shot.16 貴方の世界に届かない

「ごめん、僕が大会に出れるって浮かれてたから……嫌な気持ちにさせちゃったみたいで。」

 張り詰めた空気が過ぎ去った後、タスクは申し訳無さそうに呟いた。
 ジュース缶を差し出され、彼が顔を上げると、全員分の缶を抱えたサイルーンが微笑んでいた。小さく頭を下げながら、タスクは彼女からそれを受け取る。

「タスクちゃんは悪くないわよ。誰だって憧れの舞台を前にすればはしゃいでしまうもの。……それよりーー。」

 サイルーンはタスクから視線を外し、地面に手を着きながら項垂れて、立ち上がれなくなっている彼を横目で見る。

「いつまで落ち込んでるのよブレイヴちゃん!正義のヒーローがらしくないわよ!」

 この世の終わりかと思うぐらいブレイヴは落ち込んでいて、どんよりとしたオーラを纏っていた。幽霊に怯えていた時以来の邪気を放っている。サイルーンが一喝しても尚、同じ状況だった。

「オレ様は…なんつー馬鹿野郎なンだ……。」
「あ、今更気づいた……。」

 さりげなくジェトは毒づいたが、後悔の念に支配されている今のブレイヴの耳には入らない。

「あいつは大切なダチなのに、酷いこと言っちまった!」

 グルートの重い一撃を食らって、目が覚めたブレイヴは、カッとなってアンヌに対して悪い態度をとってしまったことを恥じていた。やるせなさから、何度も地面に叩きつけた拳は血で赤く滲んでいる。

「自分が情けねェよ…!」
「そうねぇ。でも、過ぎたことを後悔しても仕方がないわ。アンヌちゃんに対して、誠心誠意謝ることね。」
「焼き土下座の…刑。」
「や、焼き……ッ!」

 ジェトの周囲に、怨みの篭った黒いオーラが漂っている。呪いをかけられそうな勢いにブレイヴはヒィと息を呑んで怯える。

「それじゃあ、ドラゴンタイプの彼には今ひとつになっちゃうけど……。氷漬けの方が効果あるんじゃないかな。」
「タスクちゃん…ツッコミどころがズレてるわ。アナタ普通な顔して結構怖いこと言うのね。」
「あ、ごめん……つい。」

 穏やかなタスクの雰囲気が、かえって怖さを増長させていた。真っ先にタイプの相性の方に気が向くのはやはり彼がトレーナーだからだろうか。


(問題は、あっちの方かしらね。)

 サイルーンは視線を動かし、グルートが消えた港方向を見る。アンヌは彼を心配して後を追ったが、だだならぬ様子に嫌な予感もしていた。
 今まで仲睦まじく過ごしているように見えた二人の間に、厚い壁があるように感じてーーー。

◇◆◇◆◇


 数隻の船が停泊する埠頭で、煙草を吸うグルートの姿。茫然と海面を見つめる彼の瞳は波のように揺らぎ、怯えていた。

「グルート。」

 消沈した様子のグルートに、アンヌは恐る恐る声をかける。物思いに耽っていて彼女の存在に気づいていなかったのか、彼ははっと我に返った様子で目を丸くさせた。

「アンヌ……。」
「大丈夫?あまり顔色が良くないみたいだわ。」

 彼の元気がないことを感じ取ったアンヌは、眉を下げながら案じるように彼を見つめる。ブレイヴに対しての怒り方も小馬鹿にしたようないつもの調子とは違って、激しい感情を露わにしていた。アンヌはそれが気掛かりでならず、自然と彼の姿を追っていた。

「悪かった。……俺もまだまだガキだな。」
「ううん。私も、もう少し厳しくブレイヴに注意するべきだったわ。あなたも巻き込んで、拳を振るわせることになってしまって……ごめんなさい。」
「ったく、てめぇの心配より俺の心配かよ。つくづくお人好しだな。」

 申し訳なさそうに頭を下げるアンヌにグルートは困った様子で笑う。少しだけ彼の表情に笑顔が戻ったのを安堵したのも、束の間。
 彼は再び海の方を向いて、目を伏せながら虚な眼差しで海面をぼんやりと見つめる。
 波が立ち、水面に揺れて、二人の虚像が歪んだ。

「……本当、あいつにそっくりだよ。」
「え?」
「俺に名前をくれた奴さ。」
「グルートのトレーナーさん……ということ?」

 アンヌの問いかけにグルートは、ああと短く答える。
 彼にトレーナーがいたというのは初耳だった。唐突なことにアンヌは意表を突かれ、驚きの感情を隠しきれない。

「あなたはずっと野生で過ごしてきたのだとばかり……。」
「……そうか、言ってなかったか。」

グルートは吸った煙草の煙をゆっくりと吐き出す。白煙と共にスパイシーな匂いが辺りに広がる。いつもと同じ煙草の匂いなのに、彼自身は別人のように弱々しい。

「マリアって言ってな。お前に負けず劣らずのお人好しな奴で……本当、無茶ばっかりしやがってな。俺はいつも振り回されてた。」

 マリア、とトレーナーの名前を口に出したグルートはとても優しい表情をする。慈愛に満ちた眼差し。それはアンヌが知らない彼の一面で。
 え、と声が溢れそうになるのを堪える。無性に胸の奥が騒ついて、アンヌは思わず胸の前にあるペンダントをぎゅっと握り締めた。

「彼女は……俺にとって、大切なひとだった。」

 彼女、大切なひと。それらの言葉にかっと頭に熱が上る。アンヌは頭の中が真っ白になって……胸の騒つきが激しい痛みに変わった。

 ーー『こいつは、あるお人好しが残してくれたモンなんだ。』
 同じように切なげな表情を浮かべて、ペンダントを見つめていたグルートのことをアンヌは思い出す。

「このストーンも……そのひとが下さったものなの?」

 どくどく、と鼓動が速くなる。知りたくないのに聞きたくなって、彼を疑うような口調になる。問いかけておきながら、グルートが否定してくれることを望んでいる自分がいた。
 ……だが、彼は「そうだ。」と言う。わかりきっていた答えだったのに、アンヌはそれにひどくショックを受けた。

「え、ええとっ!一度お会いしてみたいわね、今はどうしておられるのかしら?」

 咄嗟に、思ってもいない言葉が溢れた。彼が誰かを想う気持ちに気づかないふりをして、明るい調子で少しでも、場の空気を誤魔化したかったのだ。
 けれどアンヌの思惑とは裏腹に、グルートの表情は益々曇って、重たい空気が強調される。それ以上踏み込んではいけないような、明確な境界線を彼女は感じることになった。

 彼を想えば天にも上れるような高揚感ばかり浮かんでいたのに、……今はそれが窒息しそうなぐらい息苦しく感じられた。恋の奥に潜む、卑しい感情がアンヌの中に生まれてーーー。

 切なさと不安に駆られて、彼に近づき、触れようと手を伸ばす。ーーが、その手は彼に届くことなく、背後から伸びてきた手に遮られるように、絡め取られる。
 ぞくっと背筋が粟立つ感覚に、アンヌは覚えがあった。彼女が声を上げるよりも先に、その体はあの甘美なシトラスの香りに包まれた。

「ああ、会いたかったよ。アンヌさん。」

 色香を漂わせながら、アンヌの耳元で囁く声。それで彼女の予感は確信に変わる。けれど彼の腕に拘束された体はびくともしなかった。
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