shot.6 死の香り

「目的は何だ。」
「シャルロワ財閥の令嬢を渡せ。」
「!」

 彼らの言葉に最も驚きを露にしたのはアンヌだった。いずれ追手がくることは覚悟していたが、いざ相対すると動揺は避けられなかった。
 彼女の動揺を強めた要因はそれだけではない。アンヌを追って来るならばあのシャルロワ財閥の警備隊であるラインハルトのはずで、今目の前にいる相手には令嬢である彼女ですら見覚えがない。身に纏っている装束も雰囲気もラインハルトとは違っていた。
 同じ黒スーツを着て、拳銃を向ける姿は先にグルートが言葉を溢した通り、マフィアのように見える。何よりグルートに一層強くそれを想起させたのは無表情な彼らの体から漂う血の臭いのせいだった。こいつらはラインハルトとは違い、“慣れている”と彼は本能的に察した。

「一体、どこのどいつの差し金だ。」
「答える必要はない。大人しく令嬢を渡せ。――さもなくば。」

 向けられた銃口が静かに光る。わかりきっていたことだが相手は素性を明かすつもりはないらしい。アンヌも知らないラインハルトとは別にいる屋敷の関係者か、或いはアンヌが屋敷からいなくなったことを嗅ぎ付けた連中が彼女を利用し財閥から金を強請る気なのか。――いずれにせよ、グルートの意思は固かった。


「悪いがこいつを渡すつもりはねぇ。文句があるならかかってきな。」
「…撃て!」

 グルートの言葉を宣戦布告と受け取った相手は銃口から一斉に毒針を発射する。

「熱風!」

 これだけの量を一つ一つ撃ち落としていてはきりがない。そこでグルートは広範囲に届く熱風で対抗する。身を焼く熱の風に煽られ数人が転倒し、橋の下へと落ちていく。だが先程の煙幕の影響で命中率が下がっているため、いくつかの毒針は跳ね返し切れず彼の頬を掠めた。

「グルート!」
「…大したことはねぇ。お前なら知ってるだろ。俺がギャラリーに囲まれるのはよくあることだって。」
「でも…!」
「お前はそこの阿呆供の面倒を見ててくれ。」

 好戦的に笑む顔を崩さず、彼は頬を拭った。運よく毒にはならずに済んだようだが、敵の攻撃の手は緩む気配がなかった。

(グルート…どうか……!)

 アンヌは祈るような気持ちで彼の背を見つめていた。――グルートは自分の為に体を張って戦ってくれている。何もできない自分の非力さに胸が張り裂けそうになる。力を持たない人間のアンヌに出来るのは彼を信じることだけだった。

◇◆◇◆◇


「道理で世間知らずなわけだ。あはは。」

 緊迫した雰囲気に似合わない軽い声が響く。青年はアンヌを値踏みするように見、合点がいったように冷たく笑っていた。守られているばかりの自分、苦しげに横たわるブレイヴ。アンヌには言葉がなく、もどかしそうに唇を噛んだ。こういう時トレーナーならどうするべきなのか――。

「うっ……チクショウ……。」
「ブレイヴ!」
「負けて…たまるかよ…ッ!」
「無理をしてはいけないわ!今は安静にしていて!」

 僅かに残った気力を振り絞り、ブレイヴは上体を起こそうとする。震えた拳が彼の憤りを表していた。しかし無暗に体を動かせば毒の回りが早くなってしまうのはアンヌでも想像がついた。彼女は必死に彼を落ち着かせようとする。

「こンなの、オレ様の気合いでなんとかしてやる…ッ!」
「無駄なことは止めなよ、君。毒消しも持っていない無能なトレーナーの下にいれば、遅かれ早かれ死ぬ運命さ。」

 ふたりを煽るように彼の口からは辛辣な言葉が吐き捨てられる。その挑発に乗り、ブレイヴは益々躍起になって立ち上がろうとする。

 一方、アンヌは彼の言葉に引っ掛かりを覚え、じっと記憶を辿りはじめる。――毒消し。どこかで聞いたことのあるワードだ。名前と青年の言葉から察するにそれがあれば解毒することができるのだろう。
 ふと自身の肩にかけていたショルダーバッグを見て、このバッグをくれたマリーの言葉を思い出した。

『あと、ついでにキズぐすりと、どくけしもいれといたから。』


 はっとしてアンヌは急いでバッグの留め具を外し、中を開けた。すると見慣れた傷薬以外にもいくつかスプレー式のボトルが入っていた。その中からラベルに“毒消し”と書いてある紫色の紫色のボトルを見つける。

「……へえ、辛うじて持ってはいたんだね。」
「これを吹きかければいいの?」
「さあね、やってみれば。」
「オレ様は……毒消しなんてなくても…!」
「お願いだから大人しくしていて、ブレイヴ!」

 期待外れのような顔をする青年を後目に、アンヌは同梱されていたガーゼを取り出す。傷薬の使い方は習ったことがあったが、状態異常の対処をするのはこれが初めてだった。ブレイヴは薬が嫌いなのか少し抵抗したが、アンヌが懇願すると渋々それを受け入れた。彼女は傷薬を使う時のようにガーゼで押さえながら、ブレイヴの体の毒針が刺さった部分に毒消しを慎重に吹きかけた。

「い、痛ェ!」
「ご、ごめんなさい。少し我慢してね。」

 患部に触れるとしみるのは傷薬と同じようでブレイヴは声を上げた。自分のやり方が間違っているのかもしれないと不安になる。が、その心配は無用だったらしく、暫くすると紫色に変色していたブレイヴの肌は徐々に元の小麦色に戻っていく。


「……ん?…なンか、楽に……。」

 ブレイヴの顔に生気が戻ってきて、苦悶を浮かべていた表情がふっと柔らかくなる。荒くなっていた呼吸も落ち着きを取り戻し始めた。

 ――解毒が成功したのだ。
 アンヌは全身から一気に力が抜けるような心地で、ほっと胸を撫で下ろした。


「よかった……。」
「ヘッ、毒消しがなくたって、ヨユーだったつーの!オレ様は!」

 途端に調子のいいブレイヴの姿にアンヌはくすりと微笑みながら頷いた。やはり彼はこうでなくてはいけない。彼が元気でいてくれることがとても尊く、頼もしく感じた。



「あの、…ありがとう。」
「……なにそれ。」

 アンヌは青年に深々と頭を下げた。彼は異様なものを見るような、猜疑心に満ちた眼差しを彼女に向ける。けれど彼女はその視線すらも払拭するようにとびきりの笑顔を彼に返した。

「あなたが毒消しのことを教えてくれたから、ブレイヴを助けられたわ。本当にありがとう。」
「…あのさァ、都合よく解釈しないでくれる?僕は嫌味のつもりで言ったんだけど。」
「それでも言いたいの。」
「……。」

 彼の意図がどうであれ、毒消しのことを思い出すきっかけをくれたのは紛れもなく彼の言葉のおかげだった。屈託のない笑みを向けられ彼は居心地が悪そうに苦い顔をし、あからさまにアンヌから視線を逸らした。


「…こういう空気は肌に合わないんだ。失敬するよ。」
「えっ?」

 彼はアンヌの足元にあったギターケースを拾い上げ、覚束ない足取りでヤグルマの森へ引き返そうとする。今にも倒れてしまいそうな彼の後ろ姿はあまりにも頼りなく、寂しげに見えた。


「待って!その状態で森を抜けるのは難しいわ!」
「ならそのまま野垂れ死ぬだけさ、あはは。」

 冗談か本気かわからないような口ぶりで彼は言葉を返す。それにもどかしげに歯を食い縛り、苛立ちを露わにしたのはブレイヴだった。

「そんなことさせるかよ!コッチは元気になったおめェを殴らなきゃいけねェンだ!」

 しかし彼はブレイヴの言葉にも何も聞こえていない風で振り返ろうとはしなかった。説得に応じない彼を引き留めるためにブレイヴが駆け出す。

 ――が、そこへ再び、大量の毒針が襲い掛かった。

「きゃっ!」
「危ねェ!」

 ブレイヴは傍にいたアンヌの腕を引き、間一髪で攻撃を避ける。先ほどまでアンヌ達の居た場所には毒針が突き刺さっていた。


「おい、大丈夫か!」

 少し離れた場所で応戦していたグルートが背を向けたまま、アンヌ達に声をかける。

「ええ、ブレイヴが力を貸してくれたから――。」


 言葉を続けようとしていたアンヌの声が途切れる。アンヌは口元に手を当て、青年の方を向いたまま、目を見開いた。

「あなた…その腕…!」

 ぽたぽたと地面に滴るおどろおどろしい紫色の毒。それは青年の前腕部に刺さっていた2本の毒針から溢れ出したものだった。
 ただでさえ衰弱している体に毒を浴びれば無事では済まないだろう。

「クソッ!」

 ブレイヴは悔しさを噛み締めながら青年に駆け寄ろうとした。せめて倒れる前に体を受け止めてやろうとしたのだろう。けれど当の本人の彼は他人事のように落ちついており、刺さった毒針を呑気に眺めていた。


「あはは、毒ってもっと辛いのかと思ってたけど、…意外と温いんだね。」

 薄く笑った後、あろうことか彼は毒針に手をかけ、それが溶けきる前に自らの手で針を引き抜いた。

「危険だわ!直接毒に触れるなんて…!」
「既に毒に塗れているようなものだけどね。」

 ぽつりと溢された彼の言葉は皮肉っぽく自らを嘲笑っているようで。それが何を意味するのかアンヌにはわからなかった。その内に彼の体はぐらりと揺れ動き、崩れた体をブレイヴが支えた。


「オイ!しっかりしろッ!」
「…げっほげほ…ああァ、今日は本当最悪な日だよ。勝手に運ばれて、関係ない事情に巻き込まれて……。」
「…ごめんなさい。私のせいで……。」
「本当だよ。」

 口の端から零れた血を拭うこともせず、彼はギターケースに手を伸ばす。ギターを弾きたいのだろうかとアンヌは思い、それで気持ちが安らぐならとファスナーを開け、取り出したギターを彼に手渡した。彼は横になりながら、血に濡れた手で弦に手をかけた。


「…だから、巻き込まれても文句を言うんじゃァないよ。」
 
 じゃん、と一音鳴り、弦の上で素早く指が行き交う。体力を失いかけているとは思えない機敏な動きだ。
 音が空気を伝い、周囲に広がっていく――。青年が音に合わせて僅かに口を動かしたように見えたが、内容を聞き取ることはできなかった。
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