shot.2 I am The HERO!

 薄っすらとした意識の中で、ポケモンの囀る声が耳につく。差すような日光に当てられて、意識は徐々に現実へと引き戻されていく。うう、と軽く呻きながらアンヌは重い瞼を開いた。
 視線の先にあったのは見知らぬ天井。現実味のないそれに、アンヌは自分が未だ夢の中にいるのだと錯覚してしまった。

「よう、お嬢ちゃん。やっとお目覚めかい?」

 不意打ち的に声をかけられ、アンヌは眠気も一気に吹き飛ぶような勢いで「ひゃあ!」と声を上げ、そのまま、ベットから落ちてしまう。勢いよく床にダイブしたアンヌの姿に、鼻で笑う声が響いた。

「落ち着け、阿呆。もう昨夜のこと忘れちまったのか?」

 声の主であるグルートは窓際に腰を掛け、悠々と煙草を吸っていた。白煙は風に流され、開放された窓の外へと消えていく。
 昨夜、と言われてアンヌはぼうっと思い出す。突如、屋敷に現れたグルート。ラインハルトと対峙し、自分を守るように戦ってくれた彼の姿。越えられないと思っていた塀を破壊し、共に逃げ出すように家を出た。……走馬灯のように過るそれらの景色はまるで作り話のような怒濤の夜だった。


「夢じゃ……なかったのね。」

 ベットから落ちた痛みよりも、グルートを目にし、昨夜のことが現実であったということの方がアンヌには衝撃的だった。どこかにリヒトがいて、ふっと挨拶をしてくれるような気配がある。屋敷内での壮絶な戦いを見ても尚、アンヌは自分がまだ屋敷の中にいるような気がしていた。


「――そうだ、グルート!怪我は……!」

 昨夜は自分のことで手一杯でグルートを気にかける余裕もなく。海を渡っている辺りで睡魔に負けて、そのまま眠りについてしまった。その時、グルートはラインハルトとの戦いで傍から見てもかなりの痛手を負っていた筈だ。けれど、目の前に居る彼はあっけらかんとした様子で煙草を吸っている。それどころか、怪我をしている様子すら見られない。
 首を傾げる彼女にグルートは「ああ」と気怠そうに声を溢す。そして、ジャケットの内ポケットから何かを取り出しアンヌに放り投げた。受け取ったものを開くとそれはイッシュ地方のタウンマップだった。

「ここはサンヨウシティのポケモンセンターだ。――ポケモンセンターっつーのは、ポケモンやトレーナーが自由に使える施設のことだ。怪我の治療、宿泊なんかをタダでやってる。……で、この通り、俺の怪我も治してもらったってわけだ。」
「お外にはそんなところがあるのね。」

 グルートの説明にアンヌはほっと胸を撫で下ろす。大事に至らなくて良かったと思っていたのだが、その「初めて知った」というような反応に今度はグルートの方が顔を顰めることになった。ポケモンセンターといえば誰もが知っており、人間・ポケモン問わず誰もが一度は使ったことのある施設だ。それぐらいメジャーな場所を名前すら知らないというのは、異様だった。


「……マジで屋敷から出たことねぇのな。」
「――え、」
「あの眼鏡と話してたろ。生まれてからずっと閉じ込められてたみてぇな口ぶりだったからよ。」
「……そういう、決まりなの。」

 床に尻餅をついたまま、アンヌは消沈したような感じで声を零す。シャルロワ家のことについて話す時はなんとなく気が落ち込んでしまう。長年植え付けられた枷をそう簡単に払拭することはできなかった。

「女の子が生まれた場合、純潔を守る為にお屋敷の外には一切出てはいけないの。古くからの言い付けよ。」
「……。」
「……でも、私はずっとお外に行ってみたかった。お外では10歳になればトレーナーになってポケモンと旅ができるって聞いたことがあるし……自由に恋をしても良いのでしょう。」

 アンヌは憂うように目を伏せる。外の世界の暮らしと屋敷内の暮らしを比較するたびに惨めな気持ちになってしまう。広い屋敷がいかに「窮屈」で、狭い世界かを思い知らされているようであったから。

「お父様から縁談のお話が出て――それで私はもう我慢ができなくなってしまって。あの夜、私の部屋に来てくれたあなたについ、助けを求めてしまったの。屋敷内にいるひとは誰も耳を傾けてくれなかったから。」
「だからガキのくせに結婚するとか抜かしてやがったのか。」
「ええ。」
「……人間ってのも結構苦労してんだな。」

 噛み締めるように言葉を吐き出したグルートはどこか遠くを見ながら、深い感慨を抱いているようだった。
 「そういえば、」とアンヌは思い出したように声を発する。あまり自分の暗い部分ばかり晒すのも気まずかったので、話題を切り変えたいという気持ちもあったのだ。

「グルートは何故、私の家に来たの?」
「俺のことはどうでもいいだろ。」
「よくないわ。私だってグルートのこと知りたいもの。グルートが私のことを知っていて、私がグルートのことを知らないのは不公平だわ。」

 はぐらかすようなグルートの反応にアンヌは少しむっとして、語気を強めて言った。じぃっと見つめながら無言で迫る彼女にグルートも観念したように呆れた溜め息を吐き出した。

「わかったよ。言やあいいんだろ。……面倒臭ぇな。」

 吸っていた煙草を素手で握り潰し、その手に火を起こす。すると煙草は灰と滓だけになり、風に飛ばされてしまった。そしてグルートは再びズボンのポケットからくしゃくしゃになった煙草の箱を取り出し、一本、口に銜えた。

「俺の目的は、お前の持ってるその石だ。」
「え?」

 石と言われてアンヌは一瞬戸惑ったが、彼の視線から自分が首に身につけているペンダントのことを差しているのだと気がついた。

「信じちゃもらえねぇかもしれねぇが、そいつは元々俺のモンだったんだ。」
「でも……。これは私がお父様から頂いたものよ?何故、あなたのものをシャルロワ家が持っているの?」

 グルートの話を否定しているわけではない。今更、自分を救い出してくれたグルートを疑う気持ちもアンヌにはなかった。けれど、彼の話が本当なら、シャルロワ家とはなんの関わりもないグルートのものが、何故自分の元に来たのか。それが不可解だったのだ。
 逸るアンヌを他所に、グルートは銜えていた煙草の先端に手を翳し、火を点ける。物思いに耽るように煙を吐き出すと漸く彼は口を開いた。

「昔、俺はそいつを盗まれたんだ。で、それから数年。……詳しいルートはわかんねぇが、その盗まれたモンが宝石商に転売されて、シャルロワ家の当主――つまりお前の親父が買ったって噂を聞いたんだよ。」
「でも、それなら、どうしてあなたは私から取り返さないの?それが目的だったのでしょう?」
「お前が大切にしてたからだよ。」
「え……。」
「そんなヤツから奪うような野暮な真似は、幾ら俺でも出来ねぇよ。」

 彼の力なら非力なアンヌから奪う機会は幾らでもあった。けれど彼がそれをしなかったのはぶっきらぼうで素っ気ない口調の中に滲む、その優しさからだったのだろう。自分を助けてくれた上に、なんて優しいひとなんだろうとアンヌは感動して、思わず瞳が潤んでしまった。そうすればまたグルートに呆れられてしまったのだが。

「それに――。」
「?」
「いや、……まあとにかく、そういうこった。お前が大事にしてくれてんならそれでいい。」
「ええ!大事にするわ。」

 今以上にね、と付け足すとグルートは安堵したような、それでいてどこか寂しそうな笑みを浮かべた。
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