shot.4 ゴー・アウェイ
3番道路の雑木林を抜けると、程なくシッポウシティに到着した。目を引くのは、建造物の殆どが木製の倉庫で出来ているという点だ。かつては貨物の保管場所として利用されていた倉庫が、鉄道の廃線によって閉鎖され、今ではアーティストたちのアトリエとして活用されている。それぞれのアトリエの軒下に並ぶ、意匠を凝らした個性的な絵画や彫刻をアンヌは興味深そうに眺めていた。
「見て、グルート!この絵、とても綺麗だわ。」
とあるアトリエで目についた、イーゼルに立てかけられた絵画を指差し、彼女は興奮気味にうなるような声を上げた。
キャンバス一杯に広がったコバルトブルーの海の中心で、コーラルピンクが一筋、差している。シンプルな抽象画だが、アンヌの目にはそのコーラルピンクが水の中で凛と輝きながら優雅に踊っているように見え、それがとても美しく思われた。
「…俺にはさっぱりわからん。」
「ええ!」
アンヌが促すものだから仕方なく眺めてみたグルートだったが、彼の心にはあまり響かなかったようで、不可解そうに眉間の皺を強めるばかりだった。思わずアンヌは「こんなに綺麗なのに!」と彼に対し、やや非難を含んだ声を零した。すると案の定、グルートは不貞腐れたような視線をアンヌに向け、小さく舌打ちを溢した。
「悪かったな。生憎、芸術には興味ねぇんだ。ガラじゃねぇし。」
「むう…。」
「はははっ、見る人によって見え方が全く違う。これだから抽象画は面白いんだよね。」
「!」
二人の様子をアトリエの奥から眺めていた男性が、ぬっとアンヌ達の前に姿を現す。虚を突かれたアンヌは間抜けな顔をしてしまい、恥じらうように両手で顔を覆った。すぐに身なりを整えると小さくお辞儀をした。
「あのう、もしかして、……この絵の作者の方ですか?」
「いかにも。これは『ヴィーナス』というタイトルの絵でね。あるひとにインスピレーションを受けて描いたんだ。」
「あるひと?」
「そう、ミュージカルホールの人気NO.1女優!サイルーン!僕の憧れのアーティストさ!」
きらきらと少年のように目を輝かせ、画家は両手を広げながら、舞うように足をターンさせた。その動きは彼が賞賛する「サイルーン」という女優の真似をしているのかもしれない。
幼少よりピアノやバイオリンなど芸術的な事柄に触れる機会の多かったアンヌは、アーティストである彼女に対して、大いに興味を持った。
「サイルーンさん…。私も、一度、お目にかかってみたいわ。」
「是非!ライモンシティに寄った際はミュージカルホールに足を運んでみてよ。彼女の歌、踊り、演技力は圧倒的だよ。」
熱弁する若い画家の言葉に耳を傾けながら、アンヌはまだまだ自分の知らない世界があることに期待と、言いしれぬ高揚感を募らせた。
◇◆◇◆◇
「ええと……。」
町を軽く散策し終え、アンヌはタウンマップを食い入るように見つめていた。シッポウシティを訪れたら必ず行くと決めていた場所、シッポウ博物館を目指していたのだ。それは彼女なりにトレーナーとしてポケモンの歴史や生態についてきちんと学んでおきたいという思いがあったからだった。
その第一歩として、アンヌはグルートの力を借りずに自分の力でマップを把握し、博物館までたどり着くことを目標にしてみたのだが。
「んー…北がこっちだから……マップはこの向きでいいのかしら…。」
「阿呆。そっちは南だ。」
「もう、グルートは口を出しちゃ駄目よ。私が一人でやるのだから!」
「俺だってこんなところで爺さんになりたくねぇからな。」
「……何回目?」
「この通りだけで、もう六回は見た。」
「えっ!」
「同じ町の中でここまで迷うなんて、ある意味才能あるぜ。」
堂々巡りとはまさにこのことを言うのだろう。マップの内容は理解できても、それを実際の道と照らし合わせて使うのは、まだアンヌには難しいらしかった。しかし肩に力が入っている彼女は、いつもなら軽く流してしまうグルートお得意の皮肉を真に受けて、益々躍起になり、尚もマップにしがみついて頭を悩ませる。これでは状況が悪くなるのは目に見えていた。
「ううん…。何故かしら。倉庫を曲がるといっても、どれも同じ倉庫に見えて違いがわからなくて――あっ!」
グルートは背後から手を伸ばし、アンヌの手にあったマップをさっと奪った。何か言いたげな彼女を制して、彼はマップを折りたたみ、内ポケットの中にしまった。
「こういうときは一度、目を離すんだ。で、気分転換に周りを見る。」
「でも…、」
「いいから、やってみな。」
アンヌはグルートの言葉に半信半疑だったが、マップが手元になければ大人しく彼の言うことに従うしかない。言われた通りに、周囲の景色に目を向けてみる。すると、すぐにアンヌはゾロアークに化かされたような感じで呆気にとられることになった。
“シッポウ博物館はこちら”と矢印付きで描かれた、大きな野立て看板がアンヌの瞳に映っていた。
「ああっ!」
「な?答えはすぐそこにあったってわけだ。」
「……グルートぉ…。」
「お前が口出すなって言ったんだぜ。」
そう言われてしまえばアンヌに返す言葉はなかった。彼女は赤面し、悔しげにグルートを見上げた。ニヤニヤと意地悪そうに笑うグルートの表情の所為でアンヌは普段より一層、彼との身長差を感じていた。
「マップってのはがっついて見るもんじゃねぇ、目印に使うぐらいが丁度いいんだ。」
「……今度から気をつけます。」
「よしよし。」
拗ねていたアンヌだったが、武骨な手でわしゃわしゃと頭を撫でられ、不覚にも嬉しくなってしまう。単純だとは自覚しながらも、不器用なその手は彼女の心を安堵させた。
「見て、グルート!この絵、とても綺麗だわ。」
とあるアトリエで目についた、イーゼルに立てかけられた絵画を指差し、彼女は興奮気味にうなるような声を上げた。
キャンバス一杯に広がったコバルトブルーの海の中心で、コーラルピンクが一筋、差している。シンプルな抽象画だが、アンヌの目にはそのコーラルピンクが水の中で凛と輝きながら優雅に踊っているように見え、それがとても美しく思われた。
「…俺にはさっぱりわからん。」
「ええ!」
アンヌが促すものだから仕方なく眺めてみたグルートだったが、彼の心にはあまり響かなかったようで、不可解そうに眉間の皺を強めるばかりだった。思わずアンヌは「こんなに綺麗なのに!」と彼に対し、やや非難を含んだ声を零した。すると案の定、グルートは不貞腐れたような視線をアンヌに向け、小さく舌打ちを溢した。
「悪かったな。生憎、芸術には興味ねぇんだ。ガラじゃねぇし。」
「むう…。」
「はははっ、見る人によって見え方が全く違う。これだから抽象画は面白いんだよね。」
「!」
二人の様子をアトリエの奥から眺めていた男性が、ぬっとアンヌ達の前に姿を現す。虚を突かれたアンヌは間抜けな顔をしてしまい、恥じらうように両手で顔を覆った。すぐに身なりを整えると小さくお辞儀をした。
「あのう、もしかして、……この絵の作者の方ですか?」
「いかにも。これは『ヴィーナス』というタイトルの絵でね。あるひとにインスピレーションを受けて描いたんだ。」
「あるひと?」
「そう、ミュージカルホールの人気NO.1女優!サイルーン!僕の憧れのアーティストさ!」
きらきらと少年のように目を輝かせ、画家は両手を広げながら、舞うように足をターンさせた。その動きは彼が賞賛する「サイルーン」という女優の真似をしているのかもしれない。
幼少よりピアノやバイオリンなど芸術的な事柄に触れる機会の多かったアンヌは、アーティストである彼女に対して、大いに興味を持った。
「サイルーンさん…。私も、一度、お目にかかってみたいわ。」
「是非!ライモンシティに寄った際はミュージカルホールに足を運んでみてよ。彼女の歌、踊り、演技力は圧倒的だよ。」
熱弁する若い画家の言葉に耳を傾けながら、アンヌはまだまだ自分の知らない世界があることに期待と、言いしれぬ高揚感を募らせた。
「ええと……。」
町を軽く散策し終え、アンヌはタウンマップを食い入るように見つめていた。シッポウシティを訪れたら必ず行くと決めていた場所、シッポウ博物館を目指していたのだ。それは彼女なりにトレーナーとしてポケモンの歴史や生態についてきちんと学んでおきたいという思いがあったからだった。
その第一歩として、アンヌはグルートの力を借りずに自分の力でマップを把握し、博物館までたどり着くことを目標にしてみたのだが。
「んー…北がこっちだから……マップはこの向きでいいのかしら…。」
「阿呆。そっちは南だ。」
「もう、グルートは口を出しちゃ駄目よ。私が一人でやるのだから!」
「俺だってこんなところで爺さんになりたくねぇからな。」
「……何回目?」
「この通りだけで、もう六回は見た。」
「えっ!」
「同じ町の中でここまで迷うなんて、ある意味才能あるぜ。」
堂々巡りとはまさにこのことを言うのだろう。マップの内容は理解できても、それを実際の道と照らし合わせて使うのは、まだアンヌには難しいらしかった。しかし肩に力が入っている彼女は、いつもなら軽く流してしまうグルートお得意の皮肉を真に受けて、益々躍起になり、尚もマップにしがみついて頭を悩ませる。これでは状況が悪くなるのは目に見えていた。
「ううん…。何故かしら。倉庫を曲がるといっても、どれも同じ倉庫に見えて違いがわからなくて――あっ!」
グルートは背後から手を伸ばし、アンヌの手にあったマップをさっと奪った。何か言いたげな彼女を制して、彼はマップを折りたたみ、内ポケットの中にしまった。
「こういうときは一度、目を離すんだ。で、気分転換に周りを見る。」
「でも…、」
「いいから、やってみな。」
アンヌはグルートの言葉に半信半疑だったが、マップが手元になければ大人しく彼の言うことに従うしかない。言われた通りに、周囲の景色に目を向けてみる。すると、すぐにアンヌはゾロアークに化かされたような感じで呆気にとられることになった。
“シッポウ博物館はこちら”と矢印付きで描かれた、大きな野立て看板がアンヌの瞳に映っていた。
「ああっ!」
「な?答えはすぐそこにあったってわけだ。」
「……グルートぉ…。」
「お前が口出すなって言ったんだぜ。」
そう言われてしまえばアンヌに返す言葉はなかった。彼女は赤面し、悔しげにグルートを見上げた。ニヤニヤと意地悪そうに笑うグルートの表情の所為でアンヌは普段より一層、彼との身長差を感じていた。
「マップってのはがっついて見るもんじゃねぇ、目印に使うぐらいが丁度いいんだ。」
「……今度から気をつけます。」
「よしよし。」
拗ねていたアンヌだったが、武骨な手でわしゃわしゃと頭を撫でられ、不覚にも嬉しくなってしまう。単純だとは自覚しながらも、不器用なその手は彼女の心を安堵させた。