shot.6 死の香り

 自然が作り出した大木が連なる道を潜り抜ける。人間のアンヌからしてみればどれも同じような緑が広がっているようにしか見えず、自分が今どこにいるかなど皆目見当もつかなかった。けれどポケモンであるグルートとブレイヴには匂いと生き物の気配から街の方向がわかるらしかった。現に彼らの足取りはナビゲーションのように躊躇することなく進んでいく。

 緑が生い茂った道を踏みしめ、段差を飛び越えると、先ほどの遊歩道に出た。関所の傍に目立つように置いてあった看板を見ると、ヤグルマの森とヒウンシティを繋ぐスカイアローブリッジはもうすぐそこのようだった。

「よし、こっちだな。早く行こうぜ!」

 目的地が近いことを実見したブレイヴは更に速度を上げて走り出す。青年を背負っているブレイヴは彼の衰弱を肌で感じているのだろう。あの破天荒なブレイヴにしては珍しく余裕がなく、焦っている様子だった。

◇◆◇◆◇


 スカイアローブリッジはイッシュで一番大きく長い橋とされ、有名な観光地になっている。すぐ下には貨物車専用の道があり、この先にある大都会ヒウンシティの繁栄ぶりを表すように、トラックが引っ切り無しに行き交う様が見られた。

「妙だな。」

 橋の上に立ったグルートが訝しげに目を細めた。初めてこの場所に来たアンヌには何がおかしいのかさっぱりわからなかったが――彼女の不可解そうな顔に気が付いたグルートは周囲を見るように促した。

「普段は人とポケモンで嫌になるぐらいごった返してるってのに……俺ら以外何の気配もねぇ。…静かすぎるぜ。」

 確かにグルートの言う通り、スカイアローブリッジは観光地とは思えぬほど場は静まり返っており、人っ子一人どころかポケモンの子一匹の姿も見えない。橋の下に広がる海の波が騒ぎ立つ音もはっきりと聞こえるぐらいだった。

「そういえば…そうね。森の遊歩道の方には沢山人がいたはずだけれど……。」
「ンなこと今はどーだっていいだろ!こっちは急いでンだ、チンタラしてられっかよ!」
「ちょっとブレイヴ!」

 ふたりの警戒を他所にブレイヴはヒウンシティに向かって走り出していた。アンヌとグルートは顔を見合わせる。――奇妙には違いない。が、それ以上のことは何もないというのも事実。ブレイヴが背負っている青年のこともあり、アンヌ達は注意しながら先に進むしかなかった。


 橋の中腹あたりに差し掛かった頃、辺りが薄ぼんやりと白っぽくなる。スカイアローブリッジでは霧が観測されることはよくあることだとタウンマップにも書いてあった。視界が悪くなり、景色はおろか、三、四歩先も真っ白だった。


「っ、ごほっ…ごほっ……。」

 落ち着きを見せていた青年が再び咳き込み出す。ブレイヴは横目でぐったりとしている彼を見、もどかしげに舌打ちをした。

「オイ、しっかりしろよ!あと、もうチョットだからよッ!」
「………っげほ……っ、ちがう……。」
「あ?何だ!」

「……君って…本当、こっちが鬱になるぐらい能天気だね…。…っ、これは…発作じゃァない……。…『煙幕』だ……!」

 虚弱体質な彼は環境の変化にも人一倍敏感なのだろう。彼がそう呟いた頃、ブレイヴも目の痒みを感じ、息苦しさを感じた。後続の仲間も同様で、アンヌも目を瞑り、ごほごほと辛そうに噎せていた。
 グルートはアンヌの傍に寄り、彼女を庇うように胸に抱きしめ、空いた片手を口元で抑えながら発生源を探った。――すると、前方、ヒウンシティ方面に無数の影が見えた。目を凝らしていると、黒いスーツを着、目深に帽子を被った人の形をした集団の姿があった。

(…何だ、あいつら?)

 その方を不審そうな眼差しで睨んでいたグルートだったが、煙幕の中から何かが飛び出してくるのに気が付き、アンヌを抱えたまま、さっと後ろに下がった。すると一足遅れて、今までグルートがいた辺りに“針”が落ちて来た。針が落ちた場所はマグマのようにどろりと溶け、紫色の毒々しい液体の残骸が広がっていた。

(これは『毒針』……!)

 用意周到な煙幕とピンポイントで向けられた毒針の攻撃に、グルートは相手が明らかにこちらを狙ってきていることを感じ取った。
 毒針は無数に飛び交い、執拗にグルート達に向かって放たれる。避けても避けても、毒針の強襲は止まらない。

「クソッ!何だってンだッ!こうなりゃ、コッチから攻撃してやる!―――『岩雪崩』ッ!」
「止せ、馬鹿!」

 痺れを切らしたブレイヴが自身の周囲に岩を生み出し、敵のいる方に向かって投げつける。だが、この煙幕で遮られた視界ではまともに攻撃が当たるはずもない。ざばん、と水が跳ね上がる大きな音。岩石は橋を飛び越えて、下の海に墜落したようだった。
 しかし最も問題なのは攻撃が外れたことではない。岩石の飛んできた方向を逆算すれば、標的の居場所は決定的なものになる。ブレイヴが目を見開いた時にはすでに毒針は目と鼻の先に在り。咄嗟に背負っていた青年を後ろに投げ飛ばしたが、彼自身が避けるには時間が足りなかった。先ほどよりも精度を上げ、大量の毒針がブレイヴに襲い掛かる。

「ぐああああッ!!!」
「ブレイヴッ!?」

 毒針の雨を浴びたブレイヴは絶叫し、地面にのた打ち回った。アンヌはグルートの腕から飛び出し、ブレイヴに駆け寄った。彼の体に刺さった針は消え、代わりにブレイヴの肌が健康的な小麦色から紫色へと変貌していく。異様な状態にアンヌはさっと血の気が引いていくのを感じた。

「どうしたのブレイヴ!しっかりして!」
「ぐ…ううっ……。」
「まずいな、毒状態になってやがる。」
「毒状態…!?」
「毒が…体を蝕み、体力をじわじわと奪うのさ……君、トレーナーを自称するくせにそんな初歩的なことも知らないんだね。」
「…!」

 地面に体を投げ出された青年がむくりと起き上がる。彼の溢した皮肉にアンヌは返す言葉もない。
 だが、落ち込んでいる暇はなかった。目の前には額に汗を滲ませ、絶え絶えの息を漏らすブレイヴと青ざめた顔をする青年。素性の知れない敵もいる。この現状を打開する方法を考えることが先だった。

 周囲を包み込んでいた煙が薄くなる。明瞭になった視界の先にはスーツを着た集団が几帳面に横一列で並び、彼らの行く手を阻むように道を塞いでいた。

「どこぞのマフィアみてぇだな。」

 数はざっと、30。一斉に向けられた銃口を見て、グルートは汗が頬を滑るのを感じながら薄ら笑んだ。
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