shot.12 金の楔
「ぎ、ギルバート様……!」
令嬢の思わぬ反逆に、ギルバートの周囲は大きな動揺を見せる。
しかし、主であるギルバートが命じるならば、例えシャルロワ財閥の令嬢であろうとも始末するのはやむを得ないと、ツェペシュは覚悟した。彼の側に立ち、静かに攻撃の態勢を取る。張り詰める緊張感から、普段は冷静な彼の額にも冷や汗が滲んでいた。
ギルバートはアンヌから手を離し、彼女に打たれたことを再度確認するように、頬に触れる。血は出ておらず、痛みも大したことはないのだが、彼は心臓を撃ち抜かれたかのような衝撃を受けていた。
その隙を見てアンヌはグルートの側に駆け寄る。寄り添うように彼の体に触れただけで、赤い血が掌についた。
「ごめんなさい、私のせいで……っ。」
血で汚れた彼の手に自身の手を重ね、アンヌは申し訳なさそうに俯き、瞼を震わせる。彼がその身に受けた痛みを少しでも分けてもらいたかった。
今にも途切れてしまいそうな弱々しい息遣いの中、微かに「阿呆が」と聞こえて、アンヌは涙が込み上げる。こんな時まで優しい彼の温もりが、ひどく胸を締め付けた。
「は…はははっ!」
突如、緊迫した空気には似合わないギルバートの笑い声が響く。不気味なそれにアンヌは驚き、反射的にグルートを庇うように抱きしめる。
ギルバートは顔を覆い、堪えきれない様子で笑い続けている。それにツェペシュも不可解そうな顔をした。とても笑えるような状況ではなく、むしろ彼の性格を考えると激昂しそうなところだ。金を燃やしたグルートへの仕打ちと同じぐらいのことをしてもおかしくは無い。怒りが頂点に達して、感情がコントロールできなくなっていると考えるのが妥当だった。
けれど息を整え、覆っていた手を離したギルバートの表情は、恐ろしい程に穏やかで。目を細めた彼は、心地のいい猫が見せるような柔らかな顔をしていた。
「いやあ、失敬、失敬。少々驚いたものでね。まさか、この俺の顔を打つ女性がいるとは……そんな命知らずはあなたが初めてですよ。」
「あなたと話すことはもうないわ。はやくお帰りになってくださらないかしら。」
「そう怖い顔をするな。可愛い顔が台無しだ。」
「……っ。」
ギルバートは随分と機嫌が良さそうで、アンヌを口説くような台詞を溢す。不気味にすら思える彼の雰囲気の変化に、アンヌは警戒の色を強める。
「俺の踏み台として利用するだけのつもりだったが……あなた自身に興味が湧いてきましたよ。」
自身を睨みつけているアンヌに、ギルバートは熱の籠った視線を返す。吟味するようなしつこい眼差しに思わず背筋が凍りつく。不快感に耐えきれず、彼女はギルバートから逃げるように視線を外した。
「……いいでしょう。今日はアンヌさんに免じて、この場は見逃して差し上げますよ。」
ギルバートが溢したのは、耳を疑うような言葉だった。彼の意図が読めないーー否、油断させるための罠かもしれないとアンヌは体を強張らせる。
しかし言葉通り、ギルバートは拍子抜けするほどあっさりと身を翻し、立ち去るような素振りを見せた。その後ろについて、ツェペシュは彼に耳打ちする。
「……宜しいのですか?」
「ああ。引き上げる準備をしてくれ。」
「畏まりました。後の処理はお任せを。」
ギルバートに確認を取ると、それ以上、ツェペシュは言及しなかった。周囲の黒服達も手を止め、拘束されていたサイルーンも解放される。自由になった彼女は険しい表情で、ギルバートの背を睨む。ーーと、彼は歩み出そうとした足を止め、再び振り返った。
「そうだ、サイルーンさん。あなたに一つ、言い忘れていたことがありました。」
「この期に及んで、まだ何か企んでいるつもり?」
「いい知らせですよ。ーー本日をもって、ミュージカルホールは、私の会社の傘下となりました。」
「!、なんですって……!?」
「オーナーとの相談の上、あなたのポケウッドへの移籍も決定しましたので。弊社共々、これからよろしくお願いしますよ。」
サイルーンは目を丸くさせ、彼の言葉に愕然とした。
ギルバートの買収を阻止するために、興行を行いステージは成功に終わったはずだ。ギルバートの作ったタチの悪い冗談だと彼女は思った。
呆気に取られるサイルーンを尻目に、彼はにやりとほくそ笑む。企てていた計画が何もかも上手くいったというような余裕に満ち溢れていた。
「そんな日にアンヌさんと相見え、観衆も大歓喜の素晴らしいステージを見せていただけるとは。……今日は本当に最高な一日だ。」
「どういうこと、ちゃんと説明して頂戴!」
状況が読めず、錯乱するサイルーンがギルバートに詰め寄ろうとするが、その道はツェペシュによって阻まれる。サイルーンが血相を変えても、彼は眉一つ動かさず、他人事のように涼しい顔をしていた。
「ふ……今はそれより、あなたのご友人達のことを優先すべきでは?」
彼は顎を使い、ブレイヴとジェト、そしてグルートの方を見るようにサイルーンに促す。
「グルート!しっかり!」
微かに残っていたグルートの意識は途切れ、ぐったりしたまま動かない。必死にアンヌが呼びかけても反応がなかった。
「なかなかの深傷を負っておられるようですので、早くポケモンセンターに運ばれた方が宜しいかと。……手遅れになる前にね。」
「っ……アナタって男は……!」
ギルバートの言うことは尤もだったが、この状況を作り出したのは、紛れも無く彼なのだ。サイルーンとしては、深く追及してこの場で言い返してやりたくもあったが、傷つき倒れている仲間を見捨てることは、彼女にはできなかった。歯痒さに耐えながら、仲間の元へ駆ける。
「それでは皆様、また近い内に。お会いできる日を楽しみにしていますよ。」
ギルバートは目を細め、再び興味深そうにアンヌを見つめた後、会釈をして立ち去る。コツ、コツという彼の足音が響く度、アンヌは体を震わせた。
令嬢の思わぬ反逆に、ギルバートの周囲は大きな動揺を見せる。
しかし、主であるギルバートが命じるならば、例えシャルロワ財閥の令嬢であろうとも始末するのはやむを得ないと、ツェペシュは覚悟した。彼の側に立ち、静かに攻撃の態勢を取る。張り詰める緊張感から、普段は冷静な彼の額にも冷や汗が滲んでいた。
ギルバートはアンヌから手を離し、彼女に打たれたことを再度確認するように、頬に触れる。血は出ておらず、痛みも大したことはないのだが、彼は心臓を撃ち抜かれたかのような衝撃を受けていた。
その隙を見てアンヌはグルートの側に駆け寄る。寄り添うように彼の体に触れただけで、赤い血が掌についた。
「ごめんなさい、私のせいで……っ。」
血で汚れた彼の手に自身の手を重ね、アンヌは申し訳なさそうに俯き、瞼を震わせる。彼がその身に受けた痛みを少しでも分けてもらいたかった。
今にも途切れてしまいそうな弱々しい息遣いの中、微かに「阿呆が」と聞こえて、アンヌは涙が込み上げる。こんな時まで優しい彼の温もりが、ひどく胸を締め付けた。
「は…はははっ!」
突如、緊迫した空気には似合わないギルバートの笑い声が響く。不気味なそれにアンヌは驚き、反射的にグルートを庇うように抱きしめる。
ギルバートは顔を覆い、堪えきれない様子で笑い続けている。それにツェペシュも不可解そうな顔をした。とても笑えるような状況ではなく、むしろ彼の性格を考えると激昂しそうなところだ。金を燃やしたグルートへの仕打ちと同じぐらいのことをしてもおかしくは無い。怒りが頂点に達して、感情がコントロールできなくなっていると考えるのが妥当だった。
けれど息を整え、覆っていた手を離したギルバートの表情は、恐ろしい程に穏やかで。目を細めた彼は、心地のいい猫が見せるような柔らかな顔をしていた。
「いやあ、失敬、失敬。少々驚いたものでね。まさか、この俺の顔を打つ女性がいるとは……そんな命知らずはあなたが初めてですよ。」
「あなたと話すことはもうないわ。はやくお帰りになってくださらないかしら。」
「そう怖い顔をするな。可愛い顔が台無しだ。」
「……っ。」
ギルバートは随分と機嫌が良さそうで、アンヌを口説くような台詞を溢す。不気味にすら思える彼の雰囲気の変化に、アンヌは警戒の色を強める。
「俺の踏み台として利用するだけのつもりだったが……あなた自身に興味が湧いてきましたよ。」
自身を睨みつけているアンヌに、ギルバートは熱の籠った視線を返す。吟味するようなしつこい眼差しに思わず背筋が凍りつく。不快感に耐えきれず、彼女はギルバートから逃げるように視線を外した。
「……いいでしょう。今日はアンヌさんに免じて、この場は見逃して差し上げますよ。」
ギルバートが溢したのは、耳を疑うような言葉だった。彼の意図が読めないーー否、油断させるための罠かもしれないとアンヌは体を強張らせる。
しかし言葉通り、ギルバートは拍子抜けするほどあっさりと身を翻し、立ち去るような素振りを見せた。その後ろについて、ツェペシュは彼に耳打ちする。
「……宜しいのですか?」
「ああ。引き上げる準備をしてくれ。」
「畏まりました。後の処理はお任せを。」
ギルバートに確認を取ると、それ以上、ツェペシュは言及しなかった。周囲の黒服達も手を止め、拘束されていたサイルーンも解放される。自由になった彼女は険しい表情で、ギルバートの背を睨む。ーーと、彼は歩み出そうとした足を止め、再び振り返った。
「そうだ、サイルーンさん。あなたに一つ、言い忘れていたことがありました。」
「この期に及んで、まだ何か企んでいるつもり?」
「いい知らせですよ。ーー本日をもって、ミュージカルホールは、私の会社の傘下となりました。」
「!、なんですって……!?」
「オーナーとの相談の上、あなたのポケウッドへの移籍も決定しましたので。弊社共々、これからよろしくお願いしますよ。」
サイルーンは目を丸くさせ、彼の言葉に愕然とした。
ギルバートの買収を阻止するために、興行を行いステージは成功に終わったはずだ。ギルバートの作ったタチの悪い冗談だと彼女は思った。
呆気に取られるサイルーンを尻目に、彼はにやりとほくそ笑む。企てていた計画が何もかも上手くいったというような余裕に満ち溢れていた。
「そんな日にアンヌさんと相見え、観衆も大歓喜の素晴らしいステージを見せていただけるとは。……今日は本当に最高な一日だ。」
「どういうこと、ちゃんと説明して頂戴!」
状況が読めず、錯乱するサイルーンがギルバートに詰め寄ろうとするが、その道はツェペシュによって阻まれる。サイルーンが血相を変えても、彼は眉一つ動かさず、他人事のように涼しい顔をしていた。
「ふ……今はそれより、あなたのご友人達のことを優先すべきでは?」
彼は顎を使い、ブレイヴとジェト、そしてグルートの方を見るようにサイルーンに促す。
「グルート!しっかり!」
微かに残っていたグルートの意識は途切れ、ぐったりしたまま動かない。必死にアンヌが呼びかけても反応がなかった。
「なかなかの深傷を負っておられるようですので、早くポケモンセンターに運ばれた方が宜しいかと。……手遅れになる前にね。」
「っ……アナタって男は……!」
ギルバートの言うことは尤もだったが、この状況を作り出したのは、紛れも無く彼なのだ。サイルーンとしては、深く追及してこの場で言い返してやりたくもあったが、傷つき倒れている仲間を見捨てることは、彼女にはできなかった。歯痒さに耐えながら、仲間の元へ駆ける。
「それでは皆様、また近い内に。お会いできる日を楽しみにしていますよ。」
ギルバートは目を細め、再び興味深そうにアンヌを見つめた後、会釈をして立ち去る。コツ、コツという彼の足音が響く度、アンヌは体を震わせた。