shot.6 死の香り
ヒウンシティに向かったレックスたちの後を追うように、アンヌ達もまた歩き出していた。
シッポウシティを西に進むと豊かな自然が溢れるヤグルマの森がある。観光用に遊歩道も整備されており、緑を楽しむことができるようになっていた。
「自然がいっぱいで、心が洗われるようだわ。」
深く息を吸って吐き出すと、アンヌは気持ちがすっと軽くなったような気がした。心を落ち着かせる緑色、湿った土の臭い、爽やかな風が心地よかった。それはグルートとブレイヴも同じようで、険悪な雰囲気になりがちな彼らも今ばかりはリラックスしたような柔らかい顔つきをしていた。
「そうだな。昼寝にはもってこいの場所だぜ。」
「うふふ、そうね。緑を感じながらみんなでお昼寝するのも楽しそうだわ。」
「いやいや、やるならキャンプだろッ!フランクフルト焼いてカレー作ってよォ~。」
「食ってばっかじゃねぇか。」
花より団子なブレイヴらしい発言に笑い声が溢れた。今頃彼の脳裏にはバーベキューグリルで肉を焼く図が浮かんでいるのだろう。溢れ出す食欲を噛み締めるように「たまんねェー!」と叫びながら涎を垂らしていた。
(あら――?)
和気藹々とした雰囲気の中、ふと目をやった先にアンヌはひとがいるのを見つけた。勿論他にも観光客やポケモン連れのトレーナーは沢山いたが、その人影は遊歩道から逸れ、ひとり、草が生い茂る整備されていない道を歩き出していたのだ。
「あのひと、どうしたのかしら。」
ちらりと見えた詰襟の制服のような恰好は森の奥を探索するにしては軽装で場違いに見えた。それがなんとなく気になってアンヌは足を止める。
「…確かに妙だな。」
彼女の言わんとしていることをグルートも察したようで、不可解そうに眉間に皺を寄せる。
空想に夢中になっていたブレイヴも遅れて視線を向けるが、既に人影はなかった。
「気のせいじゃねェの?」
「いいえ、この目ではっきりと見たわ。…もしかすると、道を間違えているのではないかしら?」
「それはねぇだろ。シッポウ方面だろうがヒウン方面だろうが、この一本道で行けるぜ。人通りだってある。目的でもなけりゃ、道を逸れる方が難しいってモンだぜ。」
「目的……?」
グルートの言葉にアンヌは顎に手を当て、思考を巡らせた。一番考えられるのはヤグルマの森にいるポケモンを捕まえにきたトレーナーという線だ。それならわざわざ森へ入っていく意味もわかる。
――だが、それでもアンヌは納得できなかった。明確な理由があるわけではない、ただ無性に、森の奥へ消えゆく姿に胸騒ぎを覚えたのだ。
「――私、後を追ってみるわ。少し待っていて。」
「おい、アンヌ!」
グルートが制止の声を上げるより先にアンヌは人影を追い、既に走り出していた。取り残された彼の眉間の皺が益々深くなるのは必定だった。
「森の探検か!いいぜ、面白そうじゃねェか!」
おまけにブレイヴまでもが彼女に便乗し、緑が生い茂る道に姿を消す。好き勝手な行動をとる子供ふたりにグルートは頭を抱えて、深いため息を吐き出した。…ブレイヴに関しては説明の必要はないが、ああ見えてアンヌも興味が向いたことには一直線で、一度決めたら譲らない頑固なところがある。
「…全く、手のかかるガキ共だぜ。」
当然、森の奥に向かう彼らを放っておくわけにもいかず、グルートもまたふたりを追って駆け出した。
◇◆◇◆◇
生い茂る雑草をかき分けながら、アンヌは人の手が入っていない野生の道を歩く。草むらの陰には数匹のクルマユの群れが寄り添い、周囲に散らばった落ち葉を咀嚼している。木の下ではホイーガが丸まって、眠りについていた。ホイーガは不用意に近づくと毒のトゲを刺す場合があると本に書いてあったのを思い出し、アンヌは彼を起こさないように足を忍ばせて横を通り過ぎた。
(どこへ行ったのかしら…。)
さほど距離は離れていなかったはずだが、周囲を見渡しても遊歩道で見た人物の姿は見当たらない。
見失ってしまったのだろうかとアンヌが途方に暮れていると――どこからともなく、弦楽器のような弦を弾く音が聞こえてきた。同じ調子のテンポで等間隔に鳴る音は軽快でありながら、すすり泣いているようにも聞こえ、侘しくもあった。
…もしかすると先ほど森に入っていった人物によるものかもしれない。アンヌは耳を傾け、その音を頼りに道を進んだ。
すると間もなく、切り株の上に腰を掛けている人物を見つけた。背格好から男性のようだったが後ろ姿だけでもグルートやブレイヴに比べると随分線が細く、儚げに見える。
彼はアンヌが一瞬見た青い詰襟の服を着ており、その足元には演奏している楽器のケースらしきものが乱雑に転がっていた。
「…楽器を演奏していらっしゃるの?」
控えめに、アンヌが声をかける。しかし返答はない。耳を覆うヘッドフォンをしているところから聞こえていないのだと思ったアンヌは、思い切って彼の前に躍り出た。
漸く彼は演奏する手を止め、気だるそうに視線だけを彼女に向けた。もみあげを鋭角に切り揃え、大胆に襟足を刈り上げた青い髪。中性的な白い顔立ちには塗りつぶしたような黒の目がよく映えた。下瞼には血が垂れたような朱色のメイクをしており、頬には不気味に“殺”の文字が書かれていた。奇抜な格好にアンヌは少し驚いたが、まだまだ自分は知らないことがあるのだと納得し、かえって興味が深くなった。
「見知らぬ他人の後をつけるなんていい趣味してるね、君。」
彼はアンヌの問いには答えず、嫌味っぽく言葉を返した。どうやら後をつけていたことはばれていたらしい。彼女はきょとんと硬直してから、顔を覆い、赤面した。
「ご、ごめんなさい!森に入って行くところをみたものですから…つい……。」
妙に抜けているところがある彼女は彼が悪意を持って発言したことには気づかず、はしたない自分の行動を目が覚めるように気が付き、素直に頭を下げた。皮肉を真に受けられ、彼はつまらなそうに溜息を吐いた。
「差し出がましいようですが…あの、どうしてこちらに?」
「如何して“赤の他人”である、君に、教えなくちゃァならないんだい?」
「あ、ええと……。」
そう言われてしまえばそれまでだった。彼の言う通り、お互いに面識もなく、名前すら知らない。普通なら通り過ぎたことにすら気がつかない存在で終わるはずだったのだ。…ただ、“お嬢様の気まぐれ”によって、遭遇してしまったに過ぎなかった。
「なんとなく…あなたのことが気になったの。うまく説明できないけれど…放っておけないというか……。」
可笑しなことを言っているのはアンヌも重々承知していた。言葉を口にしつつも、当の本人でさえよくわからなかった。
彼は奇異なものをみるように光のない黒い眼をじっとアンヌに向けた後、口元を歪め、軽薄な笑い声を溢した。
「あはは、何それ。そんなくだらない理由でわざわざ追いかけてきたの?君、頭狂ってんじゃァないの?」
「……あなたって意地悪なひとなのね。」
「自分に都合が悪いからって僕を悪者扱いしないでくれる?僕は思ったことしか言わないよ、ブス。」
「やっぱり意地悪よ!」
失礼なことをしてしまったのはアンヌもわかっていたが、彼の口の悪さには彼女も黙っていられず、声を荒げた。
薄ら笑みながらアンヌに毒づく彼の姿は、心なしか生き生きとしているようにも見えた。
シッポウシティを西に進むと豊かな自然が溢れるヤグルマの森がある。観光用に遊歩道も整備されており、緑を楽しむことができるようになっていた。
「自然がいっぱいで、心が洗われるようだわ。」
深く息を吸って吐き出すと、アンヌは気持ちがすっと軽くなったような気がした。心を落ち着かせる緑色、湿った土の臭い、爽やかな風が心地よかった。それはグルートとブレイヴも同じようで、険悪な雰囲気になりがちな彼らも今ばかりはリラックスしたような柔らかい顔つきをしていた。
「そうだな。昼寝にはもってこいの場所だぜ。」
「うふふ、そうね。緑を感じながらみんなでお昼寝するのも楽しそうだわ。」
「いやいや、やるならキャンプだろッ!フランクフルト焼いてカレー作ってよォ~。」
「食ってばっかじゃねぇか。」
花より団子なブレイヴらしい発言に笑い声が溢れた。今頃彼の脳裏にはバーベキューグリルで肉を焼く図が浮かんでいるのだろう。溢れ出す食欲を噛み締めるように「たまんねェー!」と叫びながら涎を垂らしていた。
(あら――?)
和気藹々とした雰囲気の中、ふと目をやった先にアンヌはひとがいるのを見つけた。勿論他にも観光客やポケモン連れのトレーナーは沢山いたが、その人影は遊歩道から逸れ、ひとり、草が生い茂る整備されていない道を歩き出していたのだ。
「あのひと、どうしたのかしら。」
ちらりと見えた詰襟の制服のような恰好は森の奥を探索するにしては軽装で場違いに見えた。それがなんとなく気になってアンヌは足を止める。
「…確かに妙だな。」
彼女の言わんとしていることをグルートも察したようで、不可解そうに眉間に皺を寄せる。
空想に夢中になっていたブレイヴも遅れて視線を向けるが、既に人影はなかった。
「気のせいじゃねェの?」
「いいえ、この目ではっきりと見たわ。…もしかすると、道を間違えているのではないかしら?」
「それはねぇだろ。シッポウ方面だろうがヒウン方面だろうが、この一本道で行けるぜ。人通りだってある。目的でもなけりゃ、道を逸れる方が難しいってモンだぜ。」
「目的……?」
グルートの言葉にアンヌは顎に手を当て、思考を巡らせた。一番考えられるのはヤグルマの森にいるポケモンを捕まえにきたトレーナーという線だ。それならわざわざ森へ入っていく意味もわかる。
――だが、それでもアンヌは納得できなかった。明確な理由があるわけではない、ただ無性に、森の奥へ消えゆく姿に胸騒ぎを覚えたのだ。
「――私、後を追ってみるわ。少し待っていて。」
「おい、アンヌ!」
グルートが制止の声を上げるより先にアンヌは人影を追い、既に走り出していた。取り残された彼の眉間の皺が益々深くなるのは必定だった。
「森の探検か!いいぜ、面白そうじゃねェか!」
おまけにブレイヴまでもが彼女に便乗し、緑が生い茂る道に姿を消す。好き勝手な行動をとる子供ふたりにグルートは頭を抱えて、深いため息を吐き出した。…ブレイヴに関しては説明の必要はないが、ああ見えてアンヌも興味が向いたことには一直線で、一度決めたら譲らない頑固なところがある。
「…全く、手のかかるガキ共だぜ。」
当然、森の奥に向かう彼らを放っておくわけにもいかず、グルートもまたふたりを追って駆け出した。
生い茂る雑草をかき分けながら、アンヌは人の手が入っていない野生の道を歩く。草むらの陰には数匹のクルマユの群れが寄り添い、周囲に散らばった落ち葉を咀嚼している。木の下ではホイーガが丸まって、眠りについていた。ホイーガは不用意に近づくと毒のトゲを刺す場合があると本に書いてあったのを思い出し、アンヌは彼を起こさないように足を忍ばせて横を通り過ぎた。
(どこへ行ったのかしら…。)
さほど距離は離れていなかったはずだが、周囲を見渡しても遊歩道で見た人物の姿は見当たらない。
見失ってしまったのだろうかとアンヌが途方に暮れていると――どこからともなく、弦楽器のような弦を弾く音が聞こえてきた。同じ調子のテンポで等間隔に鳴る音は軽快でありながら、すすり泣いているようにも聞こえ、侘しくもあった。
…もしかすると先ほど森に入っていった人物によるものかもしれない。アンヌは耳を傾け、その音を頼りに道を進んだ。
すると間もなく、切り株の上に腰を掛けている人物を見つけた。背格好から男性のようだったが後ろ姿だけでもグルートやブレイヴに比べると随分線が細く、儚げに見える。
彼はアンヌが一瞬見た青い詰襟の服を着ており、その足元には演奏している楽器のケースらしきものが乱雑に転がっていた。
「…楽器を演奏していらっしゃるの?」
控えめに、アンヌが声をかける。しかし返答はない。耳を覆うヘッドフォンをしているところから聞こえていないのだと思ったアンヌは、思い切って彼の前に躍り出た。
漸く彼は演奏する手を止め、気だるそうに視線だけを彼女に向けた。もみあげを鋭角に切り揃え、大胆に襟足を刈り上げた青い髪。中性的な白い顔立ちには塗りつぶしたような黒の目がよく映えた。下瞼には血が垂れたような朱色のメイクをしており、頬には不気味に“殺”の文字が書かれていた。奇抜な格好にアンヌは少し驚いたが、まだまだ自分は知らないことがあるのだと納得し、かえって興味が深くなった。
「見知らぬ他人の後をつけるなんていい趣味してるね、君。」
彼はアンヌの問いには答えず、嫌味っぽく言葉を返した。どうやら後をつけていたことはばれていたらしい。彼女はきょとんと硬直してから、顔を覆い、赤面した。
「ご、ごめんなさい!森に入って行くところをみたものですから…つい……。」
妙に抜けているところがある彼女は彼が悪意を持って発言したことには気づかず、はしたない自分の行動を目が覚めるように気が付き、素直に頭を下げた。皮肉を真に受けられ、彼はつまらなそうに溜息を吐いた。
「差し出がましいようですが…あの、どうしてこちらに?」
「如何して“赤の他人”である、君に、教えなくちゃァならないんだい?」
「あ、ええと……。」
そう言われてしまえばそれまでだった。彼の言う通り、お互いに面識もなく、名前すら知らない。普通なら通り過ぎたことにすら気がつかない存在で終わるはずだったのだ。…ただ、“お嬢様の気まぐれ”によって、遭遇してしまったに過ぎなかった。
「なんとなく…あなたのことが気になったの。うまく説明できないけれど…放っておけないというか……。」
可笑しなことを言っているのはアンヌも重々承知していた。言葉を口にしつつも、当の本人でさえよくわからなかった。
彼は奇異なものをみるように光のない黒い眼をじっとアンヌに向けた後、口元を歪め、軽薄な笑い声を溢した。
「あはは、何それ。そんなくだらない理由でわざわざ追いかけてきたの?君、頭狂ってんじゃァないの?」
「……あなたって意地悪なひとなのね。」
「自分に都合が悪いからって僕を悪者扱いしないでくれる?僕は思ったことしか言わないよ、ブス。」
「やっぱり意地悪よ!」
失礼なことをしてしまったのはアンヌもわかっていたが、彼の口の悪さには彼女も黙っていられず、声を荒げた。
薄ら笑みながらアンヌに毒づく彼の姿は、心なしか生き生きとしているようにも見えた。