shot.6 死の香り

 それからアンヌは彼の隣に座って、彼が演奏するのをじっと見ていた。幼少期から様々な楽器と親しんできたアンヌだったが、彼の弾いている楽器を見るのは初めてだったのだ。軽やかに動く彼の柔軟な指を伝い、6本の弦から次々と紡ぎだされる音に彼女は控えめに感嘆の声を漏らした。

「いつまでそうしているつもりだい?気が散るんだけど。」

 演奏する指はそのままに、彼は煩わしそうな声を溢した。またアンヌの悪い癖が出てしまっていたようだった。

「ああっ、ごめんなさい。私ったらまた…。初めて見る形の楽器だったから気になってしまって。」
「…初めて?エレキギターを?」
「ええ。バイオリンやピアノには触れる機会があったのだけれど。…それ、エレキギターって言うのね。軽快に音色が変わって面白いわ。」
「……ふうん。」

 彼はアンヌを見て、一瞬訝しげに目を細めたが、すぐに興味なさそうに視線を宙に戻した。好奇心から先走ってしまう迷惑な行動に、いい加減、彼も言葉を失い呆れてしまったのかもしれないとアンヌはひとり猛省した。
 彼の涼しい顔が冷ややかな態度にも見え、どことなく気まずい空気になる。沈黙の間にノスタルジックなギターの音が一層大きく聞こえた。

(せっかく、こうして出会えたのに……このままじゃいけないわ。)

 同じ時間を過ごすなら楽しい方がいい。分かり合えないまま彼と別れるのは悲しいように思われてアンヌは意を決し、身を乗り出した。


「ねえ、あなたのお名前は何というの?」

 仲良くなるにはまずは相手を知ることが必要だと思ったアンヌは、話題を切り替え、明るい調子で彼に声をかけた。しかし、彼はまたもや無視をする。まるでアンヌの存在などどうでもいいといった感じだ。

「ええと…私はアンヌ。まだまだ未熟だけれどトレーナーをしているのよ。」

 挫けずアンヌは自己紹介をし、彼の様子を窺う。…すると今度はふっと小さく口元を弛めた。アンヌは彼が興味を持ってくれたのかもしれないと僅かに期待感を抱いた。

「ポケモンもいないのにトレーナーになれるんだね。あはは。」
「……。」

 が、その期待は裏切られ、アンヌの気持ちは邪険に突き放された。
 言われてみれば今、アンヌの周囲には彼女以外誰もいない。グルートとブレイヴの存在を知らない彼からしてみれば彼女はどこからどう見てもひとり身だった。

「今は遊歩道の方で待ってもらっているの。頼もしい仲間がいるんだから。」
「あはは、仲間、ねぇ。……本当は仲間なんてひとりもいないんじゃァないの?」

 嘲笑うような言葉を繰り返す彼にアンヌは少しむっとした。すると反論した途端、無視を決め込んでいた彼が弧を描くように目を細め、溢す言葉とは不釣り合いなほどにこやかな顔つきになった。

「仮にいたとしても、だ。君が都合よく“仲間”って思い込んでいるだけで、相手は君のことなんて何とも思っていないかもしれないよ?」
「そんなこと……!」

 頭にかっと熱が上り、思わずアンヌは立ち上がった。しかし彼の光のない黒い眼がアンヌの返答を鈍らせた。彼の奏でる音が不協和音のようにアンヌの耳に反芻する。

「根拠は?…無いんだろう。まァ、君がそう思い込んでしまうのも仕方ない。――トレーナーとポケモンは仲良し。そういう先入観をメディアによって植え付けられているからね。」
「いいえ、トレーナーとポケモンはいつだってお互いを思い合っているわ!」
「よく考えてご覧。ある日突然、どこの誰とも知らない奴に捕獲されて、トレーナーにいいように使われて君は仲間だ!って思える?……この世にはそういう勘違い野郎が多いって訳さ、あはは。」

 何が面白いのか、彼は笑みを強める。ゲラゲラと不気味に軽蔑の眼差しを向ける。ぐびぐびと自棄酒を呑むような、無気力さ。投げやりですべてを諦め切っているような、乾いた笑い。

 …確かに彼の言う通り、他者の本心は幾らアンヌが知恵を絞ってもわかるものではなかった。だが、アンヌは仲間を思い描き、祈るような気持ちで彼らのことを信じた。この気持ちは植え付けられたものでも思い込みでもない、と。
 彼とぶつかる視線を逸らさないようにするのがアンヌにとってせめてもの抵抗だった。


「――コイツはオレ様のマブダチだぜ!」

 助け舟を出すように、アンヌの背中にとんとんと二度響いた力。凛々しく、屈託のない声に、振り返った彼女は心に安らぎが戻ってくるのを感じた。


「ブレイヴ…!」
「へへっ、オレ様が来たからにはもう大丈夫だぜ!アンヌ!」

 アンヌを追ってきたブレイヴが親指を立て、彼女を勇気付けるように輝かしい笑みを見せた。

「嫌だったらついていかねぇよ。それぐらいの意志、ポケモンにだってあるぜ。」
「グルート…!」

 木を背もたれにし、煙草を吹かすグルートも素っ気ないながらも、アンヌを掩護する言葉を発した。
 頼もしい彼らの存在にアンヌは胸が熱くなり、溢れる笑みを抑えきれなかった。

「…ふたりとも…ありがとう…。」

 心の奥底から溢れだす、ふたりへの感謝の気持ち。ブレイヴは「おう!」と快活な返事をして、グルートも小さく笑みを浮かべていた。
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