shot.14 決意と謀略
グルートとブレイヴの喧嘩はポケモンセンターの中でも軽く騒ぎになった。ジョーイや他の入院患者に止められて、漸くその場を収めることができたのだった。入院しながらにして顔に痣を作り、頬を腫らしているのは、恐らくこのふたりぐらいのものだろう。
元凶のひとりであるブレイヴといえば、何事もなかったかのように豪快ないびきをかいて、ベッドに大の字になって眠っていたが。その側でアンヌも穏やかな寝息を立てていた。
先の件もあり、ジェトはアンヌのことが心配らしく、グルートが代わると言っても頑なに拒んで、深夜になっても彼女を見守っていた。こうなってはジェトは聞く耳を持たない。グルートは眠気覚まし用の缶コーヒーを買いに行く為に、彼にアンヌのことを任せて病室を出た。やや過激なところはあるが、彼ほど頼もしいアンヌのボディーガードはいないだろう。
閑散としたロビーを通り過ぎて、彼は自販機のある方へと足を向ける。時間帯もあってか、グルート以外の人影は見当たらない。
ついでに院内禁煙の規則を破り、こっそりと煙草を吸うつもりでいたので、彼には好都合だった。
ーーが、自販機を前に煙草を口にしたグルートは、ふと隣にある電話コーナーの存在に気づいた。
暫し立ち止まった後、思い立ち、受話器を手に取る。若い頃何度も補導されては電話をして迎えにきてもらった経験があって、番号ははっきりと記憶していた。
『うっさいのう!オドレ、今何時やと思うてんねん!』
「早速だが、俺の為に家を一軒立てちゃくれねぇか?知り合い価格で頼むぜ。」
『柱一本、十億ポケドルや、ドアホウ!』
グルートが軽いジョークを飛ばすと、受話器越しに激しいコガネ弁のツッコミが返ってくる。くだらないこの茶番もいつも通りだった。
「よく俺だってわかったな。おっさん。」
唐突にグルートが電話をかけた相手は、ヒウン建設のグラだった。深酒でもしていたのだろう。やや呂律が回っておらず、声のボリュームも普段より大きく、まさしく酔っ払いのそれだった。
『真夜中に図々しく電話かけてくるっちゅうたら、ジブンしかおらんがな!なんやまたやらかしてケーサツのお世話になっとるんか?』
「ちげーよ。ちょっくらあんたに聞きたいことがあってな。ーーギルバートって奴のこと、知ってるか?」
『はん?ギルバートォ?あのけったクソ悪いエリート気取りのペルシアンのことかいな。』
「!…知ってんのか。」
『知っとるも何も…あないテレビやら雑誌にでとったら、嫌でも目ェに入るわ。ジブンは時事ネタに興味ないんやろけどな、少しは勉強せぇや。』
公衆電話の側に、誰かが忘れていったであろう雑誌が放置してあることにグルートは気がつく。その表紙を飾っていたのは確かに、あのギルバートだった。ビジネス雑誌らしかったが、艶やかに加工された写真と【金融王の華麗なる日々】という触れ込みは、芸能人さながらだ。
彼の写真を目にしただけでも、グルートの胸には不快感が広がった。
『せやけど、何で急にそないなこと……今更ビジネスにでも目覚めたんかァ?』
「アンヌの婚約者ってのがそいつだった。」
『……はァ!?』
グルートの返事に、グラは仰天した様子で声を荒げた。彼は真っ先にジョークだと疑ったが、茶化す様子が見られず、神妙な雰囲気のグルートにそれが本当のことだと察した。
電話越しに、グラの大きな溜息が響く。
『……ホンマ難儀なやっちゃな。シャルロワ財閥っちゅうだけでも大荷物やのに、その上あのギルバートまで敵に回しとんのかい。』
「なんとか命(タマ)は取られずに済んだがな。」
ギルバートと一戦交えたことを暗に示すと、グラはわざとらしく頭痛を訴えた。グルートが酒の飲み過ぎを指摘すると、『そういう意味ちゃうわ!』と珍しく真面目な反応が返ってきた。
『あのギルバートっちゅう男はなァ、不気味なぐらいええ評判しかないんや。……表ではな。』
「……裏では違うってことか。」
『金稼ぐ為にヤバいことにも手ェ出しとるっちゅう噂やで。インサイダー、ポケモン売買、薬……殺しも含めてな。』
「……。」
『ま、奴さんは頭がキレるみたいやからな、根回しは完璧、証拠も一切出回っとらん。マスコミや警察に言うたかて、門前払いや。』
「まるで経験者みてぇな口ぶりだな。」
『……長いことイッシュで会社やっとるけどな、ほんの数年前、あの男が現れてからっちゅうモン、イッシュ全体が可笑しなことになってんねん。ギルバートに逆らった会社は潰されて、行方不明になった経営者もおる。』
「それだけわかってて、アンタはやり返さねぇのかよ。」
『ワシ一人だけやったら差し違えてでもしばいたる。せやけど、今ワシのとこには従業員とその家族の生活がある。……そこまでのドアホにはなれんのや。』
グラの言葉の節々に悔しさが滲んでいるのが伝わってくる。どうやらギルバートの持っている権力は相当大きいものらしい。経済界もマスコミも警察も、イッシュでは彼には逆らえないということなのだろう。
その残忍で卑怯なやり口が、いかにもギルバートらしいと、グルートは怒りとやり切れなさで震えていた。
「なら、あんたの代わりに俺が奴を地獄に叩き堕としてやるよ。」
『……今の話聞いて何でそうなるんや。ギルバートを敵に回すっちゅうことは、イッシュを敵に回すってことやぞ。正気やないで。』
敵は財閥よりさらに大きい存在。グラの反応が真っ当なのは頭では理解できた。しかしそれでもグルートの心は納得できなかった。ーーアンヌの心を深く傷つけたギルバートに屈したくはない。彼に負けたままでいるつもりは毛頭なかった。
「俺はアンヌを守りたい。その為なら、狂犬にでも悪魔にでもなってやるぜ。」
グラは何か言おうとしていたようだったがーーグルートは最後まで聞かず、受話器を力一杯叩きつけ、乱雑に電話を切った。
◇◆◇◆◇
「あのドアホ……切りよった。」
ツー、ツーと電話が切れた音を聴きながら、グラは呆気に取られる。が、一方的に電話を掛けてきたのにも関わらず、勝手に電話を切られたことに次第に怒りが込み上げてきて。グルートと同じく、叩きつけるように受話器を置いた。
せっかく気分良く酒を飲んでいたところをグルートの電話に邪魔をされ、すっかり酔いも覚めてしまった。
仕切り直しだと、再びビール缶を口にするが、既に中身は空で、虚しく舌の上に一滴垂れ落ちただけだった。周囲を見渡しても空き缶が散乱しているばかりで、未開封の缶は見当たらない。同じく机の上に散らばった外れ馬券の山と共にやり切れなさを感じながら、グラは現実逃避をするように宙を仰ぐ。
「……若いなァ。」
グルートと出会ってから十年近く経つが、彼は全く変わらない。出会った頃に比べて少しは落ち着いたと思ったが、無謀なことを前にしても、決して自分の考えを曲げようとしないのは変わらずだ。
どうしようもない男。それはグラにも跳ね返ってくる言葉であったが。以前、グルートに言われた通り、歳を取り臆病になってしまったのは間違いないと彼自身も実感していた。中途半端にアンヌに関わるなと忠告したのは自分だというのに、止めるような真似をしているのが何よりの証拠だ。
グラは自嘲するように力なく笑う。
流れに逆らって生きるのは困難が伴う。それでも抗おうとするのは不器用な生き物の性なのか。
だが、もし自分がグルートならーーきっと彼と同じ道を選んだだろうとも思った。
「せいぜいしぶとく生きろや。ドアホゥ……。」
空き缶を握りしめながら、グラは目を瞑る。アルコールで火照った体の熱に心地よさを感じながら、彼はそのまま睡魔に飲み込まれていった。
元凶のひとりであるブレイヴといえば、何事もなかったかのように豪快ないびきをかいて、ベッドに大の字になって眠っていたが。その側でアンヌも穏やかな寝息を立てていた。
先の件もあり、ジェトはアンヌのことが心配らしく、グルートが代わると言っても頑なに拒んで、深夜になっても彼女を見守っていた。こうなってはジェトは聞く耳を持たない。グルートは眠気覚まし用の缶コーヒーを買いに行く為に、彼にアンヌのことを任せて病室を出た。やや過激なところはあるが、彼ほど頼もしいアンヌのボディーガードはいないだろう。
閑散としたロビーを通り過ぎて、彼は自販機のある方へと足を向ける。時間帯もあってか、グルート以外の人影は見当たらない。
ついでに院内禁煙の規則を破り、こっそりと煙草を吸うつもりでいたので、彼には好都合だった。
ーーが、自販機を前に煙草を口にしたグルートは、ふと隣にある電話コーナーの存在に気づいた。
暫し立ち止まった後、思い立ち、受話器を手に取る。若い頃何度も補導されては電話をして迎えにきてもらった経験があって、番号ははっきりと記憶していた。
『うっさいのう!オドレ、今何時やと思うてんねん!』
「早速だが、俺の為に家を一軒立てちゃくれねぇか?知り合い価格で頼むぜ。」
『柱一本、十億ポケドルや、ドアホウ!』
グルートが軽いジョークを飛ばすと、受話器越しに激しいコガネ弁のツッコミが返ってくる。くだらないこの茶番もいつも通りだった。
「よく俺だってわかったな。おっさん。」
唐突にグルートが電話をかけた相手は、ヒウン建設のグラだった。深酒でもしていたのだろう。やや呂律が回っておらず、声のボリュームも普段より大きく、まさしく酔っ払いのそれだった。
『真夜中に図々しく電話かけてくるっちゅうたら、ジブンしかおらんがな!なんやまたやらかしてケーサツのお世話になっとるんか?』
「ちげーよ。ちょっくらあんたに聞きたいことがあってな。ーーギルバートって奴のこと、知ってるか?」
『はん?ギルバートォ?あのけったクソ悪いエリート気取りのペルシアンのことかいな。』
「!…知ってんのか。」
『知っとるも何も…あないテレビやら雑誌にでとったら、嫌でも目ェに入るわ。ジブンは時事ネタに興味ないんやろけどな、少しは勉強せぇや。』
公衆電話の側に、誰かが忘れていったであろう雑誌が放置してあることにグルートは気がつく。その表紙を飾っていたのは確かに、あのギルバートだった。ビジネス雑誌らしかったが、艶やかに加工された写真と【金融王の華麗なる日々】という触れ込みは、芸能人さながらだ。
彼の写真を目にしただけでも、グルートの胸には不快感が広がった。
『せやけど、何で急にそないなこと……今更ビジネスにでも目覚めたんかァ?』
「アンヌの婚約者ってのがそいつだった。」
『……はァ!?』
グルートの返事に、グラは仰天した様子で声を荒げた。彼は真っ先にジョークだと疑ったが、茶化す様子が見られず、神妙な雰囲気のグルートにそれが本当のことだと察した。
電話越しに、グラの大きな溜息が響く。
『……ホンマ難儀なやっちゃな。シャルロワ財閥っちゅうだけでも大荷物やのに、その上あのギルバートまで敵に回しとんのかい。』
「なんとか命(タマ)は取られずに済んだがな。」
ギルバートと一戦交えたことを暗に示すと、グラはわざとらしく頭痛を訴えた。グルートが酒の飲み過ぎを指摘すると、『そういう意味ちゃうわ!』と珍しく真面目な反応が返ってきた。
『あのギルバートっちゅう男はなァ、不気味なぐらいええ評判しかないんや。……表ではな。』
「……裏では違うってことか。」
『金稼ぐ為にヤバいことにも手ェ出しとるっちゅう噂やで。インサイダー、ポケモン売買、薬……殺しも含めてな。』
「……。」
『ま、奴さんは頭がキレるみたいやからな、根回しは完璧、証拠も一切出回っとらん。マスコミや警察に言うたかて、門前払いや。』
「まるで経験者みてぇな口ぶりだな。」
『……長いことイッシュで会社やっとるけどな、ほんの数年前、あの男が現れてからっちゅうモン、イッシュ全体が可笑しなことになってんねん。ギルバートに逆らった会社は潰されて、行方不明になった経営者もおる。』
「それだけわかってて、アンタはやり返さねぇのかよ。」
『ワシ一人だけやったら差し違えてでもしばいたる。せやけど、今ワシのとこには従業員とその家族の生活がある。……そこまでのドアホにはなれんのや。』
グラの言葉の節々に悔しさが滲んでいるのが伝わってくる。どうやらギルバートの持っている権力は相当大きいものらしい。経済界もマスコミも警察も、イッシュでは彼には逆らえないということなのだろう。
その残忍で卑怯なやり口が、いかにもギルバートらしいと、グルートは怒りとやり切れなさで震えていた。
「なら、あんたの代わりに俺が奴を地獄に叩き堕としてやるよ。」
『……今の話聞いて何でそうなるんや。ギルバートを敵に回すっちゅうことは、イッシュを敵に回すってことやぞ。正気やないで。』
敵は財閥よりさらに大きい存在。グラの反応が真っ当なのは頭では理解できた。しかしそれでもグルートの心は納得できなかった。ーーアンヌの心を深く傷つけたギルバートに屈したくはない。彼に負けたままでいるつもりは毛頭なかった。
「俺はアンヌを守りたい。その為なら、狂犬にでも悪魔にでもなってやるぜ。」
グラは何か言おうとしていたようだったがーーグルートは最後まで聞かず、受話器を力一杯叩きつけ、乱雑に電話を切った。
「あのドアホ……切りよった。」
ツー、ツーと電話が切れた音を聴きながら、グラは呆気に取られる。が、一方的に電話を掛けてきたのにも関わらず、勝手に電話を切られたことに次第に怒りが込み上げてきて。グルートと同じく、叩きつけるように受話器を置いた。
せっかく気分良く酒を飲んでいたところをグルートの電話に邪魔をされ、すっかり酔いも覚めてしまった。
仕切り直しだと、再びビール缶を口にするが、既に中身は空で、虚しく舌の上に一滴垂れ落ちただけだった。周囲を見渡しても空き缶が散乱しているばかりで、未開封の缶は見当たらない。同じく机の上に散らばった外れ馬券の山と共にやり切れなさを感じながら、グラは現実逃避をするように宙を仰ぐ。
「……若いなァ。」
グルートと出会ってから十年近く経つが、彼は全く変わらない。出会った頃に比べて少しは落ち着いたと思ったが、無謀なことを前にしても、決して自分の考えを曲げようとしないのは変わらずだ。
どうしようもない男。それはグラにも跳ね返ってくる言葉であったが。以前、グルートに言われた通り、歳を取り臆病になってしまったのは間違いないと彼自身も実感していた。中途半端にアンヌに関わるなと忠告したのは自分だというのに、止めるような真似をしているのが何よりの証拠だ。
グラは自嘲するように力なく笑う。
流れに逆らって生きるのは困難が伴う。それでも抗おうとするのは不器用な生き物の性なのか。
だが、もし自分がグルートならーーきっと彼と同じ道を選んだだろうとも思った。
「せいぜいしぶとく生きろや。ドアホゥ……。」
空き缶を握りしめながら、グラは目を瞑る。アルコールで火照った体の熱に心地よさを感じながら、彼はそのまま睡魔に飲み込まれていった。