shot.12 金の楔

「……これはこれは。まさか、あなたの方から出向いてくださるとは。嬉しいですよ。アンヌさん。」

 脇目も振らず、駆けつけたのだろう。乱れた衣装もそのままで、アンヌは息を切らせながら姿を現した。
 絶好のタイミングで現れてくれた彼女にギルバートは高揚した。わざとらしく大仰なお辞儀をして歓迎するような素振りを見せる。


「これは……。」

 壮絶な戦いを物語るようにホールの壁や天井など至る所が崩落していた。
 視線を巡らせると、床にぽっかり空いた穴がアンヌの目に入る。その中心で、ブレイヴは意識を失い、側にはジェトが蹲るように倒れていた。グルートも絶え絶えの息を零し、血を吐きながら、床に伏している。そこにいつもの彼らしい余裕はなく、顔も体も血塗れで、酷い傷を負っていた。
 アンヌは言葉を失い、息を呑んだ。仲間の側に駆け寄りたい一心だったが、……足が竦んで動けない。

「なんてこと……!」

 一足遅く、後から来たサイルーンが状況の凄惨さを代弁する。バトルの経験があるポケモンの彼女ですら、目を背けたくなるような惨たらしい有様だった。

 ーーだが、この状況を作り出したギルバートには少しの罪悪感も見られない。寧ろ、この残虐な光景を自身の功績だといわんばかりに誇らしげな顔をする。
 ギルバートは怯えるアンヌに照準を合わせるように視線を向け、彼女に近づこうと一歩、踏み出す。
 それに気づいたグルートは、咄嗟にその足首に渾身の力で噛み付いた。体が動かせなくとも己の歯を武器にして、ギルバートを引き留めようとしたのだ。

「……なに?」
「これ以上……あいつには…手を出させねぇ……!」
「放せ。ーー負け犬が。」

 折れた歯の痛みなど感じていないような力強さだ。どんなに見窄らしく、愚かでも必死に食らい付こうとするグルートの姿に、ギルバートは汚物でも見るような侮蔑に満ちた眼差しを向ける。そして鬱陶しそうに、踵を後ろに蹴り上げた。その一撃はグルートの口内に突き刺さり、彼は口からだらだらと血を流し、その場で動かなくなった。

「グルートっ!」

 悲鳴にも似た声で、アンヌは叫んだ。彼女の動きがあったのを見計らって、ギルバートは黒服達に目配せする。彼の命を受けて黒服達は一斉にアンヌとサイルーンを取り囲む。逃げる間もなく、ふたりは後ろから腕を掴まれ、拘束された。

「アンヌちゃん!ーーちょっと、気安くレディに触らないで頂戴っ!」

 サイルーンは抵抗するが、流石の彼女も複数の大男に囲まれては身動きが取れない。ふたりは無理矢理引き剥がされ、アンヌだけがギルバートの眼前に連れてこられる。

「さあ、アンヌさん。俺の元に来るんだ。」

 ギルバートはアンヌの首元に手を滑らせ、彼女の顎を指で掬い上げる。交錯する冷酷な目に、彼女は恐怖した。
 また、彼に奪われてしまうのだろうかーー強引に口付けられたことを思い出して、息苦しくなり、体の震えが止まらなかった。


「アン…ヌ……!」

 ーー名を呼ぶ、声がした。

 その声にアンヌは我に返り、微かに聞こえた声の主に視線を向ける。
 息をすることすらままならないぼろぼろの体で、グルートは床に手を這わせながら、尚もアンヌの元へ向かおうとしていた。ーー意識も消えかかり、一歩も動かない体で、彼は未だアンヌを助けようと必死に力を振り絞っていたのだ。

(やめて、グルート。もう、これ以上…傷つかないで。私の為に戦わないで……!)


 どこまでも真っ直ぐな彼の優しさに、アンヌは胸が張り裂けそうになる。……いや、グルートだけではない。ブレイヴもジェトも、痛みと恐怖に耐えながら、身を賭して戦ってくれたのだ。

 ーーこんな、不甲斐ない自分の為に。

 立ちはだかる邪悪な赤い双眸を見据える。暴で支配し、蹂躙し、弄ぶ。彼のその残忍な行いは確かに身の毛もよだつ、恐ろしいものだ。
 だが仲間のことを思い、ここで飲み込まれてはいけないと、アンヌの心に火が灯る。ーー彼女は目に涙を溜めながら、負けじとギルバートを睨んだ。


「あなたが、みんなを…傷つけたの……。」

 恐ろしさを超えるほどの勢いで、仲間を踏み躙られた怒りと悲しみがエネルギーとなり、アンヌの心に熱い思いが湧き上がる。

 アンヌの返答に、ギルバートは不可解そうに眉を顰めたが、すぐに軽薄な顔つきで薄ら笑む。

「傷つけたというのは語弊がありますね。……俺はあなたを誘拐した悪党共から、その身を守って差し上げたのですよ。」
「違う…。みんなは…私の大切な仲間よ。悪いことなんてなにもしていない。頼りない私を支えてくれる、とても優しいひとたちだわ。……それなのにあなたは…。」

 アンヌは時折言葉を詰まらせ、悲しみを露わにする。仲間の優しさを知っているからこそ、憤る感情も強くなる。

 ギルバートは黒服達に下がるように命じ、アンヌの体を引き寄せ、腰に手を回す。彼女が逃げられないように繋ぎ止めているのだろう。
 アンヌが顔を背けても、ギルバートはそれを許さず、顎を掴んで再び自分の方を向かせる。


「やはりあなたは相当、世間知らずのお嬢様のようだ。」
「……っ。」
「そもそも、あなたが俺との婚約を拒否して家出をしなければ彼らが傷つくことはなかった。……この状況を作り出したのは紛れもなく、あなたなんですよ、アンヌさん。」
「それは……!」

 アンヌは拳を握りしめる。返す言葉がなく、ぐっと唇を噛んだ。彼女が反論できないのをいいことに、ギルバートは更に詰め寄る。その精神を揺さぶり、夢見がちな少女の心を打ち砕いてやる為に。

「選ばれた人間は相応の覚悟と自覚を持ち、その地位にいる責任を全うしなければならない。……こんな、価値のない下賤な奴等といるべきじゃあない。」
「……!」
「あまりにも脆く道具としても使えないーーまさに塵だ。」

 ギルバートはアンヌの顔をグルートの方に向かせ、彼の無残な様を見せつける。大きな瞳を潤ませ、彼女が苦しむほどにギルバートは昂り、激しい悦びを感じた。
 ーーそのまま仲間が息絶える姿を目の当たりにし、絶望に打ちひしがれた彼女を凌辱してやるのがいい……彼は楽しみでならなかった。

(さあ、無様に俺に命乞いしてみろ。飼い主に服従する犬のようにな。)

 手始めに口付けでもさせてやろうか、とギルバートが口角を吊り上げた時だった。


 ーーパン、という乾いた音がホールに響き渡る。静まり返ったこの場ではいやに大きく、その場にいる者の耳に届いた。
 正面を向いていたはずのギルバートの顔は右を向いていて、じんわりと痛み、左頬が痺れているような感覚があった。


 アンヌの青い瞳は彼を睨みつけ、ぽろりと一筋涙をこぼす。だが、それは諦めでも恐怖でもなく、困難に立ち向かおうとするアンヌの強い覚悟の証だった。

「……私への言葉ならどんなことでも受け入れる。無責任で我が儘なことを言っているのは、自分でもわかっているもの。……だけど、大切なみんなを侮辱することだけは許さない!」

 その深い青の瞳は真っ直ぐにギルバートを見据えている。彼女の強い眼差しに彼は言葉を失う。誰をもを圧倒させる鋭い凛々しさが、今の彼女にはあった。

「あなたのような、傲慢で卑劣なひとは大嫌いよ!二度と私の婚約者を名乗らないで!」

 アンヌは息を切らせながら、思いの丈をギルバートに言い放つ。
 彼女に打たれた頬に触れながら、彼は目を丸くさせ、暫く、唖然とした様子で彼女を眺めていた。
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