shot.3 HEROの証

 傾斜した不安定な岩の階段を下り、一行は地下へと足を進めた。髪の毛が首筋に張り付くのは湿度のせいか、それとも緊張からの冷や汗によるものなのか。
 横並びになり、立ち止まる。中心にロイが立ち、左右にきよべえとグルートがいた。

「アニキッ!!!」

 声を荒げるロイの視線の先には、血だまりの上に横たわるブレイヴと、その頭を容赦なく踏みつけるバッドの姿があった。

「チッ…ガイルの野郎、マジで使えねェ、ゴミだな。」

 彼らの登場にバッドは不愉快そうに唾を吐き捨てる。奇しくもブレイヴの言っていた通り、彼の仲間が自分の前に立ちはだかっていることがバッドは気に入らなかった。仲間、絆…そういう綺麗事がバッドは大嫌いだった。
 舌打ちをわざとらしく響かせ、バッドは血に塗れた金属バットをブレイヴの首元に当てた。

「だが、テメェらカスが揃ったところでさっきと何も変わらねェ!――ほうら、見て見ろ!もうじき死ぬぜ!コイツ!」
「!ッ、止めろ!!!」

 バッドは大声で怒鳴り散らしながら、ブレイヴの胸倉を乱暴に掴み、引きずり起こす。そして助けに来た彼の仲間に見せつけるように顔面を強い力で殴った。ブレイヴの血がバッドの体に跳ね返る。意識を失ったブレイヴはそのまま、糸の切れた人形のように強く地面に叩き付けられた。

「あ、アニキッ!!」
「やめるんだぞお!」
「そうだ、そのツラだ!生ぬる~い、温室育ちのカス共にお似合いだぜェ~~!!!ギャハハハ!!!」

 苦悶の表情を浮かべるロイときよべえを見て、バッドは腹を抱えて笑う。まるで、彼らの友情を嘲笑するかのように。

「なァ、ブレイヴゥ~?どうやらテメェの“最高のダチ”とやらは何の役にも立たねェ、ゴミクズだったみてェだぜ?」
「――いいや、違うさ。」

 グルートが一歩、前に出る。そして、眉間に力を入れ、鋭い眼光を放ちながらバッドを睨みつけた。バッドは怪訝そうな顔をしてグルートを見返す。

「お前じゃこいつらにも、その阿呆にも勝てねぇよ。…一生な。」
「何ィ…?」

 一切の躊躇いを見せることなく、グルートは正面からバッドを見て、強い言葉で断言する。そして、あろうことか彼はそのままバッドに向かって勢いよく走り出す。
 負け犬の遠吠え、悪足掻きだと一蹴すればいい。それだけのはずなのに、バッドの顔からは笑みが消えて、冷たい汗が背筋に這った。

「なら、見せてやるよッ!正義のヒーローが死ぬ様をよ!!!」

 見せしめにブレイヴを目の前で始末してやろうと、彼は金属バットを構える。目の前で大切な仲間とやらを殺されれば、生意気な連中も恐怖に怯え、絶望するだろうと思った。そして、弱い者達の抵抗が何の意味もないということを彼らに知らしめてやりたかったのだ。
 ざまあみろ、と言葉を零し、バッドは凶器をブレイヴの頭を目掛けて振り下ろす。

 ――だが、その時。地下水脈の穴に謎の突風が吹く。ブレイヴに意識を向け、力を籠めることに集中していたバッドはバランスを崩し、よろめいた。

「グゥ…!」

 この突風が自然発生したものではないことはバットにもわかった。地面に金属バットを突きさし風圧に耐えながら、顔を上げると、きよべえが両手を突きだし、ハリケーンのような風を生み出していた。

「吹き飛ばすぞお!」
「ピザ野郎が…ナメた真似しやがって…ッ!!」

 この風はきよべえの発動した「吹き飛ばし」によるものだったのだ。
 見下していた相手からの予想外の妨害に、バッドは金属バットを固く握り締め、苛立ちを露わにする。

「余所見してんじゃねぇぞ、クソガキ。」
「!ッ、チィ!」

 きよべえへの怒りに気を取られ、バッドは目の前に迫るグルートの存在を失念していた。咄嗟に一歩後ろに下がり、グルートの炎を纏った拳はバッドの頬を掠めるに留まった。
 しかし、攻撃が外れたというのに、グルートの口元は小さく緩む。不気味な微笑にバッドはぞっとした。

「な、なんだテメェ、…何を考えてやがるッ!!!」
「…言ったはずだぜ。」

 グルートが意味深に呟くと同時に、ドリュウズが洞窟内で土煙を上げるときのような音がして、ガタガタと小刻みに地面が振動する。

「余所見してんじゃねぇ!バッド!!!」
「なにッ!?」

 バッドの足元から一歩後ろほどの地面に大穴が開く。その穴から、勢いよく拳を突き上げたロイが飛び出す。彼の拳は、反射的に振り返ったバッドの左頬を抉る。鈍い痛みが走って、彼の体は宙に浮いた。

(どう…なってやがる!)

 バッドがきよべえとグルートに逆上している間に、ロイは密かに「穴を掘る」で地面に潜り、攻撃の機会を伺っていたのだ。
 これも仲間と相談して決めた作戦の一つだった。

 群れることしかできない弱い連中、と思っていた彼らに追い詰められているこの状況が、バッドには信じられなかった。

(あり得ねェ!このオレがこんなザコ共に…!)

 ロイに殴られ、地面に向かおうとする彼の視界の隅に、煌々と燃え上がる赤い炎が見えた。先ほど頬を掠めたこの色をバッドが知らないはずはなかった。
 目を見開き、その先を予期した彼は心の奥底から震え上がった。

「こいつらと、俺のトレーナーを侮辱した落とし前は、きっちりつけさせてもらうぜ。」

 グルートの赤い拳がバッドの顎を下から突き上げる。脳が震盪し、体から力が抜けていく。拳の炎が顔面に飛び火し、みるみるうちにバッドの全身に燃え広がる。彼は絶叫し、火達磨になりながら、地下水の水溜まりに飛び込んだ。

 赤いグルートの瞳が陽炎のように揺らめき、氷の眼差しで静かになった水面を見つめていた。

◇◆◇◆◇


「アニキッ!しっかりしてくれッ!」

 横たわるブレイヴの両肩を掴み、ロイは懇願するように呼び掛ける。両手がブレイヴの血で赤く滲み、それはロイの気持ちを一層、掻き乱した。焦っているのはロイだけではなく、それはきよべえも同じで、傍で必死に彼の名前を呼んでいた。
 ブレイヴの意識を呼び覚ます為にそれを何度か繰り返していると、不意に彼の瞼がぴくり、と震え、反応した。


「おめぇ…ら……?」

 掠れたように紡ぎ出された言葉は紛れもなく、彼のものだった。
 ロイときよべえは顔を見合わせ、そして黄金色のブレイヴの目の輝きを見て、彼の目に負けないぐらいキラキラと瞳を輝かせた。

「アニキいッ!」
「おお、よかったぞお、ブレイヴ!」

 火が灯ったように、わあっと洞窟内が明るくなる。最初ブレイヴは状況が読めず、ぼおっとしていたが一斉に注がれる視線に仲間が助けに来てくれたのだと理解し、ふっと安堵したように微笑んだ。

「…ったく、おせーよ。」

 仲間の手を借りて、ブレイヴは重い体を起こす。傷は痛むが、自分の元に駆けつけてくれた仲間の存在に彼の心は満たされていた。…のだが。

「阿呆。そもそもお前が先走らなきゃこんなことにはならなかったんだよ。…面倒ばかり増やしやがって。」
「…ああン!?」

 再会の感動も束の間。水を差すようなグルートの小言にブレイヴの意識は一気に怒りへと傾き、自分が怪我をしているのも忘れて、殴りかかろうとする。

「ちょ、アニキ!ダメだって!怪我してんだからさあ!」
「そうだぞお、ゆっくりしてなきゃだめだぞお。」
「うるせェ!あの嫌みったらしいクソ野郎を殴ってやらねェと気が済まねええェ!!!」
「やめとけ。そのお頭じゃ、火傷するだけだぜ。」
「上等じゃねェか!!!その鼻っ柱ピーナッツみてェにへし折ってやるぜ!!!」

 傷口から血が噴き出るのもお構いなしに、ブレイヴはロイときよべえに取り押さえられながら激しく暴れる。その様を見てグルートが鼻で笑うものだから、ブレイヴの怒りのボルテージは上がっていくばかりだった。
 無尽蔵なブレイヴのエネルギーにグルートは呆れを通り越し、畏敬の念すら覚えていた。彼は小さく口元を緩ませながら、煙草に火を点ける。

「それだけ元気なら医者もいらねぇな。さっさとマリーとかいうガキを連れて、帰るぞ。」

 煙草を口に銜え、ポケットに手を入れると、グルートはそそくさと歩き出す。煙がふわっと舞い上がり、ブレイヴの側を通り過ぎる。隙のない、ハードボイルドさを漂わせる一連の動きに目を惹かれ、一瞬ブレイヴも言葉を失う。しかし、すぐに、閉ざしていた口を開いて、グルートの背中に向かって叫ぶ。

「待ちやがれ!マリーを助けんのはHEROのオレ様の役目だッ!」
「あ、アニキぃ~!無茶は駄目だって~!」

 怪我人とは思えないブレイヴの奔放さに、いつの間にか助けに来たロイの方が狼狽え、困惑する形になっていた。そして彼が八つ当たりの被害を食らうことになるのは言うまでもない。

 ブレイヴを中心として活気づく空気感。何時もの日常が戻って来たようだった。


「…ふざけんじゃ…ねぇぞ……。」


 ジャプン、と重く、不吉に跳ねる水の音。地響きのような低い声にグルートとブレイヴたちは一斉に振り返る。

「嘘…だろ?」

 水溜まりの中から引きずるように姿を現したバッドの体は火に焼かれ、上半身は布切れを纏っているだけのみすぼらしい様になっていた。そんな姿になってまで、ブレイヴを倒すことに固執している彼はまるで怨霊のようで、思わずロイは息を呑んだ。
 嗄れた荒い息が吐き出されると同時に、バッドの口からは鮮血が溢れ出す。


「……往生際の悪い奴だな。」

 身を翻し、グルートが構えるが、それをブレイヴが手で制する。道を阻むような仕草にグルートは眉間に皺を寄せたが、燃え上がる炎のようにぎらつくブレイヴの眼を見て、それ以上手を出すことはしなかった。


「もう止めろ、バッド。勝負はついたぜ。」
「うるせぇ!!!…オレは…まだ、負けてねェ!」


 朱殷に染まった水の中から呻きながら這い上がり、バッドはブレイヴを見上げる。仲間に支えられ、立っている彼の姿を見てバッドは険しい顔を一層、歪めた。

「負けてたまるか……テメェみてェな…ッ、ヌルいヤツに……!」
「バッド……。」
「あのニンゲンのガキだけでも…殺してやる…!そうすりゃ、……テメェは絶望するだろうよォ……ブレイヴ!」

 引き攣った顔で、げらげらと笑うバッドはまるで壊れた玩具のようで、マリーの方を見るその眼は焦点が合っていなかった。
 ボコボコに凹んだ金属バットを掴み取り、それを支えにしてバッドは立ち上がろうとする。


「無駄だよ。あんたにもう勝機はないズル。」

 軽快に地面を擦るサンダルの音に被さるように、小気味よく、くちゃくちゃとガムを噛む音がする。
 聞き慣れた特徴的な語尾と気怠そうな雰囲気は姿を見ずとも、誰だかすぐに分かった。
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