shot.16 貴方の世界に届かない
タスクの言う通り、貰った本にはわかりやすい解説が載っていて、基本的なタイプの相性やバトルで使用頻度の高い技の構成などが載っていた。参考になりそうな部分は逐一メモを取り、アンヌは頭に叩き込んだ。
その間に刻一刻と時間は過ぎて、PWT参加者の入場時間になる。
アンヌは読んでいる途中の入門書を抱えたまま、入場ゲートに並ぶ。鋭い緊張を感じながら、受付のスタッフにトレーナーカードを渡し、確認を取る。
「アンヌ様ですね。開始まで控え室でお待ちください。」
「ありがとうございます。」
一礼して、スタッフに促されるままに奥に進む。ブレイヴ、ジェト、サイルーン、そしてグルートが後ろに続こうとした。――が、グルートの前でスタッフが進路を塞ぐように立ちはだかる。それに彼は怪訝そうな眼差しを向けた。
「申し訳ありませんが、入場できるのは参加登録された方のみです。」
「あ?エントリーはしてるはずだろ。」
「アンヌ様はシングルトーナメントへの参加となっており、エントリー時に出場ポケモンはブレイヴ様、ジェト様、サイルーン様で登録されております。」
「何だと…?」
「待ってください!そんなお話…私、聞いていませんわ。」
口に出してからアンヌはハッとする。そしてトレーナーカードを差し出してきたギルバートの存在を思い出す。彼に渡された時点で既にアンヌの名義でPWTへのエントリーがされていた。とすると、出場するポケモンを決めたのも恐らく彼だ。
「じゃあ、アタシと彼を交代してくれないかしら。」
「申し訳ありません。エントリー後の変更は出来かねます。規則で決まっておりますので。」
サイルーンの申し出も一蹴される。初めから話を聞く気がないような、冷たく突っぱねる不遜な態度に彼女も少し苛立って、眉を顰めた。
「……早速、仕込んでたみたいね。あのひと。」
彼女も同じ考えに至ったのか、そっとアンヌに耳打ちをする。やはりただの親切心だけでギルバートがトレーナーカードを彼女に贈呈したわけではないらしい。ただの嫌がらせなのか…それとも何か他の狙いがあるのかはわからなかったが。
暫くスタッフに抗議を続けるも、状況は変わらず平行線。規則で決まっている以上、認められないの一点張りだった。
「従えないのならば、失格となります。宜しいですか?」
「なっ、何ィ!?そりゃ困るぜ!オレ様の!ディアナちゃんとのデートはどーなるンだよッ!」
「……今…そこの心配……する?」
失格の言葉を出されて、一番動揺していたのはブレイヴだった。うわああ、と頭を抱えて慌てふためく彼をジェトは冷めた眼差しで見る。
状況は悪くなるばかりで、はあ、とため息を吐き、先に折れたのはグルートの方だった。
「わかったよ。邪魔者は素直に立ち去るぜ。」
「でも、」
「ここでウダウダしても仕方ねぇ。頭数は足りてんだ。俺がいなくても何とかなるだろ。」
「……グルート。」
「あんまり気張りすぎんなよ。」
彼は小さく笑み、アンヌに向かって軽く手を振る。そのまま来た道を戻っていく彼に、待って、と声をかけようとして言葉が詰まる。
――先程、グルートの手を跳ね除けた時の気まずさを思い出して躊躇する。ふつふつと沸き上がるマグマのような感情が再び蠢きだすと、彼と目を合わせるのも辛かった。
遠くなる足音を耳にしながら、アンヌは落ち込んだ様子で視線を床に落とす。気の利いた言葉も言えない自分に嫌悪感が募るばかりだった。
◇◆◇◆◇
「クソ犬が居なくたって、オレ様がなンとかしてやるぜ!ヨユーヨユー!」
控え室の扉の前で立ち止まり、ぼんやりしていると、ばんっと勢いよくブレイヴに背中を叩かれ、アンヌは苦く笑う。彼なりに励ましているのだろうが、相変わらず力の加減を知らないようで、叩かれた箇所が鈍く痛んだ。
「なァ、ジェト!おめェもそう思うだろ!?」
「うん。……ボクも…頑張る…から。」
「ふたりともありがとう。私も頑張らなくっちゃ。」
「よーしッ!なら、どんな奴がいるのか早くツラ拝んでやろうぜッ!」
「く……苦しい……。」
ジェトのマフラーをぐいっと掴み、ブレイヴは闘志を燃やしながら控え室に入る。入室するなり、中から「オレ様は宇宙一のHEROの――」という彼の自己紹介らしき大声が外まで響いてきた。この直後に入るのは少し勇気が必要だった…。
(本当に……大丈夫かしら。)
頑張るとは言ってみたものの、アンヌの不安は徐々に増していた。バトルの経験が豊富なグルートがいない中で、果たしてトレーナーとして的確な指示を皆に出すことが出来るのか。心細い気持ちは拭えない。
――しかし、今ここに彼がいたとしても、それはそれで気が重く、まともに会話をすることはできなかったかもしれないのだが。
マリア、と口にした瞬間のグルートの優しい表情を思い出すたびに、刃物で抉られるような胸の痛みが振り返す。心の底から得体の知れない禍々しいものが溢れて止まらなくなる。彼女が関わっているのなら、大事にするとグルートと約束した胸のペンダントも海に投げ捨ててしまいたい――今まで思いもつかなかったような邪悪で破壊的な考えが過ぎって、冷や汗がじんわりと滲み、背中を伝った。
(どうして?――何故、こんなにも苦しいの?)
彼を想って、素直に心を躍らせていた瞬間を思い出せない。
『傍にいてくれ。』グルートが引き留めてくれたあの時、彼と通じ合っているような気がした。だが、それは自分が一方的に抱いていた錯覚でしかなかったのだと思うと、気持ちが沈んで、惨めな気持ちに飲み込まれてしまいそうになった。
「ねぇ。……グルートちゃんと何かあった?」
「――!」
――丁度、彼のこと考えていたタイミングで不意に声をかけられ、アンヌは醜い感情を見透かされたような気がして狼狽えた。その青褪めた反応を見たサイルーンは目を伏せ、彼女とグルートの現状を察した様子で頷く。
「やっぱり。様子が変だと思ったのよね。」
「……気づいていたの?」
「勿論、オンナの勘は鋭いんだから。アタシで良ければ話してくれないかしら?」
屈みながらそっと肩に手を乗せるサイルーンの優しい眼差しに、アンヌはぐっと込み上げてくるものを感じて、瞳を潤ませる。
恐る恐る、グルートのトレーナーであるマリアという女性のことを話した。どうやら彼にとって、そのひとは大切な相手だということも。
サイルーンは頷きながら、黙ってアンヌの話に耳を傾ける。
「私、わからないの。グルートのことが大切なのに、今は彼を思うほど苦しくて……。人を思いやる感情って素敵な筈なのにグルートが他の人を大切に思っているのだと思うと…許せないような気持ちになっていて……。そんな私がすごく嫌なの。」
醜い心の内を他人に明かすのは恥ずかしくて、やるせない気持ちを益々自覚することになった。彼女にもいけないことだと嗜められてしまうかもしれない…不安を抱えながらも耐えきれず、アンヌは口から感情を次々に溢してしまう。
サイルーンは微笑んで、そっとアンヌの肩を抱く。彼女の心を落ち着かせるように、背中を摩った。
「安心して、それは誰もが感じたことのある当たり前の感情よ。恋って幸せな感情ばかりじゃない。時には苦しかったり、悲しいこともあるものなの。相手があることだから、思い通りにいかないことなんてよくあることよ。」
「サイルーンお姉さん……。」
「だから、あなたも思い詰めすぎないで。執着するほど幸せは逃げていってしまうから。」
寄り添ってくれる彼女の穏やかな温もりにアンヌは少し安堵する。否定せず不安を優しく受け止めてくれる存在が頼もしかった。
「それに悲観的になるのは早いんじゃあなくって?まだ気持ちを伝えてもいないんでしょう?」
「……ええ。」
「なら、あれこれ考えるのは一旦やめにして、今は目の前のことに集中しましょう。気持ちが沈んでいる時は、別のことに気持ちを持って行った方がいいと思うわ。」
サイルーンはアンヌが持っていた本を指差し、彼女も納得した様子でそれに頷く。その言葉通りPWTへの緊張が幾らか嫉妬心を和らげてくれていたのは間違いなかった。
その間に刻一刻と時間は過ぎて、PWT参加者の入場時間になる。
アンヌは読んでいる途中の入門書を抱えたまま、入場ゲートに並ぶ。鋭い緊張を感じながら、受付のスタッフにトレーナーカードを渡し、確認を取る。
「アンヌ様ですね。開始まで控え室でお待ちください。」
「ありがとうございます。」
一礼して、スタッフに促されるままに奥に進む。ブレイヴ、ジェト、サイルーン、そしてグルートが後ろに続こうとした。――が、グルートの前でスタッフが進路を塞ぐように立ちはだかる。それに彼は怪訝そうな眼差しを向けた。
「申し訳ありませんが、入場できるのは参加登録された方のみです。」
「あ?エントリーはしてるはずだろ。」
「アンヌ様はシングルトーナメントへの参加となっており、エントリー時に出場ポケモンはブレイヴ様、ジェト様、サイルーン様で登録されております。」
「何だと…?」
「待ってください!そんなお話…私、聞いていませんわ。」
口に出してからアンヌはハッとする。そしてトレーナーカードを差し出してきたギルバートの存在を思い出す。彼に渡された時点で既にアンヌの名義でPWTへのエントリーがされていた。とすると、出場するポケモンを決めたのも恐らく彼だ。
「じゃあ、アタシと彼を交代してくれないかしら。」
「申し訳ありません。エントリー後の変更は出来かねます。規則で決まっておりますので。」
サイルーンの申し出も一蹴される。初めから話を聞く気がないような、冷たく突っぱねる不遜な態度に彼女も少し苛立って、眉を顰めた。
「……早速、仕込んでたみたいね。あのひと。」
彼女も同じ考えに至ったのか、そっとアンヌに耳打ちをする。やはりただの親切心だけでギルバートがトレーナーカードを彼女に贈呈したわけではないらしい。ただの嫌がらせなのか…それとも何か他の狙いがあるのかはわからなかったが。
暫くスタッフに抗議を続けるも、状況は変わらず平行線。規則で決まっている以上、認められないの一点張りだった。
「従えないのならば、失格となります。宜しいですか?」
「なっ、何ィ!?そりゃ困るぜ!オレ様の!ディアナちゃんとのデートはどーなるンだよッ!」
「……今…そこの心配……する?」
失格の言葉を出されて、一番動揺していたのはブレイヴだった。うわああ、と頭を抱えて慌てふためく彼をジェトは冷めた眼差しで見る。
状況は悪くなるばかりで、はあ、とため息を吐き、先に折れたのはグルートの方だった。
「わかったよ。邪魔者は素直に立ち去るぜ。」
「でも、」
「ここでウダウダしても仕方ねぇ。頭数は足りてんだ。俺がいなくても何とかなるだろ。」
「……グルート。」
「あんまり気張りすぎんなよ。」
彼は小さく笑み、アンヌに向かって軽く手を振る。そのまま来た道を戻っていく彼に、待って、と声をかけようとして言葉が詰まる。
――先程、グルートの手を跳ね除けた時の気まずさを思い出して躊躇する。ふつふつと沸き上がるマグマのような感情が再び蠢きだすと、彼と目を合わせるのも辛かった。
遠くなる足音を耳にしながら、アンヌは落ち込んだ様子で視線を床に落とす。気の利いた言葉も言えない自分に嫌悪感が募るばかりだった。
「クソ犬が居なくたって、オレ様がなンとかしてやるぜ!ヨユーヨユー!」
控え室の扉の前で立ち止まり、ぼんやりしていると、ばんっと勢いよくブレイヴに背中を叩かれ、アンヌは苦く笑う。彼なりに励ましているのだろうが、相変わらず力の加減を知らないようで、叩かれた箇所が鈍く痛んだ。
「なァ、ジェト!おめェもそう思うだろ!?」
「うん。……ボクも…頑張る…から。」
「ふたりともありがとう。私も頑張らなくっちゃ。」
「よーしッ!なら、どんな奴がいるのか早くツラ拝んでやろうぜッ!」
「く……苦しい……。」
ジェトのマフラーをぐいっと掴み、ブレイヴは闘志を燃やしながら控え室に入る。入室するなり、中から「オレ様は宇宙一のHEROの――」という彼の自己紹介らしき大声が外まで響いてきた。この直後に入るのは少し勇気が必要だった…。
(本当に……大丈夫かしら。)
頑張るとは言ってみたものの、アンヌの不安は徐々に増していた。バトルの経験が豊富なグルートがいない中で、果たしてトレーナーとして的確な指示を皆に出すことが出来るのか。心細い気持ちは拭えない。
――しかし、今ここに彼がいたとしても、それはそれで気が重く、まともに会話をすることはできなかったかもしれないのだが。
マリア、と口にした瞬間のグルートの優しい表情を思い出すたびに、刃物で抉られるような胸の痛みが振り返す。心の底から得体の知れない禍々しいものが溢れて止まらなくなる。彼女が関わっているのなら、大事にするとグルートと約束した胸のペンダントも海に投げ捨ててしまいたい――今まで思いもつかなかったような邪悪で破壊的な考えが過ぎって、冷や汗がじんわりと滲み、背中を伝った。
(どうして?――何故、こんなにも苦しいの?)
彼を想って、素直に心を躍らせていた瞬間を思い出せない。
『傍にいてくれ。』グルートが引き留めてくれたあの時、彼と通じ合っているような気がした。だが、それは自分が一方的に抱いていた錯覚でしかなかったのだと思うと、気持ちが沈んで、惨めな気持ちに飲み込まれてしまいそうになった。
「ねぇ。……グルートちゃんと何かあった?」
「――!」
――丁度、彼のこと考えていたタイミングで不意に声をかけられ、アンヌは醜い感情を見透かされたような気がして狼狽えた。その青褪めた反応を見たサイルーンは目を伏せ、彼女とグルートの現状を察した様子で頷く。
「やっぱり。様子が変だと思ったのよね。」
「……気づいていたの?」
「勿論、オンナの勘は鋭いんだから。アタシで良ければ話してくれないかしら?」
屈みながらそっと肩に手を乗せるサイルーンの優しい眼差しに、アンヌはぐっと込み上げてくるものを感じて、瞳を潤ませる。
恐る恐る、グルートのトレーナーであるマリアという女性のことを話した。どうやら彼にとって、そのひとは大切な相手だということも。
サイルーンは頷きながら、黙ってアンヌの話に耳を傾ける。
「私、わからないの。グルートのことが大切なのに、今は彼を思うほど苦しくて……。人を思いやる感情って素敵な筈なのにグルートが他の人を大切に思っているのだと思うと…許せないような気持ちになっていて……。そんな私がすごく嫌なの。」
醜い心の内を他人に明かすのは恥ずかしくて、やるせない気持ちを益々自覚することになった。彼女にもいけないことだと嗜められてしまうかもしれない…不安を抱えながらも耐えきれず、アンヌは口から感情を次々に溢してしまう。
サイルーンは微笑んで、そっとアンヌの肩を抱く。彼女の心を落ち着かせるように、背中を摩った。
「安心して、それは誰もが感じたことのある当たり前の感情よ。恋って幸せな感情ばかりじゃない。時には苦しかったり、悲しいこともあるものなの。相手があることだから、思い通りにいかないことなんてよくあることよ。」
「サイルーンお姉さん……。」
「だから、あなたも思い詰めすぎないで。執着するほど幸せは逃げていってしまうから。」
寄り添ってくれる彼女の穏やかな温もりにアンヌは少し安堵する。否定せず不安を優しく受け止めてくれる存在が頼もしかった。
「それに悲観的になるのは早いんじゃあなくって?まだ気持ちを伝えてもいないんでしょう?」
「……ええ。」
「なら、あれこれ考えるのは一旦やめにして、今は目の前のことに集中しましょう。気持ちが沈んでいる時は、別のことに気持ちを持って行った方がいいと思うわ。」
サイルーンはアンヌが持っていた本を指差し、彼女も納得した様子でそれに頷く。その言葉通りPWTへの緊張が幾らか嫉妬心を和らげてくれていたのは間違いなかった。