shot.6 死の香り

 彼が演奏を始めて暫くしてからブレイヴが突然、落ち着きなく辺りを見渡し始めた。空いている手を添えて神経を研ぎ澄ませるように耳を傾けている。

「……どうしたの?ブレイヴ。」
「変な音しねェ?」
「いいえ、私は特に……。」

 尤も、アンヌには青年の弾くギターの音以外は何も聞こえなかったが。その音も青年の指の動きが止まり、やがて聞こえなくなる。演奏が一段落し、彼も気が済んだのだろうか。


「騒々しい奴らだ。」
「!」
 
 集団はグルートに向けていた銃口の向きを変え、突然青年の方へと集中させる。複数相手の戦いではまず頭数を減らすことが先決で、弱ってる相手を狙うのは基本だ。それに気が付いたグルートは妨害の為にすぐさま火の粉を放ったが、既に引き金は引かれていた。

「避けろ!」

 グルートの声で攻撃に気が付くが、青年を抱えて避ける時間はなかった。ブレイヴが立ち上がり、トラゴンテールで相殺しようにも攻撃の発動が間に合わない。――せめて彼だけは守らなければと、アンヌは咄嗟に彼の体を抱き締め、背中に走る痛みを予測して、耐えるように目を瞑った。

 攻撃が迫っているという状況のせいなのか、静かだったスカイアローブリッジの取り囲む波の音も段々と大きく、こちらに近づいてくるように聞こえた。ごおお、という激しい波の音がする。



「――な、なんだ!?」

  
 感情を露わにすることのなかった集団が急に狼狽え出した。それと同時に上空からばしゃりと水のような液体が降りかかり、驚いたアンヌははっと顔を上げた。唇に触れた水には塩気があった。

「これは…!」

 周辺の海水がスカイアローブリッジを目掛けて、鉄砲水のように無作為に襲いかかる。海面は間欠泉のように沸き立ち、まるで意思を得たように激しく動いていた。集団が相殺しようとするが、荒れ狂う水の勢いには敵わず弾かれてしまう。
 水飛沫が上がり、叫び声が増えては遠くなっていく。相手の放った毒針も彼ら自身も海水に飲まれ、流されてしまったようだった。


「奇跡でも起こったのかしら……。」


 まるで自分達のピンチを救うために天変地異が起こったようで、アンヌは呆気にとられる。が、グルートは首を横に振り「いや、」と彼女の言葉を否定した。彼も頭から水を被っており、濡れた髪からぽたぽたと垂れる水を鬱陶しそうに払った。タイプ上、水が苦手ということもあってか、やや不機嫌そうにも見えた。


「…こりゃたぶんポケモンの技だ。海水を使って、ここまで派手な波乗りが出来るのは水タイプぐらいだろうな。」
「え?でもグルートもブレイヴも水タイプじゃ……。」

 困惑するアンヌから、グルートの視線はアンヌが庇っていた青年の方へ向く。それに合わせてアンヌとブレイヴの視線も恐る恐る、彼の方に向いた。グルートとブレイヴ以外で…というのならこの中で可能性があるのはひとりしかいない。
 だが彼は何も答えず、曖昧に笑みを浮かべるだけだった。


「あなた…ポケモンなの?」
「そんなことより、自分達の心配したら?」
「え?」

 追及しようとするも、アンヌの声は意味深な彼の言葉に遮られてしまう。
 敵も全て水に流され、危機は去った。それは技を発動したと思われる彼自身が一番わかっているはずだった。

 一体彼は何のことを言っているのか。――が、その言葉の意味はすぐに知る羽目になった。



「な、なな…!なんじゃこりゃああ!」
「どうしたの!ブレイ―――。」

 ただならぬブレイヴの絶叫が聞こえた後、上空を覆う大きな陰ができる。見上げた瞬間、アンヌも息を呑み、さっと血の気が引いていくのを感じた。

 大きな荒波の大群が今まさにアンヌ達の身に降りかかろうとしていたのである。


「ひゃああ!!」

 抗えない水圧に押し流され、アンヌ達はスカイアローブリッジから真っ逆さまに転落する。

「うおおおおおおおッ!??」
「ちっ…水は勘弁しろっつーの…!」

 風に頬を殴られているような勢いで青々とした海が迫っている。このままでは海の藻屑となってしまうのも時間の問題だ。奇跡から一転、悪夢に突き落とされた気分だった。


「どうにかならないのっ!?」


 青年が水タイプのポケモンならこの状況を何とかできるのではないかと、アンヌは震える声を振り絞って彼に呼びかけた。…しかし彼が口を開くことはなかった。アンヌ達が危機を感じているのに対し、彼には少しの焦りも見られない。虚ろな目をして、ぼんやりと他人事のように離れていく空を眺めていた。

 どうやら青年に力を貸す気はないらしい。そう判断したグルートは一か八かと、覚悟を決めた。


「クソガキ!海に向かって全パワーを注ぎ込め!」
「はァ!?何でだよ!」

 険しい顔をしながらブレイヴに叫ぶ。自分達の力をクッションにし、落下する衝撃を和らげようとグルートは考えていた。だが彼の言葉の意図を理解できなかったブレイヴは焦りと疑問が入り混じったような荒い声を漏らす。

「説明してる暇はねぇ!死にたくなかったらな!」
「チッ…!あー!もうわけわかンねェ!!!」

 普段は冷静沈着なグルートの切羽詰まった様子に何かを感じ取ったのか、ブレイヴは半ば自棄になりながら自身の手にエネルギーを集中させる。グルートも彼と同じように両手に力を溜める。


「今だッ!」

 海面に接触するギリギリのところで、すかさずグルートが合図を出した。ふたりの全パワーが海に向かって注がれる。爆音と共に白い波が天まで突き抜ける。力の氾濫。海が騒めき、大きな波が揺れ動きながら広がっていく。
 じゃばん、と海に体を叩きつけられたあと、アンヌは意識が遠のいていくのを感じた。

◇◆◇◆◇


 ヒウンシティにある港の一つ、プライムピアは何時にも増して騒がしかった。船がタチワキシティ方面から戻ってくる最中、沖で意識を失った男女4人が発見されたのだ。――そう、グルートとブレイヴ、青年、アンヌの4人のことだ。皆、意識は失っていたが幸いにも息はあった。
 用意されたブルーシートの上に四人を並べ、対応に追われる船員達は慌ただしい様子で声を荒げていた。

 ――そこへ、気怠そうな足取りでやってきたサングラスの男がいた。彼の歩みに合わせて、膝下で裾が括られた、だぼだぼのズボンが揺れる。泥にまみれた靴には年季が入っていた。

「親父!」

 彼に気が付いた船員のひとりが頭を下げると、周囲にいた船員達も一斉に頭を下げる。彼は「おう」と抑揚のない低い声で挨拶を返すと、ブルーシートの上に乗せられた4人に近寄る。ざっと一瞥した彼はふと、眉間に皺を寄せ顔を顰めた。
 自分達の対応に何かまずいところがあったのかと思った船員は、慌てて彼の前に身を乗り出した。

「今、ポケモンセンターに運ぼうとしていたところで……。」
「いや、ええ。ワシが運んどくわ。」
「え?でも……。」
「ちょうど一休みしよ思うてたとこや。ジブンらは仕事に戻っとき。」

 てっきり怒られるとばかり思っていた船員達は拍子抜けした様子で顔を見合わせ、きょとんとした。その間に男はいそいそとアンヌと青年を背負い、両脇にブレイヴとグルートを抱えた。相当な重量があるにもかかわらず、それを思わせない程、彼は軽々と4人を持ち上げる。
 船員達が止める間もなく、男は4人を抱えながらポケモンセンターに向かって歩き出した。
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