shot.12 金の楔
震えるアンヌに、サイルーンは何も言わず、ただ静かに寄り添っていた。柔らかな温もり、彼女の存在が今のアンヌには心強かった。
「わたし…まさか、あんなことになるなんて……。」
気持ちは落ち着いたが、やはり先程のことを思い出すと再び目元が熱くなる。ギルバートは冷徹な眼差しでこちらを見下しながら、唇に食らい付いてきた。まるで獣のように強引なそれに、アンヌは抵抗できなかった。それが惨めて、恥ずかしくて、彼女は何もできなかった自分を責めた。
「初めては好きなひとと…って…思っていたのに。わたし…抗えなかった…。」
「アンヌちゃん。」
「とても怖かった…。自分がひどく汚れてしまったようだわ……。」
「それは違うわ。アナタは何も悪くない。美しいまま、何も変わらないわ。」
「でも…!」
目に涙を溜めながら、彼女はサイルーンを見つめる。彼女はその弱々しく揺れる瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「ファーストキスっていうのは単なるキスじゃないの。アナタが心から愛した“初恋”の相手とのキスなのよ。」
「……初恋の、相手…。」
「アンヌちゃんはあのギルバートっていう最低な男が初恋の相手?…違うでしょう?ならノーカンよ。」
「……。」
「アナタが素敵すぎるから、甘美な花の香りに誘われて、悪い虫が寄ってきてしまっただけよ。」
「サイルーンお姉さん…。」
ずきずきと胸の奥が痛み、不快感がいまだに付いて回る。グルートのことを思うと、更に痛みが強くなる。
彼に抱いていた想いに、やっと気づけたのに。
やるせなくて、アンヌはこの不条理とどう向き合っていいかわからなかった。
……ただ、サイルーンの言葉のおかげで、少しだけ首を締め付けていた罪悪感が和らいだような気がした。
◇◆◇◆◇
「これは……一体、何があったんですか!」
一時間程経った頃。ーー漸く、騒ぎを聞きつけたらしい男性スタッフが血相を変えて、部屋に飛び込んできた。焼け落ちたように破壊されたドアを見て、彼は唖然としていた。
「アナタこそ、どこへ行っていたの?みんな、楽屋にいないようだけれど。」
「え?聞いてないんですか?舞台終わってすぐに、オーナーに邪魔だから早く帰れって急かされて……。」
「オーナーに?」
「ええ、よくわかんないんですけどーー……じゃ、なかった!大変なんですよ!」
「……何かあったの?」
「ええ!俺、舞台裏に忘れ物して……こっそり取りに行こうとしたら、ホールに黒服の不審な集団がいて……そいつらに囲まれて血を流してる男がいたんです!なんかやばそうな感じで。でも警備員もいなくって……!」
黒服、という言葉にアンヌは機敏に反応した。元締めのギルバートが近くにいるということは、その黒服集団は恐らくアンヌを追っていた連中と同じだろう。
……ギルバートと、グルートが対峙していたのは記憶に新しい。
(もしかして……!)
アンヌは、はっとする。黒服達に囲まれて、血を流している男というのは、グルートのことかもしれないと気づいた。
彼が血を流している。……最悪の事態が過って、アンヌは息を呑んだ。
不意に突きつけられた現実に、かっと頭に熱が上る。小刻みに震える手で、恐怖を堪えるように拳を作る。
ギルバートのことは恐ろしい。出来ることなら、この場から今すぐ逃げ出してしまいたい。
……けれどそれ以上に、アンヌはグルートを失うことが怖かった。
「……行かなきゃ……わたし…っ!」
「ーーアンヌちゃんっ!?」
策も暴力を止める力もアンヌにはない。またギルバートに酷い仕打ちを受けるかもしれない。しかし、どんなに無力でも、アンヌは何か行動を起こさずにはいられなかった。
胸元にしまっていた赤いペンダントを固く握りしめて、彼女は部屋を飛び出し、ホールに向かって駆ける。慣れないヒールでつまづきそうになっても、アンヌは走った。サイルーンもその姿を見失わないように、後を追った。
「わたし…まさか、あんなことになるなんて……。」
気持ちは落ち着いたが、やはり先程のことを思い出すと再び目元が熱くなる。ギルバートは冷徹な眼差しでこちらを見下しながら、唇に食らい付いてきた。まるで獣のように強引なそれに、アンヌは抵抗できなかった。それが惨めて、恥ずかしくて、彼女は何もできなかった自分を責めた。
「初めては好きなひとと…って…思っていたのに。わたし…抗えなかった…。」
「アンヌちゃん。」
「とても怖かった…。自分がひどく汚れてしまったようだわ……。」
「それは違うわ。アナタは何も悪くない。美しいまま、何も変わらないわ。」
「でも…!」
目に涙を溜めながら、彼女はサイルーンを見つめる。彼女はその弱々しく揺れる瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「ファーストキスっていうのは単なるキスじゃないの。アナタが心から愛した“初恋”の相手とのキスなのよ。」
「……初恋の、相手…。」
「アンヌちゃんはあのギルバートっていう最低な男が初恋の相手?…違うでしょう?ならノーカンよ。」
「……。」
「アナタが素敵すぎるから、甘美な花の香りに誘われて、悪い虫が寄ってきてしまっただけよ。」
「サイルーンお姉さん…。」
ずきずきと胸の奥が痛み、不快感がいまだに付いて回る。グルートのことを思うと、更に痛みが強くなる。
彼に抱いていた想いに、やっと気づけたのに。
やるせなくて、アンヌはこの不条理とどう向き合っていいかわからなかった。
……ただ、サイルーンの言葉のおかげで、少しだけ首を締め付けていた罪悪感が和らいだような気がした。
「これは……一体、何があったんですか!」
一時間程経った頃。ーー漸く、騒ぎを聞きつけたらしい男性スタッフが血相を変えて、部屋に飛び込んできた。焼け落ちたように破壊されたドアを見て、彼は唖然としていた。
「アナタこそ、どこへ行っていたの?みんな、楽屋にいないようだけれど。」
「え?聞いてないんですか?舞台終わってすぐに、オーナーに邪魔だから早く帰れって急かされて……。」
「オーナーに?」
「ええ、よくわかんないんですけどーー……じゃ、なかった!大変なんですよ!」
「……何かあったの?」
「ええ!俺、舞台裏に忘れ物して……こっそり取りに行こうとしたら、ホールに黒服の不審な集団がいて……そいつらに囲まれて血を流してる男がいたんです!なんかやばそうな感じで。でも警備員もいなくって……!」
黒服、という言葉にアンヌは機敏に反応した。元締めのギルバートが近くにいるということは、その黒服集団は恐らくアンヌを追っていた連中と同じだろう。
……ギルバートと、グルートが対峙していたのは記憶に新しい。
(もしかして……!)
アンヌは、はっとする。黒服達に囲まれて、血を流している男というのは、グルートのことかもしれないと気づいた。
彼が血を流している。……最悪の事態が過って、アンヌは息を呑んだ。
不意に突きつけられた現実に、かっと頭に熱が上る。小刻みに震える手で、恐怖を堪えるように拳を作る。
ギルバートのことは恐ろしい。出来ることなら、この場から今すぐ逃げ出してしまいたい。
……けれどそれ以上に、アンヌはグルートを失うことが怖かった。
「……行かなきゃ……わたし…っ!」
「ーーアンヌちゃんっ!?」
策も暴力を止める力もアンヌにはない。またギルバートに酷い仕打ちを受けるかもしれない。しかし、どんなに無力でも、アンヌは何か行動を起こさずにはいられなかった。
胸元にしまっていた赤いペンダントを固く握りしめて、彼女は部屋を飛び出し、ホールに向かって駆ける。慣れないヒールでつまづきそうになっても、アンヌは走った。サイルーンもその姿を見失わないように、後を追った。