shot.2 I am The HERO!

 ポケモンセンターの正面玄関を出ると、賑やかな町の喧騒が耳に入る。グルートから借りたジャケットに包まり、彼の後ろにべったりとひっつきながら、アンヌは控えめに町を見渡した。
 すれ違う、名前も知らないひとたちの姿。彼らは自分のことも知らない。限られた相手とだけ過ごしてきたアンヌの目にはそれがとても新鮮に映った。
 レストランの傍を通ると香ばしい匂いが漂っていて、アンヌは思わず引寄せられそうになる。けれど、グルートに腕を掴まれ、やや強引に引き戻されてしまった。

「チョロチョロすんな。迷子になるぜ。……ついでに脂肪も増える。」
「もう!」

 はしたない自分に気がついてアンヌは赤面しながら、ぷいっとそっぽを向く。振り回された仕返しと言わんばかりにグルートは満足げに目を伏せ、ふんと鼻を鳴らした。

◇◆◇◆◇


 グルートが店員に指示され、やってきた場所は3番道路に隣接する小さな広場だった。中央にある噴水には特徴的な白と黒のオブジェクトが設置されていて、それを取り囲むように周辺にはポケモンが形作られた生垣があった。アンヌはその生垣を食い入るように見つめ、楽しそうに目を細める。

「私知ってるわ。これはマメパトとポポッコ。そして、これはピカチュウ!」
「へえ、意外だな。世間知らずのお嬢様がポケモンのことを知ってるなんてよ。」
「グルート!」
「こりゃ失礼。」

 相変わらず一言多いグルートの言葉にアンヌはむっとしながらも、世間のことを知らないというのはアンヌも先ほどの一件で痛いほど自覚していたので言い返しはしなかった。

 ごほん、と仕切り直すように咳払いをすると、彼女は回顧するように目を伏せた。

「確かにヘルガーのことは知らなかったけれど――。……小さい頃からポケモンが出てくるご本を読んでいたから少しだけわかるの。」

 最も内容は絵本や小説などの物語ばかりだったが、今思えばそれも外の世界への憧れや幻想があったからなのかもしれないとアンヌは心の片隅でぼんやりと思った。
 グルートに今まで読んだ本の話をしていると、アンヌはふと大好きなお姫様と王子様の話を思い出す。……父から婚約の話を聞かされた後、物語の真似事をして必死に神様に祈りを捧げていたということも。


(あ――。)

「?、どうしたよ。急に黙りやがって。」
「え、あ……ううん!なんでもない!」
「はしゃいだり、大人しくなったり、忙しいヤツだな。」

 グルートの言葉に曖昧にはにかんで見せたが、アンヌの鼓動は「その予感」にどくどくと速まっていた。……偶然だということはアンヌにもわかっていた。けれど絶望的な状況の中、自分の前に現れ、屋敷から自分を連れ出してくれたグルートはまるで物語の「彼」のようで。

(グルートは王子様じゃないわ。だって、別の理由でお屋敷に来たのだもの。それにちょっと意地悪だし……。)

 長年想い続けた王子様というワードはアンヌには絶大な効力があった。違う、と頭では否定しながらも心は知らず知らずのうちにグルートを意識してしまい。途端、彼のジャケットを纏っていることに緊張を覚えた。……否、どうして緊張してしまうのか。その理由がアンヌにはわからず彼女はただただ、初めての感覚に困惑した。

「…あ、あの…、グルート……。」
「ん?どうした。」
「……。」

 グルートならこのわけを知っているかもしれない。けれど何故かそれを彼に聞くのは恥ずかしいことのような気がしてアンヌは口籠る。
 応答なく俯く彼女にグルートは痺れを切らし、近づこうとしたのだが。


「YEAHAAAA!てめェが挑戦者かァ!!!」


 背後に異様な気配を感じて、振り返る。噴水中央にあるオブジェクトの上に器用に立ち、グルートを指差す赤髪の青年。青年の大声によって、周囲のひとやポケモンも一斉に彼を注視する。アンヌも我に返り、驚きながら顔を上げた。

◇◆◇◆◇


「愛と平和を守る正義のHERO!ブレイヴ様ッ、参上ゥ!!!」


 ブレイヴと名乗った青年が親指を自分に向け、誇らしげな顔をすると、勢いよく噴水が跳ね上がり周囲に飛び散った。派手な演出に歓声が起こる。それにまた気分をよくした彼は笑いながら観客に大きく手を振る。

「うおおお!アニキ、カッケー!練習の成果バッチりじゃん!!」

 ブレイヴの傍にいた深緑のバンダナをした青年もまた、ブレイヴに拍手を送り、親しげに称賛の言葉を述べていたのだが。

「バカヤロイ!!!」
「ぐほっ!?」

 突如、ブレイヴはオブジェクトの上から飛び降り、バンダナの彼の頬を思いっきりグーで殴る。鉄拳を頬で受けて、殴られた彼は空気を裂くような凄まじい勢いで近くの植え込みまで吹き飛ばされてしまった。

「オレ様はチョー天才だから練習なんてしてねェ!」

 そしてまたブレイヴは誇らしげに笑みを浮かべる。清々しいまでに自信に満ちたその姿は周囲を圧倒させた。
 あのバンダナの青年は大丈夫なのだろうかとアンヌが冷や冷やしていると、ブレイヴと名乗った彼は自分を取り囲む観衆を一瞥し、誰かを発見したように指差す。その先にはグルートがいた。

「つーワケだ、悪いがてめェはオレ様には勝てねェ、いつだって勝つのはこのオレ様だぜ。」

 戦いを予感させるようなブレイヴの口ぶりにグルートは合点がいったようで、にやりと笑みを溢す。

「なるほど、てめぇが服屋の代理ってわけか。」
「おうよ、ビビッて声も出ねェか?」
「いや、たいしたことなさそうで、安心したぜ。」

 挑発するグルートの言葉にブレイヴは眉を寄せ、不機嫌そうな顔になる。至近距離で睨みをきかせながら、彼はぐっと拳を作った。

「舐めンじゃねェぞ!!!」

 ブレイヴの怒号と共に彼の拳に青いエネルギーの塊が集約して、そのままグルートを目掛けて振り下ろされる。先ほどの青年のようにグルートの顔面が拳に貫かれる未来が見えて、アンヌは思わず目を覆ってしまう。
 しかし、次の瞬間、聞こえてきたのは悲鳴ではなく、驚きに満ちた歓声だった。恐る恐るアンヌは目を開き、ふたりの方を見ると、――。

「なっ、なにィ!?」

 自信に満ちていたブレイヴの表情が動揺に変わっていた。勢いよく、放たれたブレイヴの拳をグルートは片手で受け止めていたのだ。

「阿呆が、隙だらけだぜ。」
「う、うおおおおッ!?」

 受け止めていた掌を離し、ブレイヴがよろめいた隙に、グルートは「騙し討ち」をわき腹に叩き込む。吹き飛ばされたブレイヴは顔から噴水にダイブすることになった。ばしゃん、と音を立てながら水の柱が出来上がる。跳ねてきた水滴をグルートは鬱陶しそうに拭った。
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