shot.12 金の楔

 さっと身を翻し、グルートの攻撃を躱したギルバートは、部屋の外へと飛び出す。それを追いかけて、グルートも彼の後に続く。廊下に出て、ふたりは一定の距離を保ちながら睨み合う。

 硬直を破り、先に動いたのはグルートの方だった。中遠距離から、ギルバートに向かって“熱風”を放つ。狭い廊下に熱気が充満する。並のポケモン、或いは人間ならばこれだけで、立ち上がるのが困難になるはずだ。
 だが、ギルバートの動きは鈍くなるどころか、瞬きの間に目の前から姿を消し、再び攻撃を俊敏に躱した。

(こいつ…!いつの間に…!)

 背後に迫るギルバートの存在に気づき、振り返ろうとした頃には、グルートの体は宙に浮いていて、勢いよく壁に叩きつけられていた。

 ギルバートの“切り裂く”攻撃によって、羽織っているジャケットが破れ、右の二の腕辺りから血が溢れていた。


「その程度の実力でこの私に楯突くとは……大人しくしていた方が身の為ですよ。」
「っ……るせぇ!」


 ドクドクと鼓動に合わせて痛む右腕を押さえながら、グルートは覚束無い足取りで立ち上がる。

「てめぇだけは……絶対許さねぇ!」

 歯を食いしばりながら痛みに耐える。怪我のせいで手の動きが鈍い。ならばと、足に力を集約させて、グルートは地を蹴った。飛び跳ねて、足に炎を纏いながら、ギルバートを目掛けて、“ニトロチャージ”で突っ込む。この間合いなら届くーー確信を持って放った一撃だった。

 だが、直前でグルートの視界に見えていたギルバートの姿が分身して、一瞬の戸惑いが生まれる。目にも止まらぬ素早い動きに、合わせていた照準がブレた。
 “影分身”。回避能力を上昇する技だ。
 一か八かでグルートが放った渾身のニトロチャージは残像に惑わされ、ギルバートに当たることなく、外れた。

「遅いな。」

 ギルバートの声が聞こえた頃には、体が吹き飛び、目の前の壁を突き破っていた。


 勢いよく壁の向こうへ身を投げ出し、硬い床に体を打ちつけられる。
 グルートは体に走る衝撃と痛みに悶える。地を這いながら見上げた先には、無数の照明が天井からぶら下がっていた。

 横を向けば、誰もいない観客席。ここがステージの上だと気づくのにそう時間はかからなかった。

 パッ、と照明のスイッチが入り、ホールの中でステージだけに明かりが灯る。その眩しさに思わず、目を細めた。
 カッカッ、と跳ね返る足音に警戒しながら、グルートは床に手をつき、その身を奮い立たせながら立ち上がった。


「その体でまだ抗う気ですか。……愚かなひとだ。」
「っ……そのいけすかねぇツラぶっ潰すまでは、倒れるわけにはいかねぇんだよ!」

 だが、気持ちとは裏腹にグルートの息は上がっていた。……無理もない。自身の攻撃を悉く躱され、ギルバートが放った攻撃は全て身に受けているのだから。
 対してギルバートは、あれだけ素早い動きをして、汗ひとつかいていないような涼しい顔をしている。その余裕がグルートを焦らせた。

 アンヌの涙を思い出すたびに、はらわたが煮え繰り返るような憎しみに侵される。いつもなら、相手の様子を見るところを無謀にも突撃してしまう。
 動かない右腕を置いて、グルートは左手に力を込め、全力でギルバートに向かって悪の波動を放つ。ギルバートはコートの内ポケットから、拳銃の形状をした物を取り出す。彼の額の赤い宝石が光ると、銃口からエネルギー弾のようなものが発射された。それらはグルートが放った波動を、一発残らず撃ち落とす。

「ぐ……っ!」

 エネルギー弾はグルートの体も掠めた。少し当たっただけで激痛が走り、足元がふらつく。
 例の黒服の連中も弾に毒針を使用していたことから推察すると、これはただの銃弾ではない。効果抜群のポケモンの技を食らった時の感覚に似ていた。

「これは私が部下に開発させた特殊な拳銃でしてね。ポケモンの技のエネルギーを銃弾として使用することができるのです。範囲は狭まりますが、凝集されたエネルギーは本来より高いダメージを対象に与えることができる。」

 ギルバートは足元に散らばっていた、数ミリの石の破片を手にとり、グルートに見せる。
 
「今のはパワージェム。炎タイプのあなたには堪えるのでは?」
「……自分から手の内を明かすなんざ、どういうつもりだ。」

 片膝をつきながら、グルートは訝しげにギルバートを睨んだ。攻撃の種を明かすメリットは彼にはないはずだ。挑発か、何か狙いがあって油断させる為かーー。
 困惑するグルートを見ながらフッ、とギルバートは微笑する。すると彼は、戦いの最中にも拘らず銃を下ろした。


「私はあなたのような戦闘狂ではありませんので。可能な限り、穏便に物事を進めたいのですよ。」


 彼がパチン、と指を鳴らすと、黒服の集団が足音を鳴らしながらぞろぞろと現れる。だが、誰よりも先にギルバートの側にいたのは、あのゴルバットの紳士。風のように素早く、そこにいた。

「ツェペシュ。」
「は、ギルバート様のご命令通り。こちらに。」

 彼はブレイヴとジェトが相手をしていたはずだ。その彼がここにいるということはーーー。

 グルートの予感通り、縄に捕らえられたブレイヴとジェトが目の前に突き出された。ふたりとも傷だらけで、息を荒げていた。自力で立ち上がれないよう、数人がかりで体を押さえ込まれている。

「お前ら……!」
「ごめん……っ、やっぱりボクの力じゃ……。」

 グルートの姿を捉えて、ジェトは必死に彼に言葉を向けた。言葉の端々からツェペシュを止められなかった悔しさとやるせなさが滲んでいた。

「クソッ……はなせ…よっ…!」

 口元から血を流しながら、ブレイヴが黒服達を睨む。しかしふたりには一切目を向けず、彼らは人形のように無表情のまま、ギルバートの方を向いている。ボスが下す、次の命令を待っているようだ。


「アンヌさんには少々強い言葉を使いましたが……私の一番の目的はあなた方を始末することでは無いので。アンヌさんから手を引いていただければそれで構わないのですよ。」 
「……何。」
「ああ、勿論タダでとは言いません。それ相応の対価を用意していますよ。」

 控えていた黒服からツェペシュがアタッシュケースを預かり、手早くケースの鍵を外した。
 蓋を開けて、中身を見せるようにグルートの方に向ける。ーーそこにあったのはケース一杯の札束。几帳面に百万ポケドルずつ分けられている束を一つ取り、ギルバートはそれがダミーでないことをグルートに示した。

「ここに一億ポケドルあります。頭金としてお受け取りください。……もし、足りないということであれば、追加であなたの言い値をご用意致しますよ。」
「……!」
「加えて、誘拐の件を含め、あなたのしてきたことにも目を瞑ります。あちらにいるお仲間の身の安全も保証しましょう。……どうです?破格の条件だと思いますが。」
「金と引き換えに、アンヌを……売れってことか。」
「ええ、そうです。」

 ギルバートは悪びれる様子もなく、当たり前のように言い放つ。

「シャルロワ財閥の名にはそれだけの価値がある。私が跡を継ぎ、財閥の経営権を手に入れれば、今以上に事業を拡大することができます。」
「……あいつの気持ちはどうだっていいのか。」
「アンヌさんのお父上である、レンブラント氏からの承諾は得ているので問題ありません。彼女の気持ちなど、契約には不必要です。」

 ギルバートはただ、シャルロワ財閥次期当主の椅子が欲しいだけのようだった。
 大人の醜い利権争いに巻き込まれ、アンヌは理不尽にも傷つけられた。彼女を大切に思う気持ちもなく……使い捨ての道具のように扱う奴等のせいで。
 彼女の周囲を取り巻く、その下劣さが憎らしく、グルートは怒りで震えた。


 捕らえられた仲間の姿。ギルバートはこちらに選択権があるかのような口ぶりだが、黒服達は既に臨戦態勢。断れば直ちに全員を始末するつもりだろう。

 ギルバートとツェペシュが目を合わせて、ツェペシュが頷き、開いたままのアタッシュケースをふたりの中間地点に置く。


「大金を手にして、無罪放免で悠々と生きるのか。それとも、このままここでお仲間もろとも蜂の巣になるか。……お好きな方を選んでください。」


 アンヌを取るか、他の仲間を取るか。残酷な二択。笑みを溢したギルバートはどこか愉快そうにグルートを見下す。他人の運命をその手で握っているという優越感からくる顔なのか。
 悪趣味なそれにグルートは忌々しそうに、拳に込められた力を強めた。
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