『聖女』降臨〜数奇な運命〜

彼女は「も〜」と声を上げていた。

「アベル様はもう少し自分を大事にして下さいよ」
「面目次第もありません…」

テーブルの向かい側。彼女が注文した豆やバゲットを煮込んだスープ。つまり彼女が言う所の『イタリア』の郷土料理が一つたるリボリータ。その温もりと味を噛み締めるように、ひと匙ひと匙ゆっくり飲んでいたアベルは、情けない声で両の眉を下げた。モニカに「ヘタレ君」と揶揄される由縁の表情と声である。

彼女の目の前でアベルが倒れた。曰く「み…3日ほど水だけで凌いでいたんですが流石に限界が…」との事だった。

慌てた彼女が近くの食堂にアベルを支えながら連れて行って、取り急ぎリボリータを頼んだ次第である。
因みに何故取り急ぎでスープなのかは、無論だが理由がある。

「いいですか?手始めにお腹に優しそうなスープを頼みますから、落ち着いてゆっくり少しずつ飲むんですよ?兵糧攻めで絶食状態の兵士がいきなり食べ物をお腹に入れた事で胃痙攣だったか『代謝合併症』だったかを発症して死亡したなんて事例みたいになったら、本当に冗談にならないので!」

このように、鬼気迫る顔で彼女が言うので、アベルも頷く他無かった。

彼女が出した事例とは、かの豊臣秀吉の兵糧攻め。『鳥取飢え殺し』(もしくは『鳥取渇殺し』)による結果だ。尤も、アベルに話しても「Toyotomi?大昔の宣教師の記録に、そんな日本人が登場したような…?」という程度の認識だが。

閑話休題。

彼女は真摯な表情で、しかし「食べながらでいいですから」と前置きしてアベルを見据えた。

「アベル様。不躾に踏み込んで申し訳ないですけど。アベル様の事です。どうせお給料を全額募金だとかに回して、結果自分の食費とかが無いんでしょ」
「何故それを!?」

これにはさしものアベルも虚をつかれたようで、素っ頓狂な声を上げた。そして、困り顔で片手で頬を掻く。

「いやあ…。そうなんですよ。気が付くと何故か、いつもお財布の中に1ディナールくらいしか残っていないんですよね…」

彼女は「大体100円くらいか」と、苦い顔で呟いた。同時に「すみません。日本語になりました」と、ローマ公用語に切り替えて謝る。この時代では行く事すら叶わぬ『絶滅地帯ダーク・ランド』となっている祖国の言葉を、思わず出してしまったという様子だった。

「日本語で話しましょう」

アベルは、彼女に日本語で優しく語りかけた。

「ずっとローマ公用語を使うのは、大変でしょう?」
「お気遣い、凄く嬉しいです。ありがとうございます」

彼女も日本語で返した。そこで料理が運ばれてくる。ふっくらと焼き上がったオムレツに、ぱちぱちと衣が弾けるフリッターや、ミートボールがたっぷりのパスタ、分厚いベーコンとチーズを挟んだ大きなパニーニと、とにかくボリュームがありかつ腹持ちが良さそうな料理ばかりだ。

彼女とアベルは、料理を運んできたスタッフにローマ公用語で「ありがとうございます」と述べた。両者に「ごゆっくり」と笑顔で言う愛想の良いスタッフを見送りながら、彼女は「ゆっくり、よく噛んで食べて下さいね」とアベルに優しく釘を刺す。

幸せいっぱいの顔でまずはパニーニにかぶり付くアベルを見つつ、彼女は「お坊さんでもお肉が平気で良かった」と日本語で呟いて、注文したカフェ・オ・レを初めて口にした。

なお、アベルに食べさせる事が主目的と言えど、自分が何も口にしないとアベルがすまながると彼女は思ったので、マドレーヌとフィナンシェという、小さな焼き菓子のセットも注文している。要するに、お付き合い程度の量だ。

彼女の「ゆっくりよく噛んで」を律儀に守りつつ、それでも気持ちが良い程の食べっぷりで早々にパニーニを平らげて、さあ次はフリッターをとアベルはフォークを手に取った。子供のように口の周りをディップソースだらけにしてフリッターを頬張るアベルに、彼女はやはり「食べながらでいいですから」と語りかける。

「アベル様。説教じみてて申し訳ないですけど。募金とか寄付とかは、あくまでも無理がない範囲でするものですよ?それで自分の生活が立ち行かなくなったら本末転倒です。もっと自分を大事にして下さい」

彼女は眉を寄せた。

「いや。アベル様はもしかしたら心情的に『自分を大事にする』のは無理なんでしょうけど」
「そ、そこまで深刻な話ではありませんよ?」

もぐもぐごっくんとフリッターを咀嚼し飲み込んだアベルは、ナプキンで口の周りのディップソースを拭きながら慌てて答えた。彼女が『アベルはかつて兄妹と共に地上で大殺戮を行なった事をずっと自分の罪として背負っている』旨を指して言っていると、アベルは悟ったのである。

アベルは、彼女に全てを話している。この旧世界最後の人類へ、出会った日に全てを。
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