shot.14 決意と謀略
乱れたベッドを後にして、ギルバートは眼下に広がるネオンを眺めながら素肌にシャツを羽織る。普段は整髪料で固められている彼のオールバックも、寝起きの直後は無造作に崩れていた。金の糸のような美しい髪の間から、執念に燃える紅の瞳が鋭く光る。
まだ情事の残り香が感じられる部屋には、甘ったるく気怠げな空気が漂っていた。
「何もかも計画通り、ってワケでもないみたいねェ?ギルバート様ァ?」
一死纏わぬ姿でありながら、微塵の恥じらいもなく、女はベッドの上で大胆に脚を広げている。その手には一面の見出しに”ポケウッド ミュージカルホールを買収へ“と書かれた新聞があった。専ら、世間では人気女優のサイルーンが退団することになった経緯の方が、様々な憶測を含めて注目を集めていたが。
彼女はそれを一瞥すると、それ以降は興味が失せた様子でぱっと投げ捨てる。代わりにベッドサイドテーブルに置いていた煙草の箱を掴んで、一本口に咥えた。
「……ジャック。俺の前で煙草は止めろと言ったはずだが?」
ギルバートは女をジャックと呼び、ライターで煙草に火をつけようとした彼女を睨む。そのプレッシャーを受けてもジャックはあっけらかんとしていた。
「あ、そォーだった。一億燃やされた挙句、ガキに振られちゃって頭にきてんだもんねェ?ゴメンネ〜ッ?」
むしろ彼女は更にギルバートを煽るような言動を繰り返す。眉を寄せる彼の形相が、彼女には愉快で堪らないらしい。余裕のない彼の顔を見るのは彼女も新鮮だった。
「今まで女に振られ知らずの金融王様のプライドはズタズタ〜!ギャハハハッ!いい気味!」
「……。」
「アタシも見たかったわァ、ギルバート様が平手打ち食らわされるトコ!」
両手を叩きながら、彼女は隠す気もなく嬉々としながら彼を嘲笑う。誰もが恐れるギルバートをものともせず彼女が減らず口を叩けるのは、互いの利害が一致していて、ギルバートが自分を切ることができないと確信しているからだろう。
彼が怒り狂う反応を楽しみにしていたジャックだったが、その期待に反し、ギルバートは眉間に込めていた力を緩めて、フッと小さく笑う。その変容の不気味さに彼女は不可解な顔をする。
「……いいや?俺は落胆などしていないさ。ただ煙草が嫌いなだけだ。契約書にも書いてあっただろう?」
「心の狭い男ねェ。」
契約の話を持ち出されると、ジャックは渋々、煙草を箱に戻す。背に腹は変えられないといったところか。彼女にとっては金が全てで、満足のいく報酬さえ貰えればどんなことでもやり、契約は守る真面目さもあった。自分にとって有益な道を選択できる彼女の冷静な部分は、ギルバートも気に入っており、ビジネスパートナーとしては都合が良かった。
「そして……。期待を裏切るようで悪いが、俺は今、かつてない程の充実感を得ているのだよ。」
「はァ?現状はサ・イ・ア・クの間違いでしょ?…実はマゾだったってワケ?」
「ククッ、面白いことを言う。……しかし、そうか。間違いとも言い切れんな。」
冗談なのか本気なのかわからないギルバートの反応に、軽薄な態度を取っていたジャックですら唖然とする。
彼は胸に手を当てて、慈しむようにアンヌの姿を脳裏に思い浮かべる。それはまるで、神に心酔する狂信者のように。
「あの凛とした態度、俺に歯向かう純真な眼差し…驚いたよ。自分の中にこんな感情があったなんて。胸の奥から憎らしさと共に、激しい情熱が湧きあがったのさ。」
口許に弧を描き、ギルバートは自分を睨むアンヌの眼差しを思い返す。彼女に叩かれた頬は火傷の様に痺れ、交わした視線に背筋が震えるのを感じた。身体中に雷を食らったような衝撃が走り、彼女に釘付けになった。誰もが羨む美貌を持った、世界的なモデルを抱いた時にも感じなかった高揚感だった。
「この女を俺の前に跪かせて、身も心も暴いてやりたいと思った。……ああ、俺への憎悪と屈辱が入り混じり、恐怖に歪む彼女はさぞかし美しいだろうな…。」
「……うわー…悪趣味ィ…。」
自信たっぷりに不敵な笑みを浮かべ、彼はアンヌの柔らかな唇の感触を思い出しながら、舌舐めずりをする。噛まれた舌の傷さえ、彼女が残したものだと思うと愛おしくて堪らない。
振られた挙句、頬まで打たれて屈辱のあまり頭が可笑しくなったのかとジャックは思ったが、そもそもこの男は正気など持ち合わせていなかったのだったと思い返す。
この狂気を纏った男が、表では“爽やかなイケメン実業家”で通っていることがジャックには不思議でならなかった。短くはない付き合いの間に、彼の執念深さと醜悪さは嫌というほど目にしてきたからだ。欲しいと思ったものは、例えどんな手を使っても他人から奪う。恐怖と暴力、金で支配し、逆らうものは一匹残らず蹂躙する。部下ですら例外ではない。……つい先日も、沈められた者がいるらしい。
彼のいいところがあるとすれば、契約通り金を支払ってくれるところぐらいのものだろう。尤も、見合う働きをしなかった場合は、先日の部下と同じ道を辿るのだろうが。
「最初はシャルロワ財閥の名が欲しかっただけだが、今は違う。俺はアンヌさん自身が欲しい。」
「……かわいそーな子。ギルバート様に目をつけられるなんて、アタシでも同情するわ。警察に捕まった方が何億倍もマシね。」
「いいや、彼女は世界一幸福なひとだ。このギルバートに骨の髄まで愛されるのだからな。」
そう言って笑うギルバートの顔は求愛に敗北した者のそれではなかった。どこまでも尊大で、勝者の風格すら感じられる。
おえ、とジャックは吐き気を催す様なジェスチャーをした。…彼の自尊心の高さにはジャックも辟易していた。その鼻っ柱をへし折ってやろうと思ったこともあったが、全く折れる気配がなかったので、先に彼女の心の方が折れてしまった。
「さて、ジャック。いつまでもベッドの上で寛いでるんじゃあない。仕事の時間だ。」
「タダ働きはゴメンよォ。」
彼を弄ぶつもりが、結局いつものように気が滅入るご高説を垂れ流され、ジャックはげんなりしていた。ギルバートに促されても、ベッドの上から動く気になれない。
ギルバートはぱちん、と指を鳴らし、手品のように札を一枚手の中に出現させる。最初ジャックは見向きもしていなかったが、彼がその札に手を翳すと、札は瞬く間に札束になり、更に束が十に増えた。ぽとぽとと地面に落ちた札束達にジャックはぎょっとして、すかさずそれらを拾い上げた。話を聞くより先に、一枚二枚と凄まじい速度で金を数えている。
「サザナミタウンの近くだ。そこに埋まっているものを掘り出してこい。」
「高級リゾート地じゃァないの。ひょっとして……埋蔵金かしらァ!?」
「当たらずも遠からずと言ったところだな。」
「最高ッ、喜んで従うわァ!ギルバート様ァ!」
金の臭いを嗅ぎつけたジャックは調子良くギルバートを褒め称え、服従を表すように彼の足を舐める。長い彼女の舌が指の間を通り抜ける。唾液を滴らせて、時折啜る度じゅる、と淫猥な粘着音が響いた。
狂っているのはこの女も同じだ。現金な女だな、と呟きながらも、ギルバートは満足そうに目を細める。下品極まりないとはいえ、話が早いのは助かる。……どこかの身の程知らずの野良犬と違って。金で動かない馬鹿が一番厄介なのだ。
ギルバートは屈んで、這いつくばるジャックに顔を上げる様に促し、顎を指で持ち上げる。彼女は口の周りについた涎を舌でぺろりと拭い、彼の唇に噛みついた。愛故の行為ではない、契約が成立した合図だった。
「……一億の借りを返してやらねばな。」
貪りあった唇を離す。金を握り締めたジャックは上機嫌で、ギルバートの首元にキスマークをつけた。
全ては在るべき場所に。シャルロワ財閥も、アンヌの身も心もこの手中に収める。そしてあの身の程知らずの野良犬は、最も屈辱的な方法で、お望み通り地獄に堕としてやるーー。二度と這い上がってこられないように。
脳裏に浮かんだ残酷なシナリオに、彼は愉快な笑みが溢れるのを抑えきれなかった。
まだ情事の残り香が感じられる部屋には、甘ったるく気怠げな空気が漂っていた。
「何もかも計画通り、ってワケでもないみたいねェ?ギルバート様ァ?」
一死纏わぬ姿でありながら、微塵の恥じらいもなく、女はベッドの上で大胆に脚を広げている。その手には一面の見出しに”ポケウッド ミュージカルホールを買収へ“と書かれた新聞があった。専ら、世間では人気女優のサイルーンが退団することになった経緯の方が、様々な憶測を含めて注目を集めていたが。
彼女はそれを一瞥すると、それ以降は興味が失せた様子でぱっと投げ捨てる。代わりにベッドサイドテーブルに置いていた煙草の箱を掴んで、一本口に咥えた。
「……ジャック。俺の前で煙草は止めろと言ったはずだが?」
ギルバートは女をジャックと呼び、ライターで煙草に火をつけようとした彼女を睨む。そのプレッシャーを受けてもジャックはあっけらかんとしていた。
「あ、そォーだった。一億燃やされた挙句、ガキに振られちゃって頭にきてんだもんねェ?ゴメンネ〜ッ?」
むしろ彼女は更にギルバートを煽るような言動を繰り返す。眉を寄せる彼の形相が、彼女には愉快で堪らないらしい。余裕のない彼の顔を見るのは彼女も新鮮だった。
「今まで女に振られ知らずの金融王様のプライドはズタズタ〜!ギャハハハッ!いい気味!」
「……。」
「アタシも見たかったわァ、ギルバート様が平手打ち食らわされるトコ!」
両手を叩きながら、彼女は隠す気もなく嬉々としながら彼を嘲笑う。誰もが恐れるギルバートをものともせず彼女が減らず口を叩けるのは、互いの利害が一致していて、ギルバートが自分を切ることができないと確信しているからだろう。
彼が怒り狂う反応を楽しみにしていたジャックだったが、その期待に反し、ギルバートは眉間に込めていた力を緩めて、フッと小さく笑う。その変容の不気味さに彼女は不可解な顔をする。
「……いいや?俺は落胆などしていないさ。ただ煙草が嫌いなだけだ。契約書にも書いてあっただろう?」
「心の狭い男ねェ。」
契約の話を持ち出されると、ジャックは渋々、煙草を箱に戻す。背に腹は変えられないといったところか。彼女にとっては金が全てで、満足のいく報酬さえ貰えればどんなことでもやり、契約は守る真面目さもあった。自分にとって有益な道を選択できる彼女の冷静な部分は、ギルバートも気に入っており、ビジネスパートナーとしては都合が良かった。
「そして……。期待を裏切るようで悪いが、俺は今、かつてない程の充実感を得ているのだよ。」
「はァ?現状はサ・イ・ア・クの間違いでしょ?…実はマゾだったってワケ?」
「ククッ、面白いことを言う。……しかし、そうか。間違いとも言い切れんな。」
冗談なのか本気なのかわからないギルバートの反応に、軽薄な態度を取っていたジャックですら唖然とする。
彼は胸に手を当てて、慈しむようにアンヌの姿を脳裏に思い浮かべる。それはまるで、神に心酔する狂信者のように。
「あの凛とした態度、俺に歯向かう純真な眼差し…驚いたよ。自分の中にこんな感情があったなんて。胸の奥から憎らしさと共に、激しい情熱が湧きあがったのさ。」
口許に弧を描き、ギルバートは自分を睨むアンヌの眼差しを思い返す。彼女に叩かれた頬は火傷の様に痺れ、交わした視線に背筋が震えるのを感じた。身体中に雷を食らったような衝撃が走り、彼女に釘付けになった。誰もが羨む美貌を持った、世界的なモデルを抱いた時にも感じなかった高揚感だった。
「この女を俺の前に跪かせて、身も心も暴いてやりたいと思った。……ああ、俺への憎悪と屈辱が入り混じり、恐怖に歪む彼女はさぞかし美しいだろうな…。」
「……うわー…悪趣味ィ…。」
自信たっぷりに不敵な笑みを浮かべ、彼はアンヌの柔らかな唇の感触を思い出しながら、舌舐めずりをする。噛まれた舌の傷さえ、彼女が残したものだと思うと愛おしくて堪らない。
振られた挙句、頬まで打たれて屈辱のあまり頭が可笑しくなったのかとジャックは思ったが、そもそもこの男は正気など持ち合わせていなかったのだったと思い返す。
この狂気を纏った男が、表では“爽やかなイケメン実業家”で通っていることがジャックには不思議でならなかった。短くはない付き合いの間に、彼の執念深さと醜悪さは嫌というほど目にしてきたからだ。欲しいと思ったものは、例えどんな手を使っても他人から奪う。恐怖と暴力、金で支配し、逆らうものは一匹残らず蹂躙する。部下ですら例外ではない。……つい先日も、沈められた者がいるらしい。
彼のいいところがあるとすれば、契約通り金を支払ってくれるところぐらいのものだろう。尤も、見合う働きをしなかった場合は、先日の部下と同じ道を辿るのだろうが。
「最初はシャルロワ財閥の名が欲しかっただけだが、今は違う。俺はアンヌさん自身が欲しい。」
「……かわいそーな子。ギルバート様に目をつけられるなんて、アタシでも同情するわ。警察に捕まった方が何億倍もマシね。」
「いいや、彼女は世界一幸福なひとだ。このギルバートに骨の髄まで愛されるのだからな。」
そう言って笑うギルバートの顔は求愛に敗北した者のそれではなかった。どこまでも尊大で、勝者の風格すら感じられる。
おえ、とジャックは吐き気を催す様なジェスチャーをした。…彼の自尊心の高さにはジャックも辟易していた。その鼻っ柱をへし折ってやろうと思ったこともあったが、全く折れる気配がなかったので、先に彼女の心の方が折れてしまった。
「さて、ジャック。いつまでもベッドの上で寛いでるんじゃあない。仕事の時間だ。」
「タダ働きはゴメンよォ。」
彼を弄ぶつもりが、結局いつものように気が滅入るご高説を垂れ流され、ジャックはげんなりしていた。ギルバートに促されても、ベッドの上から動く気になれない。
ギルバートはぱちん、と指を鳴らし、手品のように札を一枚手の中に出現させる。最初ジャックは見向きもしていなかったが、彼がその札に手を翳すと、札は瞬く間に札束になり、更に束が十に増えた。ぽとぽとと地面に落ちた札束達にジャックはぎょっとして、すかさずそれらを拾い上げた。話を聞くより先に、一枚二枚と凄まじい速度で金を数えている。
「サザナミタウンの近くだ。そこに埋まっているものを掘り出してこい。」
「高級リゾート地じゃァないの。ひょっとして……埋蔵金かしらァ!?」
「当たらずも遠からずと言ったところだな。」
「最高ッ、喜んで従うわァ!ギルバート様ァ!」
金の臭いを嗅ぎつけたジャックは調子良くギルバートを褒め称え、服従を表すように彼の足を舐める。長い彼女の舌が指の間を通り抜ける。唾液を滴らせて、時折啜る度じゅる、と淫猥な粘着音が響いた。
狂っているのはこの女も同じだ。現金な女だな、と呟きながらも、ギルバートは満足そうに目を細める。下品極まりないとはいえ、話が早いのは助かる。……どこかの身の程知らずの野良犬と違って。金で動かない馬鹿が一番厄介なのだ。
ギルバートは屈んで、這いつくばるジャックに顔を上げる様に促し、顎を指で持ち上げる。彼女は口の周りについた涎を舌でぺろりと拭い、彼の唇に噛みついた。愛故の行為ではない、契約が成立した合図だった。
「……一億の借りを返してやらねばな。」
貪りあった唇を離す。金を握り締めたジャックは上機嫌で、ギルバートの首元にキスマークをつけた。
全ては在るべき場所に。シャルロワ財閥も、アンヌの身も心もこの手中に収める。そしてあの身の程知らずの野良犬は、最も屈辱的な方法で、お望み通り地獄に堕としてやるーー。二度と這い上がってこられないように。
脳裏に浮かんだ残酷なシナリオに、彼は愉快な笑みが溢れるのを抑えきれなかった。