shot.13 初恋の雨
いくら待ってもアンヌの願いに反して、雨は収まるどころか強くなるばかり。水溜まりは湖のように広がって、アンヌの靴も濡れてしまった。
ぽつぽつと大きな雨粒が時折、体に打ち付ける。このまま木の下で雨宿りをしていても、雨は止みそうになかった。とはいえ、悠長に朝まで待っているわけにもいかない。
(少しでも遠くに行かなきゃ……。)
アンヌは肩から掛けたバッグの紐をギュッと掴み、意を決して、酷い雨の中に飛び込むことを選んだ。
ばちゃ、と水が跳ねた。足に水が掛かり、冷たさに顔を顰めながら、アンヌはもう一歩踏み出す。屋根を失い今度は容赦なく雨が体に打ちつけた。
どこへ行くのかわからないまま、彼女は視界の悪い豪雨の中を彷徨う。
ーー何故、大好きな仲間からも逃げているのだろう。そうして、いつも、いつも、逃げて、守られてばかりで……。
焦燥感に追われて、息が詰まって、呼吸の仕方がわからない。走るほどにアンヌの体からは温もりが消えていく。視界が朧げで、歪んでいた。
◇◆◇◆◇
ふとした拍子に足を取られる。あっと気づいた時には、勢いのままアンヌの体は水浸しの地面に叩きつけられていた。
「どうして……。」
体が水と泥に塗れる。ぬかるんだ地面を掴みながら、アンヌは痛みとやるせなさに震えた。
逃げることすらままならないーー自分が情けなくて、悔しくて。怒りと悲しみが心の中で荒波のように畝り、彼女を問い詰める。抑えつけた感情が、ひとりでに何処かへ歩いていこうとする。
「どうしてわたしは、……普通の…女の子じゃないの…?」
零れ落ちた心の悲鳴。彼女の弱々しい言葉は、雨音に掻き消される。頬を伝うのは涙なのか雨なのかさえも、もうわからない。
ーー外の世界を知れば知るほどに、アンヌは自分の見ている世界と大きな隔たりを感じた。
同じ年齢ぐらいの子たちが、傍にいるポケモンの自慢話で盛り上がっていたり、人型になっているポケモンの女性と嬉しそうに手を繋いでいる人間の男性がいたり。ポケモンを愛し、愛される。街には素敵な景色が広がっていた。自分もそうなれる、そうなっていいのだと……希望を抱いた。
だが、結局。シャルロワ財閥の娘という大きな名はアンヌにそれを許してはくれなかった。
「さむ…い。」
屋敷から抜け出したところで、その名が消えるわけでは無い。自由になれた、自分もポケモントレーナーになれると、ただ勝手に夢を見て、錯覚していただけなのだ。
本当は屋敷の塀を見上げていた時から何も変わっていないのに。
ーーこの状況を作り出したのは紛れもなく、あなたなんですよ、アンヌさん。
ギルバートに投げつけられた言葉が、脳裏に反芻する。あの時、言い返せなかったのは心のどこかで、既にそれに気づいていたからなのだろうか。
上辺だけでも奮い立たせようとしても、とうとうその気力さえ湧き上がらなかった。立ち上がれず、雨に打たれながら、遠ざかっていく世界を他人事のようにアンヌは傍観していた。
いっそ、このままでいいのかもしれない。イッシュのどこへ行っても、どのみちシャルロワ家の名からは逃れられないのだからーー諦めて目を閉じかけた時、彼女は何かの気配を感じた。
野生のポケモンだろうか。それは地面に横たわるアンヌの側に立ち、じっと見下ろしているようだった。
曖昧な視界で、見上げると彼女の瞳には見覚えのある顔が映った。
未だ覚めない夢を見ているのだろうか。彼は今ポケモンセンターで治療を受けているはずだ。仮に目を覚ましていたとしても、あの怪我ではまともに体も動かず、追いかけてくる体力も残っていないはず。
(これが、走馬灯というものなのかしら。)
人は死の間際や激しい感情の昂りがあったときに、ふと今までの記憶が蘇ることがあるらしい。自分の中に眠る彼への想いが、その姿を見せてくれたのだろうか。
ーーー雨の中に佇む彼は、何故か泣いているように見えた。
泥に塗れて汚れたアンヌの体を彼は抱き締める。冷たい雨の中でも優しい温もりを感じて。彼女は少し安堵したーーこれが現実なら、どんなに幸せだっただろうか。
彼の逞しい胸元に顔を埋めながら、アンヌは静かに重い瞼を閉じた。
ぽつぽつと大きな雨粒が時折、体に打ち付ける。このまま木の下で雨宿りをしていても、雨は止みそうになかった。とはいえ、悠長に朝まで待っているわけにもいかない。
(少しでも遠くに行かなきゃ……。)
アンヌは肩から掛けたバッグの紐をギュッと掴み、意を決して、酷い雨の中に飛び込むことを選んだ。
ばちゃ、と水が跳ねた。足に水が掛かり、冷たさに顔を顰めながら、アンヌはもう一歩踏み出す。屋根を失い今度は容赦なく雨が体に打ちつけた。
どこへ行くのかわからないまま、彼女は視界の悪い豪雨の中を彷徨う。
ーー何故、大好きな仲間からも逃げているのだろう。そうして、いつも、いつも、逃げて、守られてばかりで……。
焦燥感に追われて、息が詰まって、呼吸の仕方がわからない。走るほどにアンヌの体からは温もりが消えていく。視界が朧げで、歪んでいた。
ふとした拍子に足を取られる。あっと気づいた時には、勢いのままアンヌの体は水浸しの地面に叩きつけられていた。
「どうして……。」
体が水と泥に塗れる。ぬかるんだ地面を掴みながら、アンヌは痛みとやるせなさに震えた。
逃げることすらままならないーー自分が情けなくて、悔しくて。怒りと悲しみが心の中で荒波のように畝り、彼女を問い詰める。抑えつけた感情が、ひとりでに何処かへ歩いていこうとする。
「どうしてわたしは、……普通の…女の子じゃないの…?」
零れ落ちた心の悲鳴。彼女の弱々しい言葉は、雨音に掻き消される。頬を伝うのは涙なのか雨なのかさえも、もうわからない。
ーー外の世界を知れば知るほどに、アンヌは自分の見ている世界と大きな隔たりを感じた。
同じ年齢ぐらいの子たちが、傍にいるポケモンの自慢話で盛り上がっていたり、人型になっているポケモンの女性と嬉しそうに手を繋いでいる人間の男性がいたり。ポケモンを愛し、愛される。街には素敵な景色が広がっていた。自分もそうなれる、そうなっていいのだと……希望を抱いた。
だが、結局。シャルロワ財閥の娘という大きな名はアンヌにそれを許してはくれなかった。
「さむ…い。」
屋敷から抜け出したところで、その名が消えるわけでは無い。自由になれた、自分もポケモントレーナーになれると、ただ勝手に夢を見て、錯覚していただけなのだ。
本当は屋敷の塀を見上げていた時から何も変わっていないのに。
ーーこの状況を作り出したのは紛れもなく、あなたなんですよ、アンヌさん。
ギルバートに投げつけられた言葉が、脳裏に反芻する。あの時、言い返せなかったのは心のどこかで、既にそれに気づいていたからなのだろうか。
上辺だけでも奮い立たせようとしても、とうとうその気力さえ湧き上がらなかった。立ち上がれず、雨に打たれながら、遠ざかっていく世界を他人事のようにアンヌは傍観していた。
いっそ、このままでいいのかもしれない。イッシュのどこへ行っても、どのみちシャルロワ家の名からは逃れられないのだからーー諦めて目を閉じかけた時、彼女は何かの気配を感じた。
野生のポケモンだろうか。それは地面に横たわるアンヌの側に立ち、じっと見下ろしているようだった。
曖昧な視界で、見上げると彼女の瞳には見覚えのある顔が映った。
未だ覚めない夢を見ているのだろうか。彼は今ポケモンセンターで治療を受けているはずだ。仮に目を覚ましていたとしても、あの怪我ではまともに体も動かず、追いかけてくる体力も残っていないはず。
(これが、走馬灯というものなのかしら。)
人は死の間際や激しい感情の昂りがあったときに、ふと今までの記憶が蘇ることがあるらしい。自分の中に眠る彼への想いが、その姿を見せてくれたのだろうか。
ーーー雨の中に佇む彼は、何故か泣いているように見えた。
泥に塗れて汚れたアンヌの体を彼は抱き締める。冷たい雨の中でも優しい温もりを感じて。彼女は少し安堵したーーこれが現実なら、どんなに幸せだっただろうか。
彼の逞しい胸元に顔を埋めながら、アンヌは静かに重い瞼を閉じた。