やっちゃったわ

「あぁ、もうヤになるわ」

喉の奥から搾り取られたような声が出た。
吸わずに指先を焼いた紫煙がたなびいて、天井に溜まるのをただ眺める。

「……やっちまったわ」

昨夜、やけにアルコールのまわりが早かった。
テーブルの上には空き缶、空き瓶、飲みかけのグラス。
ツマミに食べたチョコレートの残骸。
残骸?
破り捨てたそれを広げて見れば、さもありなんと悪魔界製の特製品で。
「なんちゅうもんを食わせんだよ」
振り返って目に入るのは、布団からはみでたやけに白い項だけ。
そこについた朱い痕から目をそらして、短くなった煙草を吸いきった。
「……煙草の種類が一緒なのがいけねえんだよ」


「やっぱ、いいわ」
それだけ言って、大事なところは飲み込んで煙を吐いた。
「ん」
床にしゃがんでいた真吾がひとつ伸びをして、手を出した。
「なんだ?」
「もう一本、ちょうだい」
胸ポケットから出したボックスを振ると、軽い音がした。
「残りが少ねえんだけど」
「いいでしょ」
テーブルに置くのを待ちきれなかった真吾の指が触れる。
「チョコでも食ってろって」
食べさしのチョコを真吾の口へ再び押し込む。
「ひひょい、ひょーらいって……んっ」
グラスの中身で口の中のものを流して飲み込んだ真吾の身体がぐらりと傾いて二世の膝にもたれかかった。
「んあ……っ」
「どうした、やっと酔ったか?」
「……そう、みたい」
そう呟いて手のひらで二世の腿を撫ぜる。
「こそばい」
真吾の手を引き剥がして、テーブルからグラスを取るもまた、温い手が戻った。
「だからくすぐってぇって」
煙草を揉み消すと両手を掴んで真吾をソファへ引っぱり上げる。
「酔ってるなら寝ろ」
「ん、寝ない」
「いいから、寝ろって」
抱きかかえて引き摺って、壁際のベッドへ運んだ。
「ねぇ」
「あ?」
「ぼくがねたら、きみは?」
間延びした声でそんなことを問う。
「また、外で警護だ」
「さむいだろ……っ」
「大したことはねぇな」
「へへっ」
笑ったかと思うと真吾の腕が二世の首に巻き付いた。
「ここで寝てけば?」
「なにを言い出した?」
「疑問にギモンで返さないでください」
にやにや笑いながら体重を掛けてくる。
「ウチのベッド、セミダブルだしいいじゃん」
「あぁ、もう酔っぱらいが……わっ!」
ベッドの上の真吾が引っ張ると、二世の身体ががくりと崩れた。
「きみだって酔ってるじゃん」
「そんな、こと、ねぇし……っ」
ふとくらくらしたところで唇にちゅうと真吾が自分のそれを押し付ける。

そこから先は断片的な記憶しかなくて。

意外と肌が白かったとか。
それが温かく滑らかだったり。
髪の毛以外のあれが黒っぽいとか。
鼻に掛かった声が甘かったり。
ほかにもいろいろと甘くて。

思い出したら背骨の付け根がずぅんと来た。

覚醒して最初に目に入ったのは細く入り込んだ朝日。
それに照らされた柔らかな髪とほっそりした首筋。
そこから続くたおやかな背中。
それらに点々と散った朱い痕。

脱ぎ散らした中から下着とズボンを引っ掴んでベッドを出た。
兎にも角にも落ち着きたくてテーブルの煙草を咥える。
震える手で火をつけたはいいものの、吸う気にもならずただ煙になった。
じりじりと指を焼かれてあわてて灰皿に押し付けて、ため息ひとつ。

「僕にもちょうだい」

「うあっ!」
背後からの声に文字通り、飛び上がった。
「あ、あくまくん……?!」
下着一枚で怠そうに二世の隣に腰を下ろす。
「ど、どうした……っ?!」
「どうしたって、僕にも一本ちょうだい」
テーブルの上の箱から抜いて咥えるとライターで火をつけた。
深く吸い込んで、煙を吐き出す。
広くはない室内に沈黙が満ちるも、耐え切れずに口を開いた。

「ゆうべ……」
「悪魔くん、すまん!」

真吾の声を遮る声で言って、二世が頭を下げる。
「は、なに……?」
「酔ってたとはいえ、本当にすまない」
呆気に取られていた真吾の顔が耳まで真っ赤に染まった。
「わ、わり……ぶっ」
なおも謝ろうとする二世の顔をクッションで引っ叩く。
「ご、ごめ、すまなかったって!」
無言でばんばん叩かれながら謝り続けていると、不意に真吾の動きが止まった。
「あ、あくまくん……っ」
紅潮した顔のまま、歯を食いしばって大きく見開いた目からぼたぼたと雫が垂れる。
「ど、どうした……っ?!」
「どうしたも、こうしたもっ!」
ばふん、と叩いた真吾の手から勢い余って飛んで行った。
「なんで、泣くんだよ」
「き、きみ、が……っ」
そこまで言うとしゃくりあげてしまい言葉が続かなくなる。
「オレが悪いのはわかってるけどよう」
「ちが、ちがう……っ」
「なにが、違うんだよ」
ばたばたと振るわれる真吾の腕を掴むと、真吾の顔がぐしゃりと歪んだ。
「だって、きみが謝るから……っ」
「だってオレが悪かったから!」
「……そんなの、ヒドい!」
「だから、悪か……って、おい!」
「怒鳴らないでよ!」
「煙草!火!燃えてる!」
言われてあわあわと投げ出したクッションで叩いて鎮火する。
「か、かじになるところだった……」
涙が引っ込んだ真吾が呟いた。
「あ、あくまくん……」
呆けたように呟いた二世をきっと睨む。
「しんご、って呼ぶっていったじゃん!」
「は……?」
「僕のこと、好きって言ったのに!」
「はい?」
「その場、限りのウソだったの?!」
「ちげぇよ!本気に決まってんだろ!」
「は……?」
二世に怒鳴られて今度は真吾がきょとん、とする番だった。
「メフィスト二世」
「なんだよ?!」
耳まで朱くなってそっぽを向いた二世の肘を掴む。
「あの……昨夜はなんか酔ってたけどね」
「……」
「なんていうか、君が好きなんだけど」
「けどってなんだよ?」
「い、いまさらっぽいから!」
真っ赤になって怒鳴り返した。
「そういう、君はどうなのさ!」
「……好きに決まってんだろ、わざわざこんな日に警護に立候補するくらいにはな」
互いに睨みあってから、詰めていた息を吐いた。
2/6ページ
スキ