『聖女』降臨〜数奇な運命〜

「アベル様。この後で動き回れる程度の『お腹いっぱい』にしておいて下さいね」

見事な健啖家ぶりでほとんどのお皿を空にしたアベルは、その冬の湖のような目をぱちくりとさせた。アベルの疑問符を察した彼女は続ける。

「ご飯が終わったらお買い物に行くんですから」
「お買い物…ですか?」

漫画であれば頭の上に複数のクエスチョンマークが浮かんでいるであろうアベルに、彼女は当然のような口調で返す。

「決まっています。アベル様の食料の買い出しです。日持ちがしそうな物を、とりあえず1週間分ですね。勿論、お代は私が持ちます」
「ええっ!?そ、そんな!悪いですよ!」

アベルはいっそ大仰なくらいに慌てて、首と両手を音がしそうな勢いで横に振った。

「ただでさえ、ここのお勘定も持って頂いているのに!私でしたら心配ご無用です。今日頂いたとろとろのオムレツやかりかりのフリッターの味を思い出せば、1週間は保ちますので!」
「アベル様。我々『人類』が身体構造上『食べ溜め』ができないって忘れてますよね?冬眠に臨むリスの類いでもあるまいし」

彼女は真顔でアベルの言葉を真正面からばっさりと切り捨てた。
そもそも、『新人の後輩に食事を奢ってもらう』事に対しても、アベルは最初は難色を示していた。だが、彼女はさも当然の顔で言った。

「あら。『困っているお坊さんを助ける』とか『お坊さんに食事を振る舞う』とかは『功徳を積む』って言って、『もの凄くいい事』にカテゴライズされるんですよ?まあ『功徳を積む』は仏教用語ですけど」

この発言で押し切られてしまった。

「いやしかし、大切なお給料ですのに食費までお借りしてしまう訳には…」

今もなお渋るアベルに、彼女はきょとんとした。

「借りる?返さなくていいですよ?貸すつもりでやってる訳じゃないので」
「尚の事いけません!!」

アベルは益々慌てた。アベルとしては、彼女が持つと言ってくれたこの食事代も、次の給料日に返すつもりでいたのだ。しかし当の彼女がまず『貸し借り』の前提を持っていないと言う。

彼女は気前が良すぎはしないだろうかと、アベルは心から心配になった。

その彼女はテーブルの向こうから身を軽く乗り出し「アベル様」と呼びかけてくる。

「私、きちんと恩返ししたいんですよ。アベル様に見付けてもらえて良かったって思ってますし、この時代に居場所だって作ってもらえた訳ですから」
「このお食事で、十分に返して頂いていますから!」
「いいえ。駄目です。まだ一部です」

彼女は、きっぱりと首を横に振った。

「食料を買うのだって、恩返しの一部だと思って受け取って下さいよ。何より、これからお給料日まで食べられない生活を続けるしかない仲間を放ってなんておけませんし。まあ、仲間って言っても私はまだ研修中…訓練中の身ですけど」

彼女が特殊訓練課程にて身に着ける物は、見習いシスターの証である青のシスター服と頭巾コイフだ。

「もう一つ。あえて『研修中』って言いますけど。『研修中の新人の後輩に奢ってもらう』事に引け目やら負い目やらを感じるなら、お給料を全額募金だとかに回す、今のお給料の運用を改めて下さい。でないと今後もアベル様に奢り続けますから。いや、偉そうに大上段から説教じみた事を言って申し訳ないですけど」
「返す言葉もありません…」

ほとんど『脅迫』と言っていい事も入っている。アベルは、がっくりと項垂れた。

「更に一つ。アベル様。今の手持ちの1ディナールくらいで購入できるかはわかりませんけど、お野菜の種子を探してみましょう。例えばラディッシュとか」
「お野菜の種…ですか?」

唐突と言えば唐突な彼女の提案に、顔を上げたアベルは鸚鵡返しをしていた。

「ラディッシュってヨーロッパ圏…つまりこっちだとメジャーなお野菜の一つで、おやつ代わりにぱりぽり食べるって聞いた事もありますよ?『二十日大根』って言うくらいだから成長も早いですし、私の力を使えばもっと収穫を早くできます」
「おお!」

彼女が言わんとする事がわかり、アベルは目を輝かせてぽんと手を打っていた。

「たった1ディナールの種が、買うと2ディナールや3ディナールのお野菜に!」

彼女は「そうですそうです」と頷く。

「私がこれから買う食料が尽きても、自分で育てるお野菜があれば乗り切れるでしょう?勿論ですけど、生育を私もお助けしますから。『水耕栽培』で実験したい事もありますし」
「実験?何の実験ですか?」

アベルの問いに、彼女は真面目くさって答えた。

「水耕栽培で、萵苣ちしゃを育てます。ほら。童話の『ラプンツェル』で、主人公のお母さんが食べたがっていたお野菜です。おいしくできたらアベル様にあげますから、アベル様に喜んでもらえるか実験です」

アベルは、思わず噴き出していた。

「そんな実験、大成功に決まっているじゃないですか…」

彼女はマイペースに「『思い立ったが吉日』です。食料の買い出しと一緒に種子も探しましょうそうしましょう」と、残りの焼き菓子を食べてカフェ・オ・レを呷った。アベルも急いでお皿の中身を空にする。

アベルも食べ終わった事を確かめた彼女は、通りかかる店員に「すみません。お会計をお願いできますか?」と丁寧に声をかけた。改めて「ご馳走様です」と恐縮しつつ彼女にお礼を言うアベルに「気にしなくていい」と言う顔で、彼女は首を横に振る。

「ご馳走様でした。おいしかったです」

2人揃って店員達に言葉をかけて、肩を並べて店を出た。

彼女の「適当なお値段で品揃えもいいマーケットがありますので、そこに行きましょう行きましょう」と先導する背中を、アベルは眩しいような気持ちで見詰める。

何とも数奇な運命に導かれて、自分の日常に飛び込んできた彼女。そんな彼女に、自分はただひたすら翻弄され振り回されるばかりのような気がする。だが、決して悪くない日々だとアベルは思っていた。

彼女はアベルが最も愛し守るべき、普遍的な善良さの持ち主なのだから。
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