shot.12 金の楔

 青い空は茜色に染まり、つい先ほど見たミュージカルのラストシーンに似た夕日が切なく輝いている。赤い光が強く体に差して、それはまるで日没前に見せる太陽の最後の足掻きのようにも見えた。
 その眩しさに目を細めながら、グルートは辺りに広がる木々を前に、ぴたりと足を止めた。


「…おい、スタッフさんよ。いつになったら待ち合わせ場所に着くんだ?」

 スタッフの案内に従い、後をついてきたはいいものの、案内役の彼は一向に足を止めない。ミュージカルホールからも遠ざかり、気づけば16番道路の迷いの森付近まで来ていた。

「確かに、オレ様達結構歩いたよな?」
「うん……。」

 ブレイヴとジェトもグルートの指摘に同調する。
 アンヌを一目見ようと集まったロビーの人の多さを目の当たりにすると、なるべく人目のつかないところで会うのが無難だというのは理解できたが、少し距離があるように感じていた。
 僅かな違和感。確証はなかったが、その疑念が小さな亀裂を生んだ。

 迷いの森に近づくにつれ、人気もなくなり、ざわざわと木々の揺れる音が不気味に木霊する。

「なあ、オッサン。なんとか言えーー、」

 歩みを止めないスタッフの肩を掴もうとブレイヴが手を伸ばしかけた時、抱いていた疑念の正体が姿を現した。

「ーーっ、伏せろっ!」

 周囲の殺気に気付いて、グルートが声を張り上げた。強い語気に押され、ブレイヴが反射的に身を屈めると、スタッフの男の横をすり抜け、針が目の前の木に刺さった。刺さった幹の部分が瞬く間に紫に変色し、侵食するようにどろどろと溶けていく。スカイアローブリッジでも見覚えのあるーー毒タイプのポケモンの技、“毒針”だ。
 
 殺気からなるべく遠ざかるように、一歩一歩退く。背中に軽く、衝撃が走る。振り返ると、グルート、ジェト、ブレイヴはお互いに引き寄せられる様に背中合わせになっていた。

「……逃げ道はねぇ、ってことか。」
 
 ーー視界には、いつか見た黒服の集団がグルート達を包囲する様に立ちはだかっていた。数はざっと十四、十五といったところか。彼らの持っている拳銃の銃口は一斉にこちらを向いていた。
 途端に溢れる血の臭い。殺気を含め、この至近距離までその気配を隠していたというのだから驚きだ。今までの黒服連中よりも遥かに用意周到で実力があるのがわかった。

 睨み合い、緊迫する空気の中、不意にぱち、ぱちと拍手の音が響く。場に不釣り合いな軽い音に、不気味さを感じながら、引き寄せられるようにグルート達はその方に視線を向けた。
 ーーそこにいたのは、ここまで彼らを連れてきたスタッフの男だった。

「流石と言いたいところですが。……しかし今のはほんのご挨拶。この程度の攻撃を避けられない様ではお話にならないのも確か。」
「……成る程。あんた、そいつらとグルだったってわけか。」
「左様で御座います。」

 スタッフだった男は、ばさりと変装を脱ぎ捨てる。素顔を見せた彼は顎髭の似合う、品のあるミドルな紳士だった。ふんわりと真ん中で分けられた青髪を風に靡かせながら、彼は流れるような美しい動きで、軽やかに一礼した。

「申し遅れました。私はゴルバットのツェペシュ。いずれこの世を統べる王に仕える者で御座います。グルート様、ジェト様、ブレイヴ様。以後、お見知り置きを。……尤も、以後があれば、のお話ですが。」

 アンヌのことも知っていた黒服の仲間というだけあって、どうやらこちらの情報は周知されているようだ。

 ツェペシュと名乗った男が、パチンと指を鳴らすと、間髪を入れず、待機していた黒服達が一斉に射撃する。
 放たれる弾丸の正体は、毒針。数本の毒針なら躱せるかもしれないが、退路を塞がれたこの状況で、全てを避け切るのは不可能に等しかった。

「なら、……ボクが!」

 ジェトが自身の影の中から黒い手を呼び起こし、ドーム状に仲間を覆い、攻撃をガードする。“守る”の技を応用して、仲間を覆う盾を作り上げたのだ。

「NICEだぜ!ジェト!」

 暫く防御に徹していると、やがて弾として使用していた毒針に使うエネルギーが切れたのかーー、一斉攻撃の手が止まる。タイミングを見計らい、ブレイヴが敵前に飛び出す。パワーを手に集中させ、地を掴み、土を抉ると岩石の様な大きな塊を作り上げた。その塊を両手で持ち上げ、ニッと歯を見せながら敵を睨んだ。

「舐めンじゃねーぞ!ザコが集まったところでオレ様の敵じゃねーっての!ーー岩雪崩!」
「う、うわあああ!」

 その岩を標的に向かって思いっきり投げる。以前は煙幕の中で岩雪崩を発動してしまい、敵に居場所が見つかって不利な状況になったが、今回はその素早い切り返しが功を制した。黒服達はブレイヴの放った攻撃により、隊列を崩し、隙が出来た。そのチャンスを逃さず、グルートは“熱風”を繰り出し、敵全体に攻撃を与えた。


 怒涛の攻めによって敵の頭数が減り、好転の兆しが見えたがーーーグルートは内心焦っていた。


(……こいつらの相手をしてる暇は無ぇ。早く、アンヌのところに戻らねぇと。)

 アンヌを追っていたこの黒服達が自分達の前に現れ、彼女から引き離すように人気のない場所に誘導したのだ。……アンヌにも刺客が接近している可能性が高い。この戦いが時間稼ぎだというのは容易に想像がついた。敵の優先する標的はあくまでもアンヌで、その他はついでに始末が出来れば良いと思っているぐらいだろう。
 現にあのゴルバットの紳士は微動だにせず、笑みを浮かべながら悠々と戦闘を傍観している。まるで子供が遊んでいるのを見守っているような雰囲気だ。
 その余裕は恐らくハッタリではない。グルートがミュージカルホールで話しかけられた時、彼は一切気配を感じさせることなく、背後に立っていた。“この手の仕事”に慣れていることが窺える。
 彼が動くのは、恐らく標的の誰かが、この場から逃げ出そうとした時だろう。


「……こいつら…この間、アンヌを狙ってた。……アンヌが…危ない……?」
「……ああ、だろうな。」
「……っ。」

 かつて黒服と対したことがあるジェトも、薄々彼女の危機を感じ取っていたようだ。もどかしげに唇を噛み、苦悶に眉を寄せた。アンヌにべったりなジェトのことだ。今すぐにでも彼女の元へ駆けつけたいと思っているところだろう。ーーそれはグルートも同じだった。

(どうする……?奴らを一掃するには時間がかかり過ぎる。だが、今すぐ全員でここから退避するのは厳しい……。)

 自身が囮になり、ブレイヴとジェトをアンヌの元に送ること考えたが、ブレイヴは敵の応戦に手一杯で、秘密裏に作戦を伝える余裕はない。戦闘に集中している彼はアンヌのことまでは思い至っていないようだった。
 かといって、まだ戦いの経験が少ないジェトをひとりで行動させるのも危険だった。敵の一番の狙いがアンヌなら、そこに最も戦力を割いているはずだ。


「……ねぇ、……何…してるんだ。はやく……アンヌのところに…いかなきゃ……。」
「わかってる……だが…。」
「こいつらは……ボクとブレイヴで…やる。」
「!」

 そんな時、ジェトが示した作戦にグルートは心底驚いた。グルートは彼に敵愾心のような圧力を向けられているのを感じていたし、例え制止しても我先にアンヌを助けに行くとばかり思っていた。
 

「…ブレイヴひとりじゃ…心配……。ボクも…こいつらには借りがある……。」
「お前……。」
「……悔しいけど……ボクがまだ…キミより弱いのは……わかってる…から。」

 先の戦いを通して感じた経験と力の差。あの時はつい悔しさからグルートに反抗してしまった。アンヌの役に立ち、彼女の信頼を得ている羨ましさから、彼のことを敵視していた。
 けれど不遜な態度を取っても、グルートは意に介さず、演劇の練習に励むアンヌのサポートをしているところを褒めて、認めてくれた。そんな器の大きさを見せられては、ジェトも次第に、グルートのことを認めざるを得なかった。
 何より、アンヌの身を守ることを第一に考えれば、戦力的にグルートが適任なのは明白だった。

「……もし……アンヌを……助けられなかったら……許さない……。」
「お前に呪われるのは御免だな。」


 互いの視線が交差したのが合図だった。ジェトが一歩前に出て、グルートは来た道の方へ駆け出す。彼を追尾する毒針は、次々にジェトが跳ね返した。

 穏やかに戦況を見つめていたツェペシュの目の色が変わる。背中からゴルバットの持つ、青と紫が混じった色の羽根が生えて、彼は宙に浮かんだ。

「逃しませんよ。」

 荒々しい風が吹き、それは鋭利な刃物となってグルート達の身を裂く。飛行タイプのポケモンの技、“エアカッター”だ。肌に鈍い痛みを感じた時には既に服の布ごと皮膚が裂け、切り傷から血が溢れ出していた。

「……っ、ボクだって……やれる…!」

 素早いツェペシュの行動を逆手に取り、ジェトは“トリックルーム”を発動させた。この技は一定の時間、不思議な空間を作り出し、行動の順番を入れ替えることができる。普段とは違い、素早さの低い者が先手を取れるのだ。
 ツェペシュの勢いは失速し、代わりにブレイヴの動きが軽くなった。

「なンだかよくわかンねーが……CHANCEだぜ!」

 “エアカッター”を使用したのがツェペシュだと気づいたブレイヴは、彼の元に走りながら手に力を集約させ、“ドラゴンクロー”を向けた。ブレイヴの繰り出した重い一撃から身を守るには、一時攻撃の手を緩めざるを得ず、ツェペシュは風を止ませた。

「今だ、……早くッ!」

 ツェペシュがブレイヴの攻撃を腕で受け止め、二人の攻防が拮抗している間に、ジェトが声を張り上げて、グルートに合図を飛ばした。


「ああ…!頼んだぜ。」

 ジェトはブレイヴの援護に向かい、グルートはアンヌの元へ。ふたりは入れ替わるように前へ進んだ。
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