shot.4 ゴー・アウェイ

 カーテンを開けると、眩しい太陽の日差しが病室に差しこんでくる。温もりに包まれながら、アンヌはぐっと大きく伸びをした。ふっと、力を抜くと、緊張から解放された身体に血が巡っていくような感覚になり、朧げだった意識が明瞭になった。

「もう、動いていいのか。」

 病室のドア付近の壁に寄りかかっていたグルートがアンヌに声をかけた。低いトーンの声の中には彼女の怪我の具合を気にしている、彼の優しさが滲んでいた。変わらぬ素っ気なさにアンヌは懐かしさを感じて、微笑した。

「ふふっ、心配してくれていたの?」
「まあな。入院費用が膨れ上がっていくもんだから、ひやひやしてた。」
「あら、おかしいわ。ポケモンセンターは無料でしょう?」
「なんだ、覚えてたのか。」
「いつまでも世間知らずのお嬢様だなんて言わせませんからね。それに、グルートはいつもお金がないから、今さらお金の心配なんてしないわ。」
「……言うようになったじゃねぇか。」

 からかったつもりが竹箆返しを食らい、グルートは苦笑した。丸腰でバッドに抵抗したのも含め、家を出た頃より、アンヌも随分と逞しくなったようだ。
 グルートは背もたれにしていた壁から体を離し、コの字になっているドアの取手を掴んだ。

「育て屋の連中が見送ってくれるらしいぜ。」
「そっかあ…みんなともお別れなのね。」
「むしろ長かったぐらいだぜ。じゃ、俺は先に行ってるぞ。」

 それだけ言うと、彼は後ろも振り返らず、軽く手を振りながら、ドアの向こうに消えてしまった。もう少し思い出を噛み締めていたかったアンヌは、彼のドライな態度にむっとするが、ふと思い付いて、はっとした。

「…実は、一番寂しがっていたりして。」

 無愛想なグルートの態度は、素直になれない気持ちの表れなのかもしれない――そんな可能性が浮かんで、アンヌは声を顰めながらくすっと笑った。

◇◆◇◆◇


「アンヌうううう!!!もう行っちまうのかよぉおおお!!!」
「え、ええと……。とりあえず、深呼吸して?ロイ…。」

 アンヌとグルートがサンヨウシティのポケモンセンターから3番道路に到着すると、いきなり号泣したロイに鉢合わせることになった。その場に崩れ落ち、地面に両手を叩きつける彼の号泣ぶりには、旅立つアンヌの方が困惑していた。
 見兼ねた育て屋のお爺さんが、ロイの後頭部をスリッパで叩き、(物理的に)彼の涙は収まる。

「お主が泣いてどうするんじゃ!」

 お爺さんから喝を入れられたロイは後頭部を摩りながら、時々鼻をすすり、弱々しく口を開く。

「だ、だってよぉ~…やっぱ、寂しいじゃんか~…。」
「そうだなあ、おらもロイの気持ちよくわかるぞお。」
「キヨ……ッ…お前はやっぱり心のダチだぜ…ッ!!!」

 そしてロイはきよべえに抱きつき、何故か彼の顎の下の肉を両手でたぷたぷしながら再び泣いた。きよべえは、にこにこと笑ってそれを受け入れていた。

「ええと……。」
「ああいう意味わかんないのは無視した方がいいズル。疲れるから。」
「そ、そう…。」

 ロイの方を見ることすらせず、ずーすけは携帯ゲーム機の画面に視線を向けたまま、バッサリと言い切った。
 見送りというのは名ばかりで、各々マイペースに行動しているこの状況はファイアーブレイズらしいといえばらしかった。


「ちょっと!あんたたち、なにしてんのよ!いまは、みおくりのじかんなのよ!」

 そしてしっかり者のマリーが声を上げて、皆を叱責する。体は小さいが、彼女の声には皆の注目を向けさせる覇気があった。

「ロイ!いつまでもぐずぐずしてんじゃないわよ!せいぎのヒーローってじしょうするならがまんしなさい!」
「へ…あ…はい……すいません。」
「きよべえはやさしすぎなの!ちゃんとロイをちゅういすること!」
「んだ……。」
「ずーすけはゲームをやめなさい!ぼっしゅうね!」
「ズル……。」
「ほら、はやく、みんなちゃんとよこにならんで!」

 マリーに促されるままに、ファイアーブレイズの皆は横一列に整列する。それを見て満足そうにマリーは頷き、誇らしげに笑みを浮かべてアンヌ達の方を見た。

「ふふっ、さすがマリーね。」
「このぐらいのことできて、とーぜんでしょ。」
「…末恐ろしい教官だな。」

 保育園児でこの有様なら、大人になったら一体どうなるのか。想像したグルートは思わず、ぽつりと呟いていた。

「なによ。ならびたいなら、あんたもならべてあげるわよ。」
「いや、遠慮しとくぜ。」

 少なくとも、ファイアーブレイズが彼女の尻に敷かれている未来は間違いなさそうだった。いや、既に敷かれているのだろうか……。グルートは彼らのことをやや不憫に思いつつ、(女ってヤツは怖ぇ。)と改めて感じながら、静かに煙草に火を点けた。

「……へんなの。」
「気にしないで。グルートはいつもあんな感じだから。」
「ふうん。…ま、どうでもいいけど。――それより、これ。」
「?」
「あげる。」

 マリーは突きつけるようにアンヌにバッグを渡した。白を基調とし、アクセントにリボンが付いている可愛らしいショルダーバッグだ。

「いくらあんたのあいぼうがつよいからって、トレーナーがバッグも、もってないなんてかっこつかないでしょ。」
「いいの?こんなに可愛いのに。」
「ばか、いいからわたしてるんでしょ。てゆーかこのバッグ、そこそこはやってるから、かってもらったんだけど、マリーにはちょっとこどもっぽすぎるからつかってなかったのよね。」
「そ、そうなの……。」
「あと、ついでにキズぐすりと、どくけしもいれといたから。」

 現実的で無駄のない用意周到なマリーの大人びたプレゼントと対応にアンヌは圧倒されていた。今すぐにでもマリーは優秀なトレーナーになれそうだとアンヌは思った。彼女の手に掛かれば、どんなに厳ついポケモンも言うことを聞くだろう。

「何から何までありがとう、マリー。とっても頼もしいわ。」
「い、いっとくけど、べつに、あんたのためじゃないから!ひまだっただけだし!」
「うん、大事に使わせてもらうわね。」
「…ふ、ふん。かってにすれば!」

 つんと、そっぽを向いて、それっきりマリーは口を閉ざしてしまった。頬を緩ませたお爺さんがアンヌの傍に来て、(昨晩、儂のところにきて、旅のトレーナーの持ち物は何がいいかと質問してきたんじゃよ。)とこっそり耳打ちをした。まあ、とアンヌは開口し、口元に手を当てながら、和んだように笑った。


「しかし、すまんのう、アンヌちゃん。本当はブレイヴにも見送りさせる気だったんじゃが……。」
「ごめんなさいね。ジョーイさんから絶対安静ときつく言われていてねぇ。」

 お爺さんとお婆さんが目尻を下げ、アンヌに申し訳なさそうな視線を向ける。

 バッドとの戦いの後、ブレイヴは重傷を負い、力を使い果たしていたため、危険な状態だった。だが、持ち前の生命力のお陰か、ジョーイさんたちも驚くほどの回復を見せたらしい。翌日には立ち上がれるようになったという噂もポケモンセンターで耳にしていた。


「いえ、気にしないでください。彼が早く元気になるよう、祈っています。」
「ありがとう。……口だけは腹が立つぐらい元気なんじゃがな!」
「お爺さんも病み上がりなのですから、どうか無理なさらないでね。お婆さんもね。」
「ははっ、その一言だけで長生きできるわい!」
「ありがとうね。アンヌちゃん。」

 お爺さんは大きく笑い、お婆さんは朗らかに笑みを浮かべた。つられてアンヌも顔を綻ばせる。さすがブレイヴの育ての親だけあって、ふたりは彼に負けないぐらいの強靭さと優しさを持っていた。この先なにがあっても彼らなら大丈夫、沸き上がる希望をアンヌは感じていた。


「さようなら!また会う日まで!」

 皆を見つめるアンヌの視界が少しだけ、揺れた。それでもぐっとこらえて、笑顔で手を振ったのは、彼らとの再会の時を信じているからだった。

「あいにこないとぜっこーだからっ……!アンヌ!!!」

 眉を寄せ、怒ったような顔のマリーがアンヌに向かって叫んだ。けれどその強がりはアンヌが遠ざかっていくほどに、段々とくしゃくしゃになっていった。アンヌは目頭が熱くなるのを感じながら、心に刻み付けるように、大きく頷いた。
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