shot.6 死の香り

 無事意識を取り戻したアンヌ達だったが、大事を取って今夜はポケモンセンターで一泊することになった。ジョーイさんの許可を得て、皆はアンヌの部屋に集まり、談笑しながら夕食をとった。お陰でアンヌの部屋は病室とは思えないぐらい和気藹々としていた。

「まさかアンヌがシャルロワ財閥のお嬢様やったとはなァ。」

 経緯を聞いたレックスは驚いた様子で目を丸くさせ、しみじみと噛み締めるように言葉を溢した。言葉を受けたアンヌは少し気まずそうに目を逸らす。シャルロワの名を耳にすると委縮してしまうのは一種の癖のようなものだった。

「隠すつもりじゃなかったの。言い出す機会がなかったものだから……。ごめんなさい。」
「?、謝る必要なンかねェだろ。家がなンだろうとアンヌはアンヌじゃねェか。」
「ブレイヴ…。」

 自分の家の事情を話しておらず、危険な目に合わせてしまったのだから怒られて当然だとアンヌは思っていた。が、ブレイヴの口から返ってきたのはアンヌを支持してくれるような前向きな言葉だった。

「自由を掴み取ったンだからよ!もっと堂々としてりゃァいいンだぜ!」
「せやせや、だいたい政略結婚て何時代やねん!結婚する相手ぐらいジブンで選ぶっちゅうねん、なァ?」

 更に賛同するようにレックスも頷く。
 シャルロワ家という大きな存在。アンヌにとっては決して簡単な問題ではない。だが、明るく受け止め、背を押してくれる仲間のお陰で彼女の不安も少し和らいだ。

「…ありがとう、みんな。」

 自然と頬が緩み、アンヌは彼らの存在を頼もしく思いながら、深く感謝した。すると彼らもまたアンヌに負けないぐらいの笑顔を返してくれた。
 ――この先どうしていくのかはまだわからない。しかしアンヌはこうして気持ちを分かち合うことができるひとがいれば、困難にも立ち向かっていけるような気がしていた。


「でも運命のひとって、案外すぐ近くにいたりしてね?」
「え?」
「ふふっ。」

 耳を傾け静かに会話を聞いていたソフィアが不意にそんな言葉を溢した。彼女の意図がわからず、アンヌは疑問符を浮かべながら、首を傾げた。まるでアンヌの未来を見守るようにソフィアは穏やかに微笑む。


「近くに…運命の…ひと…?」

 無性に気になりアンヌが更にソフィアに問いかけようとしたが、ぞっとするほど冷気を纏った低い声に戦き、口を噤んだ。さっきまで笑って話を聞いてくれていたレックスの顔が強張り、能面のようにすっと表情が消えていく。

「嫌や…ソフィアがお嫁に行くんは嫌やァアアア~~~!!!」
「あァ!?ちょッ、てめー、なンだよ急に!」
「どこのどいつや!いてこましたる~~~ッ!」

 何をどう勘違いしたのか、彼の脳内ではソフィアのウエディングドレス姿が浮かんでいた。すると彼はひどく乱心した様子で近くにいたブレイヴに掴みかかった。巻き添えを食らった彼は困惑気味に声を荒げたが、レックスに激しく肩を揺さぶられ目を回す。

 ソフィアがレックスを慰めるように声をかけても、顔を真っ赤にして、妹を思いながら号泣する漢の涙は暫く収まらなかった。

◇◆◇◆◇


 休まることを知らず、沸き立つ若者達の声は病室の外まで聞こえた。その声を聞きながら落ち着きのない連中だとグルートは思ったが、元気がないよりはいいとも思った。壁に寄りかかり、ふっと笑みを溢しながら煙草を口に銜えた。

「気楽なモンやな。」

 手を翳し、火を点けようとしたがその言葉に遮られ、グルートの動きが止まる。500mlのビール缶を片手に、消灯した廊下の長椅子に座るグラは何時にも増して厳つい雰囲気を纏っていた。プシュ、と炭酸が抜ける音がした。

「ジブンがアホなんは知っとったがな、ここまで救いようのないドアホやとは思わんかったわ。……これからどないするつもりや。」

 部屋から漏れる光だけが頼りの暗い廊下で黒いサングラスをかけたグラの表情は見えない。怒っているようで、案じているともとれるような声色だった。

 ――アンヌのことを言っているのだ、ということは聞くまでもなく、グルートにもわかっていた。

「別にどうもしねぇよ。これまで通り、あいつの望むまま、あいつの行きたいところに連れていくだけだぜ。」
「いつまでも続かへんやろ。相手はあのシャルロワ財閥。オマエみたいな命知らず、あっちゅうまに消されてまうわ。」
「……ふっ。」
「何が可笑しいねん。ワシは真面目な話しとるんやぞ。」

 場違いに口角を吊り上げるグルートにグラは眉間に皺を寄せ、訝しげな顔をした。珍しく深刻そうなグラの雰囲気が普段の豪快な姿とは不釣り合いでグルートには可笑しかったのだ。

「暫く見ねぇうちに随分とビビりになっちまったみてぇだな、おっさん。」
「なんやと?」
「邪魔するやつはぶっ飛ばす。簡単な話じゃねぇか。」

 グラの下で働いていた頃から変わらず、彼の生意気で強引な態度は健在だった。寧ろ歳を経て、益々図太くなってしまったようだ。
 はあ、と気の抜けたような溜息がグラの口から零れるのはそれからすぐのことだった。当の本人が他人事のような態度なのだから、これ以上討論しても無駄だと感じ取ったのだろう。

「少しでも期待したワシが悪かったわ。」
「同じ阿呆なら踊らねぇと損だって、あんたから教わったんだぜ?」
「よう言うわ。」

 しかしそう言われてしまえば、確かにグラも他人のことは言えない部分も多々あった。他人の事情に首を突っ込み、損害を被った経験は数知れない。荒れていたグルートの面倒を見たこともそのうちのひとつだった。

 煙草の先端に火が点る。舞い上がる白い煙を目で追っていると、グラがこちらの方を向いているのに気づいた。鋭い眼光は闇の中でも感じられ、グルートは背筋が伸びる思いがした。


「オマエが死ぬんは勝手やけどな。これだけは覚えとき。……半端な気持ちであの子に関わとったら、いつか必ずあの子自身を傷つけることになるで。」
「……。」

 グラは缶に口を付け、ぐっと勢いよくビールを飲み込んだ。ぐびぐびと彼の喉元を通り、缶の中のビールはあっという間に空になった。缶を揺すり中身が無くなったことに気づいた彼は気だるそうに立ち上がる。そのままグルートの傍を無言で通り抜け、ポケモンセンターの出口の方に向かう。夜のヒウンの街に繰り出し、飲み歩くつもりだろう。


(…何もかもお見通しってわけか。)

 恐らく、それを伝えるためだけにここに留まっていたのだ。
 遠くなっていく彼の背が大きく見えるということは、やはり自分はまだまだ子供なのだろうと思った。

 静まり返った暗い空間で点る煙草の火が、消し去れぬ過去の残り火のように思われて。グルートは額に帯びる熱を感じながら目を伏せた。
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