shot.13 初恋の雨

“親愛なるみんなへ

これから、私はひとりで旅をしようと思います。

直接、お別れを言えなくてごめんなさい。
短い間だったけれど、みんなとの思い出は私の一生の宝物よ。本当にありがとう。
どうか、お元気で。

アンヌ・シャルロワ”



 仲間の容体が安定したこと見届けて、アンヌは荷物を纏め、出立の準備をした。

 ジョーイさんの話によると、数日中に皆の意識は戻るだろうということだった。

 その前にアンヌは誰にも見つからないよう、ひっそりと旅立たなければならなかった。目が覚めた彼らと顔を合わせてしまえば、別れが辛く、踏み留まってしまいそうだったから。優しい彼らはこんな時でも心配してくれて、気にするなと言ってくれるだろう。ーーだからこそ、アンヌは決断しなければならなかったのだ。

 先の戦いの凄惨な景色が過ぎる。あれはバトルではなく、一方的に相手を嬲っている暴力だった。
 憤りを感じると同時に、自分がいなければ、皆があんな目に遭うこともなかったのだと冷酷な現実を突きつけられた。……穏やかな世界に生きている皆を、これ以上、家の事情に巻き込むことはできない。
 しかし、婚約者のギルバートに反抗した手前、シャルロワ家に戻るのは容易ではないだろう。許しを乞うても、聞き入れられる保証は無い。

 ならば、と。アンヌが出した答えは、自ら皆と関係を断つということだった。これは自分を取り巻く、シャルロワ家の問題。これ以上、無関係な仲間を危険な目に遭わせない為に、彼女が思いついた苦渋の策だった。


 ポケモンセンターに向かってアンヌは深々と一礼をして、身を翻す。

 振り返ることはできない。頼りになる仲間はもういないのだ。これからは自分ひとりでなんとかしなければーー。


(……始まる前から暗くなっちゃ駄目ね。もっとポジティブに考えましょ。)


 後ろ向きになってしまう心に、喝を入れるようにアンヌは自身の両頬を叩く。
 以前と比べて、外の世界のことも知り、少しは知識も身についているはずだと己に言い聞かせて、僅かでも前を向こうとした。


(それに、このペンダントがあればーー。)


 苦楽を共にしてきた赤いペンダント。父から贈られたものであり、奇しくもグルートと出会うきっかけをくれたもの。不安な舞台の上だって、これに励まされて乗り切れたのだ。
 ……そう懐古しながら無意識に胸元に手を伸ばしかけた時、アンヌは気がつく。


「あ……。」

 ペンダントは旅立つ時に、グルートの元に置いてきたのだった。あまりにも長く傍に置いていたものだから、身につけていないことに慣れていなかったのだ。
 ……あのペンダントは、グルートにとっても大切なものなのだということは、アンヌも察していた。元はといえば彼はそのために、リスクを犯してシャルロワ家の邸宅に侵入したのだから。

『お前が大事にしてくれてんなら、それでいい。』

 そう言ってどこか寂しそうな目をした彼を思い出すと、そのまま黙って持っていくのは憚られた。
 グルートが盗まれたものだと言っていたあの時は、半信半疑だったが今なら彼が嘘をつくようなひとではないと断言できる。ペンダントが彼のものだったのなら、あるべきところに返すべきだと思ったのだ。


「……グルート。」

 その名を口にするだけで、ぎゅっと胸が締め付けられた。切なく、息苦しい。やっと気づけた彼への気持ちにも別れを告げなければならない。

 アンヌは固く目を瞑り、溢れそうになる涙をグッと堪える。ここで泣いてしまえば、今にも歩けなくなってしまいそうだったから。

 こんなに苦しいなら、辛いなら。ーー恋なんて永遠に知らなければよかった。

 天上を見ても真夜中の空には雲がかかり、星はおろか、月さえも見えない。
 彼女は努めて何も考えないようにした。

◇◆◇◆◇


 ライモンシティを抜けて、5番道路に出た頃、彼女の頭にぽつんと、冷たい水滴が落ちる。

(あら……?)

 それはぽつぽつと繰り返し、次第に跳ね返る水滴の音の感覚が短くなっていく。傘を持っていなかったアンヌは慌てて、近くの雑木林に駆け込んだ。その瞬間、雨脚は更に勢いを増して、乾いた地面をあっという間に水浸しにしてしまった。

(どうしよう…この雨じゃ……。)

 これまでの旅の中でもここまで雨足の強い雨が降ったことはなかったので、アンヌも戸惑ってしまう。これでは人目につかない間にできるだけ遠くに行くという目的が果たせない。雨に濡れるのを覚悟して、次の町まで突っ切るしかないのだろうか。
 アンヌは途方に暮れながら、立ち尽くす。気温が下がる夜中の雨は一層寒く感じられ、手足がかじかんだ。
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