shot.4 ゴー・アウェイ

 中高年のジョーイが薬や検査道具を乗せた台車を押しながら、病室を巡回していた。彼女はサンヨウシティ・ポケモンセンターに20代から努めている大ベテランのジョーイだ。

 数日前、ポケモンセンターに運ばれ、その驚異の回復力が話題になっているブレイヴの病室へと入る。…ジョーイの間では、薬を拒否したり、食事の好き嫌いが激しかったり、かなりのやんちゃ坊主だとも囁かれていた。
 しかし、彼女は今まで沢山の悪ガキを相手にした経験があり、その程度の悪態では動じない。どんな相手でもあっという間に手懐けてしまうのだ。

「ブレイヴさぁん、お薬の時間ですよー。」

 ベッドを囲むカーテン越しに、ジョーイは努めて優しい声をかけた。暴れん坊と対する時はまずはこちらが穏やかでなくてはいけない。動揺は相手にもうつってしまい、益々手が付けられなくなってしまうからだ。
 ブレイヴからの返事はない。一呼吸おいてから、「失礼します。」と声をかけて、ジョーイはさっとカーテンを開けた。

 すると、ジョーイは視界に入った光景に目を見開いた。慌てて、病室の窓を確認する。
 窓は鍵が壊され、全開になっており、外から気持ちの良い風が入っていた。

「……確かに、相当なやんちゃ坊主だわ。」

 蛻の殻。空になったベッドのシーツに触れるとまだ少し熱が残っており、居なくなってからあまり時間は経っていないことが窺える。
 ジョーイは頭を抱え、大きなため息をついた。ブレイヴの破天荒ぶりはベテランジョーイの手をもってしても、制御できなかったようだ。

◇◆◇◆◇


 アンヌはマリーに貰ったバッグを肩に下げ、両手で紐をしっかりと握りしめていた。落ち着きなく周囲を見渡し、警戒している素振りをする。道行くトレーナー達もくすくすと声を顰めながら笑っている。見ていられなくなり、グルートはうんざりした様子で口を開いた。

「それじゃあショルダーバッグの意味がねぇだろ。」
「だってぇ…無くしてしまったら嫌だもの。」
「はあ……お前さ、変なところ心配性だよな。」
「ペンダントも大事にしているわ。」
「そりゃどうも。」

 アンヌの持ち物は下手な金庫より厳重なセキュリティーで守られているかもしれない。言っても無駄だと観念したグルートは煙草を吸うことに意識を向けた。

 のどかな日和の下、木々に囲まれた静かな道を歩く。時々、風に煽られて花びらがゆらゆらと踊っている。


「……相棒、ですって!」
「あ?」

 やっと一息つけた、とグルートが思った矢先、二、三歩前を歩いていたアンヌが唐突に立ち止まり、振り返る。彼女は思い出し笑いをするような感じで妙に顔をにやつかせていて。脈絡なく話題を振られ、グルートは先ほどにも増して困惑し、顔を顰めた。

「マリーがあなたのことをそう言っていたわ。私の相棒だって。」
「そうだったか?」
「はぐらかさないで。この耳ではっきり聞いたもの。私も一人前のトレーナーに見えてきたってことかしら?」

 依然、バッグの紐を手綱のように握り締めながら、アンヌは嬉しそうにはにかんだ。彼女の柔らかな表情に合わせるように、桃色の花びらが、風と共に舞い上がる。
 それは心の奥に封じ込めた郷愁を、再びグルートに思い起こさせた。…また過去の残像に気を取られていたことに気づいて、彼はアンヌの視線から逃れるように彼女の側を通り抜け、先を歩いた。


「調子に乗んな、まだまだだぜ。」

 悪態をつく、彼の声に翳りがあったことをアンヌが知る由もなく。飄々と先を行く彼の背中を見つめながら、彼女は顔を赤くさせ、プリンのように丸く頬を膨らませる。

「もう、意地悪!」

 やはり、グルートからすれば自分は「世間知らずのお嬢様」にしか見えないのだろうか――少しは成長できたと思っていたのに、それが自惚れだと言われているような気がして、アンヌは悔しい気持ちになる。

(どうすれば、あなたに認めてもらえるのかしら?……グルート…。)

 アンヌは、ぼうっと、グルートの大きな背中を見つめていた。先に行ってしまう彼と自分の距離感が無性に切なくなって、アンヌはバッグの紐を固く、握り直した。
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