shot.5 博物館へ行こう

 強い風圧に体を押され、何かを弾くような大きな音がした。とうとう、ふたりの力がぶつかってしまったのだろうとアンヌは思った。
 だが、粉塵が舞う中、恐る恐る目を開くと、意外にも博物館の様子は先ほどとあまり変わっていなかった。ソフィアや周囲の人たちも物陰に隠れていた為、無事なようだった。それからアンヌはブレイヴとレックスの方を見る。あれだけの力がぶつかり合えば両方とも、或いは押し負けたどちらかが地に伏しているのが妥当だが驚くべきことにどちらも意識があり両足でしっかりと立っている。それは彼ら自身が一番驚いている様子で。――その上、よく見ると互いの拳は相手に届いておらず寸前で“遮られて”いた。

「ここはリングの上じゃねぇぞ、阿呆共。」
「――グルートッ!」

 舞っていた粉塵が収まり視界もクリアになってくる。固まるふたりの間にはアンヌもよく見知ったひとがいた。その姿に彼女の心に安心感が広がっていく。――相手に届く前にふたりの拳はそれぞれ彼が手で受け止めていたのだ。
 当人たちもそれに気づいたようだったが反論するより先に、グルートは彼らを勢いよく殴り捨てた。エネルギーを使い果たしたふたりはその一撃で簡単に地面に突っ伏す。

「いやに騒がしいと思って戻ってみたらこのザマだ。…全く、ガキってのはこれだから面倒くせぇ。」
「邪魔してンじゃねェぞクソ犬!せっかくいいトコだったのによォ!!!」
「うるせぇ。少しは他人の迷惑考えろバカ。」
「なぬっ!?ば、バカだとォッ!?てめェ~~!」

 ついにグルートはブレイヴに対し、「阿呆」ですらなく、「バカ」と言い始める。それはふたりの険悪な関係性をよく表していた。いつもの癖でグルートに掴みかかろうとするがブレイヴにはもう立ち上がるだけの体力は残っておらず、その場で怒り散らすことしかできなかった。
 一方でレックスはグルートのことを凝視していた。止められたことが余程気に食わなかったのだろうか――が、すぐに彼の注目していた点は別にあったということがわかった。

「もしかして…あんさんは……。」
「あ?……げっ。」

 そしてグルートもまたそれに気づき、レックスの顔を見てあからさまに気まずい表情になった。

「やっぱそうや!その赤い鋭い目ェ!グルートの兄貴でっしゃろ!?」

 グルートの反応を見て確信を得たレックスは喜々とした表情になる。アンヌが首をかしげて不思議そうな視線を向けると彼は益々困惑した様子で眉間に皺を寄せた。

◇◆◇◆◇


 サイコソーダを一気飲みして一休みすると、ブレイヴとレックスはすっかり調子を取り戻し呑気に笑っていた。バトルを通してふたりの間には友情が芽生えたらしく殺伐とした雰囲気はもうなくなっていた。ついでにブレイヴがソフィアをナンパしていたというレックスの誤解も解くことができた。
 ……しかし、良いことばかりではない。禁止されている館内でのバトル。当然ながら博物館のスタッフの方々には厳しい注意を受けることになった。尤も、破天荒な彼らが反省するとは思えなかったが。
 部屋の外からも怒号が聞こえるほどこっぴどく叱られた後、部屋から出てきたブレイヴとレックスはあくびをし、怠そうな顔をしていた。

 それからレックス達が博物館に訪れた当初の目的である出土品の鑑定結果を研究室に確認しに行くことになり、それにアンヌ達も同行させてもらうことになった。


「いやァ~、しかしみんな兄貴のツレやったとはなァ。ホンマ世間は狭いわァ!」

 横に並んで歩きながら、レックスは感慨深そうに言葉を溢した。

「ったく、言ってる場合か。お前もちったぁ大人になれっての。」
「す、すんません……。」

 不機嫌そうなグルートに睨まれ、レックスは顔を引き攣らせ苦笑した。
 実は以前、グルートはレックスと同じ“ヒウン建設”で働いており、先輩・後輩の関係だったらしい。まさかこんな形で再会することになるとはグルートもレックスも思っていなかったようだ。

「でもなんだか嬉しいな。お兄ちゃんとアンヌちゃんのお友達が知り合いだったなんて。」
「ふふっ、そうね。不思議なこともあるものだわ。」

 ソフィアは柔らかに笑い、それにつられてアンヌも微笑んだ。広大なイッシュの土地で偶然再会できるというのはそうあることではないだろう。


「……しかし初耳だな、お前に妹がいたなんてよ。」

 穏やかにはしゃぐ彼女らを横目で見ながらグルートはやや遠慮がちに声を潜め、疑問を口にした。けれどレックスは何ということはない風に明るいトーンで「ああ」と思い出したような声をあげた。

「ソフィアは兄貴が会社辞めた後に俺と出会ったんですわ。血は繋がってへんけど、俺にとってはホンマの妹みたいなモンですねん。」
「わかるぜ、レックス。オレ様も違う種族の兄弟がたくさんいるからな!」

 育て屋の皆のことを思い出してか、ブレイヴは懐かしそうに言葉を噛み締める。彼の言葉にレックスは嬉しそうに頷く。そしてソフィアを引き寄せて彼女の頭を大事そうに撫でた。溺愛されているソフィアは少し照れくさそうだが幸せそうだった。
 昔の目をギラつかせていたレックスを知っているグルートはその変貌ぶりに驚いたが、随分と丸くなったものだと微笑ましくもあった。

「…成る程な。ま、あのおっさんなら人でポケモンでも何でも『かまへん』の一言で受け入れるからな。」
「はは、おっしゃる通り!」
「そんな方がいるの?」
「私たちの面倒を見てくれているひとだよ。とても優しいひと。グラさんって言うんだ。」
「チョットおっかないとこもあるけどな……。」

 傍からレックスが声を潜めて、少し茶化すように耳打ちした。そのお茶目な動作が面白おかしくてアンヌはくすっと小さく笑った。

「それじゃあ、グルートも彼のお世話になっていたのかしら?」
「まあな。あんまりいい思い出はねぇけど。」
「思い出?聞かせて欲しいわ!」
「……人様に聞かせられるようなモンじゃねぇよ。」

 興味津々に目を輝かせるアンヌからグルートは思わず視線を逸らす。あまり触れてほしくないのか、彼は黙ってしまった。不躾な質問だったかしらとアンヌが申し訳ない気持ちになっていると、

「嫌やわァ~、何を謙遜してはるんですか!兄貴やったらごっつい伝説ありますがな!」
「あ?」

 代わりにレックスが興奮した様子で口を開き始める。あまりに速すぎる言葉の切り返しにグルートも呆気にとられていた。

「お巡りさんと殴り合うんは朝飯前!寝てるグラの親父の顔にションベンぶっかけたり、会社の金庫の金を全部盗んで一夜で使いきったり、そらもう伝説ポケモンもびっくりの伝説ぶりで……。」

 どうやらお調子者のところもレックスはブレイヴに似ているらしい。その上お喋り好きなようで彼の口からは赤裸々にグルートの昔話が語られる。…次の瞬間、グルートの手によってレックスの顔面が壁に打ち付けられ、強制終了させられるのは案の定の展開ではあった。

「HAHA!何だよ。てめェこそバカじゃねェかよ、クソ犬!」
「ちっ…余計なこと言いやがって。」
「す、すんませんでしたァ…!」
「ほらみろ、あの赤いバカが余計に調子乗るだろうが。」
「赤い…ってオレ様のことかゴラァ!!!」

 今度こそといわんばかりにブレイヴはグルートに掴みかかろうとしたが、動きを読んでいたグルートはさっと身をかわして、彼はレックスと同じように壁に顔を強打することになった。


「ええと……世界って本当に広いのね……。」

 グルートが話したがらないのも無理はない。お嬢様育ちのアンヌには想像もつかない世界が広がっており、彼女の頭はキャパオーバーしていた。
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