shot.3 HEROの証

 賑やかだったのが今では嘘のようだ。育て屋から明かりが消え、3番道路は夜の静寂に包まれる。育て屋の皆は勿論、預かっているポケモンたち、野生のポケモンたちも体を寄せあい、暖を取りながら眠りについていた。

 ――だが、その静寂には似合わず、草むらからガサガザという不気味な音が響く。揺れる草むらから現れた影はどっしりとした足取りで育て屋の一番奥の部屋へと向かう。そこはアンヌとマリーが眠る部屋でもあった。

 影が雨戸に手をかける。鍵がかかっていて、彼は苛立たしげに舌打ちをした。けれどすぐにこれを突破する方法を思い付き、闇の中でにやりと笑む。
 手に持っていた金属バットに籠められる青いエネルギー。強大な力の塊はブレイヴが放つドラゴン技に似ていた。彼は雨戸に向かってその力の塊をぶちまける。すると割れるような鋭い音が響き渡り、雨戸とそしてアンヌ達の居る部屋の障子まで突き破った。
 物凄い音に眠っていたアンヌとマリーも飛び起きて、抱き合いながら、部屋の奥へと後退る。

「な、なにっ……!?」

 状況が読み込めず、アンヌは動揺するばかりだ。マリーもアンヌの胸にしがみつき、手をぎゅっと握り締めていた。

 散らばった瓦礫の残骸を踏みつけ、粉塵の向こうからモヒカン頭をした大男が現れる。見上げる形になる二人にはその男が一回り大きく見え、恐怖に震えた。

◇◆◇◆◇


「よォ、邪魔するゼェ。マリーチャンよ。」
「!、…バッド……!」

 その人物にマリーは心当たりがあるらしかった。しかし友達と出会うような穏やかな雰囲気ではない。彼女はバッドを睨みつけながら額に汗を滲ませる。

「あいかわらずへんなあたましてるのね。かっこいいとでもおもってんの?いっとくけど、それ、ちょう、だっさいから。」
「……んだと、このクソガキ!」
「きゃ!」
「危ないっ!」

 マリーの挑発に彼は手に持っていた金属バット振り下ろす。アンヌが機転を利かせ、咄嗟に転がって攻撃は食らわずにすんだが、さっきまでいた場所には金属バットが突き刺さり大きな穴が開いていた。もし避けることが出来なかったらどうなっていたのか、考えただけでぞっとした。

「い、一体。何の用ですか…!」

 震えるアンヌの表情にバッドは満足そうに笑む。床に食い込んだ金属バットを引き抜き、彼女たちの恐怖心を煽るように凶器の存在をちらつかせる。

「決まってんだろ。怪我したブレイヴをブッ殺しにきてやったんだよォ!」
「ブレイヴ…!?」
「……こいつ、ブレイヴにかてないからってひきょうなてをつかってくる、さいていなクリムガンなのよ。」
「ハッ、卑怯上等!なんたってオレは悪の中の悪!THE DEATHのヘッドなんだからなァ!」

 彼はもう一度、金属バットを床に叩きつける。その風圧で二人の体は吹き飛び、アンヌとマリーは引き離されてしまう。

「テメェを人質にしたら、弱ったブレイヴをミンチにするのがもっと楽しくなるだろうと思ってよォ。」
「!」
「だが、その前に……生意気な口にチャックしてやらねェと駄目みたいだなァ!?」
「マリー!」

 エネルギーの籠った金属バットが、マリーに向かって振りかざされる。あれはアンヌも一度見たことがある。バトル中にブレイヴが放っていた「ドラゴンテール」のようだった。ポケモンの技、しかも並々ならぬ力を纏った攻撃を、幼い人間のマリーが食らえばただでは済まないことぐらいアンヌにもわかった。――アンヌの体はマリーの危機に動きだしていた。しかし、もう手を伸ばしても間に合わない。さっきのように彼女を抱きしめて、避けることは不可能だった。

「きゃあああ!」

 振り下ろされる凶器にマリーの悲鳴が響く。狂ったバッドの笑い声が木霊して、空間に広がる。一刻の猶予もなく、アンヌは咄嗟に二人の間に割って入る。ただマリーを助けなければという思いが先行し、それ以外のことは何も考えていなかった。

 背中に走る重い衝撃。一瞬、時が止まってアンヌは何の感触も感じなかった。しかし、すぐに今まで体験したことのないような激痛が広がる。起き上がることも、息をすることもままならず、アンヌは床に蹲り、悶え苦しむ。攻撃の衝撃で寝間着の背中部分が破れ、その隙間から見える白い肌は血が滲み、赤黒く腫れていた。

「アンヌッ!」

 マリーはアンヌの名前を叫び、彼女の体を何度も揺する。冷静ないつもの雰囲気はない。恐怖に怯える子供の姿がそこにはあった。

「逃げて……はやく…!」
「むりよ!そんなこと…!」

 パニック状態のマリーは背後に忍び寄る影の存在を失念していた。いや、恐ろしさのあまりその存在を直視することが出来なくなっていたのだ。
 後ろから首根っこを捕まれ、マリーの体は宙に浮く。ブレイヴと一緒に行動していた際に遭遇した時は少しも恐ろしく感じなかったのに。守ってくれる者がいなくなった瞬間、この男は化け物のように見えた。

「チッ、邪魔が入ったがァ……まァいい。……クソガキ。テメェもこの女みたいになりたくなかったら、大人しくオレの命令を聞くんだなァ?」
「――ッ!」

 アンヌの血が付着した金属バットを突きつけられ、マリーは言葉を失う。幼いマリーに成す術はなく、大きな瞳からぽろぽろと涙を溢すことしかできなかった。
 バッドは自分より弱い者を下した優越感に浸り、下卑た笑みを浮かべる。誰も自分には逆らえない、歪んだ心地よさが彼の心を満たした。


「マリーを…離し…なさい……。」


 ――その心地よい気分に水を差すような凛とした声。足が重く、バッドが視線を見下すと虫の息をしたアンヌが彼の靴を掴んでいた。世界一くだらない、雑魚の悪あがき。嘲笑うように唾を吐いてやったが、ゆっくりと顔を上げた彼女と視線が合い、一瞬バッドは固まる。
 バッドからすれば取るに足りない弱者であるはずのアンヌ。しかし彼を真っ直ぐに見つめるアンヌの眼光は弱者とはおもえない覇気に満ちていた。

(この眼……ッ!)

 彼女の眼はバッドが忌み嫌う、ブレイヴを彷彿させた。決して諦めず、何度踏み潰しても立ち上がる。そうしていつも敗北する。重なる姿に彼は怒りが沸き上がってくるのを感じて、歯ぎしりをした。
 掴むアンヌの手を蹴り解き、その足で負傷したアンヌの背中を踏みつける。しかし彼女は痛みで意識を失いそうになるのを堪え、叫び声もあげず、バッドを睨みつけることも止めなかった。

「このクソアマァア!」

 痺れを切らしたバッドがアンヌを蹴り飛ばす。勢いよく壁に打ち付けられたあと、アンヌの体はずるりと崩れ落ちる。

 荒い息を溢すバッドの背には冷や汗が伝う。相手は無力な人間。そんな何も出来ない人間にバッドは今確かに恐怖を感じたのだ。


「おい、どうした!一体何が――。」

 騒ぎを聞きつけたグルートとブレイヴ、育て屋のみんなが一斉に到着する。その声でバッドは我を取り戻し、汗を拭いながら口許を歪める。予想通り、目の前の惨状に言葉を失う人々の姿が見えた。
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