に割って入るように、事務所の電話が鳴った。少しの変化も今のブレイヴには恐怖の対象なのか、彼はアンヌの背にそっと隠れた。グラは受話器を取り、耳に当てる。相手がわかると、景気のいい、快活な挨拶を繰り出した。
「ああ、シッポウ博物館さんでっか。こらどうも、いつもお世話になってます。ええ…ええ。」
電話の相手はアンヌ達も見学に行ったシッポウ博物館のようだった。愛想の良さはさすが商売人といったところか。――だが、電話口からの言葉を聞いた瞬間、にこやかな顔で相槌を打っていたグラの顔がすっと白けた。
「はァ、そらホンマでっか。はい、はい。わかりました。何かわかったらこっちから電話しますさかい、よろしゅう頼んます。はい、失礼しますー。」
がちゃりと受話器を置いた彼は面倒くさそうに溜息を吐き、煙草の吸い殻を灰皿に押し付けた。
「どうかしたんですか、グラさん。」
「シッポウ博物館から連絡があってな。レックスが持ってった出土品が“無うなった”とか抜かしよって。」
「出土品って…あの、棺桶のことですか?」
「せや、全く、どないしたらあんなでかいモン無くすんやろなァ。」
レックスが届けた棺桶といえば、アンヌ達も見たあの蓋の開かない金色の棺しかなかった。大きさもそれなりで、人目をかいくぐって持ち運べるようなものではなかったはずだ。何とも不可解な出来事ではあるが、それ以上に突き詰めることはなかった。――ただひとりブレイヴを除いては。彼はわなわなと震えはじめ、アンヌの肩をぎゅっと握りしめた。
「呪われちまったンだ……。」
「え?」
「無理矢理、棺桶の蓋を開けようとしたから、怒って、ミイラがオレ様達に仕返ししようとしてンだよッ!」
ブレイヴが霊的なものに苦手意識を抱いていることは、彼がシッポウ博物館で棺桶に近づきたがらなかったことから薄々アンヌも気づいていた。思い込みから少し過剰になりすぎているのではないか、と思ったが。
「きっと見間違いよ。色々なことがあったもの…旅の疲れが出ているんだわ。」
じりっとアンヌの胸にも引っ掛かるものがあった。軽微な違和感。不可解な出来事といえば、アンヌに向かって倒れて来たクレーン車の件もあった。強風もなく、グルートとアンヌ、その場にふたり以外誰もいなかったのにも関わらず、ひとりでに横転したクレーン車。――いや、まさか。彼の勢いに流されかけた思考を払拭する。こういう時こそトレーナーである自分がしっかりしなければいけない。まるで自分に言い聞かせるように、アンヌはブレイヴを宥めた。