shot.16 貴方の世界に届かない
当てもなくホドモエシティをぶらついていると、街の片隅にあったベンチを見つけ、グルートは気怠そうに腰をかける。大会に出場する予定が消えてしまった彼は、仲間の出番まで昼寝をして時間を潰そうと思った。しかし、目を瞑った瞬間、アンヌのことが過ぎって眠気が覚める。
『だ、大丈夫だから。』
跳ね除けられた手を見つめ、深く溜息を吐く。彼女は今にも泣き出しそうな顔をしていたのに、それ以上踏み込むことも、気の利いた言葉もかけることができなかった。ただ、何も気づかないふりをして、目を背ける他に、どうすることも出来なかったのだ。
「……俺のせいか。」
煙草を口に咥えて、ぼんやりと宙を仰ぐ。雲ひとつない澄み渡った晴天と靄がかった感情の落差が、余計に彼を虚しい気持ちにさせた。
以前、グラに言われた言葉が今更のように、彼の心に重くのしかかる。
(あいつと半端な気持ちで付き合ってたら、傷つけることになる…か。あんたの言う通りだな。俺はまだ――。)
脳裏に焼きついた過去の残像が浮かんで、グルートは眉間に皺を寄せて、険しい顔をする。微笑む最愛のひとの顔を思い出すたびに、胸が締め付けられた。拍動する心臓の辺りを掴み、ぎゅっと押え込む。悔やんでも嘆いても戻らない時間に未だ執着していて、そこから一歩も動き出せないでいる。彼女とアンヌは違うのに、不意にふたりを重ねてしまうのはその証拠だろう。
「俺は…どうしたらいいんだろうな。……マリア。」
煙草の灰が地面に落ちる。吸い殻を燃やしてもう一本取り出そうとしたが、箱の中身は空で。こんな時に限って…と苛立ちながら、空の箱をぐしゃりと握り潰した。かと言って買いに行くのも億劫な気持ちで、諦めたように目を閉じ、寝る態勢を取る。
「てめぇのせいで彼女にフラれちまったじゃねぇか!」
「ええ、そんなこといわれても…。」
(……?)
その直後、怒号が聞こえて、目を開ける。声が聞こえたのは近くにあるホドモエマーケットの方からだ。とあるテナントの一角で厳つそうな男が、華奢な店員に絡んでいる姿が視界に入る。店員は今にも顔面に拳を叩きつけられそうな、物々しい雰囲気で。
「責任取りやがれ!」
「ひぃい!勘弁してくださいっス!」
胸倉を掴まれた店員が悲鳴を上げる。周囲の人間は顔を見合わせ、視線を向けてはいるが、誰も彼も怯えた様子で店員を助けようとする素振りははない。
グルートは舌打ちをしながら、重い腰を上げる。面倒なことになるとわかっているのに、首を突っ込まずにいられないのは彼の困った性分だった。
「おい。何があったか知らねーが、落ち着けよ。」
振り上げられた拳を掴み、落ち着かせるように声をかける。行動を阻まれた男は、不機嫌そうに唾を吐き捨て、グルートに睨みを効かせた。
「何だ兄ちゃん、やる気か?」
「やめとけ。あんたじゃ火傷するだけだぜ。」
「んだと!?ナメやがっ――」
代わりにその拳はグルートに襲いかかるが、彼はそれを避け、カウンター攻撃を叩き込む。男は勢いよく吹っ飛び、先ほどまでグルートが座っていたベンチに背中を打ち付けた。
呻きながら、上体を起こそうとする男に追い打ちをかけるように鋭い双眸で見下ろす。その赤い目に射抜かれ、彼は息を呑んだ。更に痛い目をみることになると言わんばかりの緊張感に、男は耐えきれなくなり、悲鳴を上げながら逃げ出す。
「いや〜、ありがとうございますっス!助かったあ!」
遠ざかっていく男の背を見て、強張っていた店員の表情が、柔らかなものへと変わっていく。店員はグルートの手を握りながら、何度も深く感謝していた。
厄介なクレーマーに絡まれていたこの店員の名は、チマキと言った。彼はホドモエマーケットで自作のアクセサリーを売って生計を立てているらしい。中でも海に落ちている貝殻を拾って作られたブレスレットはなかなか評判が良く、「好きな人にプレゼントすると結ばれる」というジンクスもあるようだ。
「さっきのヤツは振られたと言っていたが?」
「買っていくカップルさんが多くて、クチコミでそういうゲン担ぎが広がったってだけっスよ。恋が100パー叶うなんてあり得ないっスから。」
「エスパータイプの念力が込められてるってわけでもねぇのか。」
「ないっス。オレ、ミジュマルなんで。――あ、そうだ。良かったらお兄さんにもひとつプレゼントするっスよ。助けて貰ったお礼っス。」
「……この流れで勧めるのかよ。」
調子のいいチマキにグルートは苦笑しながら、提案を断る。アンヌなら喜ぶだろうと思ったが、ジンクスを知った手前、彼女に渡すのは気まずさがあった。
しかしチマキは頑なで、譲らない。どうやらグルートが遠慮しているのだと思っているらしい。適当なブレスレットを選ぶと、さっさと梱包してしまい、押し付けるような形でグルートに手渡す。おい、と口にして返そうとしたが、笑顔のまま押し返されてしまう。彼は諦めて、渋々受け取った。
――バンバン、と雷鳴に似た、けたたましい音が鳴り響く。振り返ると、PWTの会場から花火が上がっていた。ホドモエマーケット内にも巨大なモニターが設置されており、会場内の様子が映し出されていた。そろそろ試合開始の時間のようだ。
「そういや、お兄さんは大会にでないんスか?見るからにファイターって感じの体格っスけど。」
「まあ…色々あってな。」
「ええと…もしかしてトレーナーと喧嘩しちゃった感じっスか?」
「……。」
大会に出られなくなった原因とは違うものの、状況は当たらずとも遠からずで、グルートはばつが悪そうに口を噤む。その反応にチマキも微妙な空気を感じ取ったらしく、ああと察した様子で苦い顔をした。
「すいません。色々、あるっスよね。オレも少し前までトレーナーと一緒にいたんで…わかるっス。」
「あんたにもトレーナーがいたのか。」
「ええ。普段は穏やかなひとだったんスけど…。バトルになった途端、自分のやり方押し付けてくるようなトレーナーで。それについてけなくなっちゃって、……そんな時すっげー優しい女の子に出会って、駆け落ちしたんスよね。」
「じゃあ、今はその女と一緒に過ごしてるってわけか。」
「や、その後すぐに別れたっス。」
「……本当に…大丈夫かこれ。」
即答するチマキに、グルートの方が戸惑いを隠せない。包まれたブレスレットを見つめて、彼は訝しげな顔をした。
『だ、大丈夫だから。』
跳ね除けられた手を見つめ、深く溜息を吐く。彼女は今にも泣き出しそうな顔をしていたのに、それ以上踏み込むことも、気の利いた言葉もかけることができなかった。ただ、何も気づかないふりをして、目を背ける他に、どうすることも出来なかったのだ。
「……俺のせいか。」
煙草を口に咥えて、ぼんやりと宙を仰ぐ。雲ひとつない澄み渡った晴天と靄がかった感情の落差が、余計に彼を虚しい気持ちにさせた。
以前、グラに言われた言葉が今更のように、彼の心に重くのしかかる。
(あいつと半端な気持ちで付き合ってたら、傷つけることになる…か。あんたの言う通りだな。俺はまだ――。)
脳裏に焼きついた過去の残像が浮かんで、グルートは眉間に皺を寄せて、険しい顔をする。微笑む最愛のひとの顔を思い出すたびに、胸が締め付けられた。拍動する心臓の辺りを掴み、ぎゅっと押え込む。悔やんでも嘆いても戻らない時間に未だ執着していて、そこから一歩も動き出せないでいる。彼女とアンヌは違うのに、不意にふたりを重ねてしまうのはその証拠だろう。
「俺は…どうしたらいいんだろうな。……マリア。」
煙草の灰が地面に落ちる。吸い殻を燃やしてもう一本取り出そうとしたが、箱の中身は空で。こんな時に限って…と苛立ちながら、空の箱をぐしゃりと握り潰した。かと言って買いに行くのも億劫な気持ちで、諦めたように目を閉じ、寝る態勢を取る。
「てめぇのせいで彼女にフラれちまったじゃねぇか!」
「ええ、そんなこといわれても…。」
(……?)
その直後、怒号が聞こえて、目を開ける。声が聞こえたのは近くにあるホドモエマーケットの方からだ。とあるテナントの一角で厳つそうな男が、華奢な店員に絡んでいる姿が視界に入る。店員は今にも顔面に拳を叩きつけられそうな、物々しい雰囲気で。
「責任取りやがれ!」
「ひぃい!勘弁してくださいっス!」
胸倉を掴まれた店員が悲鳴を上げる。周囲の人間は顔を見合わせ、視線を向けてはいるが、誰も彼も怯えた様子で店員を助けようとする素振りははない。
グルートは舌打ちをしながら、重い腰を上げる。面倒なことになるとわかっているのに、首を突っ込まずにいられないのは彼の困った性分だった。
「おい。何があったか知らねーが、落ち着けよ。」
振り上げられた拳を掴み、落ち着かせるように声をかける。行動を阻まれた男は、不機嫌そうに唾を吐き捨て、グルートに睨みを効かせた。
「何だ兄ちゃん、やる気か?」
「やめとけ。あんたじゃ火傷するだけだぜ。」
「んだと!?ナメやがっ――」
代わりにその拳はグルートに襲いかかるが、彼はそれを避け、カウンター攻撃を叩き込む。男は勢いよく吹っ飛び、先ほどまでグルートが座っていたベンチに背中を打ち付けた。
呻きながら、上体を起こそうとする男に追い打ちをかけるように鋭い双眸で見下ろす。その赤い目に射抜かれ、彼は息を呑んだ。更に痛い目をみることになると言わんばかりの緊張感に、男は耐えきれなくなり、悲鳴を上げながら逃げ出す。
「いや〜、ありがとうございますっス!助かったあ!」
遠ざかっていく男の背を見て、強張っていた店員の表情が、柔らかなものへと変わっていく。店員はグルートの手を握りながら、何度も深く感謝していた。
厄介なクレーマーに絡まれていたこの店員の名は、チマキと言った。彼はホドモエマーケットで自作のアクセサリーを売って生計を立てているらしい。中でも海に落ちている貝殻を拾って作られたブレスレットはなかなか評判が良く、「好きな人にプレゼントすると結ばれる」というジンクスもあるようだ。
「さっきのヤツは振られたと言っていたが?」
「買っていくカップルさんが多くて、クチコミでそういうゲン担ぎが広がったってだけっスよ。恋が100パー叶うなんてあり得ないっスから。」
「エスパータイプの念力が込められてるってわけでもねぇのか。」
「ないっス。オレ、ミジュマルなんで。――あ、そうだ。良かったらお兄さんにもひとつプレゼントするっスよ。助けて貰ったお礼っス。」
「……この流れで勧めるのかよ。」
調子のいいチマキにグルートは苦笑しながら、提案を断る。アンヌなら喜ぶだろうと思ったが、ジンクスを知った手前、彼女に渡すのは気まずさがあった。
しかしチマキは頑なで、譲らない。どうやらグルートが遠慮しているのだと思っているらしい。適当なブレスレットを選ぶと、さっさと梱包してしまい、押し付けるような形でグルートに手渡す。おい、と口にして返そうとしたが、笑顔のまま押し返されてしまう。彼は諦めて、渋々受け取った。
――バンバン、と雷鳴に似た、けたたましい音が鳴り響く。振り返ると、PWTの会場から花火が上がっていた。ホドモエマーケット内にも巨大なモニターが設置されており、会場内の様子が映し出されていた。そろそろ試合開始の時間のようだ。
「そういや、お兄さんは大会にでないんスか?見るからにファイターって感じの体格っスけど。」
「まあ…色々あってな。」
「ええと…もしかしてトレーナーと喧嘩しちゃった感じっスか?」
「……。」
大会に出られなくなった原因とは違うものの、状況は当たらずとも遠からずで、グルートはばつが悪そうに口を噤む。その反応にチマキも微妙な空気を感じ取ったらしく、ああと察した様子で苦い顔をした。
「すいません。色々、あるっスよね。オレも少し前までトレーナーと一緒にいたんで…わかるっス。」
「あんたにもトレーナーがいたのか。」
「ええ。普段は穏やかなひとだったんスけど…。バトルになった途端、自分のやり方押し付けてくるようなトレーナーで。それについてけなくなっちゃって、……そんな時すっげー優しい女の子に出会って、駆け落ちしたんスよね。」
「じゃあ、今はその女と一緒に過ごしてるってわけか。」
「や、その後すぐに別れたっス。」
「……本当に…大丈夫かこれ。」
即答するチマキに、グルートの方が戸惑いを隠せない。包まれたブレスレットを見つめて、彼は訝しげな顔をした。